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私だけを見て(3)

「お疲れサマでしたぁ!」

「お疲れ様です!」

カランとグラスが軽やかに氷と奏でる音が心地いい、打って変わって、賑やかな空間。

「初日、最後までやってみてどうだった?」

 先ほど皆で無事に定時で仕事を終え、今はちょっとしたカジュアルなカフェの雰囲気の居酒屋にいる。チューターは定時で上がってハイ終わり、という風になることはなかなかない。業務後に、「放課後」と呼ぶ不思議なカルチャーがある。全国区の校舎ごとに同じようにあるようなので、一体誰が始めたのか、どうやって広がったのか非常に興味をそそられるところだが、調べようもない。昔はいわゆる「飲み会」に近かったようだが、最近ではアルコールの入らない「遅めの夕飯会」という雰囲気だ。

 日本のお父さんが会社の人たちばかりで過ごして滅多に家庭の夕食にいないという、古くて根強い会社文化ってこんな感じなんだろうな、と言われてしまえば実もフタもない。が、業務のことにとどまらず、進路のことなどを大学名を超えて色々と話す貴重な機会にもなっているのは事実だ。一人暮らしの者は自宅で一人で遅い夕飯を取る必要もないし、業務を外れればインカレサークルのような色合いもあって、ただただ楽しいというのもある。勿論、強制参加ではないから、早く帰宅したければ帰宅して全く問題ないし、その他の曜日のシフトの放課後に参加したければ事前に連絡すれば参加可能でもある。例えば、小百合は平日の放課後には顔を出すことはほとんどないに等しい。そして、土曜日の昼シフトは元来3人しかないないので、滅多に放課後の流れにならないから参加しない。けれど、それでも理由がある時は積極的に他の曜日の放課後へ出かけていくし、土曜日で自ら開催して参加している。


 今日は初日なので、歩夢の歓迎会という形で放課後を行いたいと、小百合は佳哉と恵叶を誘った。お店は敢えていつも固定してあるので、放課後があると知られればどうせアキ様目当てで、イチ企業に雇用されているという自覚のカケラもない女子が何人か来ることは容易に予想できる。そうなってしまった場合、彼女たちが 羽目を外しすぎないような抑止力になってくれる二人の存在がどうしても必要だった。それに、業務での先輩2人とそのままご飯の流れでは、歩夢自身がお夕飯さえ業務の延長戦のように感じて気が重いのでは、と思ったのだ。

 予想通り、恵叶が放課後に遊びに来た他の1年生と歩夢に早速声を掛けて、同じ曜日のシフトの先輩だとなかなか聞きにくいことも上手に聞き出している。上手いなぁと、聞き耳を立てながら感心してしまう。小百合は、特に仕事のことになると自身の言葉が直球すぎてキツいことを充分自覚している。言い訳じみていると言われてしまうと大変痛いけれど、この辺の立ち回りは恵叶が抜群に上手い。そんな恵叶に甘え、その間に小百合は佳哉に声をかけて、主に今日の自分の反省点として歩夢の一件を伝えることにした。

 後輩たちをどう導いていくのか、そういった指導に関しては佳哉が群を抜いている。小百合だけではまだまだ足りない事ばかりだと嫌になるけれど、すぐ隣に学べる相手がいる幸せに感謝だ。ここは、どう対応するのかわからないことがあれば素直に聞くに限る。これは小百合自身が、仕事の中で学んだことでもある。確かに自分たちはただのバイトではあるけれど、それでも一人の人間がバイトとしてこの仕事に携わってそこに人間関係が存在する限り、ここでの経験がそれぞれの人生に何らかの影響を与える可能性があること経験で学んだのだ。自分自身でも訳のわからないまま下手に自分の理想を後輩に押し付けてしまうよりは、その道を自分より得意とする誰かとベストな解決策を見つけた上で、ちゃんと後輩に接したいと常々思う。


 そんなこんなで小百合と佳哉がああでもないこうでもないとやり合っている頃、その横の赤いリストバンドを巻かれた1年生を中心としたテーブルの輪の中で、歩夢は悲鳴をあげていた。

「いや、今日はもうマジで辞めたいってか、この仕事、意味わかんねぇし。生徒の時は先輩たちを必要だったと確かに思ったけどさ、大学生になった俺にとって何の役に立つんだよ。」

「それは、逃げ出したいの言い間違いじゃなくて?」

同じ1年生の一人が口を尖らせて歩夢に言い寄った。

「んなわけねぇよ。だって俺、新人なのにずっと放置されてたんだぜ?普通、初日くらい丁寧に教えるんじゃないの?」

珍しく冷たい目で自分を見下ろすその姿に、歩夢はいつにない緊張感を持って思わず強く見返した。

 広井樹ひろいいつき、理工学部建築学科、1年生。欧米に行っても負けないほどすらっとした高身長に、小さい顔、そして「あぁ、建築でもデザインの方の人?」とややひどい発言込みで一目でわかる個性的な出立。今日も、ピタッとしたブラックジーンズに、だいぶ斬新なトップスで登場している。私服通学の高校生の時から見慣れていたこの格好と違い、仕事時の着崩さない真面目なスーツ姿がわりとサマになっていて皆で笑って可愛く逆ギレされたのは、つい数日前。私服の様相と異なって、どんな時にでも崩れることがない丁寧な言葉遣いの原点はここかという真っ直ぐさを見た気がして、上級生一同がなんとも言えない温かい眼差しで見ていた。歳の離れた姉から「ほぼ奴隷化」されていたおかげと本人は笑っているが、驚くほど細やかな配慮が得意で、初回の打ち合わせから周りを呆気にとらせていた。

 そんな彼は、歩夢をこのバイトに誘った本人である。歩夢とは高校でもこの駿河アカデミーの高校生クラスでもクラスメイトで、気付けば何かといつも一緒にいる仲の1人だ。樹は「りっちゃん」の元生徒でもあり、彼女に心酔している一人でもある。生徒時代は周りに心配されるほどりっちゃんにくっついて回っていた。

 「歩夢は今日、何を見て仕事してたの?四天王のうち二人と自分だけで仕事って、どれだけ恵まれてる環境!とか考えなかったの?」

「四天王、、、、?はぁ?何それ?」

ゲームか漫画ですか?と突っ込みたくなる単語に、無視を決め込んだはずが思わず言葉を返していた。

「え、知らないの?1コ上の先輩方が教えてくれたんだけど。。。」

頭脳の佳哉、求心力の恵叶、情熱の小百合に包容力の暁史。全く違うキャラクターを活かして、かつてない質と熱量を現在のチューター業務にもたらしている4人を、周りはまとめてそう呼ぶのだという。そういった特異な人材がポツポツといたことは昔からあるけれど、4人も同時期に同じ校舎に揃うのは非常に稀で、彼らが3年次に上がる際には人材の活用を理由に他校舎からの引き抜きの話さえもあったりしたという。もちろん、圧倒的な存在感を理由に「メディア組」に勧誘もされた。小百合たちがメディアに微塵も興味がないため、声がかかっても丁重にお断りしているが、アカデミーの経営者の中にはまだ諦めていない者もいるとかいないとか。

 メデイア組。インターネット経由で授業を受けている生徒達の担当チューターの通称だ。これは昨今の世情から生まれた遠隔地方や在宅での受講を希望する生徒へのニーズに応えるべく始まった、非常に新しい試みである。インターネットという公の場に名前も顔も大学名さえも出てしまうので非常に繊細な取り扱いを受け、開始当初はプライバシー保護の観点から、バイトとしては忌避されるポジションだろうという想定だった。現実は予想の斜め上をいき、今のとこを、チューターの中でも最も希望する応募総数が多く最も採用数の少ない激戦区である。これは、試み初年度の授業を生徒と一緒に見た保護者がメデイア界の重鎮が、うっかり画面上に映るチューターを気に入ったことに発端している。この保護者の鶴の一声で件の担当チューターが大手キー局のアナウンサーへ内定したことから、ミスコンやミスターコンが廃れた後のアナウンサーへの登竜門の1つのようになってしまったのだ。


「知るか、そんなの。。。」

ため息とともに歩夢が吐き出したのは、今の精一杯の気持ちだ。正直、今日、唯一心に嫌と言うほど刻まれたのは「自分が何もできない」という惨めな気持ちだけ。折れそうな瞬間をアキ先輩に頭を下げられて、その後はりっちゃんが怒涛の勢いで仕事のあれこれを詰め込んできて歩夢に考える暇を与えてくれずに、気付いたら今ここにいる状況なのだ。仕事中にどういう先輩方とどう接したか云々など、そんなことを考える余裕なんて微塵もなかった。ただひたすらに、みっともない自分の姿を突きつけられた。そんな自分に、樹が目を輝かせたまま誘いをかけてくる。

「水曜なら恵叶さんとりっちゃん、金曜なら佳哉さんと恵叶さんのペアがいるから、普段のバイトに入ったら色々学べそうじゃん?今は意味わかんなくてもいいから。きっと見つかるよ。一緒にバイトしてみない?」

 チューターは時に、バイトとして細々とした事務業務を請け負うことがある。自分が所属する曜日以外のシフト人たちの様子や、先輩たちの動きを俯瞰して見られるため、何かを学ぼうと思えば絶好の機会になるはず。そう言って鼻息を荒くする樹を、歩夢は理解できない。言ったって、ただのバイトじゃないか。高校生が受験を通過した大学生の先輩として見上げるなら、まだわかる。四天王だかなんだか知らないが、実情は全員ただの大学生。何をどう学ぶっていうんだ。

 目の前でありきたり学生特有の話題で笑いあって、お惣菜をつついている先輩方を見ても、どうもピンとこない。それに、自分の大学や受験生時の偏差値、そして現役で合格をしたことで判断すれば、高校生の時の自分の頑張りの方が今の彼らよりずっと上だと思う。

不満そうな顔のままの歩夢に、しれっと樹が言葉を放った。

「お前さ、、、他人の良いところを認めるのが昔から苦手だよな。」

 高校のクラスメイトだったからこそ、その抜けない棘のような一言がジワジワと歩夢の心に痛みを広げた時には、もう、樹は他の輪の中でバカな話をして笑っていた。歩夢はポツンと取り残された気になった。樹は、いつだって瞬時に誰かの輪の中に上手に入り込む。自分だって、輪の中に入るのは得意なはずだ。けれど、歩夢は樹と違って時間がかかる。自身の立ち位置が見えるまで飛び込めないからだ。

 歩夢は、今まで横に並んでいた、いや、自分の後ろをついてくるだけだと思っていた樹が、自分と全く違う世界を歩いているように思えて慄いた。


 呆然としたまま行き場を失った歩夢の目線が突如遮られ、仰ぎ見上げると一人の先輩が歩夢の横に腰を下ろしている最中だった。佳哉だ。

「小百合に聞いたんだけど、今日は大変だったねー。で、もう折れた?」

ごく自然に、けれど逃げ道を与えてくれず、話しかけられる。

「いや、別に。」

今一番思い出したくない今日のあの惨めな気持ちを、敢えて平気で蒸し返す。この先輩は、そういう現実を突きつける容赦のない人だと同じ新1年生が言っていた。

「あーぁ。素直じゃないねぇ。どうしようかな。鉄は熱いうちに打てとかいうもんね?」

「なんなんですか。」

イラッとした思いが、そのまま歩夢の声に乗る。けれど、先輩は気づいたそぶりさえ見せず、全く動じない。

「そうだねぇ?小百合は感覚の天才、暁史は努力の鬼。そんな二人が都度目標を決めて到達してはまた目標を決めてを繰り返して、必死で作り上げて来た2年間の蓄積と、たった1日目の君自身を比べてもしょうがないでしょう?」

「別に、比べてなんていません。」

「そうかなぁ?そろそろ希望した大学の、僕らよりずっと高い偏差値の大学生になって浮かれたままなのは、どうかと思うけどね。」

「そんなこと、、、」

ないと言い返すはずの言葉が、なぜか出てこない。

「そう?じゃぁさ、今日、君は声をかけられるより先に、小百合か暁史かに今日の仕事について自分から質問した?」

「いえ。。。」

「あの二人は君をまだ生徒の枠で見てる。だから、現実を見ることができずに逃げかけた君にさえ申し訳ない思いをいっぱいにして頭を下げてくれたし、それで君は溜飲を下げた。」

「、、、、、っ。」

「目標も、手段も、ここから先はもう誰も与えてなんてくれないよ?自分から手を伸ばさなくちゃ。」

「だから、何なんですか。」

ついに歩夢の中の苛立ちがピークになりそうになった時、佳哉の声がワントーン低くなった。

「どの人間にも等しく与えられた1日の24時間をどう使うのかを決めるのは、君だよね。たかがバイト。されどバイト。せっかくここにいる時間を活かすも殺すも、どんな熱量でどの立ち位置に立つのかも、結局は自分次第だよ。」


 「俺も似たような罠にはまったから、経験者のお節介の呟きだと思ってくれればね。」

そう言った佳哉の手の中のグラスで氷がカランと儚く音を立てた。それがやけに重く響いて聞こえてきたのは、歩夢の気のせいだろうか。

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