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6-4

6-4.徐桂華(義母)


 ******



 粟と米の粥が大量に入った大鍋の前で、金色の髪を頭の後ろで纏めた青年がしかめっ面を晒していた。

 彼は仄かに海鮮の香りがする湯気を上げている粟粥を玉杓子で二度かき混ぜ、大ぶりの椀に注いだ。

 椀を団員に渡しながら、癖のある長い金髪の青年――傭兵団の軍師・海瑠(カイル)は眼鏡の奥の碧眼を歪ませて弛んでいる、とため息交じりに呟いた。


 朝の野営地。

 青空の下に折り畳みの卓と椅子、もしくは敷物の上で傭兵団の団員達は皆賑やかに朝食を楽しんでいる。戦前だというのに緩んだ空気はあまり好ましくない。

 本来であればもっと緊張感がなければならない段階なのだが、団長二人の人柄のせいか食事時はかなり弛んでいる。


「そう言うな海瑠、気を張り続けて勝てるわけでもあるまい」

「弛みの最大の原因がぬけぬけとよく言いますね」


 近くの卓で大椀から粥を食べている黄潤を海瑠は青玉の如き瞳でじろりと睨みつけた。

 この健啖家な方の団長はすでに大鍋の約半分の粥を一人で平らげている。しかしこれはかなり抑えている方で、いつもなら大鍋一杯分を裕に完食する。流石に兵糧の減り具合を気にしているのか最近は随分と食事量を減らしているようだ。


 そんな黄潤を心配して糧食を受け持つ第三部隊の隊長・高遥香(こうようこう)が蜜柑の皮の揚げ菓子を用意していた。

 揚げ菓子はいつもの半数程度の油条(あげパン)と共に皿盛られ、黄潤に出された。勿論、一欠片も残ることなく黄潤の腹に収まった。

 団員たちはそんな黄潤団長の姿を見て「いつもの風景だなあ」などと言ってまったり食後のお茶を啜っている。


「仕方なかろう。お前の作る粥は本当に俺好みなんだ」

「そういう話ではありません。そして軍師に飯炊きさせないでください」


 水神の加護を受けている海瑠は穀物に対してどの程度の水加減が一番いいのか測りなしで調整できる。しかも水分量と火の勢いから穀物の吸収率と蒸発速度を計算して作るため、糧食係が舌を巻くほど美味な粥が出来上がるのだ。

 黄潤だけでなく他の団員からも絶賛されるため、海瑠も粥を皆に振る舞うのは吝かではない。しかし糧食係でもないのに「お前の粥が食いたい」と強請られて十日に一度の割合で粥を炊かされるのは如何としたことか。そして黄潤団長はやはり食べ過ぎた。胸の中で愚痴を呟き、海瑠はズレかけていた眼鏡を押し上げた。


 海瑠は中背で傭兵団の中でもかなり薄い身体つきをしている。

 敵と戦うために普段から鍛えている団員たちとは違い、軍師は肉体ではなく頭脳を磨く。そのため身体を維持するための食事はあまり必要とせず小食だ。

 しかし、そんな海瑠から見ても黄潤の食事量はおかしい。かなり大柄である第二部隊の劉覇の倍は食べている。


「俺からすればお前たちが小食なんだ。実家ではこれが普通だったぞ」


 聞けば父親を始め、弟たちや叔父たちも黄潤と同量かそれ以上の食事量だったという。

 こんなのが複数人いるなど月々の食費はどれだけ掛かってたんだと海瑠が呆れていると劉覇が近づいてきた。

 お代わりだろうかと椀を受け取るために海瑠が手を伸ばせば、劉覇は苦笑しながら首を横に振る。


「軍師殿は給仕ばかりでまだ食事を摂っていないだろう。俺が代わろう」

「部隊長にさせる仕事ではありません」

「それを言うなら軍師がする仕事でもない。なに、焦げぬよう掻き混ぜて椀に盛るだけなら俺でもできる」


 糧食係は後片付けに追われているため、誰かに代わって貰わねば朝食を摂り損ねる。そう判断した海瑠は劉覇の気遣いを有り難く受けることにした。


「ではお言葉に甘えます……何も加えないでくださいね」


 料理をすれば必ず甘いものが出来上がるという摩訶不思議な特性を持つ劉覇に釘を打ち、海瑠は自分用の椀に粥をよそって黄潤の対面の席に座り食事を始める。

 暫く匙で粥を混ぜて冷ましてから口に運ぶ。海鮮の出汁が効いた粟粥を少しずつ胃に収めながら海瑠は目の前の団長を盗み見た。


 黄潤はそれなりの教育を受けていたらしく、食べ方は汚くない。女性らしさは欠片もなく、男らしい仕草ではあるが姿勢は正しく、匙運びも美しい。

 しかしその速さが尋常ではない。海瑠が三口めを口に運ぶまでに黄潤は十往復している。椀の中の粥の減り方も同じくだ。見ているだけで胃が膨れる心地だ。


「黄潤団長……粥は飲み物ではありませんよ」

「?知っているぞ」


 何を言っているんだと首を傾げる黄潤に、海瑠が三度ため息を吐いたとき、二人の頭上でひゅるりと白い鳥――安慈が操る紙鳶(グライダー)が青空を翔けた。


「帰ってきたな」

「そのようで」


 風神の加護を受けている安慈は彼が妖鳥の骨や皮といった素材で造られた紙鳶を操り、空を飛ぶことができる。その特殊な紙鳶の設計から製作、点検まで全て安慈一人で行っている。材料集めは黄潤も手伝ったそうだ。

 とても人の成せる技ではないし、どうやってその発想に行き着いたのかと海瑠は出会ったころは不思議でならなかった。

 いくら妖鳥の素材で紙鳶を造り、風神の加護を受けているからといって簡単に飛べるわけではない。しかし安慈は並々ならぬ情熱で紙鳶を造り上げ、導術――仙術にも類する、加護を自在に操る業を鍛え上げた。

 風を読み、風を操り、鳥のごとく空を飛べるのは大陸、否、世界中探しても安慈だけだろう。


 しかし今ではそれを当たり前のように受け止め、何事も無かったように食事を進めることができる。

 黄潤が椀の中の粥を平らげ、海瑠がようやく三分の一ほどを胃に収めた頃、断熱性の高い革の鎧を着こんだ安慈が手を振りながらやってきた。首には透明な白瑠璃(ガラス)で作られた風防眼鏡(ゴーグル)を掛け、小脇には毛皮のついた革の帽子を抱えている。

 黄潤もそれに手を上げて応える。


「戻ったぞ。ちと寒いが、今日は絶好のフライト日和だ!」

「それは何よりだ。守備は?」

「上々よ!報告にあった通り、西門までの道に伏兵がいたぞ。移動してねえみたいだ」


 その分砦の警備が手薄だなと言い、安慈は革の手袋を脱ぎながら黄潤の隣に腰掛ける。海瑠は懐から取り出した地図を卓に広げた。

 上空から敵の砦を偵察をした安慈は淀みなく地図を指していく。


「海瑠の読み通り砦の南の警備は堅めで見張りの櫓も多い。東は兵は少ないが妖獣を配置してるから面倒だ。攻めるとすりゃ西門が一番無難だな」

「だが西門へ真っ直ぐ進軍すれば伏兵に当たる」


 腕組みをしながら広げた地図を見る団長二人にふむ、と海瑠は頷く。


「西門へ進軍するには道が一本しかありません。伏兵がいることが分かっていても衝突は避けられないでしょう。我らが軍が精強とはいえ、兵力差を考えれば不要な戦闘は回避すべきです」


 海瑠は腰に差した扇を抜き、地図のある個所を示す。


「この砦の北側は高さのある崖を利用して背後を固めています。そこから攻められるなど考えてもいないでしょう」

「なるほど。逆落としか」

「ああ、俺も見てきたが、うちの馬なら飛び降りれない高さじゃないな」


 軍師の出した案に黄潤が顎に手をやり、安慈は納得したように頷いた。

 傭兵団が扱う馬は妖獣と掛け合わされた特殊な品種だ。寒冷地であろうが砂漠であろうが迅速に駆け抜けることが可能で、山岳地帯の崖の行来も難しくない。そして傭兵団の団員たちもその馬を扱えるだけの技量を有している。

 二団長の了解を得た海瑠は扇で進軍経路を示していく。


「西側から伏兵に見つからぬよう迂回し、北の山道を進み敵の背後から奇襲をかけ一気に制圧します。これにより敵軍に混乱が生じますがそれは一時的なこと。迅速に砦を攻略するために両団長には先んじて陽動をお願いします」


 トン、と音を立てて軍師が示したのは南門。それに黄潤の唇が吊り上がる。


「ほぉ、わざわざ警備が厳重な南門でか?」

「ええ。しかし敵もまさか、頭上から襲撃されるとは想像もしていないでしょう」


 含み笑いを扇で隠した海瑠は団長二人の顔を見ると、どちらも異論はないようでにやりと笑みを浮かべている。


「よかろう。俺たちで南門で騒ぎを起こし、それに乗じて劉覇・芭麗鈴が率いる本隊が北から奇襲、砦を制圧する」

「正面と背後からの奇襲、しかも少数とはいえ精鋭中の精鋭が突撃してくるんだ。敵さんはすぐに白旗振るだろうな」


 よし、やるか、と黄金琥珀と暗緑の視線が交差した後、安慈は朝食を求めて大鍋へと向かう。黄潤は安慈の背中を視線で追った後、再び地図に視線を落とした。


「どうされました?」

「兵糧庫はどのあたりだったかと気になってな」


 熱心に地図を確認しながら黄潤は顎を摩っている。

 海瑠は確か、と扇を地図に向けた。


「確か北西のこの辺りに。この砦は補給拠点としても利用されていますのでそれなりの蓄えがあるかと……黄潤団長は南門に留まり、兵糧庫にはくれぐれも近づかぬよう」

「わかっている」


 神妙な顔で黄潤は頷いた。以前、兵糧庫に近づいた黄潤が雷撃を纏った一撃を敵に放ったところ、舞い上がった小麦に引火して大爆発を引き起こしたことがある。


 安慈曰く「ヒューっ!男のロマン・粉塵爆発じゃねえか!いやはや、この規模は初めて見たわ。流石は俺の相棒、やること成すこと半端ねえな!いやほんと……うん…………やべえな」だという。


 一万の兵をしばらく養える程の食糧を貯め込んだ兵糧庫が木っ端微塵に吹き飛び、燃え盛る様を傭兵団全員でスンっと西高原の砂狐によく似た表情で眺めた。

 その爆発で団員誰一人として死傷者が出なかったのは不幸中の幸いである。

 それからは極力、黄潤は兵糧のある場所には近寄らないようにしている。


「占領した砦は次の敵陣攻略の足掛かりとなります。南門以外の設備は極力壊さぬようお願いします。いいですね、くれぐれも南門から動かぬよう」

「了解した。何、心配するな。安慈がいれば迷いはせん」


 海瑠は念を押しておく。黄潤が極度の方向音痴だからだ。

 一人にさせるといつの間にか森の中にいたり、山の中にいたり、敵陣のど真ん中にいたりする。無闇にうろつかれて兵糧庫を爆破されては敵わない。

 流石に見えている物の方向であれば真っ直ぐ進むことができ、その場に留まることもできる。


 黄潤が言うとおり、安慈も付いていれば大丈夫だろうと納得し、海瑠は食事を再開した。

 すっかり冷めてしまった粥を飲み込んでいると、安慈が愉快げに笑いながら卓に戻ってきた。


「安慈、何をそんなに笑っている?」

「聞いてくれよ、甘味の錬金術師がまたやらかしたぞ」


 ほれ、と安慈が笑いながら突き出した椀から明らかに海鮮ではない香りが立ち込めている。


「これは……甘粥、いや甘酒か?」

「何も加えぬよう言ったはずですが」


 言いつけを守らなかったのかと大鍋の前で項垂れる劉覇に視線をやる。海瑠が額に青筋を立てて眼鏡を押し上げると、安慈が笑みをさらに深くした。


「いや、何も加えてないらしい。本当に掻き混ぜてただけだってよ」


 混ぜてただけでこんな風になるとかマジですげえよな、と闊達に笑いながら安慈は甘酒を啜り、黄潤も大椀を持って席を立つ。


「劉覇は甘いものが苦手だからな。俺が消費してやらねば」

「貴女はただ単に甘酒飲みたいだけでしょう」


 大義名分を掲げた黄潤が黄金琥珀の瞳を煌めかせるのを見て、軍師はまたため息を吐いた。

 食事関係でなければこの上なく頼りになる団長なのですが、と胸の中で呟くと、黄潤が片眉を上げた。


「砦を落とせば兵糧不足もある程度は解消される。ならば戦前の食事をケチる必要はなかろう」

「そうだな、甘酒は栄養価高いから食って損は無え。海瑠も景気付けに一杯貰ってこいよ」

「……私は結構です」


 安慈に勧められるが海瑠は目を逸らしてそれを断る。

 甘酒には微量であるが酒気が含まれている。甘い物は嫌いではないが、あまり酒に強くない海瑠は戦前に少しの酒気も摂るつもりはない。

 そんな海瑠の様子を見た安慈が少しだけ苦笑を浮かべる。


「毎回のことながら、あんまり気ぃ張ってても勝てねえぞ。無理にとは言わねえけど、もうちょい気軽に構えねえか?」

「安慈言う通りだ。お前の策を用い、俺たちが()て勝てなかった戦があったか?案じずとも、今回も俺たちが勝つ」


 安慈が柔らかく諭し、黄潤が力強く断言する。

 そういうつもりではないのですが、と海瑠は口の中の言葉を飲み込む。戦前に気を張り詰めた海瑠を安心させようと言葉と態度で示す二人に、いつも何と返せばいいかわからなくなってしまう。


「……万事を期して戦に臨むのが軍師の役目です。完璧に策を成すには少しの油断も許されません」

「もうちょっと肩の力抜いたほうが視野は広くなるんだが……海瑠がその方が良いって言うなら、無理に変えなくていいさ」

「そうだな。もし天が落ちるならば俺たちが支えるだけだ」


 頑固で自身への戒めが厳しい海瑠に対し、強要することなく身を引くのはいつも二団長の方だ。そして黄潤と安慈は万が一にもあり得ぬことが起きたときの対処を受け持つだけの覚悟も持っている。

 そうやって一人で抱え込みがちな自分を支えてくれていることを海瑠は知っていた。


「私は皆さんほど食事量を必要としません。むしろいつもの半分しか食しておられぬ黄潤団長に、私では飲めぬ分の栄養を摂って頂く方が有効かと」


 海瑠が心の中で感謝をしつつ、もっともな言い訳を吐けば黄潤が後ろ頭をガリガリと掻いて軽い舌打ちを鳴らした。それは困ったときの仕草だ。


「お前は何かにつけて俺を甘やかそうとするな…まあいい、今回はお前の言い分に乗ってやる。食いたいものがあるときはきちんと言えよ」


 黄潤はそう言って卓から離れ、まだ朝食を摂れていないいない者と甘い物好きな若い団員に声をかけた後、大鍋に向かった。

 ぞろぞろと鍋に集まった団員たちが和気あいあいとはしゃいでいる姿と、項垂れた劉覇の肩を励ますように叩いている黄潤を見ながら、海瑠はようやく最後のひと匙になった粥を飲み込んだ。


次話投稿まで、また少し間が空きます。

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