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この星空がキレイなのはなぜと、キミが問うから(7)

 誰にとっても思い出したくもないだろうし、小百合は二度とあんなことをしたくもない。浮かんでくる今日の数々の舞台裏を頭の片隅に追いやると、ポーカーフェイスを作り、できるだけ平坦な声を出す。

 多分どこかで、お世話になっている水島先生をダシに使われているのも、無意識のうちにシャクに触っていたのかもしれない。

 「わたくし、本日は偶然、アルバイトのため出勤しただけであり毎週こちらに出勤しているわけではありません。先生のクラスを担当させて頂いております南雲佳哉なぐもよしやは、本年のチューターのリーダーを任されております。責任感、信頼感、担当生徒とのコミュニケーションは充分に後輩のお手本になるほどです。彼自身の大学での専攻は物理学ですので、本クラスの主旨を鑑みて私よりよほど適任であることは、火の目を見るより明らかです。」

「、、、、、。」

「同僚としても友人としても、私は彼の仕事をリスペクトしています。」

ハイさようなら、もう何も言わないでくださいねとばかりに視線を上げると、相手が息を飲む音がした。

「それでは、わたくしはこちらで失礼いたします。」

小百合が踵を返す前に、目の前でトントンと指で机が叩かれた。

「、、、、り、、、、、、から。」

「、、、、、、????」

「なんで星空ってこんなに綺麗なんだろうっていうのを解き明かすのは、物理だから。」

聞いていたのか、この人は、生徒つばさと小百合のあの会話を。確かにあの場所は、講師室に近かったけれど。それを、こんな形で引き合いに出すとは。

「キミ、名前は?」

いい加減に会話を打ち切りたいけれど、後々にアルバイトから失礼を受けたと騒がれたくもない。いざとなったら業務外だと声を上げられるかもしれないけれど、ただただ今は、この状況をどう乗り越えるべきか。

 と、講師室いっぱいに聞き覚えのある元気な声が広がった。

「お姉さま!!」

高3ハイレベル英語で担当する女子生徒3人が、ツカツカと我が物顔で講師室に入ってくる。注目を浴びようと視線を集めようと、お構いなし。そのまま小百合に各々が抱きつく。

「ゴキゲンヨウ。」

彼女たちのゴキゲンヨウの挨拶は、明らかに言い慣れていないけれど。

「ごきげんよう。」

小百合は自然に、挨拶を返す。

「お姉さま、遅い!!早く、早く!」

意味不明でも、この助け舟に乗らずにどうする。小百合は圧倒された勢いのままで挨拶もそこそこに講師室を辞し、校舎エントランス付近の歓談用ソファまで生徒たちになすがままに連れ去られる。

笑顔で迎えてくれたのは、翼と、以前に進学相談に乗ったエトワール女学院の後輩。

「お姫様の奪還成功―!!」

なぜ、彼らが、ここに?

「ど、、どういう組み合わせ?もしかして、、、?」

 小百合が思わず言葉を濁して尋ねると、弾けるように生徒たちが笑った。

「違うー!恋愛とかそういうんじゃないって。さっき、初めて話したばかり。僕にはそんな余裕ないよ、現役で合格しないと間に合わないんだから。それに、エトワール女学院生をナンパなんて恐れ多くてできないって!!」

「お姉さま。。。さすがに、それは勘ぐりすぎです。」

「僕はただ、りっちゃんが、どんな決闘に向かうのかって形相で講師室に入っていくの、見ちゃったから。」

「『りっちゃん』とお名前を呼ばずにどうにか連れ出したいって、こちらの先輩達が相談されていらしたので。お姉さまが何かトラブルなのかと思い切ってお声がけしたのです。」

「そうなのー。私たち、質問がある!今日はりっちゃん来てる!と思ってりっちゃんを探してたら、なんか、りっちゃんがすごいヨレヨレになってるし。」

「どうしようどうしようって3人で言ってたら、突然、後輩ちゃんが声かけてくれたの。で、『りっちゃん』じゃなくて『お姉さま』って呼べば、ってアドバイスくれて。さすがエトワールの後輩ちゃん。」

「でも、ゴキゲンヨウ、は、やっぱりハードル高かったぁ!!」

「自然に『ごきげんよう』って出ないよねー。無理、あれは。」

単なる慣れですよ、いや慣れないでしょ、と笑いあう生徒たちの真っ直ぐな明るさは、なんの陰りもない大きな向日葵のようで。

「ありがとう。正直、助かった。。。」

素直に小百合はお礼を伝える。

「どういたしましてー。りっちゃん、元気になった?」

「本当にありがとう。それで、質問があるんだよね、、、?」

「りっちゃん、今日は疲れてそうだから今度がいいな。りっちゃん、今日、強烈にぐちゃぐちゃだもん、なんか。」

「、、、もぉおおおお、ごめんっっ。そっか。じゃぁ、今度、チューターとしてカッコつけてる時にね?」

「何それ。。。りっちゃんってば、変すぎる。笑い止まんないー。」

彼らが屈託なく笑う度に、まるで空気が浄化されていくようで。けれど、その清浄さはちょっとここでは強過ぎるから。

「あ、私ももう少し皆とここでホッとしてたいんだけど、このままここにいるとそのうち警備員さんに『騒ぐなー』って注意されちゃうかも知れないから。自習室組、帰宅組、そろそろそれぞれ戻ろっか。」

「はぁーい。」

「せっかくなのに、ごめんね。」

「りっちゃん、変!!謝るとこじゃないじゃん!!」

楽し気に応える生徒たちが眩しくて、この健全さをそのまま失わずにいてほしいと、小百合はその背中を見送りながら切なくなった。


 その日、終業間際の講師室にて。

当然のように呼び出され渡された小さなメモを手に、佳哉よしやは震えが止まらずにいた。間違っても、これは喜びの武者震いではない。

 今後の授業運営と教材プリントの配布の方法について連携を取りたいから、という理由で渡された紙には、担当講師のプライベートの連絡先。ともに「予備校に採用されている側」という意味で、講師とチューターが連絡先を教え合うことは禁止されていない。むしろかなり普通のことでもあり、例えばあの小百合でさえ、水島先生と連絡は取り合っている。

とはいえ、今日の一連の出来事を熊守に聞かされていた佳哉には、どうしてもその連絡先の書かれたメモが、受け取るべきではないアイテムに見えてならない。

「ご多忙でいらっしゃる先生のお時間を頂戴することになっては申し訳ないですから。お手を煩わせないためにも、ご来校された時にご用件をお伺いできれば充分かと思います。」

連絡はしませんのでご連絡先は必要ありません、お返ししますと佳哉が匂わせれば、引き下がってくれるのではという淡い期待は呆気なく無視された。

「お気遣いありがとう。でも、もしものこともあるからね。南雲くんの連絡先も、教えてもらいたいのだけれど。」

もしも、、もしものことなんてあったら。あるはずなんてないはずだろうに。嫌な想像だけがぐるぐると始まり、そう遠くない未来に追い詰められていく自分の姿が佳哉のまぶたの裏に浮かぶ。

 そんなハズはない、と思いたい。自分が担当しているのは、生徒(時には職員もだが)を侍らせることで講師室を夜のお店化させてしまう数学科講師の西橘貴法にしたちば たかのりではない。自己防衛本能が強めだけれどそれ以外は優等生の如く、いつも講師室の隅で寡黙にしている物理科講師の鷹館橋陽法たかたちばし ひのりだ。並べると早口言葉かと突っ込みたくなる感じで音が似ているけれど、金曜日の講師室に対する教務室男性陣の俗な言い方を借りれば、薄っぺらくて軽い方の貴法タカのりではなく、慎重で重い方の陽法ヒのりと呼ばれている、はず。重いは重いで、方向性を間違えればそれなりに迷惑にもなるのだけれど。

「同じ物理専攻同士、先輩として南雲くんの相談にも乗れると思うよ。」

自分は守りたいものを守れるだろうか。漠然とした不安だけを抱えたまま、佳哉は渋々と白旗をあげた。

「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願い致します。」

 全然、ありがたくない。よろしくもない。ごめん。。。

 誰に向けたともいえない声にならない謝罪は、佳哉の口からこぼれることなく、行き先を失ったままその場に溶けていった。

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