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少しずつ掲載します。

2.周夫人(侍女)


 二十余年、仕えていた主が旅立たれた。

 幼い頃からあまり体が丈夫ではなかった主が、三人も子供を産めたのは奇跡と言ってもいい。

 しかし三人目の出産後、体調は悪化する一方で、ついに儚くなられた。


 最期まで春を待ち続けた主の望みを叶えるため、私は小さな子供の手を引き馬車へと向かう。御者を務めるのは私の息子だ。まだ若いがこれ以上に信頼できる人間はいない。

 子供を馬車に乗せ、主から託されていた包みを渡す。


「いいですか、潤玲。これを必ず貴女から李遼様にお渡しするのです。他の者の手を介してはなりません」

「はい」


 まだ幼いが聡明な潤玲は頷き、痩せっぽっちの体で渡された包みを、大事そうに抱きしめた。

 潤玲は自分の荷物を持っていない。旅支度を忘れたわけではなく、ただ単に持っていくものが何一つ無いからだ。


 旦那様は不義の子に与えるものなど何もないと、着るものすら与えなかった。哀れに思った使用人がくれた、お古の服しか持っていないのだ。

 本当であれば私が援助したかったが、旦那様の監視が厳しく、接触することすらできなかった。少しでもこの子供に優しくすれば、自分の首が飛びかねない。

 十日前は奥様を慕う他の使用人たちの手を借り、ようやく奥様の部屋に連れていくことができたのだ。


 吐いた息が白い。冬は始まったばかりだというのに、足元から冷気が纏わりつくようだ。

 私は着ていた綿入りの羽織を脱ぎ、潤玲に着せる。まったく体格に合っておらず、体を包み込むようになっているが無いよりマシだろう。


「周夫人、それでは周夫人が風邪を引いてしまいます」

「ご安心なさい、私は別の羽織を用意しています」


 こちらを気にする子供に有無を言わせず、脱げぬように前紐を結ぶ。

 ここより北にある帝都は、今の時期は雪が降るほど寒いという。私は首に巻いていた襟巻も取り、潤玲の首に巻いた。

 そして先ほど渡した包みの他に、用意しておいた旅に必要な最低限のものが入った袋を渡す。この中には息子が子供だった頃の古着も入っている。今の服よりはしっかりしているし、体格にも合っているだろう。

 中に何が入っているかを説明し、道中で食べるようにとおこわ(ちまき)の入った籠箱を座席の空いたところに置いた。主のことを想いながら作ったそれは、もしかしたら少し塩辛くなってしまったかもしれない。包みを何重にもしたから、もうしばらくは温かいはずだ。冷めぬうちに食べるようにと伝える。


「周夫人、お聞きしたいことがあります」


 大人しく説明を聞いていた潤玲が、口を開いた。

 何ですか、と話を促す。


「奥様は、私を産んでくださった方だったのですか」


 その言葉の重さに、私は唇を噛み締めた。

 母と名乗れずに儚くなった主。

 母と教えられることのなく、いまだに母と呼ぶことができない子。


 その苦しさ、悲しみを誰が理解することができようか。せめて、もっと早く送り出すことができていれば、と思わずにはいられなかった。

 私は澄んだ琥珀色の瞳を見つめて、その問いに答えた。


「私は奥様――趙春蓮様と、趙春蓮様のお母上であられる趙潤蓮様にお仕えしてきました。お二人に仕えられ私は幸せでした。だから貴女にお仕えできないのが、無念でありません」


 私の言葉に、琥珀色が力強い光を持って見返した。


「周夫人。私は自分が置かれた境遇を嘆いたことはありません。どんなに辛くとも、苦しくとも、奥様や周夫人が私を見守り、心を砕こうとされていたことを知ってたからです」


 私は息を止めた。

 そうしなければ、喉の奥からせり上がる呻き声を抑えることができなかっただろう。


「奥様と周夫人のお心、この潤玲に、確かに届いておりました」


 まっすぐに私を見つめる、黄金色をした琥珀の眼差しに、私はついに涙を止めることができなかった。

 お嬢様、と嗚咽交じりに呼べば、子供は赤切れと青痣だらけの痛ましい手で、私の手を握り締めた。


「奥様の――母の願いの通り、私は私の心の望むままに生きます」


 周夫人もどうか、いつまでもお元気でいてください。

 そう微笑んだ子供を乗せ、息子が操る馬車が走り出す。

 私は馬車が見えなくなるまで、その場で涙を流し手を振り続けた。



 ******



 良い香りに釣られ、男は天幕に入った。

 薄暗いが外よりかは暖かい天幕の中で、男の義兄弟(相棒)が火鉢の傍の椅子に座っている。

 珍しく女物の羽織を肩に掛けている相棒に片手をあげて挨拶し、傍によると何やら頬張っていた。


「黄潤、お前何喰ってんだ?」

「もほわひまひ」


 頬張ったまま答える黄潤の肩から羽織がずり落ちそうになり、男はそれを引き上げる。


「ん、すまんな安慈」

「いいってことよ」


 安慈と呼ばれた男はニカリと笑い、黄潤の隣に腰掛けた。

 女物の綿入り羽織は、大柄な黄潤の体格に全く合っておらず、もはや袖に腕を通すことができない。さらに黄潤は整ってはいるが、精悍な顔立ちをしているため青年にしか見えず、普段着も男物を愛用している。それでも相棒が、その女物の羽織を大切にしていることを、安慈は知っていた。


 火鉢の傍らにある机の上には、光石を光源とした行燈と数本の書簡、そして大量の蒸籠が置かれている。蒸籠の蓋を開けると、竹の葉で包まれた大き目の粽が並んでいる。

 どうしたのかと聞けば、仲間の高遥香が夜遅くまで仕事をしている黄潤に、夜食にと持ってきたらしい。傭兵団の中で最も料理のうまい彼女の作ったものならば、それは旨かろう。


「一つ貰うぞ」


 相棒に断りを入れてから、蒸籠から粽を一つ取り出す。竹の葉を剥き、まだ温かいおこわ粽にかぶりつく。もっちりとしたもち米に、出汁の風味と少し焦がした醤油の塩加減が絶妙だ。


「一つと言わず、もっと食っても構わんぞ。さすがにこれだけの量は食いきれん」

「いや、いけるだろ?」


 黄潤は大層な健啖家だ。しかし太っている訳ではなく、その肉体は強靭な筋肉を纏っている。

 女でありながら安慈と変わらぬ背丈と体格、そして優れた武勇を持つ黄潤の胃袋は、おそらく食べたものを全て身長と筋肉、人並外れた身体能力に回すような機能が付いているに違いない。


 黄潤は親指で顎を摩りながら、暫し蒸籠を眺めた。


「…まあ、食えんこともないが」

「だろうな」


 苦笑しながら粽を齧る。もち米の間に小さく切り分けれた豚の角煮が入っていて、それがまた旨い。


 粽を咀嚼しながら、先程まで相棒が読んでいた書簡を手に取る。

 次の依頼は北方にある砦の制圧だ。その作戦内容が書かれいるが、とんでもなく行き当たりばったりで中身のない戦略に安慈は呆れた。

 左眉の上にある傷跡を爪で掻きながら、唇をへの形に歪める。


「今回の依頼者は戦を知らん坊ちゃんだったか?」

「どこぞの名門とかいうおっさんだ」

「なるほど、頭の固い阿呆というわけか」

「そうだ、後継者争いの延長で領土内で戦をしているような阿呆だ」


 密偵の報告では雇い主の方が本来の正当な後継者であったため、一応大義名分はある。

 それならまだマシか、と安慈は書簡を放り出した。どこもかしこも戦、戦。それも莫迦らしい理由で民草を巻き込んだ戦ばかりだ。

 嫌になるが、それで飯を食っているのだから、自分たちも禄でもないことに変わりはない。

 

「仕方ねえ。適当に勝たせて、適当に引き上げるか」

「ああ、それがいいだろうな」


 互いの意見の一致を確認し、ため息を吐いて蒸籠からもう一つ粽を取り出した。黄潤がやはり食うではないかと笑い、安慈と杯を交わすために酒を用意しようと立ち上がる。

 立ち上がる瞬間、相棒の肩から滑り落ちた羽織が床につく前に拾い上げた。


「っと、すまん」

「おう、もっと気をつけ…見ろよ黄潤!栗!これ栗入ってる!」

「よかったな、当たりだ」


 二つ目の粽の中に栗を発見し、暗い緑色の瞳を輝かせた安慈に、黄金琥珀の瞳が柔らかく笑った。

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