6-1
今回は恋愛要素強めです。
6-1.徐桂華(義母)
早朝のまだ薄暗い中、仕事に出かける夫を見送るために屋敷の門まで羽織姿で足を運んだ。
外套を羽織った旦那様が私の顔を見て顔を顰める。
「毎日わざわざ見送らずともよい。最近は体調があまり良くないだろう。睡眠はしっかりとれ」
「ご心配なさらず、旦那様がお気にかけられるようなほどではございません」
淡々とそう返した私に、李遼様は後ろ頭を掻いて小さく白い息を吐いた。
「お前がそう言うのであれば強くは言わんが…今年は寒さが厳しい。腹の子のこともあるのだから決して無理はするなよ」
今日は出来るだけ早く帰る。李遼様はそう言って馬に跨り、共を伴って城へと向かった。
その背が見えなくなるまで門の前に立ち、自分の口から溢れた白い息をぼんやりと眺めた。
李家に嫁いでから六年になる。
夫との間には男児を二人もうけ、さらに腹のなかには双子がいる。春先には生まれる予定だ。
清廉潔白な人柄で帝の覚えもある名家の族長に嫁ぎ、子にも恵まれ、傍から見れば順風満帆な人生を歩んでいるように思えるだろう。
しかし、私の心はどんよりとした雲のように厚く覆われていた。
ひと月ほど前、李遼様から娘だと紹介された子供は、恐ろしいほど彼に似ていた。
年齢の割に体が小さく痩せこけていたその子供はしかし、顔立ちは李遼様のそれで、特に瞳は透き通るばかりの黄金琥珀の湖面を湛えていた。
そのことに愕然とした。私が産んだ子たちは全く夫に似ていない。キツめの顔立ちも、ただ黒いだけの瞳も私と同じで、李遼様に似たところなど一つも無かった。
聞けば私が嫁ぐ前に、李遼様と情を交わした女人が産んだ子だという。
李遼様に恋人がいたという話は聞いたことがあったが、それを承知の上で彼に嫁いだ。
しかしその女人の子供を目の前に、私はどうしようもない焦燥感に駆られた。
私は幼少期から家同士で決められた所謂、許婚者がいた。
しかし許婚者は夫婦になる直前になって「真実の愛」とやらに目覚めたと言って、私に婚約破棄を叩きつけた。
「貴様のような表情の変わらぬ吊り目の女など、我が妻に相応しくない!大体、賢ぶっているだけの頭でっかちな女を娶るなど、笑い話にもならん!」
そう嘲笑し、他の女の腰を抱いていた男の顔を忘れられずにいた。
婚約破棄をされた疵物の女など、どこかの後妻に入る他ない。しかし生来の気位の高さがそれを拒絶し、その結果行き遅れと言われて実家では腫れ物のように扱われた。
このまま独り年老いて死んでいくのかと諦め掛けていた二十歳の頃、李家から縁談を持ちかけられた。
相手は少し前まで殺人の容疑をかけられていた李家の次期族長。自らの潔白を証明し、罪人を裁いたことで一躍英雄と持て囃されていた男――李遼様だった。
無罪を晴らしたばかりで妻を娶っておらず、婚約者も決まっていなかったため当時の族長が名家に片っ端から縁談を持ちかけ、それが実家にも届いたのだ。
名家の次期族長、妖魔退治や異民族との戦いで武功を立てた若き将。すでに帝に取り立てられることも確定しており、良縁の中の良縁と囁かれていた。
縁談の話を聞いた女たちは皆こぞって李家へと足を運び、その中には私の実家よりも力を持つ名家の令嬢や見目麗しい令嬢もいた。
許婚者に捨てられて婚期を逃した行き遅れ、しかも見目の悪い自分が選ばれることなどまず有り得ないだろうと高を括り、それでも一欠片の希望に縋って李家の門を潜った。
そこで出逢った彼に、私は一瞬で目を奪われた。
天を突くような長身、鍛え上げられた逞しく若々しい肉体。
整った精悍な顔立ちは凛としていて、美しい刃の切っ先を思わせた。
光を受けると黄金に輝く琥珀の瞳には微かな憂い。
一目見ただけで、私は李遼という男に恋をしてしまった。
そしていざ言葉を交わしてみれば、清廉潔白と称されるほどの高潔な人柄にますます惹かれた。
この人に選ばれたい。
この人の妻になりたい。
そう願わずには居られないほど、彼は魅力的だった。
しかし実家は名家ではあるが力は然程なく、美しくもない私など選ばれることはないだろうと、自室に戻ってから涙を流した。
数日後、彼は何を思ったのか再び私を茶会に招待した。私は天にも昇る気持ちで再度李家の門を潜り――それから五度、茶会に呼ばれた。
他の数人の令嬢達も同じように呼ばれてはいたが三度目の茶会からは、私一人だけが招待されるようになっていた。
五度目の茶会で彼に「俺の妻になって欲しい」と告げられた。
その時、彼には将来を誓い合っていた女性がいたが、縁が無く結ばれることはなかったことも聞いた。
彼の話を聞いて私は納得した。彼の目に浮かんでいた憂いはこれだったのかと。
そして彼は婚約者に捨てられた女を自分と重ねてしまったから、私を選んだのだと。
「俺は失った女を忘れられず、未だに引きずっているような女々しい男だ。そんな男に嫁ぐのが嫌であれば、この話は無かったことにしても構わん」
全てを話した上で真っ直ぐな目でそう言った彼を、とても誠実な人だと思った。
この人とであれば、巧くやっていけるだろう。きっと、手酷く裏切られることもない。
何より、李遼様のことを愛していた。
私は迷うことなく彼の求婚を受けた。
それからは幸せな日々が続いた。
李家の族長となり、さらに帝から将軍の位を授かった李遼様は常に忙しく、仕事に追われて家に帰らないことも多かった。
時折遠征にも出掛けることもあったが、何かと理由を付けて土産を持ち帰り、家内を守っている私を労ってくれた。
私も李遼様を支える為に李一族の血縁者全てを頭に叩き込み、帝都やその周辺に住む一族の邸を定期的に訪問して回った。
私が疵者だったこともあって最初はあまり歓迎されていなかったが、何度も訪問して彼らの話を聞いていく内に族長の妻として認められるようになった。
そして彼には似ていないが、跡継ぎとなる男児も授かった。
本来ならば言う事など何もない。
けれど、あの琥珀の瞳の子供を見るたびに、胸が激しく脈打つ。
自分と同じ眼を持つ子供を見て彼は、李遼様はどう感じたのだろう。
自分とは全く似ていない跡継ぎを、何と思っているのだろう。
もし、今から産まれてくる子供も、彼に似ていなかったら―――そう思うと夜も眠れず、食事もあまり喉を通らなくなった。
李遼様はそんな私を気遣い、琥珀の瞳の子供を遠ざけるか、と言ってくれた。今なら弟の養子にすることもできると。
私は首を縦に振らなかった。あの子供に何の落ち度もないからだ。
聞けば生家では疎まれ、虐待されて育った子だと言う。
この家に来たばかりの頃、早朝に包帯塗れの状態で這いつくばって掃除をしている子供の姿を見て悲鳴を上げそうになった。
生家では日が昇る前に床を濡らした雑巾で拭いて掃除するように命じられていたのだという。
本人は習慣化してしまっている朝の掃除をやらねば気が済まないだけと言っていたが、すぐに辞めるように言った。
確かに掃除は必要だが、早朝から床を拭きまわるなど正気の沙汰ではない。そして掃除は使用人の仕事で李家の族長の血を引く子供がすることではないと強く言い聞かせた。
しかし彼女は不思議そうに黄金琥珀の瞳で見返し「タダ飯喰らいにはなりたくありません。何か仕事をいただけないでしょうか」と言い出したので目眩がした。
李遼様の子、李遼様と瓜二つの、李家の血を濃く引いた子。
それをタダ飯喰らいと言い、仕事を強請るなど。
そのことを叱ろうとすると「いえ、私は不義の子なので。奥方様がお気になさることではございません」等と言うから愕然とした。
この子供はそう言われて育ったのだ。
不義の子と呼ばれて蔑まれ、まともに親の愛情を受けることもなく、このように頑なになるまでに育ってしまった。
彼女の手に巻いている包帯に血が滲んでいるのをぼぅと見やり、ああ、無理だ、と思った。
私には、この子供を厭うことができない。
傷だらけの痩せ細ったぼろぼろの体で、物心着く前から大人たちに吹き込まれた生立ちを疑わず、それでも嘆かず懸命に生きようとする子供をどうして突き離せるのか。どうしてようやく会えた父親から引き離せるものか。
しかし彼女を見るたびに自分の産んだ子たちと比べてしまう。
私が悪いのだろうか?
李遼様に似た子を産めない、私が悪いのだろうか?
それとも李遼様から愛されていないから、彼に似た子を授からないのか?
李遼様に愛されない私は必要ないのではないか?
そんな考えがもうずっと頭の中でぐるぐると泳ぎ回っている。
「奥方様」
そろそろお部屋に、と付添いの侍女に声をかけられ意識を現に戻す。振り返ると嫁ぐ際に実家から付いてきてくれた侍女の顔が強張っている。
私は随分と酷い顔をしているのだろう。侍女は私の腕をとり、ゆっくりと邸に誘導してくれた。
邸に入ってすぐ、あの子供が箒で廊下を掃き清めている姿が目に入った。
床を水拭きするのはやめさせることに成功したが、毎朝掃除をすることは渋々許可した。本人の意思を尊重したいという李遼様の言葉があったからだ。
子供はすぐにこちらに気づき、頭を下げる。
「奥方様、おはようございます」
今朝も冷えますね、と言う子供は以前よりは肉付きが良くなってきている。包帯も取れ、すっと伸ばした姿勢が美しい。
朝日を受けて輝く琥珀の瞳は澄み渡る黄金色。
――ああ、とても、あの方に似ている。
ふ、と目の前が黒く塗り潰される。
おかしい。もう日が登り始めたというのにこんなにも暗い。
「奥方様ッ!?」
誰かの悲鳴が耳に入ったのを最後に、私は闇に飲まれた。
一度婚約破棄物書いてみたくてほんのり要素を取り入れてみました。




