告白と練習試合(1)
「はーい、こんにちは。あ、ちょっと、無視しない!こんにちは。あれ、二人って結構いつも一緒だよね?え、中学が一緒だったんだ。へぇ。」
「あ、ちょっと待って。待ってって言ったじゃん!アプリのエラーでてる。もう一回、タッチして?って言ってる先から、あとでやればいいやーなんて顔しないの!出欠チェックは今やって、今!忘れるから。」
もう名前と顔を覚えたのと目を丸くする生徒たちに「正直、8割くらい。まだちょっと自信ない」と笑って答えると、息を思いっきり吸い込み、ありったけの声量で注意を促す。
「みんなー!先週言った通り、授業の始まる3分前になりました!つまり、神聖な時間!ということで、各自感じるところはいろいろあるかとは思うけど、ひとまず皆、席についてー!で、先週の授業内容をちょっと頭の引き出しから引っ張って来よう。」
第二週目が、初週とはまた違った独特の緊張感をはらんで騒がしく始まった。同じ学校の生徒同士や、同じ授業を他の曜日で一緒に受講している生徒同士が、なんとなく様子を見ながら少しずつ挨拶や会話をし始め、知り合っていく様子が目に見えてわかる。クラス担任としては非常に微笑ましい。小百合個人的には、彼らが仲を深める手助けのための時間はもちろん十二分にとってあげたいと思う。ただ、生徒が友達作りに熱中して本来の「授業を受け、学ぶ」ことを疎かにしてしまえば本末転倒でしかない。「あともうちょっとだったのに」という絶妙なやり切れなさをうまく彼らの中に残して、どう授業に望ませるのかが実は意外と要だったりすると、小百合は思う。
「今週は先週と席順は同じだから、席の場所は大丈夫だと思うけど。だからこそ、こういう時ほど、アプリでスクリーンタッチして出席チェックするのは忘れないでね!」
今週初めてとなった生徒をフォローしながら最低限の注意事項を伝え、更に声を張り上げた。
「ちなみに、今日のテーマは『私と模試の使い方』。次の休み時間の最初の3分だけ、また私にちょーだいね!」
それだけを記憶に残せるように言い渡すと、小百合はさっさと廊下へと飛びだした。そこからゆっくり、生徒たちが出来るだけ自力で落ち着くように見渡していく。授業前に静かにして来たる授業内容に備えるという行動は、誰かに言われてなら、あるいは監視の目があるなら、誰にだって出来る。大事なのは、そういう基本的な姿勢こそ早いうちから習慣づけて、生徒自身で自発的に出来るようにすることだと、小百合は自身の学生の経験から感じている。受験勉強は、ただ入試に合格するために教科書に向かうだけのことではない。否定する意見があるのを承知で、小百合は真剣にそう考えている。
聞き慣れたチャイムが鳴る。現段階では、おおよそ6割の出来。例年通り、まずまずの2週目だろう。
「はぁい、それでは1限目、開始となります。」
授業に入られる先生に頭を下げ、教室の扉を閉める。
さて、今日は授業終了の20分前にこの場所へ舞い戻って、特別に然るべき対決をしなければならない。目視と端末での出欠確認をいつも通り行うと、小百合は早めに廊下を後にした。
「小百合ー?今日、アイツと本気でぶつかるの?」
教務室で今の担当のとある生徒のデータファイルの分析に没頭する小百合に、暁史が呆れつつ声を掛けた。
「んー。その予定だけど?」
1年次、2年次、そして、3年進級時。どのデータを見ても、一見、普通に見える。過去の出席日数は良い方だし、パッと見は成績も悪くはない。授業は、遅刻と早退が目立つ。多分、この感じだと授業を選り好みして受けている。念の為、過去の模試の答案のデータもチェックしてみる。字がやや拙く、マーク式には強いが筆記系の設問が苦手。回答用紙のコピーをくまなく眺めていると、英語と数学で気になる回答を見つけた。ただの見間違いかどうか確認のため、小百合はまとめて数回分を追っていく。
「あいつなぁ。あんまり入れ込むなよ。手ぇ焼くぞ。」
言外に「やめておけ」と匂わせた暁史に、小百合が視線を合わせた。小百合の仕事の大概のことを放置する彼にしては、珍しい反応だった。
「ん?アキフミは担当したことあったっけ?あ、ファイル曰く、昨年、か。。」
「そ、昨年な。正直、かーなーり、苦労した。本人の軽さと、保護者の方の重さが、もう典型例。」
「重さ、ねぇ、、、?」
「あぁ、確か、湊先輩のご親戚関係らしい。」
「らしい?」
「あんまり知らないけれどどこかで血が繋がってた気がするっていう相変わらずの適当な感じをアピールして、『ご紹介ありがとう』のお礼を湊先輩が貰ってた。俺の目の前で。それで、そんな制度があることを知ったから、妙に覚えてる。」
「え、ちょっと?書いておいてよ、データに。そういう情報、大事なんだから。」
「ごめん、今、思い出した。。。」
「で、そっか、そっち。あー、なるほど。貴重な意見、ありがと。」
他から見ると、なんのことかわからないこういう阿吽の呼吸の会話が、小百合と暁史の間ではしょっちゅう成立している。問題は、どれがそういうナゾナゾのような会話で、どれが万人に理解できる話題なのか、二人には当たり前になりすぎて分からなくなってしまった点だ。そこで、先週の反省を踏まえて、二人はこれまではヒソヒソと小さめの声で交わしていた言葉を、出来るだけボリュームアップさせてみることにした。そして、歩夢には「理解できなかったら遠慮なく突っ込んで欲しい」とお願いしたのだ。
「そんなに、何か、大変な生徒さんなんですか?」
恐る恐るといった感じで、歩夢が思い切って質問をしてくれる。ほっとしたような表情で暁史が答えた。
「高校2年生までは、特に問題も大変なことも何もないって言えるかな。むしろ、良い子の類だと思うよ。ただ、受験生という目で見ると大変になっちゃう可能性を大いに秘めていると読める生徒。」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「受験生ってなると、例えば一緒に真剣に受験校を考えたり、これまで以上にその生徒の人生に踏み込んだ会話が必要になってくる。この子はね、成績も特に悪くないし、だからこそ上手に俺らを軽くあしらって、決して会話の糸口を掴ませてくれないんだ 。その割に、保護者の方が非常に志が高くて熱心な方だから、受験生となった今、色々と面倒ごとが生じそうだなぁと。」
「そういうもんなんですかね?」
「うん、そんなもん。漠然とした話で申し訳ないけど。この子の場合、英語だけ3年進級時に敢えてスーパー英語からハイレベル英語に変更してるみたいなんだ。ほら、データのここ、見てごらん?あ、生徒ファイルってこうやって皆でシェアしながら、、、」
暁史が会話の主題をなんとか今日の説明課題だった生徒ファイルのデータの見方に移行させたところで、小百合が席を立った。
「行ってくる。」