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出会い(2)

「恵叶、打ち合わせ始まる。」

佳哉の声で現実に引き戻されると、恵叶はいつものチューターのデスクのいつもの場所に腰を下ろした。どうやって後輩と接しているんだろうとワクワクしながら見ている小百合の視線を近くに感じる。一緒に働くのとは、また違った緊張感。普通な恵叶だから可能な、不変の「普通」がある。それを信じて、いつも通りに仕事をするだけだ。

「相変わらず、見事な騎士っぷりで。」

意気込んでいる恵叶を子声で茶化すと、佳哉は机の下で恵叶に足を力いっぱいに踏まれた。恵叶は、佳哉にはいつもこうだ。誰に対してもこのくらい素直に感情が出せていれば、小中高等部の時に孤立するようなことはなかったのにねぇと今なお思う。

 佳哉と恵叶は母親同士が仲良く、子供ができたら是非同じ母校に、という約束をしていたらしい。運良くだったのか計画的だったのかは聞きたくても怖くてとても聞けないが、彼女たちが同じ時期に子供を授かり、お陰で自分たちはそれこそ揺りかごからずっと側で兄妹のように育った。

仕事を持つ佳哉の母親に代わって恵叶の母親が一人っ子の佳哉の面倒を何かと見てくれたこともあり、一緒に帰る場所はいつも恵叶の家だった。同じ学校から同じ家に帰り、一緒に宿題をして夕飯を食べ、当時の恵叶のイチバンだったお兄ちゃんとも時に一緒に遊ぶ。迎えに来た母親と、また明日と恵叶に手を振って自分の家にただ寝に帰る。ずっとずっと、そんな毎日が続くのだとどこかで思っていた。自分だけが、学校で孤立しがちな恵叶の唯一近しい存在としていられることにどこかで喜び、酔ってさえいなければ。

 あの日まで、恵叶のイチバンは彼女の「お兄ちゃん」だった。あの日から、恵叶のイチバンが小百合になった。その日から、恵叶が蕾の開いた花のように突然生き生きし出した。佳哉が恵叶に何が起きたのかわからず混乱しているうちに、少しずつ恵叶に秘密ごとが増えていった。佳哉を置いて先へ先へと歩いてしまう恵叶から小百合を紹介された時、佳哉は自分の愚かさを呪い、同時に悟ったのだ。小百合をイチバンに思う恵叶ごと受け入れる覚悟を。

 まぁ、いいけどね、佳哉は思う。恵叶が言いたい放題を言える相手が未だに限られていることを知っている。それが恵叶なりの甘えであることも知っている。小百合に自分の気持ちを気づかれないよう、いつもどこかの誰かに一方通行の恋をしてみせる恵叶。自分以外の誰かの機微に常に聡いのに、自分に関しては自分を否定するように疎い小百合。今はそれが分かっているだけで充分。目に余る余計な虫が現れた時には、この自分がまとめて叩き潰せばいい。


「ちょっと、2年のコンビ、うるさくない?」

打ち合わせが終わりそれぞれが教室に上がる準備作業を進めていると、小百合がP Cから顔を上げて佳哉に囁いた。金曜日の名物でもある2年生のコンビは、確かにアレやコレやと賑やかだ。全曜日を通じて教務室で最も喋りまくっている2人であることは間違いないだろう。

「あぁ、アレね。あの二人は、金曜日はアレでいいの。」

「なんで?」

「緊張緩和剤。」

「何それ?」

「だから、緊張緩和材。あんだけバカバカしくギャーギャーやられると、ほら、1年もつられて笑ってるだろ?新人がリラックスできるし、そのついでに気軽に質問ができる。」

「そっかぁ。。。難易度高いなぁ。」

「いや、アレはあの二人の仲があってこそに加えて、恵叶が適度に注意して騒ぎの度合いを都度コントロールしてるから可能なだけ。」

「えぇええ。参考にならないんだけど。」

机に突っ伏して、情けない声で小百合が呻く。

「全然、ならないね。」

佳哉には、職人タイプの小百合と暁史の二人が黙々と自分の作業に没頭する姿や、自作のマニュアルを抱えて一から十までみっちり後輩を指導しそうな姿が容易に想像できた。

「適当大魔王が、意外とキミらのいい緩和剤だったんだろうねぇ。」

「えぇ、湊先輩がぁ?」

「余計な肩の力、入れる暇がなかっただろ。」

「うぅうぅう。」

「先輩として崇めずにも済んだでしょ。」

「崇める?先輩を?あの大魔王を?」

「そ。再三、ある程度は場数によるタダの経験マジックだとは下に言ってるんだけどさ。やっぱり、自分にできないことをさらっと目の前で簡単にこなされると、なんかすっごい人の様に見えちゃうもんなんだよ。そうすると、後輩には先輩が思いっきり遠くの存在に見えるか、自分の能力の無さを嘆く方向に爆走するか、になりやすい。」

そんなもんだったっけなぁとボヤく小百合に、ちょっとだけ意地悪を告げる。

「今だって、そう。社員のスペースに座って、普段ならあり得ないコーヒーを飲みながら、普通なら任されないP C作業をしている小百合は、まだ2週目の新人さんからはどう見えると思う?」

「すっごいヤなヤツ。」

そうだよね?と自信満々で半ばヤケのように言う小百合に、佳哉は呆れた。

「そっちじゃないでしょ。それは横同士の目線として、同じ土俵に立って抱く感情。若手から見上げる、縦の目線じゃない。キミらは目標を高く設定しすぎて、今の自己評価が低がすぎるのが問題かなぁ。今の自分の視点からじゃなくて、頑張って当時の自分の視点を思い出せない?」

覚えてないよーとむくれる小百合に、佳哉は続けた。

「対生徒だとあんなに親身になって対応できるのに、ねぇ。後輩だって、自分たちのちょっと後を歩いている存在という意味じゃ、生徒とたいして変わんないはず。」

変に対等意識があるのも問題か、と呟くと、すかさず小百合が拾った。

「待って、待って。だってさ、確かに1年目と3年目じゃ、経験の差ってあると思うよ。だけど、生徒の前に立ったら、1年目も3年目もなくない?生徒から見たら、チューターは全員、等しくチューターって存在になるんだよ。3年目が担当なら生徒は割増料金払いますっていうなら、話は別だけど。経験の差は、対生徒の仕事での言い訳にならないよ?」

「言いたいことはわかる。だからさ、経験の差を言い訳にさせないために、まずは足りないところを身近なところで補ってあげるんだろ。その補う分が、生徒の代わりに会社が払う給料の差だと思えば納得できる?で、次のステップとして、自力で補える様に導く。スキルが足りないから出来ないからと絶望的な理由を言って最初は何も仕事を任せずに、そのくせ求める質だけ教え込んでほらそこまで一瞬で飛んでこいって求めるから、後輩がそんなの出来ないと悲鳴をあげて潰れるんだ。っつ—か、俺はそれで潰されかかった。」

「。。。。。」

「ちなみに心配してる様だから先に伝えておくけど、恵叶の体調も心の調子も問題はない。子供の時から、時々ああやってちょっと不安定になることがたまにあるだけだ。だから今日は、存分にあの2年の二人と恵叶を観察してみろ。いいお手本になる。どうせ一緒の水曜じゃ、小百合は生徒にかかりっきりで恵叶や周りの仕事ぶりなんて見てないだろ? 」

「はい。。。。。」

「じゃ、俺は教室に上がるからな。ひとまず、今日のタスクのコメント埋め頑張れ。小百合のコメントを下に直に見せることが出来たら、俺らも仕事の説明をしやすくなって非常に助かる。」

「わかりました。。。」

ぐうの音も出ない状況に、小百合は渋々と自分の作業に戻る。と、気づいた。佳哉は小百合の痛いところを突いたけれど、最後には得意なところを持ち上げて気落ちさせたままにしなかった。きっと自分なら、後輩の足りないところを指摘してそのまま会話を終えている。その後、後輩がどんな反応をするかに突いては、特に考えていない。それで潰れるならそれまでだ、くらい思ってしまっているフシもある。でも、生徒に対してだったら、今さっきの佳哉の様に気落ちさせないように気遣いしている。この対応の差はどこから来るんだろうか。きっと、自力で見つけないといけない問いなんだろう。問いを見つけられたなら、意識し続ける限り、解答は遠くない未来に見つけられるはずだ。だからまずは、自分のすべきことをしよう。小百合は気合いを入れ直すと、P Cの画面に改めて向かい、黙々と作業を進めていく。キーボードのタッチ音が、小百合を励ます様に軽快な音を立てて弾んだ。


 結局、途中で恵叶や佳哉をじっくり観察しながらも黙々とデータ入力とコーヒーを往復し続け、あっという間に数時間が経っていた。やっとひと段落ついたかと思ったら、もうチューター業務も終わるような時間である。どうせこの時間までここにいるなら最後まで、と、小百合は恵叶に聞いて放課後に参加することにした。

 仕事の方は、夏観は入力結果を見て「助かった」とホクホクで、最終的には恵叶の猛反対もあってチューター業務分のお給料を貰えることにはなったけれど。これだけ生徒の情報入力をせずに溜め込んでいた年もなかなかあるまい。今年は各曜日が全部ギリギリで人員を回しているせいなのかなと小百合は思った。

 毎週決まった時間ではあるけれど、年間を通してある程度の束縛を受けるこういったバイトは、近年は敬遠される傾向にあるらしい。よって、ここ数年、若干の質を落として採用しても万年人材不足だ。文章をあれこれ考える必要があるメールよりも、大した脳みそを使わず単語で会話が可能なチャットが好まれる状況では、そんなもんだろうと社会人になった先輩方は仰っていた。バイトをするしないの調整も、幾らお金が必要だから今日や明日の予定を今この瞬間に決めたいという刹那的なまでの計画であって、今から1年後までを想定して予定したくはないらしい。瞬時に世界中の情勢が変化する今らしい考えではあるけれど、1年先くらいの計画なら社会人になってからの少し先を見通す練習にもなるのになと小百合のように思うのは、ごく稀な意見なんだそうだ。もっとも、小百合だって1年先くらいまでがせいぜいなところ。先輩方曰く、小百合も先輩方から比較したら、十分に短期的すぎる計画のもとに動いているように見えるらしい。

「ケイト。終わったよー。」

「先に行ってる?こっちは終了時間まであと10分あるんだけど。」

「え?なんか手伝おうか?」

「そういうのはダメ。もうIDカード、タッチさせたよね?つまり、今日は業務を終えたってことでしょ?ちゃんとケジメつけて。」

「佳哉ぁ、ケイトが冷たい。。。」

佳哉は小百合を一瞥すると、金曜日シフトの面々に向かって告げた。

「あー。これね、恵叶の方が正解だからね。りっちゃんはダメな例。真似しないで。」

「佳哉まで、それ言うの?!」

「俺らが言うべきことなの。アナタはいい加減、理解できるようになろうね。」

恵叶も佳哉も、3年生になった途端に、これまで小百合がただの1プレイヤーとして許されてきたことを許さなくなった。そして、事あるごとに、自分の行動がどう後輩に影響を与えるのか問うようにもなった。それが、なんとも居心地悪い。二人と比較するとどうしたって駄々っ子のように見える自分が、彼らの指摘する上級生という自覚だとか成長だとかをしきれていないんだとは思うけれど。認めてしまったら、これまでの自分の仕事が否定されるような気がして、釈然としないままなのだ。

不貞腐れ半分で皆の終業時間を待ち、いつもの放課後の場所へと向かう。と、その先には想像しなかった後輩たちがそこに既に揃っていた。なんと、あの通称アキ様会が、ご本人の降臨なしにほぼ全員待ち構えていたのだ。

「今日、暁史、来ないよね?」

慌てて恵叶が小百合に確認するが、小百合にはわかる由も無い。

「わかんない。通常、金曜日は実験でラボにお泊まりしてるはずだけど。」

首を傾げた小百合だが、その中の一人の態度にハッと気付く。

「あー。多分、ターゲット、私。」

「え、どう言うこと?」

「何かしら、文句を言いたいんじゃないかなぁ。暁史がらみで。昨年も確か、この時期に1回あった。ごめん、やっぱり今日は帰る。その方が全部がまるっと平和に済む気がする。」

果たして小百合がくるっとテーブルへ背を向け帰路へと退散する前に、先方が舌禍を切った。

「あれぇ?オバサン、あ、ごめんなさいついうっかり本当のことを、真里谷さんは帰るんですかぁ?」

金曜日シフトのメンバーがやっと着席もしないうちに、ねっとりしたいやらしい笑い声が早くも上がる。。

「せっかくの機会なんですから、ご一緒しましょうよぉ?」

甘ったるい声が、なぜだか苛立ちを煽る。お行儀悪く「うるせー」と舌打ちしたい衝動をグっとこらえ、小百合はそのまま無視して歩き出した。自分にどんな悪意を向けても構わないけれど、せっかくこの放課後を楽しみにしていた後輩たちが関係のない剣呑な空気に巻き込まれるのは不本意だった。

小百合の判断を借りてその場をなんとか取り付くろい、半ば強制的に佳哉がメニューの注文を後輩に促すと、静かに怒りの炎を燃やしながら未成年用の赤いリストバンドの管理を始めた隣の恵叶に佳哉が尋ねた。

「ねぇ、恵叶?」

「何。」

「あの子、誰だっけ?」

「、、、、は?」

この雰囲気の中で、この空気を読まない質問。さすが、佳哉。

「いや、ごめん。俺、あんだけ強烈な子っていたっけなぁって本当に記憶にないんだけど。」

「当初から、それこそチューターの採用説明会の日から、会えば毎回のように小百合がところかまわず絡まれてたでしょ。」

「いや、さゆ姫が暁史関係で多方面から絡まれるのって年中行事だからいちいち覚えてないよ。」

「そういうもんなの?佳哉が覚えてないっていうのも珍しいよね。」

「そう、俺にしちゃそれが今、大問題なんだよ。幾ら記憶を辿っても、該当する顔が思い浮かばないの。あんなにアプリで顔面大加工した感じの子、本当に最初からいた?!」

そこに、ふと聞き慣れない声が耳に入ってきた。

「いました。ただ、だいぶ雰囲気が違いましたけど。。。」

「ん?」

ふと、これまた見慣れない顔がそこにいた。

「石場あかり、です。りっちゃんにお世話になっている、同じ土曜日の、夜シフトです。その、盗み聞きして、話に割り込むような感じで、申し訳ありません。」

萎縮するあかりに、恵叶が話を続けるよう促す。

「あぁ、全然いいよ。ナイショ話してたわけでもないし。で、雰囲気違うって?」

「はい。雰囲気は本当に別人なので、もしかしたら、久々に目の前でお会いした先輩方には区別がつかないので驚かれるのかなと思ったんです。」

当時の自分を思い出して佳哉は苦笑いする。

「いや、まぁ、俺らが生徒の時は相当賑やかな、と言えばいいけど、もはやどこへのご出勤前ですかーって身なりしてたしねぇ?変身という意味では人のことは言えたもんじゃないからなぁ。」

「そうね、あの当時、特に小百合と佳哉のあの格好はだいぶ反抗期を超えたレベルでびっくりだったよね。」

ようやく恵叶が笑顔を見せる。

「つまり、あの子はうっかり大学デビューしちゃったってことでいいのかな?」

佳哉に問われて、あかりがやはりおっかなびっくりのまま言葉を続けた。

「多分、、、。ただ、その彼女のインスタが、最近、ナントカ夫人みたいなレベルで映えを盛ってて。口を開けばとああ言う感じで絡んでいきますし、こっちの話は全然聞いてくれないし。DMもラインも無視するし、彼女と会話できないでいるんです。。」

「それって彼女を心配して言ってる?それとも、マウンティング系の告げ口?」

相変わらずの意地悪を発揮する佳哉に恵叶は呆れた。だが、あかりは必死で佳哉の嫌味に気づかない。この様子からすると、本当に心配しているのだろうか。

「心配、、と言うより、その、、、怖い、です。」

あかりの言葉に、佳哉がうーんと唸る。

「なるほどね。ううん、、、、まぁ、最近はどんな物もアプリで気軽にレンタルも加工もできる時代だし、人様の懐事情に触れるようなそれこそ品のないことは言いたくないんだけど。まぁ、なんか、不穏な盛り具合ではあるか。」

そこで、あかりが不思議そうに問うた。

「あの、あの子、ものすごく失礼なことを色々やらかしてますけど、怒らないんですか?」

これはやっぱり、告げ口でもあったんだろうなと恵叶は悟った。ならばなぜ、今日この場に一緒にいるんだとは思わないでもない。新入りゆえの同族意識があるからこそ、嫉妬もやっかみも苛立ちも、よくあるこじれる原因にしかないのに。一笑に伏すかと思いきや、思いの外、真面目に佳哉が答えた。

「怒らないよ。怒ったって何も解決しないから。ただ、今後に何も起きなきゃいいなと思うだけさ。まぁ、うっかり何か起きても、俺らに迷惑がかかんなきゃ別にいいって本音もある。君らも、充分に気をつけてね。」

笑顔で釘を刺すことも、さすがに佳哉は忘れなかった。

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