その体で感じて(6)
見渡した、いつもと代わり映えのない講師室。聞こえるはずのない、声。
いつの間にか次の授業が始まり、珍しく自分一人になっている。存在感の薄い職員が一人、ポツンと隅っこに佇んでいるだけ。と、その職員がゆっくりと自分に向かって歩いてきた。
何の用件だろうか。確か高校生クラスの教務の一人の、派遣社員か何かで、ほとんど絡むことはない。世の中にこんなに希薄な気配の人間がいるんだなと斜め上の方向で感心したので、奇跡的に覚えている。名前は確か。。。
「おーぉ。相変わらず、節穴だな。その目は。」
、、、、幻聴か?そんなはずはない。この声を聞き間違えるなんて、ない。だって、これは、師匠、、でしかないはずなのに。
自分の座る席まで近づく職員の、だぼだぼのスーツの上着の中で丸まった背中がすっと伸びて。情けなく見える内股が外へ向いて、普通より大きめの歩幅になり。目が見えないほど鬱陶しい前髪をグッと上げ、昭和初期のような縁取りのデカい眼鏡を外せば。
「TATSU、、、さん。。。!!!」
「おー。すっげぇ、頑張ったのな。」
まさか、こんな、再会の仕方があるなんて。
あの日から、ただ一人、会いたいと思った相手。けれど意味のわからない申し訳なさと情けなさに、どうしても会えなかった。
「西館時代からの潔癖は相変らずか。偉いぞー。」
くしゃっと頭を撫でられる。こんなところも、変わらない。
「まぁ、こんなとこで再開とか訳わかんねぇよな、俺もわからん、しかもお前のが今、偉いんだけどな。あ、ニシタチでいいよな?」
と、笑った顔に、どうしても少年時代の自分に引っ張られる。講師の顔なんて、してらんない。だって、今、自分の目の前にいるのは、あのTATSUさんなのだ。西橘先生ではなく、西館でいたい。
「俺は今んとこ、しがない派遣の熊守さん、未熟な社会経験2年目なんでね。静かにね。」
師匠のいたずらをする様な顔に、声さえもう、出なかった。取り繕った大人の顔には、どうやったって戻らない。
「おっす。今、人払いしてもらっててな。だーいじょぶ、その情けない顔でも安心安心。ここの監視カメラも無事にノイズだらけだ。怖ぇよな、ほんと。っと、積もる話はまた今度。時間ねぇから、YESかNOで答えろ、いいな?」
水戸黄門よろしく突き出されたスマホに、写真が表示される。
「これはお前の姉ちゃん?そうか、雨の中、お姫ぃ様が外を歩いた成果だな。お姉さんの独断だと思う。物理的にお姉ちゃんが拘束される前に、姫を付けさせんのやめろ。言いたいことがあるのは、こちらは理解した。それにしても、いい姉ちゃんでよかったな。気軽に写真送ってお前の芸能界入りのきっかけを作った責任感から、そろそろ開放してやれ。な?」
うなずく前に、次の写真を見せられる。
「これ、天下の西館が久々に対応に困ってるヤラカシ系の信者?わーかった。大学生か生徒かはもうどっちでもいい。対策してやる。」
ほんとなー、と熊守が呟いた。
「ただでさえ、受験と言う神経をすり減らす長期戦の毎日で、講師にキャァキャァ言いたいのは、握手しに行けるアイドルで気分転換したいみたいなもんだっつーのに。生徒から、あるいは卒業生として自分からちょっと講師にお近づきになってみるのだって、ちょっとだけ距離詰めたって言う達成感で、無意識にストレス発散しているだけだろ。それをいい大人が本気にして、うまーく誘導して入れ食いとか、恥を知れってんだ。阿呆どものせいで真面目にやってる講師も結局、そう言う目で見られて、追っかけ回されて、迷惑被る。教える立場にある人間は全員、どこの職種にかかわらず『ファンとの距離の置き方』って事前講座すべきだと思うんだよなぁ、俺は。その方が、子供預ける親も安心だろ。」
それは、TATSUが初めてダンスレッスンを受ける子たちに、開始日にしていた授業。加えて、『経験年数に騙されない』と言う話題もあって、自分ができないことができる人間に憧れたり羨んだりは普通だけど、その気持ちを恋愛と勘違いすんなと言う言い聞かせもあった。あれは確かに、身を守る盾になっていた。
「ついでに『下半身条項』も講師の契約に入れとけっつーの。」
「師匠、下品です。せめて、恋愛禁止条項って言ってください。」
「結果論は一緒だろ。破った場合は即契約解消で違約金としてその直前3年間分の納税前給与所得分の返納義務。で、場合によってその金額は被害者への弁済に当てるとする。これでまだ子供に手を出そうと思うなら、それは流石に本気の恋愛か、さもなくば、ただの下半身コントロール不能っていう病気。」
「。。。。。。」
「やべぇ、話が逸れた。すまん。あ、お前の件は、特殊。気にすんな。で、次だ。ここからは真剣に見てくれ。これは、お前が、あれ?と思った卒業生だな?」
YES。
「この子も、見たことあるな、その側で。」
YES。
「そうか。。。やっぱり、サリーもか。。。」
思案顔で、師匠がグッと声を潜めた。
「お前は、これが、あいつの香水に似てると思ったんだな?」
YES。
「間違いなく、、、、あいつ、、、、シュンのだな?」
YES。
瞬間、吹き出した師匠の殺気に西館は気圧された。
と、講師室外の声が突然すぐそこまで近づいてくる。
師匠がするするっと見事に「熊守さん」に擬態していく。瞬きをするようなわずかな時間の後、そこにいたのはあの存在感が異様に希薄な、くたびれた派遣の職員。先ほどの殺気も、まるで何もなかったかのようで。
「サンキュ。あ、ヤラカシ対策には、絶世の美女か、ロリ顔美少女か、イケオジか、細マッチョ美形送るってさ、どれがいい?」
は?
「おすすめの推しカプは、細マッチョ美形だとよ。」
え?意味がわからない。
「よし、希望なし、と。」
うちのお姫ぃ様、最近、うっすい本の読みすぎだろ、推しカプってなんだよ、と師匠がため息をついた。
「ま、期待してろ、西橘セーンセっ。あ、顔、戻せよ。」
どうしよう、嫌な予感しかしない。
そしてこの予感は悲しいかな、しっかり当たった。
何の前触れもなく、女子生徒の群がる講師室に「この僕の体をあんなに感じたのに?どうして置いていったんです?」と、予言通りの細マッチョ美形が突撃してきてその場が阿鼻叫喚の嵐になったのは、もう少し後のこと。




