7-2
7-2.北城壁守備兵の嘆き
威風堂々とした猛将と勇将が城壁に立っている光景は壮観だ。守備兵たちの間にあった凍るような緊張感は今や高揚としたものに変わっている。
しかし、お二人の会話の内容はひどいものだ。
「兄者はすでに十は潤玲を連れ去っている。己はまだ五度目だ」
「回数の問題じゃねえの。何も言わずにいきなり人んちの子を脇に抱えて連れていくのが問題なの」
「何を言う。己は潤玲の叔従父、他人ではないのだからいいだろう」
「駄目だって。親の了承なく連れ去ったらそれはもう誘拐だから。親族とか関係ねえから」
「だが潤玲は嫌がっていない。他の子らは泣き叫んで気絶するか、引き付けを起こす」
「本人が拒絶してなくても、傍目から見たら誘拐になるんだよ」
子供のように言い訳する王慎様に李翔様が呆れたように咎めている。しかし険悪そうな雰囲気ではなく非常に穏やかで、互いに気心知れた者同士であることが窺える。
というか、そんなに子供に嫌われてるなら近づかないであげてほしい。恐怖で引きつけ起すってどんな状況よ。
俺たちがドン引きしていると王慎様の腕の中にいる少年が眉を下げた。
「申し訳ありません。以前お会いした時に、私が城壁に登ってみたいと言ったのを王慎様が覚えてくださっていたのです」
少年よ、元凶は君だったのか!
先ほどまで王慎様の恐ろしい笑顔を見せられ続けたため、少しだけ少年を恨んでしまう。
しかし少年の言葉を聞いた李翔様は後ろ頭をガリガリと掻いた。
「そうだったのか…それは仕方ねえな。慎は昔っから不器用だからなぁ…」
いやいや駄目でしょう!?そこ許したら駄目でしょう!?
誘拐ですよ!?不器用って問題じゃないでしょ!?
俺たち守備兵は全員合わせて心の中で突っ込んだ。その思いが届いたのかはわからないが、李翔様はうん、と改める。
「慎、潤玲、そういうときはせめて誰かに声を掛けてから家を出るようにしろよ。皆心配しちまうからな。
あと休みの日に職場に来るのもやめとけ。下のモンが気にするし、仕事の邪魔になるだろ」
おお、李翔様!よくぞ俺たちの心を代弁なさってくれました!
流石は帝都で人気の武将百選の上位に食い込む方!
あの極悪顔の王慎様に真正面から注意できるなんて!
そこに痺れる憧れるぅ!李翔様に一生ついていくぜ!
俺たちの興奮は一気に高まっていた。
が、しかし。
次の瞬間、場の空気が凍り付く。
「ほう、この城壁の守備兵は高々平服姿の上官が現れた程度で、注意力が散漫になる程度の鍛え方しかしていないのか?」
随分と弛んでいるな、低い声が嘲るようにその場の守備兵たちに向けられ、俺たちは心の中で絶叫する。
いやいやいや!!そういうのじゃないんで!!!
上官ていうか、貴方様だからこそこっちは気になるんですよ!!!
そう胸中で叫びまくっていると、鋭利な視線がこちらに向けられた。
「そこの貴様」
「ひっ、ひゃいッ!?」
悲鳴に近い返事をすると、ギラギラとしたその眼光だけで妖魔の息の根も止められそうな表情の王慎様が近づいてくる。
同僚に助けを求めようと視線を送るも、皆一様に顔を背ける。それを薄情とは思わない。俺だってそうする。
そして、遂に黒い猛将が俺のすぐ目の前まで来た。
「どうなんだ?己が来たら貴様らは迷惑をこうむるのか?」
ニタリ、と魔神の如き笑みを浮かべた王慎様の顔を直視してしまった俺の脳裏に走馬灯がよぎる。
厳しくも優しかった両親。
故郷に残してきた幼い弟妹たち。
一人で帝都に来てから、いつもの優しく声を掛けてくれるあの娘――せめて死ぬ前に想いだけでも伝えたかった。
ああ、俺はここまでなのか。
そう思った瞬間、猛将の腕に抱かれていた少年がその小さな両手のひらをペタン、と王慎様の両目に当てた。
驚いたのは俺や同僚だけでなく、視界を塞がれた王慎様もだった。
「潤玲?」
「王慎様は非常に眼力がお強いようです。上官である方にそのように見つめられてはこの方も緊張されてしまいます」
しょ、少年んんんんんん!!
凄く、凄くその通りなんだけど君は大丈夫か!?まあまあ失礼だぞ!?逃げないと縊り殺されたりしないか大丈夫か!?
俺がハラハラと心配していると、王慎様はふむ、と頷いた。
「なるほど、そういうものか。では潤玲、暫く目を押さえておいてくれ」
あっ、それでいいんだ!?王慎様、それで納得しちゃうんだ!?
というか少年よ、君ほんとに何者だよ。剛胆すぎるだろ。一身是胆とはまさか君のことか。
驚愕に口をあんぐりと開けていると、王慎様の後ろで李翔様が苦笑しながら言いたいこと言ってみろ、と手振りをして促してくる。
少年も琥珀の瞳をこちらに向け、こくりと頷いた。その双眸は陽の光を受けて黄金色に輝いている。
俺は唾を飲み込み、澄み切ったその瞳に促されるまま王慎様の怒りに触れぬよう頭の中で言葉を選んた。
「お、恐れながら、自分はこの城壁に王慎様がいらっしゃったのを見て、何か火急のことがあったのかと身構えました。今まで平服で城壁にお越しになられたことはなかったので。
余程のことがあったか、もしくは我々の職務に何か問題があったのかとも考えました。
しかし王慎様は何か命じられる事もなくお過ごしでしたので、我々もお声を掛けて良いものかわからず……」
そこまで言い切り、少しだけ深呼吸をする。幸いにも王慎様は静かに耳を傾けているだけで、怒っている様子も無い。
それどころか、なるほど、と小さく呟いておられる。
「貴様の言い分は最もだ。己も仕事場に休暇中の兄が来たら何かあったのかと勘繰るだろう。
……どうやら己の配慮が足りなかったようだ。謝罪しよう」
軽く頭を下げる王慎様に俺は慌てて深く頭を下げる。
「め、滅相もございません!我々こそ、せっかくお越しいただいたのに、お構いもできず申し訳ありませんでした!」
「それこそいらぬ気遣い……いや、その立場であれば仕方のないことか」
少年の手が王慎様の両目から離れる。再び見えたその目には先ほどまでの鋭利な光は無い。それどころか眉が下がっているせいで何処と無くしょんぼりとして見える。
え、なに?さっきまでめちゃくちゃ恐かったのに、なんか叱られた犬みたいになってるんですけど?
なんか、ちょっと、かわいい……かも??
恐怖の大王のように思っていた王慎様の表情の変化に俺はもちろん、同僚たちも戸惑いが隠せない。
いやほんと、青天の霹靂かよ。
「今後は浅はかな行動は粛もう。貴公らは引き続き職務を全うせよ。その働きを期待している」
下げていた眉をキリッと引き上げた王慎様のお顔は、もうあまり恐いとは思わ…
「後ほど詫びの品を届けさせよう…そう、貴公らが悦びそうなものをな」
ニタリ、とまた肉食獣のようなえみを浮かべた王慎様のお顔を直視した俺はヒィエっ!!と飛び上がりそうになった。
その途端、また少年がペタンと王慎様の両目を塞ぐ。
「潤玲?」
「王慎様、眼光が凄いです。守備兵の方が緊張されています」
「いやしかし、己はこれが普通だが。ちょっと笑っただけぞ?」
「まあ、そうなんだろうけど、俺ら以外にお前の微笑みは強烈なんだよ」
苦笑しながら李翔様が王慎様の肩に腕を回す。
目隠しされたまま首を捻る従兄に李翔様はそうだなあ、と少し考えてから何か思いついたように笑った。
「ああ、ほら、烈兄も微笑んだだけで見た奴らは老若男女関係なくみんな真っ赤になっちまうだろ?あれと一緒だ」
いや、李翔様。流石にそれは違います。絶対違います。一緒にしちゃいけないやつです。
俺たちはまた心の中で突っ込みを入れるが、目の前の三人には届かない。
「そう……か?」
「確かに王烈様も微笑んだだけで女人は気絶し、男性は真っ赤になって震えておりました」
「俺たちにはよくわからんが、結果は殆ど同じだから一緒だろ」
「……己と兄者とでは過程がかなり違う気がするのだが?」
まさかの王慎様の方が俺たちの感性に近いという事実が判明。というか李翔様と少年はざっくりしすぎというか、適当すぎやしないだろうか。
俺たちが呆れていると、李翔様は王慎様の肩を抱いたまま城壁から降りる階段へと向かう。少年に目隠しされたままの王慎様は李翔様に誘導に反発せず、大人しく連れていかれる。
李翔様は階段を下りる前に俺たちに目配せしてニカリと笑い、少年も王慎様の両眼を抑えたままペコリと頭を下ろした。
「ところで、お前ら何の話をしてたんだ?」
「北方での戦い方についてだ。主に妖魔や妖獣の縊り殺し方を教えていた」
「おいおい、先に基本的な砦の落とし方を教えたほうがいいんじゃねえか?」
「砦の落とし方ですか?少し興味があります」
「そうか、では茶でも飲みながら」
「あ、慎、こっから階段だから気をつけろ」
だんだんと遠ざかっていく会話を聞き、三人の姿が見えなくなった途端、俺はへたりと床に座り込んだ。
同僚たちがすぐに駆け付け、俺の顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か?」
「ち、ちょっとチビりそうになった」
恐かったと涙目で言えば同僚たちは皆、俺の肩を叩いて励ましてくる。それで徐々に気を落ち着けた俺は立ち上がって配置に戻り、同僚たちと少しだけ雑談をした。
「しかし、意外と王慎様は懐の広いお方なのだな。俺たちのような下位の者の話を聞いて下さるなど」
「ああ、さすがは王烈将軍の弟君。お顔こそかなり凄みがあるが、俺たちが思った以上にお優しい方なのかもしれないな」
「然り。己の誤りを指摘されても怒らず、真摯に受け止めてくださるなど他の高位の方々では考えられん」
俺たちは一同に頷く。普通、位が高ければ高くなるほど、自分や家の価値観で判断を下す方が多く、下位の者の言葉は聞き入れてくれない。中には実力もないくせに名門出だと言うだけで威張り散らして傲慢に振る舞い、下々を虫けらの様に扱う者もいる。
そう考えれば王慎様はかなり懐が深い。
ただの守備兵に言われた内容を己にあてはめて考えを改めて下さり、更に謝罪までされた。征北将軍の弟君で配下、そして皇族の血さえ引いているいる方がだ。
「何と言うか、親近感が沸いた気がする…顔は恐いけど」
「そうだな、とても良い方だ…顔は恐いけど」
「実力もあって懐も広い、尊敬できる方だ…顔は恐いけど」
同僚たちと顔を合わせて苦笑する。王慎様は外見ほど恐くない、というか確実に人相の悪さで損をしている、少し不憫な方と分かった。きっと次にお会いするときは今日ほど恐怖を感じないと思う……たぶん。
そんな話をしていると、一人の同僚がふと思い出したかのように話題を変える。
「そういえば気づいたか?王慎様が連れていた少年」
「ん?ああ、琥珀の目をした少年か?王慎様に対してあの振る舞い、かなり豪胆だったな」
「あの少年、李遼将軍に瓜二つだったぞ。ありゃあおそらく李遼将軍のご子息、歳からしてご長男だな」
同僚の言葉を聞いてなるほどと手を打つ。
王烈様と肩を並べる鎮北将軍・李遼様は黄金琥珀の瞳をお持ちだ。誰かに似ていると思っていたが、李遼将軍の子ならあの豪胆さも納得できる。
「あの年ごろで周りに気を遣え、何より王慎様を恐れぬ肝の太さとは」
「きっと将来は御父上にも負けぬほどの将になるだろうな」
「ああ、李遼様は良い跡継ぎをお持ちだ」
同僚たちとそんな話をしながらも、俺たちはその日の職務を全うした。
そして勤務交代の時間になったころ、馬車を牽いた王慎様の遣いという者から『主から皆様へ、本日のお礼と日々のお働きに対しての差し入れ』として、極上の酒が入った瓶が一本ずつ北城壁守備兵たち全員に配られた。
「おい!こりゃあ黒龍酒造の上級酒じゃねえか!」
「嘘だろ、これ一本で俺らの給料三月分はする品だぞ!?」
「謝礼で守備兵全員に配るか普通!?」
北城壁は戦闘がおこる可能性が最も高い危険な区域であるため守備兵にはそれなりの給与が支払われている。そんな俺たちですら手を出すことを戸惑うような酒を配るとは。しかもあの場に居なかった夜間勤務や非番の兵たちの分までもきちんと用意されていた。
「王慎様って懐が広いだけじゃなくて、気前もいいのな…」
「うっわ、なにこれ旨っ!これ本当に酒!?これが酒なら今まで呑んできた酒は酒じゃねえよ!」
「やべえ、王慎様への好感度爆上がりだよ。顔恐いけど、俺は大好きだよ王慎様」
こうして、俺たち北城壁守備兵たちの間で王慎様の株は李翔様並みに上がり、超絶美味な酒を抱えた俺たちは笑顔で家路についた。
この時の俺たちはまだ知らなかった。
翌日、李遼将軍の遣いを名乗る者から『お嬢様がお世話になりました』と皇室ご用達の高級菓子屋の焼き菓子が配られ、そのあまりの美味さに絶叫することを。
*****
※黒龍酒造も高級菓子屋も李家の縁者が経営。
一番楽に手配できるので自然とそれぞれに発注かけただけという裏話。
特に李遼は李家族長として縁者への支援にもなるので、他所へ配る場合は大量発注は当たり前のようです。




