5-4
5-4.王烈(叔従父)
「いい加減縄を解け」
「駄目だ。逃げられては適わん」
ジロリと睨まれ、動かしにくい肩を竦めた。
国の重鎮が縄で縛られ、出荷される子牛の如く馬車で連行される姿を民草に見られでもしたらどうするつもりなのか。
「確かに窓から見えるかもしれんな」
貴人用の馬車の窓は簾で隠されてはいるが、強い風が吹けば外から中が見えてしまう。
李遼は自分の羽織を脱ぎ、羽織らせてくる。体格が違いすぎてブカブカの羽織にすっぽりと覆われてしまい、傍から見れば縄で縛られているとは見えないだろう。
そして羽織に残るほんのりとした温かさに眉を顰めた。
「氷神の加護持ちに要らぬ気遣いをするなと、毎回言っているだろう」
氷神の加護を受けている者は寒さに強い。むしろ冬に近づくにつれて調子が良くなるほどだ。実際、子供の頃に一度熱を出した時以外に、冬に体調を崩したことはない。
「だと言うのにお前と来たら、やれ薄着をするなだとか、やれ冷たい物を飲むなだとか…俺の母親か?」
「お前のような手の掛かる餓鬼を産んだ記憶はないな」
此方の皮肉を鼻で笑い、同い年の癖に餓鬼と言い放った李遼を睨みつけた。この従兄は半年ほど早く産まれただけなのに、何かと兄貴面をしてくるのが偶に笏に触る。
しかし毎度毎度、羽織を掛けられたり、火鉢を持ってこられたり、蜂蜜入りの生姜湯を用意されたりすると、それ以上文句を言えなくなる。
今も羽織を李家に置いてきてしまった俺を案じ、自分の羽織を羽織らせてきたのだと知っている。しかもそれを恩着せがましくするのではなく、さり気なく行うところが腹立たしい。
生粋の世話焼き男め、とむすりとしかめっ面をブカブカの羽織の襟に埋めて話題を変える。
「潤玲の怪我はどの程度なんだ?」
「気づいていたか」
初めは手だけかと思ったが、それにしては薬の臭いが強すぎた。
それに手だけでなく、袖の中まで包帯が続いているのが見えれば、自ずとその奥がどうなっているかは察しが付く。
「両手は赤切れと打撲。打撲より赤切れの方が酷い。皮膚が割れて完全に肉が見えていた。両足も同様だ。体中に打撲、左腕は骨折していた形跡があるがほぼ完治している。左肩に脱臼跡、それに肋が三本折れている」
李遼の言葉に一瞬言葉を失う。あの娘、とんでもなく重症ではないか。
それほどの傷を負っていたにも関わらず、何もないように振る舞っていたのだから驚きだ。
「日常的に暴力を受けていたようだ。食事もろくに与えられていなかったのだろう」
医者からは慢性的な栄養失調とも言われたらしい。
内臓には問題ない為、しっかりと食事を取り、安静にしていれば良くなるそうだ。
潤玲の細い身体を思い出す。七歳とは思えぬほど小さく、病的に細い肉体は産まれてから絶え間なく虐げられてきた結果だった。
李遼に瓜二つの子が、あのように真っ直ぐと言葉を投げ、笑いかけてきた幼子が斯様な仕打ちを受けてきたという事実に、ふつりと腹の底から怒りが湧き上がってくる。
「報復は?」
「しない」
返された応えに、厳しい目を向けた。
「あの娘は間違いなくお前の種だぞ。例え不義と呼ばれようが、お前の血を濃く引いた李家の子だ。それを産まれたときから酷遇し続けてきた者たちに、何故報いらぬ」
李家は武門の名家だ。個々の武力の高さは勿論だが、何よりも特筆すべきは凄まじい結束力である。
同族であれば末端であろうが、他家に出された子であろうが救い上げる。同族が虐げられいた、という理由だけで他家を潰し、根絶やしにした歴史さえある。
潤玲の境遇を鑑みるに、報復しない理由など何一つ存在しない。
「俺とてアイツを虐げた者共を残らず地獄に叩き落としてやりたい。だが潤玲がそれを望まぬのだ」
アイツが望まぬことはしたくない、と李遼の苦渋に満ちた表情に二の句が継げず口を閉ざす。
李遼が報復すると言えば、すぐさま部下を派遣して潤玲の生家にいる者たちを皆殺しにする気でいたが、こんな顔をされては手出しできない。
深く息を吐き、暫し考え込む。
潤玲を説得することは難しいだろう。今日初めて会い、ほんの少し話しただけだが、その意志の強さは目を見張るものがあった。頑固なところも父親に似てしまっているはずだ。
ままならんものだなと言えば、李遼はむっつりと黙ってしまった。
その顔を見て何故か、あの少女に言われた言葉を思い出した。
「潤玲がな、俺はお前や翔に似ていると言うんだ」
苦笑交じりにそう言ってやると、李遼は眉間の皺を一瞬だけ解いて驚いた顔をした。
「俺たちが?お前と慎なら兎も角、俺たちはどこからどう見ても似てないだろう?」
「俺もそう思う」
そうだ。俺たちは全く似ていない。しかしあの娘は俺の中に、父や叔父と同じ物を感じ取っていた。例え外見が似ていなくとも、自分の中には確かに李家の血が流れているのだ。
同族に対する想いや、大切な誰かを慈しむ心を持つという、内面的なものを自分も引き継いでいる。
そのことを口にするより先に、李遼がとんでもないことを言い始める。
「俺と翔は見た目も仕草も武骨だが、お前は端正で涼やかだが何処か華のある顔立ちだし、所作には貴人としての品がある。北峰山の氷壁を思わせる蒼い髪も、流水の如く流れる剣技も見事なものだ。何より知識豊富で智略にも長け、宮中で魑魅魍魎と遣り合うだけの度量が」
「待て待て!?何故いきなり褒め殺しにする!!??」
突然褒め始めた李遼を慌てて止める。
しかし此方の気も知らず李遼はキョトンと黄金琥珀の目を丸くする。
「褒めてないだろ。事実しか言ってない」
「いや、いやお前な、ほんとそう云うところだぞ」
頭を抱えたいが縄で縛られているため叶わず、項垂れた。
偶にこの従兄は突拍子もなく相手を褒める。普段あまり人について語ることが無い男に突然褒められた人間は目を剥くのだが、褒めた本人は相手を褒めたつもりはまったく無い。
弟の王慎は「兄者は女たらしだが、遼兄は人たらし。兄者は自覚があるが、遼兄は自覚が無い分質が悪い」と評している。全くもって同意だ。
項垂れていると李遼が後ろ頭をガリガリと掻いた。
「それにお前、嫌だったろ」
「…何が」
「髪のことだ。嫌いな部分を指されて褒められるも何も無いだろう」
李遼がややばつが悪そうに言うので苦笑がこぼれた。
「俺がまだ引きずってるの、知ってたのか」
「まあな。どれだけ一緒にいると思ってるんだ」
「そうか」
一番近くにいるのだから知っていて当たり前かと今更ながら思っていると、李遼がぶっきらぼうに呟いた。
「悪かった」
「ん?」
「昔、怒鳴りつけただろ。それからお前は髪のことを言わなくなったが、弱音も吐かなくなった」
だから少し後悔している。
苦虫を噛み潰したような顔でそう云う李遼に、思わず唇の端が持ち上がった。
この真っ直ぐで世話焼きな従兄殿は、そんな昔のことを未だに気にしてくれていたらしい。しかし、此方としたら随分と些細なことだった。
「確かに髪のことは言わなくなったが、我が侭はかなり言ってきたぞ。それに、弱音は吐く必要がなくなったからな」
弱音など吐く前に何処かの誰かさんが必ず手助けしてくれる。
李家に引き取られてからずっとだ。幼少期も、元服して従軍しても、武功を立てて将軍と呼ばれても、帝に仕えて宮中に上がり魑魅魍魎と対峙することになっても。
俺の傍らには必ずこの従兄がいて、何かあればすかさず手を差し伸べ支えてくれた。それこそ、弱音など吐く隙がない程に。
「髪も、前よりかは嫌いじゃないしな」
「……そうか」
李遼の渋面が少しだけ緩むのを見て、目を細める。
先程例えられた北峰山の氷壁を思い出す。
若い頃、北方へ遠征した際に李遼と共に見た巨大な壁は、あまりに壮観だった。
黒い岩肌が透けて見えているほどに透明度の高い氷は青みを帯びており、実に美しく神秘的だった。人にはなし得ない自然の力に圧倒され、凍えるような吹雪の中で、二人揃って暫く口を開けて眺めてしまったほどだった。
それを思わせるなどと言われたら、もう嫌えるはずがなかった。潤玲には努力してみると言ったが、思ったより努力しなくても済みそうだ。
あの娘に会ってから自分の中で色々と考え方が変わった。悪い方ではなく、好い方向に。
「借りができてしまったな」
「何か言ったか?」
呟いた言葉は李遼の耳には届かなかったようだったが、何でもないと首を横に振る。
俺は借りは返さないと気が済まない性分だ。恩義は勿論、仇もきっちりと返す。
しかし考えていることが李遼に知られたら雷を落とされるだろうから、暫く黙っておこう。
俺の大切な従兄と従姪を苦しめた報いは、必ず受けてもらう。
腹の底でグラグラと煮えたぎる思いを押さえつけてそんなことを考えていると、馬車が止まり護衛たちが扉を開けて顔を覗かせた。
「主公、李遼様、着きましたよ!……えっ!彼羽織!?」
「うっそ、我が公主マジ萌えキュンっ!」
「…かればおり?もえ、きゅん?」
口を押えて悶える護衛たちと、首を傾げている従兄を苦々しく見やりながら、自分でも驚くほど低い声で告げた。
「お前ら、とりあえず減給な」
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