その体で感じて(2)
「わかってるけど。。。わかってるけどぉおお。。。。!!」
授業裏の教務室で、ため息と共に吐き出された小百合の呟きが、コロンと転がるように床に落ちる。
「小百合さん、どうしたんですか?」
律儀に問いかけた歩夢に、小百合がぼやきながら返した。
「今日、ここの学校、行事だから欠席って言うのは、何人からか先週と今日にわたって事前に連絡貰ってて。」
「ハイ。。。」
「同じ学校だから、欠席になるのは、普通に私だって判る。」
「はい。」
「察しとけよ、と言う生徒の気持ちも分からなくもない。」
「ええ、まあ。」
「けど、、、何も言われてなければ、安否確認や他曜日での振替受講含め、どうしたってご家庭の電話に連絡しなくちゃならない。」
「そうですが、、、。」
だから何なのだと言う表情をする歩夢に、そうなんだけどぉ、、、と膨れながら小百合は続けた。
「昔みたいに、電話で連絡して来いと言う時代でもない。当日連絡だって、ただ、アプリで『欠席』『学校行事』ってポチッと押すだけでいい。たったそれだけのことができないと言う意味について、考えたことある?」
「はぁ。。。」
「私との信頼関係が築けていないんだろうと言うご指摘は、もう、おっしゃる通り。何も言わないわ。ただ、この子とは比較的、話せてるの。それで、この無断欠席って言うのは。『そのくらいわかってね』って甘えだったらまずい傾向だし、『すべきことを頭でわかってるのにしない』クセみたいな発端だったら今のうちに補正かけなきゃ将来に普通に響くし。このご時世、もし何かに巻き込まれてたら、もうそれどころじゃないと言うか。」
はぁ、と肩を落とす小百合を、暁史が拾った。
「事故はまぁ、滅多にないけどあくまで可能性の1つとして常に念頭に置いておく必要はあるとして。今日の打ち合わせの前に、『俺らの存在を受験の悪い意味での逃避先にさせない』って感じのことを言ったと思うんだけど、覚えてる?」
「そういえば、そのような、はい。」
「自分のこと分かってね、、、というのは踏み外し第一歩で、人間関係を取り違えて俺らを何でも屋さんや保護者的立場にしちゃうと、大概の場合、最後うっかり結果が伴わなくなって、あまつさえ、その結果を俺らのせいにして責任逃れまでするんだよ。チューターの誰々さんが自分のことを理解して何かをしてくれなかった、言ってくれなかった。俺らは、君の保護者じゃない。あくまで、良くも悪くも他人なんだ。分からせる努力を放棄して、こちらにそれを求めるのは違う。」
「厳しいですね。」
「受験なんてそもそも、自分のことを解答用紙で希望の大学に分かってもらう必要があるだろう?その基本を思い出せば、自分のことを他人に『分かってね』という傲慢さが導く結果は何かなんて、簡単に想像がつく。」
「そうなのよー。人間関係を取り違えて甘える先になりやすいのよ、チューターと講師って。親切にしたり、身近な存在になればなるほど、他人という境界線が曖昧になって危険性が増えるの。こちらは1対大勢の仕事でも、生徒からは1対1の人生の勝負だから、余計に。最後の追い込み期での不安からくる物ならまだしも、この時期にそれは、さすがに早いのよ。」
「そうなんですね。正直、そんなふうに思うことがなくて。。」
分からない、という顔をする歩夢に、当然でしょと暁史がうなずいた。
「歩夢はさ、ちゃんと間違わずにいた組だから。結果、今ここにいるんだよ。頼ること、心の支えにすること、甘えること、区別が無意識についている。」
「あとねー。『分かってるくせにしない』は、今後、やるべきことを分かっているのにしないという悪癖へ突入するからね。玄関で靴を揃える子が受かるみたいな話と近いんだろうけど、やるべきことはやるという当たり前の積み重ねの結果って、重いのよ。受験勉強なんて、まさに、やるべきこといかに積み上げるかだし。やるべきことはわかてるけど、やらない、重罪!」
バンっとデスクに突っ伏した小百合が叫んだ。
「そもそも論、報告、連絡、相談なんて人生の基礎でしょー。」
「いえ、社会人の基礎では。。。」
「一緒よ!一緒!!」
「え?一緒なんですか?」
「あくまで小百合一個人の考えね、それは。」
「暁史はそっち側なワケね?」
「そっち側って何だよ、そっち側って。」
「え、そっち側?」
いいのー。よくないー。やっぱり電話やだー、保護者が鬼降臨したらどうすんのー。だんだんと当初の話題からずれて駄々を捏ね出した小百合に暁史がふと笑みを浮かべた時、それまで黙って様子を眺めていた律が、ぼそっと暁史に耳打ちした。
「その境界線の曖昧さを敢えて自己都合で常に動かして、時にわざと超えてくるプロのクズが、今日いますけど。」
「いやぁ、ひどい雨だったよね。僕の子猫ちゃんは大丈夫だった?」
今時、新宿界隈でも聞かないのに、この人が口にするとなぜか、自然に聞こえる不思議。昔から変わらない中身のない甘ったるく上滑りする台詞を吐いて、質問として差し出されたノートの端、指が触れるギリギリのところで自分の手を寸止め。明らかに触れそうで触れない距離感に生徒が動揺したのを、上出来とばかりに目を細めて、「ここかな?詰まっちゃったのは」と、問題の解説を始めた。
数学科講師の西橘 貴法。今日も今日とて、たくさんの女子を侍らせ、講師室を夜職の場宛らにしていた。
「あの、お着替えを。。。」
その場にいた明らかに生徒ではない、少し年上の女性が着替えを差し出し、そっと講師室から消える。
「今の何番目の彼女なのかしら?」
「いや、アイドル時代からのファン?ヤラカシ系?あ、元マネージャーか。ってか、部外者立ち入り禁止なのに、何やってんだ、警備は。」
「どうせ、ニシタチが通したんでしょう。」
教務室で、職員がいろんな意味でザワッとし続ける。
なぜ、よりによって、今日補講なんか入れるんだ。。。その様子を憎々しげに見つめるのは夏観である。熊守が出勤日ではなかったのが、幸か不幸か。
「あー。そんなに生徒に顔を近づけなくても。。。」
講師室のモニターを前に悲鳴を上げる職員にも、一言言いたい。こんなところで叫ぶくらいなら、直接乗り込んでちゃんと文句の1つでも言え。人気講師なら何をしてもいいというわけじゃないはずだ。ここは、あくまで学校法人。教育現場だ。
ふと遠目にモニターを見た夏観は、眉間のシワが更に増えることになる。なんだあれは。ここは夜の繁華街か。全員、夜の六本木にいてもおかしくない装いである。何がどうなったら、あれが受験生と言えるのだろうか。本当に、来年の2、3月に合格をもぎ取る気があるのか?
「やぁだぁ。タカノリさん、それウケるー。めっちゃ濡れてんじゃん。」
「いい男だろ?水も滴って。って、おいおい。今はまだ先生、だからね。」
「あはは。なつかしぃ。みんな、頑張ってねぇ。あ、タカノリさん、今日終わった頃もっかいくるぅ。」
「ほらほら、君たちはもう、行った行った。ってか何しに来たんだ。ほんと、困るよ。」
全く困ったように見えないニシタチ。
「年上の余裕ぅ?見せる?えへへ、なんていうか、牽制ぇ?大事でしょう?」
「ちゃんと全て自力で感じておかないと、その体で。って、先生、解説でいつも言ってたじゃん。」
「ねー。過去問も志望大学も人生も、肌感覚を合わせろって。だから、今日も体で感じに来たぁ。」
一際大きい黄色い笑い声が上がった。というか、ちょっと待て。とっくに大学生になった昔の信者複数名も侍っているってどういうことだ?このあと、どこかに繰り出す気か?どうやってって、SNSのDMで連絡を取られてしまえば、予備校側がどうやったってコントロールできない。こんないちいち品がない状況を、高校生に見せたくない。ましてや、小百合を近づけるなどと、、、!!!
解せないことに、ニシタチの教え方は確かに上手で、解説も聞きやすい。生徒自身がいまいち分かりきっていないところを指摘し、どうするかちゃんと個々に対応できる。アンケートで男性からもちゃんと支持がある。アイドル引退後、確かに学業に打ち込んで努力をしてきたことはきちんと伺えるし、長らく引退後に苦労した分、生徒のつまづきや苦労がわかった上で会話ができる。仕事は、ちゃんと仕事しているのだ。ただ、これがなければ。この女癖がなければ。無論、講師としての採用当初は、こんなではなかったはずだ。もっと隠れるようにしていて、大人しかった。いつから、元アイドル歴を隠さなくなったんだ。いつから、こんなモンスターのようになったんだ。
夏観は見えない何かを軽く払うようにして首を左右に振り、頭痛までしてきたのをぐっと堪えた。ぼやいていてもしょうがない。やるべきことを、やるだけだ。それが仕事なのだから。気合を入れた矢先のこと。
「ねぇ、夏観さん。この甘い香り、何?」
凍えるような視線をした小百合が、そこにいた。りっちゃんではなく。小百合が。
「これ、例の子のと似てる。意味、わかるよね?」
「香り、、、?」
小さな声で返すも、すでに小百合は自分のデスクで夜番として入り始めた夜の授業担当のチューターと馬鹿話を始めている。先程の一瞬のブリザードの影もなく、いつもの「りっちゃん」だ。周りからは、ただ自分の側を小百合が通ったようにしか見えなかっただろう。
既に講師室を立ち去った大学生なのか繁華街の蝶なのか曖昧な信者たちへ意識を向ければ、教務室前に立ち込めるのはムワッとむせ返る甘い残り香。どこかケミカルさのトゲがある、優しくない中毒性のありそうな甘さに、スッと通る精悍さ。こういうのは、むしろ熊守の方が得意かなと、少しだけ熊守の不在を残念に思いつつ、夏観も黙々と自分の仕事へ戻っていく。やるべきことを、やっていく、その積み重ね。受験も人生も、さして変わりはしない。




