その体で感じて(1)
「りっちゃん、それ、どう。。。?」
「え、ちょっと、小百合さん、だいぶ雨に降られましたか?」
土曜日、始業開始時間に滑り込んだ小百合に、アルバイトで補助に入っていた律と、準備万端を目指して細やかにあれこれ作業していた後輩の歩夢が同時に声をかけた。
「え?そんな?ひどい?」
「いや、そこまでではない、、です。」
うーん、と小百合が自分の濡れた前髪を突く。そこまで大袈裟に濡れた感じはないけれど。若干、湿気っぽいか。
「駅から、最後だけうっかり雨に。」
「え、、、?」
「りっちゃんって、歩くの?」
「は?人をなんだと思ってんのよ。歩くことくらいするわよ。」
「小百合さんなら、黒塗りのお車で横付けして、降りる時は行先の建物までお付きの人に傘をさして貰ってるような?気がする?んですけど、、?」
「何それー。あー。もー。今日、歩夢とクチきかなーい。」
「え?すみません、撤回です。お話ししましょう。クチきいてください。」
徐々に雑談の声が大きくなってくるのを、暁史が制した。
「はい、そこまで。雑談、終わりー。そろそろ打ち合わせに入る時間だろ。小百合は若干濡れた感あるけど、まぁ、乾く、うん、乾く。ほんと、雨が好きなのも大概にしておけよ。仕事前なんだから。」
「え?りっちゃん、雨好きなの?」
窓を叩いて賑やかに踊る水滴に、思わず律は外を眺めた。バケツをひっくり返したような雨はいつも一瞬、今は、普通に雨、くらいか。
「あー。廊下が水たまりコースだよね、今日。お掃除さんに声かけとかないと。」
律の質問には答えずに、小百合はさっさと仕事に突入した。
雨が好き、、、という人は、確かになかなか珍しいかもしれない。小百合だって、好きではなかった。今も、好きかどうかと言われると、戸惑う。けれど、「雨音は、二人の歩幅を合わせるように、そっと」というような歌詞を知ってしまってから、雨のいじましさになんとも言えない気分になったのだ。靴や服がダメになる、湿度が鬱陶しい、そういったネガティブな面ばかり見ていた自分の視野の狭さに幻滅もした。少しだけ視点を変えれば、雨がもたらすものも、同時にたくさんあるというのに。無論、昨今のゲリラ豪雨の容赦のなさがもたらす脅威も理解の上だ。日常生活の忙しなさに囚われて、自分中心の自分のサイズの視点でしか物が見えなくなってない?と問いかけられた気もした。だから、雨は自分への自戒を込めて、恵みの雨だと思っている。
「今日のテーマ、フリーだっけ?」
夏観が教務室で他の職員に捕まったままのを横目で確認し、打ち合わせまでにもう少し時間がありそうと見込んで、小百合はできるだけ自然に歩夢に声をかけてみた。
指導に見えないよう、誘導にもならないよう、自然にこちらからの問いかけというのはなかなかに難しい。
「そうですね、今日は自由です。自由に生徒に語りかけるとか、難しいですね、逆に。」
「だよねー。ちなみに私は、この時期は『オープンキャンパス行っとけ』っていうのを喋るんだ。」
「俺んとこは、『全国模試は、できない自分を発見しに行く、説教されに行くという貴重な機会を得るため』だね。」
「SもSSコースも、確かに受験必須だしね。全期間を通して毎回、心が折れた記憶しかないわ。よくあれだけ、毎年毎年、受験生が『これ聞くのかー』と絶望するような問題を作るよね。問題作成側もプロとは言え、すごいと思う。」
「そんなに、皆さんでテーマ違っていいんですか?」
「いいのよー。歩夢のクラスに合いそうなのは、どんなテーマかな?って考えて、添いそうな物でいいのよ。」
「学校行事は楽しんでおけ。とかでも?」
「おー。確かになぁ。俺も、そう言ってもらいたかった時あったな。いいと思う、ただ、学校行事が勉強をしない逃げの理由にならないように話は工夫しような。」
「なるほど。」
「今日のこのフリーのテーマに限らず、今後も、俺らの話や存在を受験の悪い意味での逃避先にさせない点は、意識するといいかもね。」
教室から少しだけ漏れてくる、先生の声。それ以外はまだ、静寂の廊下。黒板消しのセットは、扉の近くのいつもの場所。小百合はスーツのシワを伸ばし、ヒールがパンツの裾を踏まないように確認、最後にジャケットのボタンを止め、軽く息を吸い込む。目を閉じて、脳内を整理して、そっと開ける。これから先は、「りっちゃん」の世界。
自分から気兼ねなく話を触れるようになった歩夢を思い出して、うっかり口元が緩む。吸収力の速さは、まっさらゆえ。今しかない、貴重なスポンジ期間。社会人になる頃には、多くの人は、もう、このようにはいかない。良くも悪くも、ある程度の経験をして、自分なりの法則を無意識に身に付けるから。社会人になってからも、このスポンジのような吸収力と柔軟性を保てたら、成果主義にはぴったりな希有なプレイヤーになれる。けれど、年功序列の世界では煙たがられるだけの存在。どの視点でどう見るか、自分をポジティブに見てくれる場所を見つけられるか、それとも自分をその場所へ合わせるのか。尽きない永遠のテーマかな。
と、うっかり独言ちている場合ではない。今は、「りっちゃん」なのだ。
「はぁい、一限目、お疲れ様でしたぁ!!」
先生の足音を確認し、ドアをきっちり開けて踏み込む。
「では、いつも通り、始めの3分だけ、お時間貰いまーす!」
りっちゃんの、愛しい世界へ。
「連絡事項は特にない。。あ、った。夏期講習の申込み、始まってるから適宜出してね、私も申し込み用紙受け取りますってことと、全国模試は『できない』ことを確認するためのものだから、できなくて当然。0点の回答を見つめることが第一歩です、結果とか気にしない。時に模試マニアみたいなのが高得点出してるけど気にしない。大事なのは、前も伝えたと思うけど、解答用紙だからね。以上かな。」
クラスをざっと見渡す。
「よし、では今日のこのクラスのテーマ。今日はフリーなので、りっちゃん渾身のテーマです。オープンキャンパスに行っとけ!です。はい、えーって顔をしなーい。渾身でそれ、みたいな顔もしなーい。そんなの行ったらお勉強の時間がーとか言わない。無駄な話ならしないから。数十校行けってわけじゃないです、1、2日の範囲内の話よ?」
クラスの視線が全員分上がった。
「なぜって理由は3つ。あ、その前に、オープンキャンパスに行く目的は、受けるかもしれない学校を絞るため、ね。で、なぜ行くのかの理由1つ目、その学校の本当の姿を見て、自分の肌感覚で合いそうかどうか確認して欲しいの。今はさ、ウェブ上のオープンキャンパスでかなり見えるけど。それって、学校側が見せたい場所を切り取って上手にアピールしてる映像であることも事実で。ほら、憧れの芸能人に会ってみたら、全然違う!ってパターンあるでしょ。逆に、とりあえず友達の付き添いで見に行ったミュージカルでうっかり推しを見つけてしまった、とか。まさに、それ。自分の体で感じるその場所の空気感ってあると思っていて。オカルトじゃないけど、五感?のような、自分の全身で受け取るもの、と言えばいいかな。もしかしたら自分が通うかも知れない学校よ。4年もそこで過ごすのよ、だから、自分の体でしっかり、実感してきて欲しいの。その場所は、皆が本能的に『合う』と直感できたかどうかを。2つ目、受験を視野に入れて、受験会場までの足取りを掴んでおくこと。ただでさえ朝から万人がソワソワしちゃう受験日に、会場どこだろうなんて更なる負荷まで心にかけたくないでしょ。たまに、本当に辿りつかないとかいう事件もあるし。道の詳細なんかスマホが答えてくれるから別に覚える必要はないの。周りのなんとなしの景色を目に焼き付けて、自分が正しく受験会場に向かっているという安心感が得られる感覚を身につけて欲しい。で、最後3つ目、スポンサーへの説得。つまり、友達とではなく、保護者と行きなさい。」
クラスの雰囲気がここ一番のがっかり感を出した。
「まぁ、気持ちはわかるんだけど。友達と行った方がはるかに楽しいし。けど、誰が受験料、あるいは複数校の入学金のお支払いしてくれるんだっけ?っていう点を忘れちゃダメよ。悲しいかな、保護者の方々の時代と皆の時代、全く異なる評価の大学も多いの。だから、『そんなとこには行かせません!』なんて無意味な論争が出る。ティラノサウルスが最強だともはや遺伝子レベルで刷り込まれている恐竜に、戦闘機の優位性語っても聞く耳持たないでしょ。けど、戦闘機を実際に体感しちゃったら、考えは変わらざるを得ないでしょ。ということで、お支払い依頼がすんなりいくよう、実物で説得が一番楽よ。これはね、受験以降も、それこそ社会人になっても一緒かなーって思ってる。予算得るための、あるいは高額のお給料得るための、大事なプレゼン。」
幾人かの顔に、絶望的な表情が浮かんだ。
「もちろん、すんなり親に頼むのって難しいのは私もすっごいわかる。どうやって『一緒に言ってください』とか言うんだって。大丈夫、りっちゃんは皆んなを一人で戦いに行かせたりはしないよ。ということで、これから、今話した内容の大人向け上品版のプリントを配りまーす。ハイ、律、こっそり聞いてないでお手伝いしてくださーい。」
しれっと教室後方で聞いていた律を発見。時間がないので、配布を手伝わせる。80人に伝えるには、可能なものは可能な限り有効活用せねば、教室運営は回らない。手伝いの必要有無を見越して、律が教室に上がることを夏観は見ないふりをしているのだから。苦笑いをしながら配布し始めた律を目で捉え、小百合は続けた。
「普通にこのプリントを手渡せるなら最高だけど。それさえも無理なら、例えば、1枚目、これをしれっとリビングの目に付くところに放置。で、2枚目に、自分の行ってみたいオープンキャンパスの先と各校の予定日をネットで調べて書き込んで、うっかり落としたみたいに、数日後に玄関に放置。とか?あ、どうしてもオープンキャンパス行けない場合は、チューター眺めて、『こういう人がいる場所は嫌だな』と思ったらやめておけって個人的には思う。いいですか!!」
律が思いっきり気まずい顔をして、クラスが爆笑に包まれたのを見て、小百合はほっとした。
「はい、では、今日のお話はここまで。残りの、、、ごめん、、、6分は皆の自由な時間です。できれば3分前には次の授業に向けて戻ってきて欲しいけど、とりあえず、自由時間です。どーぞ!」




