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この物語は一話の前半は幼少期の登場人物一人称、後半は青年期を三人称でお送りする予定です。

読みづらい部分もあるかと思いますが、お気に召しましたらお付き合いください。

1.趙春蓮(母)


 空はどんよりと分厚い雲に覆われている。寝台で身を起こし、今にも雨が降り出しそうな空を窓から眺めた。

 ここよりも寒い北部では雨ではなく雪が降るだろう。ぞわりと這い上がる寒さに、咳が喉から零れる。


 早く春になればいい。


 そう願っても、どんなに待ち続けても、再び私に春が――あの人が訪れることはないと私は知っていた。

 春の嵐の中、稲光を背に戸を叩いたあの青年に逢うことは、二度と叶わない。


「奥様、お連れしました」


 ようやく咳が止まったころ、長年仕えてくれた周夫人が子供を連れて部屋に帰ってきた。

 もう七つになるというのに子供は小さくひどく細い。大きさの合わない草臥れた使用人の服を着た子供は部屋に入り一礼する。


「奥様がお呼びと聞き、参りました」

「こちらへいらっしゃい」


 歳の割にしっかりと話す子供にできるだけ優しく声をかけ、寝台へ呼び寄せた。

 傍に来た子供を見れば見るほど胸が痛くなる。


 満足に食事を与えられず、日が昇る前から日が沈んだ後まで奴隷のように毎日働かされている子供の背は低く、頬が痩せこけている。

 服に隠れてはいるがその体は骨が浮くほど薄いのだと聞いた。傷みきった髪はざんばらに短く刈られている。

 辛い日々を送らせている現実を直視して、涙が零れそうになる。


「奥様?」


 どうされたのですか、と心配そうに呼ぶ子に何でもないと無理やり笑みを見せた。


「潤玲、貴女に頼みがあるのです。ここより北にある帝都におられる李遼様に届け物をして欲しいの」

「承りました。今からでしょうか」

「いいえ、もうしばらく…そう、十日ほど後。帝都までの馬車が用意できたら周夫人から声をかけます。それまでに旅の用意をしておくように。大切なものは全て持っていくように」

「かしこまりました。奥様」


 恭しく傅いたとき、キュウと小さな音がして潤玲がさっと顔色を変えた。


「御前での粗相、申し訳ございません」


 頭を下げるその姿に無理やり浮かべていた笑みを消してしまった。食べ盛りだというのに今日は水以外を口にしていないのだろう。

 周夫人に棚から飴の包みを出すよう命じ、受け取ったそれを小さな手に握らせた。

 しかし包みを受け取った潤玲は困惑した表情のまま飴を食べようとはしない。些細な粗相でも怒鳴りつけられ、暴力を受ける日々を送っているのであれば仕方のないことだ。


 私は赤切れと青あざに塗れた小さな手の中にある包みを開き、乳白色の飴を一粒摘まみ上げる。そのまま潤玲の口に運び、お食べなさいと少しだけ笑えばおずおずと唇が開かれる。口の中にそっと飴を転がせれば、奥歯に当たったのかカラリと小さく音が鳴った。


 飴の甘さに潤玲は驚いたように目をぱちくりと瞬かせる。

 その瞳の色は父親に瓜二つの、透き通るような黄金琥珀。


「潤玲、潤玲、いらっしゃい」


 思わず名前を呼び、潤玲を抱きしめた。

 今まで一度も抱きしめてやることができなかった娘の小ささに涙が止まらない。

 一度も乳を与えることもできず、一度も母と呼ばせることができなかった。

 何一つ与えることができなかった我が子に、やっと自分の手で与えることができたのが飴玉一つだけとは。

 そして、それが最初で最後になるのだ。


 腕の中で困惑したように身じろぎする潤玲に、万感の思いを込めて言葉を紡ぐ。


「どうか自由に、心が望むままに生きて」


 例えこの屋敷から出て本当の父親の元に向かったとしても、この子が幸せになれるかどうかはわからないが、少なくともここよりかはマシだろう。あの人が子供を邪険にするはずがない。


「潤玲。私のかわいい、潤玲」


 これから先、きっと辛いことも悲しいこともあるに違いない。

 それでもこの小さく愛おしい娘に、どうか健やかに、幸せになってほしいと願わずにはいられなかった。


「おくさま」


 耳元で小さく震える声に、春の雷の遠鳴りを思い出した。



 ******



「あれ、黄潤団長が飴食ってる」

「珍しいっすね」


 作戦実行までの待機中。

 陣営で馬に跨り後ろに控えていた部下たちにそう言われ、黒い甲冑に身を包んだ黄潤は首を傾げた。


「そうか?割と食ってると思うが。お前たちも食ってるだろう」

「そりゃあまあ、乾永さんが渡してくるし」

「完全に孫扱いっすよオレら」


 そう言いながらも部下たちは嫌そうな顔はしていない。若者に飴を配るのが趣味の老兵を嫌う者はこの傭兵団に一人もいない。

 和気あいあいと会話を続ける部下たちに目を細めた後、空を見上げた黄潤の琥珀の瞳に白い鳥が映る。

 白い鳥が太陽に向かってひゅるりと滑空する。

 飴が奥歯に当たってカラリと音を立てた。


「合図だ」


 黄潤はそう言って口の中で転がしていた飴を噛み砕く。団員たちはすぐに話すのを止め、戦闘体制に入った。各々武具を構え、馬の腹を蹴る。

 黒い兜を被り、馬を進めながら黄潤は槍を掲げた。槍の穂先で青白い電光がバチリと音を鳴らす。


()るぞ」


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