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出会い(1)

 ここ数日、恵叶に元気がちょっとないような気がする。気がするというのは、小百合にはまだ確信が持てないからだ。ゴールデンウィークに一緒に音楽フェスに行って、恵叶のお家にお泊まりする恒例の予定があることを考えれば、もうちょっとはしゃいでいても良さそうなのに。試しにさりげなく本人に体調を気遣ってみると、あっけなく一蹴されてしまった。何か悩み事などがあるなら本人が話したくなるまでは待とうと思ってはいるが、やっぱり大事な友達なので気になってしまう。


 小百合は、自分の周りにいる人間について細かいことによく気づく。誰かの具合が悪そうだとか、何かに悩んでいそうだとか、普通なら見過ごしてしまいそうなことを見逃さずに拾い上げる。なぜ、そんなことが出来るのか。「なんとなく」と言って周りにはごまかしているけれど、悲しいことにいつの間にか自然と誰かの顔色を伺うのが得意になっていた。

 

 と、チューター担当社員の夏観の声で現実に引き戻された。

「りっちゃーん、申し訳ないんだけど、今日は学生カードの情報ファイル、埋めるだけ埋めちゃって貰える?百聞は一見にしかず。それ見れば、下はやり方を学べるし、多分、翌週から皆が楽になるから。」

 駿河アカデミーでは生徒指導に役立てるため、各生徒と会話をした内容話、どんなアドバイスをしたかなどの情報を共有するため、各生徒のファイルデータに書き込んで管理する事になっており、これを学生カードと呼んでいる。顧客カード、お客様カード、そういったものの学校版といったところだろうか。そこには、各模試の成績などのデータも当然反映されている。そうする事で、例えば、土曜日の小百合が聞き出した生徒の数学の悩みを他の曜日の数学の授業を担当するチューターで解決するなど横の連携が取れるようになるばかりか、年に数回ある保護者会にて保護者さえ知らないような各生徒の様子を報告する事で、充分に「面倒を見ている」と言う保護者の安心感を引き出す事もできる。また、入試間近に実際の受験校選定の際の面談でも、どういう導き方がその生徒に一番効率的になるかという状況判断にも役立つのだ。

 小百合は仕事ぶりから生徒と話す機会が非常に多いため、書き込みは常に最大数を記録していた。生徒への観察眼もその信頼度も抜群なため、社員や同僚からの信頼度も厚く、元生徒がチューターになった時に特別に許可を得て自分のファイルを見ると、録音でもしていたのかと疑いたくなるようなその精度に絶句するほどだった。小百合としては、悲しいかな、人の顔色を伺うのが得意だから、と言うところである。だから精一杯の自分への抵抗として、小百合は全部が全部をバカ正直に書き込むわけではない。そもそも書類作業が苦手なこともあるが、「秘密ね」と生徒からお願いされたことは、然るべきタイミングが来ない限りは書きたくないからだ。


 夏観の申し訳ないなどと言う言葉とは裏腹に、まったく申し訳なさの見えない口調に脱力しかけながら、小百合は疑問を口にした。

「え?夏観さん?今日、私、チューター業務で来てないんですけど?」

今日は金曜日。恵叶と佳哉がどんな風に後輩の指導をしているのかを見たくて、事務バイトに入っている。通常なら配布資料の準備だとか、そういった類の裏方業務に専念するはずで、チューター業務に近いことはしない。念の為、確認をとる。

「そうなんだけど、今から始めないと来月の保護者会に間に合わないかもしれないってくらい追い詰められちゃっててさ。」

ノート型P Cをポンっと渡され、更に念を押された。

「りっちゃんの知る限りを全部埋めちゃって欲しいなー。2年から3年に上がった時の様子とか、今年からの生徒なら受講を決めてくれた時の様子とか、その時の保護者の反応とか、今年の担当以外も全部。りっちゃんの頭の中に入っている限りをコメント欄に打ち込んで欲しい。」

挙句、教務室の社員用の空いているデスクを指差し、そこに座れとばかりの勢い。

「えぇええ。。。」

それならチューター業務のバイト代をくださいって、疲労度が割に合いませんよ、と言いたいけれど、生憎小百合はそれを声に出せるほどの神経を持ち合わせていない。

「うーん、コーヒーつける!今日、講師室のネスプレッソマシーン使い放題を許す!」

迷う小百合にトドメの一言が刺さった。

「ワカリマシタ。。。」

多分、負けてはいけないことなはずなのに、勢いに負けた。意外と押しに弱い自分にちょっとメゲるけれど、まぁ、コーヒー飲み放題ならいっかと気を取り直して、小百合は早速講師室にコーヒーを取りに行った。


 「ちょっと、今日は小百合を講師室に近づけないでくださいって言いましたよね?」

聴き慣れない冷たい声。

「あ、うん、そうなんだけどさ、溜まっちゃってる仕事を片付けるためには止むに止まれずっていうか、、、。」

教務室の陰で低く凍った表情を浮かべる恵叶が、密やかに夏観に詰め寄っていた。人の仕事を増やしがやって何してくれるんだコイツと言わんばかりの恵叶の目線は、今なら人を射殺せそうなほどヒリついている。恋する乙女とはまるで異なる雰囲気のこの恵叶の姿を知るのは、佳哉くらいだろう。

「なんか起きたら、どうしてくれるんですか?」

夏観は恵叶を宥めるように諭していく。

「いや、仮にも皆、雇われている身の良識ある大人だし、ね?それこそ、失礼があったら、ご事情をご存知の重鎮の先生方や、ご家族も黙ってはいないだろうし。」

「失礼があったら、その時点で即ダメなんです!『りっちゃん』っていう人材を失いたいんですか?!あの子は本っっっっ当に疎いから。。。」

「その疎さに助けられているのは君だろう?」

「私のことはいいんです、今は。なんで、よりによって今日。。。」

唇を噛み見上げる姿勢は、もはや妖しささえ感じるほどに強い。

「何かあったら、押し付けますからね。」

キっとそのまま夏観を睨み付けると、恵叶はなんてことないような顔に戻って小百合の後を追う。

 小百合に何かあったら、許さない。けれど、小百合に自分のこんな姿は絶対に見せない。

その勢いを極力抑えて、努めて軽い口調で恵叶は声をかける。様子を見ていた人間がいるなら苦笑いしそうなほどだ。

「姫ぇ?コーヒーに浮かれてないで、そろそろデクスに戻ろう?ね、授業前の先生方の迷惑になっちゃうといけないから。」

小百合がのんびりと頷いた。

「あ、うん。そうだね。」

 間一髪。講師室でコーヒーを準備している小百合の手を取ると、そそくさと隣の教務室へ押し込み、胸をなでおろした。これで、牽制くらいは出来ただろう。出来るだけ自然な流れで小百合が気にしそうなところを、攻めていく。

「お代わりし放題だからって、正直、回数って行きづらくない?」

恵叶の質問に、相当残念そうな声で小百合が返した。

「そうなんだよね。結局1杯が限度?!って今、気付いちゃった。。。」

せっかく好きなカプセル見つけたのになぁとぼやく姿に、少しほっとする。

「今日の担当の先生の準備も兼ねて私は頻繁に出入りするから、代わりにその時に小百合の分のコーヒー取って来ようか?」

「あ、ほんと?助かる。諦めるのはなんか癪に障るんだけど、やっぱ、知らない先生方の中にコーヒー目的だけで突撃するのはちょっと気がひけるよね。」

こういう時、小百合のスレてなさには相当助けられる。恵叶が今日の作業用に用意されたデスクへ小百合を促すと、そのまま小百合は素直にP C作業に取り掛かった。

 遠くで佳哉が恵叶へ向けて「過保護」と唇の動きだけで笑いながら告げてきたが、知ったことか、と思う。

失礼を承知で言葉にすれば、恵叶から見て小百合はいわゆる美人かと言われれば違うし、流行の可愛い顔立ちとかいうのとも違う。ただ、すくっと立っている姿が、生きる宝石みたいな輝きを持っていると恵叶は思う。小百合には自覚がないようだが、彼女の持つ独特の雰囲気や、家庭の背景がもたらすものに惹かれて寄ってくる人間はそれなりにいる。だから、このバイト先にだっていないとは言い切れないと恵叶は常に警戒している。特に金曜日は、小百合の諸々の事情を知らない人が多く働いている。変な虫には絶対に近づけたくない。

 恵叶は、人間関係に不自然なほどぼんやりしている小百合を守りたいといつも思う。違う、そんな綺麗事ではなく正確に言葉にすれば、小百合を恵叶の自分の世界の中に閉じ込めてしまいたいとさえ思う。なんて愚かで身勝手な願いなんだろう。けれど、こんな思いを抱えることが辞められるなら、とっくの昔に手放している。


恵叶が小百合と出会ったのは、中学生の時。お互い学校も違えば、小百合に至っては年にほんの数ヶ月しか日本にいない程度。擦り切れそうなほど使い古された言い方ではあるけれど、恵叶が小百合に出会ったのは奇跡的な確率だと今でも思う。きっかけは、それこそドラマや映画のワンシーンみたいだった。

 当時の恵叶が歳の離れた兄に連れられ、今のライフワークにつながる、あちこちのライブハウスやコンサートへ顔を出すようになったのは中学生にあがってすぐくらいの時からだ。優しい兄が大好きで、いつでもどこでも後ろをついて回っていた。兄が好きな物が、私の好きな物。典型的なブラコンだ。だから自然と兄が聞く音楽を自分も聞くようになり、気が付けば恵叶自身もとっぷりと同じ音楽に浸かっていた。

 ライブ会場と駅の間は煩雑な繁華街を通ることも多い。普段なら必ず兄に手を引かれていたはずが、あの日の帰り道はあまりの人混みにうっかり兄と離れてしまった。あの頃、既にだいぶ慣れていたとは言え、そこに付け込まれて気づいたら酔っ払った大人に囲まれていたのだ。下卑た笑いに、ムッとするようなアルコールの臭い。流石に怖くて足がすくんで、助けを求めようにも声が出ない。あぁ、ダメだどうしようと思った時に、声をかけてくれたのが小百合だった。日本中の女子が身に包むことを憧れる真っ白なセーラー服。日本中の男性が、彼女たちの家族が持つバックグラウンドを自身の出世欲のために夢見る制服。明らかに場違いな、有名なエトワール女学院の制服姿の、女子中学生がそこにいた。

「あ、ごめぇん、待ったぁ?」

 場違いにふわっと笑って、どう見たって太刀打ちできなそうな大人たちをかき分け、彼女が恵叶の手を引いたのだ。誰だこのコと思うより先に、恵叶はその少女と共に全速力で走り出していた。どこにいくのかもわからないまま、手を引かれて必死で走る。混乱も恐怖も、感じる隙がなかった。

 やがて、そのままの勢いで道路脇に停車中の車に乗せられる。車の内装の優雅さに別の恐怖を感じそうになる前に、彼女が息を切らせながら言った。

「もう、大丈夫、だよ。もう、怖く、ない、よ?」

その時になって、恵叶は自分が見ず知らずのその子の手にきつくしがみついていることに気づいた。

「よく、頑張った、ね、何も、なかった?」

「大、、、じょう、、、ぶ。。。」

「あぁ、泣かない、で。怖く、ないから、もう、大丈夫、だから。」

これまでの恐怖に加えて今の状況が飲み込めない混乱から、一度溢れ出した恵叶の涙は止まらない。恵叶の心を代弁するかのように、手元のスマートフォンが狂ったような大音量で恵叶の大好きな音を場違いに奏でていた。

 その時、それまで気配を消していた運転席の男の人が優しい声を出した。

「お嬢様、自己紹介をしてさしあげないと。幾らその制服をお召しになっていても、普通は知らない相手の車に乗せられたら相当に怖いかと思いますよ。」

「あ、そっか・・・・ごめんなさい、私、小百合って言うの。見ての通り、エトワールの生徒。15歳。あ、コスプレじゃないよ?ちゃんと生徒よ?」

「。。。。」

「あなたの携帯が、さっきから何度か鳴っているの。たぶん、貴女をお探しでいらっしゃる方だと思う。ご連絡出来る?」

「。。。。」

小百合はしばらく思案すると、しゃくりあげてしまい声にならない恵叶に変わってそのまま諦めずに鳴り続ける電話に対応した。泣いていた恵叶が思わず我を失って見入るほど、冷静な口調だった。

「突然、お電話に出て申し訳ありません。こちらの携帯をお持ちのお嬢さんのご関係の方でいらっしゃいますでしょうか。あ、、、、はい、、左様でございますか。先ほど、はぐれて迷子になっていらっしゃるようにお見受けしましたお嬢さんを、わたくしの元で保護いたしました。つきましては今から申し上げます場所へ、お越し頂けませんか?えぇ。あ、はい、くじょう、、失礼しました、真里谷と申します。」

しばらくして、血相を変えた兄が車へ到着した。家まで送るからと、彼女がそのまま兄を車内へと促した。ここから家までは遠いからと固辞する兄へ、彼女がツンとすました様子で伝えた。

「当家で一度は保護致しましたの。最後までお送りさせて頂けず、この後に万が一のことがございましたら、当家の名に泥を塗ることになりますわ。」

それに、と、思いがけない言葉を恵叶に向かって続けた。

「私の、お友達になって頂けませんか?」

屈託無い笑顔は、年相応だった。

「全速力で走っている間、あなたのプレイヤーが奏でていた音楽を、私に教えてくださらない?すっごくcool。」

その時やっと、恵叶はしがみついていた手をそっと離すことができた。怖いほど大人びてしっかりして見えた彼女の手が、小さく震えていることにハッとしたのはその時だ。

 その夜。玄関まで出てきて平身低頭して謝った両親に恵叶が後ほど耳打ちされたのは、小百合の家がひどく特殊な家だということだった。だから、もう二度と会うことなどないのではないか、と。自分たちがこれから育めるかもしれないこの先の友情を大人の想像で決めて欲しくない、と不思議と恵叶は腹立たしく思った。


 恵叶は、平凡で普通の高校生だった。今も、残酷に十把一絡げにしてしまえばごく普通の大学生だ。試験の成績も、運動も、何をやっても、ごく普通。飛び抜けて良いのは、いつか若さとともに消えてなくなりそうな、親からもらったこの容姿だけ。それなのに、いつも容姿だけで判断され、恵叶自身を見てもらえることは滅多にない。今はさすがに「まぁそう言う人もいるよね」と達観してしまったが、小中学生の時は当然違和感しかなかった。容姿について何かと言われ、遠巻きにされ、同じ学校の女子部の皆が作っているチャットのグループにも入れない。掲示板に書かれた自分のこともおおよそ想像がついたから、心臓に悪くて見ることなんてできない。だから、小中学生にありがちな密やかな話題を共有することもできず、会話にもついていけない。毎日、たった一人で教室でお弁当を食べる日々。登下校には、時々、同じ学校の男子部に通う佳哉が付き合ってくれていたけれど、それがさらに恵叶を孤立させた。そういった経緯が、小百合と友人関係ができるかもしれないと言う思いに執心させたのかもしれない。

 ただ、確かなことは、あの日初めて会ってどこの誰とも知れず、自分の名前を名乗ることさえままならない状態の恵叶を見つけて救い出し、さらに言ってくれたのだ。友達になりたい、と。それが、恵叶にとってのすべてだ。

 特に思春期の女の子同士の友人関係は、時に恋愛関係や親子関係に非常に近いほど親密になるとも言う。ご多分に漏れず、恵叶は小百合に夢中になった。日本と海外の距離を飛び越えて、なんてことない他愛ない話や大好きな音楽の話をするようになり、やがて彼女が日本に滞在しているときは必ずお互いの家にお泊まり会をして、いつの間にか一緒にライブへ行くようにもなった。学校で微妙な立ち位置に悩む恵叶を知った小百合は、学園祭に小百合のあの学校の制服のまま 「明日から全部、周りがどうでもよくなるよ。」と笑って遊びに来てくれたことがある。その翌日、あっという間に恵叶の周りを人が取り巻いた。バカバカしさとともに、あぁ、こういう世界に彼女はいるんだと知った。

 そんな月日を重ねる中で徐々に気が付いたのが、恵叶のイチバンは小百合なんだということ。小百合だから、恵叶のイチバンなんだと。出会いの吊り橋効果が大きいのではと指摘をされれば、いまだに自信がない。けれど、不思議なことに、小百合をイチバンだと思うことに迷いはなかった。一緒に過ごした日々を思うだけで、恵叶は胸が一杯になる。依存なのか、恋なのか、独占欲なのかさ、同化希望なのか、わからないまま。だから自身に誓った。人の機微に聡い小百合に、この思いは一生、悟られてなるものか、と。

 当時のことを語るとき、小百合はいつも微笑んでいる。色々あってね、日本にいるとどこで何をしても誰かの目線に晒されてイヤになってたの。ならばいっそ、思いっきり家の名前を自分のワガママで使って家族に嫌がらせをして目立ってやろうと目論んでいたところ、車の中から一人で繁華街を彷徨うあなたが見えたの。どう見たって繁華街をうろうろするタイプに見えない子が、よ?何やってるの—って放って置けなくて、同時に、不安そうに大人の中を彷徨う姿が自分と重なって見えたの、と。あなたが無事で、あなたと友達になって、大好きな音楽もできた。それで他のことはもう、なんだかどうでもよくなっちゃった、と。あの日の笑顔を、恵叶は一生忘れることはない。

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