この星空がキレイなのはなぜと、キミが問うから(2)
「うっわぁ、りっちゃん、何そのダッサイの。」
「んー??」
埃っぽい倉庫から出てすぐの廊下でグッと背伸びをした途端に、小百合は声を掛けられた。驚きながら小百合が声のした方向に顔を向けると、そこにいたのは高3ハイレベル英語の担当生徒である、高遠翼だった。
「あぁ、これねー。今日、片付け系のバイトしてるから。」
埃除けと思ってつけているこの大きなフレームの眼鏡が、彼の笑いを誘ったのだろう。
「あ、今、私、非常に埃っぽいので近寄らないでくれると嬉しいわぁ。」
「埃っぽい??」
通学カバンをグッと肩に掛け直し、いたずらっ子のように笑って距離を詰めてくる翼に、小百合は悲鳴をあげた。
「やーでーすー。乙女的に悲しくなるー。チューターの時のイメージ崩れるー。」
「りっちゃんは、そのくらいで崩れるようなイメージなの?。」
「え、何それ。いつものチューターのキリッとした感じは、今日のコレとじゃ全然違うはずなんだけど。まさか、いつももなんか、こう、埃っぽいもさっとした雰囲気なの、私?!」
嬉しいような不安になるような気持ちで言葉を返せば、翼が屈託なく笑った。
「りっちゃん、意味不明。りっちゃんは何してても、どんな格好でもりっちゃんでしょ。」
こんなふうに彼が笑えるようになった事が、小百合には嬉しい。近づく人間を明からさまに全員拒絶していた頃からしたら、なんて大きな変化だろう。
「あ、でも、りっちゃん。今日はずっと、その眼鏡してた方がいいよ。」
「え?なんで??」
「理由が想像できないりっちゃんだから、だよ。」
「は???」
思わぬ提案にギョッとしていると、また、翼が楽しそうに笑った。
「翼こそ、意味不明じゃん。」
「俺はいいの。」
「なんで?」
「翼様だから。」
「は????」
あははと笑い続ける翼を見ながら、あれ?と何かが小百合の中で引っかかった。
「今日はどうしたの?自習室?」
「うん。そんな感じ。」
「そんな感じ??」
倉庫から出てすぐのここは、この時期は生徒はまだ余り通らない。
講師室、教務室、印刷室、トイレが交錯するポイントで、生徒的にはできれば避けたいと言われている場所だからだ。
ただ、各大学の過去問題集が置いてあるスペースにほど近くもあるため、実際に受験が見えてくると、過去問を見たい生徒や、チューターたちに相談や講師に質問がある生徒でごった返す。
「どうしたの??」
これは恐らく、偶然なんかじゃない。だから小百合は、迷う事なく翼に尋ねた。
「私を、探してたんだよね?」
返事をする事なくふにゃっと笑った翼に、声を掛けて良かったと小百合は安堵する。
「休憩時間に出てきたところだから、話、聞くよ?」
「うん、知ってる。」
聞こえるか聞こえないかの小さな声に、小百合は自分の声を敢えて明るくしてもう一度尋ねる。
「そう。それで、どうしたの?」
「あの、、、、さ・・・・。」
辛抱強く待つと、囁くように言葉を落とした。
「志望学部とか、正直わかんない。」
「そっか。」
「志望大学とか、なんとなく、ここがいいなって思ったりする。」
「うん。」
「だけど、学部は、、、わかんないよ。」
「うん。」
「だって、それで将来決まっちゃうのかなとか思ったら、どうやって皆、学部を決めてるのかなって。」
「うん。」
「なんとなく、模試では志望学部、書いたんだけど。結果貰ったら、怖くなっちゃった。」
「そっか。」
小百合はそっと、翼が模試で書き込んだ志望学部を思い出す。確か、文学部系だったはずだ。
「私も、不思議だと思うよ。高校3年生で、突然、将来を突きつけられるこの構造。」
縋るような視線に、正直に小百合は答えた。
「大学を出てからもう一度、チャレンジする道がないわけではないけど。世の中の何をも知らないこの17、18歳の時期に将来をある程度選ばないと、医師や弁護士を筆頭にした資格系の将来の道はほとんど閉ざされてしまう。『文系』や『理系』の縛りもここで生じて、コレも同じく、将来の仕事を左右してしまう。残酷なシステムだなって。」
「りっちゃんでも、そう思うの?」
「思うよ。特に私の学年はこれから就活を控えてるでしょ?私は大学院進学希望だからのんびりしてるけど、周りを見ると、就活のことばっかで。正直、日本では、就職するための大学なわけ?と思わない事もない。」
「就職のための大学?」
「そ。だって、この新卒採用の枠から外れると、一般的には就職が一層難しくなるとか。なんでこうも画一的なんだろうなぁと。あ、ご家族に、何か言われたのかな?」
翼が、小百合の発した「就職」という言葉に思わずと言った感じで声を出したということは、恐らく。
「その、うち、ほら、兄が、、、兄だから。」
「うん。」
「もっと実用的な学部にしろって。」
「実用的な学部?!」
「経済とか、法学部、とか?そもそも、テストで俺が得意なのが数学だから、なんでいわゆる理系に行かないのか、って。」
「理系信仰?」
「そんな感じもある。」
「あー。。。。。」
実用的な看板の学部に通ったからと言って、全員がいわゆる『エリート』になるわけじゃない。理系に行ったから、食いっぱぐれないわけでもない。そんなのは、保護者世代なら、身にしみてわかっているだろうに。
「お前くらいちゃんとしろって。。。兄は、特別なんだからって。。。」
家族の中の誰かと比較するのも、生徒が必死でぼんやりと描いた未来を頭ごなししに否定するのも、好ましくないことに、受験期によくある話。だけどこの「よくある話」のせいで、どれほどの輝かしい未来が、芽が出る前に潰された事だろう。
「あのね、ご家族はご家族。翼は翼。比べるものじゃないからね。ご家族にとってお兄様の何が特別なのかは、私にはわかりかねるけれど。お兄様が特別な場合、ご家族にとって翼は特別になれないという理論は成り立たないから。」
反論を許さずとばかりに、小百合は一気に言い募った。
「ありがと。」
「それに、別にどんな学部でもいいと、私個人は思ってる。」
「りっちゃん、だから教養学部なの?」
「あ、違う。そこしか受かんなかった。」
「え?」
「そうなの。その程度なのよ。」
不安そうな2つの瞳が、小百合の前で揺れる。
「例えば、実用的に聞こえるから経営学部行きたいと思っても。各大学の経営学部が好む試験内容をパスできるかどうかって、全く別の話だし。ある程度は努力でどうにかなっても、そもそも受験って相手がある話で、相性もある。どうしたって、受からない場合だってある。じゃあ、経営学部を出なかったら、社会で一切役立たずなの?日本中にある会社の経営者や偉い役職の人たちって、全員経営学部出てるの?違うよね?」
息を押し殺して話を聞く翼の姿に、昔の小百合自身の姿が重なった。
「医学部に行ったって、お遊びの度が過ぎて騒ぎを起こして退学になれば、医学部に受かったことは帳消しになる。経済学部に行ったって、毎日飲んで馬鹿騒ぎして緩い授業だけ受けて適当に学生生活を終えたら、経済学部に受かった意味ってなくなる。きっと大事なのは、大学生になってその大学で、どんな意識を持って、どんな日々を送るかなんじゃないの?」
「。。。。。。」
「未来に意味を持たせるものは、大学名のや学部名の看板じゃなくて、大学で過ごす時間を自分自身がどう生きたか、だと思ってる。」
「じゃぁ、どこでもいいの?」
「そう言った分かりやすい看板が、助けになる事はゼロじゃないけど。どこでもいいと言えば、どこでも良いと思うよ。むしろ、この時期にガチガチに決めない事で、広がる未来だってあるんだから。」
「広がるの?」
「うん。17歳の今の経験でこの後の人生全部決めてしまうのではなく、これから経験する色んなことから未来を決められる。もっともっと広い視点から、未来を決められる、とも言えるんじゃないかな。」
「でも、じゃぁ、学部ってどうやって決めたらいいの?」
そうだよね、と小百合は苦笑いした。どんな方向であれ、受験の時に志望の『学部』まで決めなくちゃいけないのは残酷だけれど避けては通れない現実なのだ。
「1つ目、行きたい大学が先にあるなら、各学部の過去問を見て、自分が一番、高得点を取れそうな学部を選ぶ。」
「そんなんでいいの?」
「だってまずは、大学生にならないとでしょ?」
「そっか。」
「2つ目、心にふと引っかかる疑問を解決できる学部に行く。」
「疑問を解決?なにそれ?」
暗かった翼の目に、光が灯った。
「そうだなぁ。。。外、ちょっと見て?」
翼の視線を、小百合は窓の外に導いた。
「ほら、そっちじゃなくて、空。もっと上を見て。今はまだ明るいけど。今日はこんなに晴れてるから、きっと、今夜は星空がキレイだよ。ねぇ、この星空が綺麗なのはなぜなんだろう?ね?」
「りっちゃん、エロい。」
「は??なんで???」
「なんとなく。」
翼に、翼らしい軽口が戻ってきた。きっとこれで、彼は前を向ける。
「りっちゃん、この星空が綺麗なのはなぜなんだろうって思ったら何学部になるのかな?」
そう、そう言うことなのだ。
「あ、ごめん。うーん。多分、物理系?数学系?があるところ?」
「りっちゃん、流石に適当すぎ。」
「専門外なんだもん。ごめんって。わかんないものは、私だってわかんないのよ。」
ひとしきり翼と笑いあうと、小百合は改めて翼に伝えた。
「そんなふうに、ふと感じた小さな疑問で、まだ心に燻ってる物があるなら、その謎を解くことができそうな学部を目指してみればいいんじゃないかな。翼の周りで確固たる志望学部がある子たちも、御大層な修飾語を外していけば、案外身近なきっかけで目指してるとかじゃないかと思うよ。」
「そっか。」
「うん。」
大丈夫、もう、翼の視線は下を見ていない。
「りっちゃん、ありがとう。」
「どういたしまして?」
念のため、小百合が翼に今日はまだしばらく居るから、何か他にもあるなら遠慮なくおいでと伝えると、翼は盛大な笑顔で答えた。
「りっちゃんは今日1日中、その眼鏡してて。約束ね!」
「え?だからなんで?」
「ナイショっ!」
パタパタっという元気な足音と共に、翼が自習室に駆け込むように消えて行った。
その背中に何故か頼もしさを感じたのは、きっと、小百合の願望ではないはず。
まだまだ真っ新な17、18歳で背負う未来への選択が、どうか明るいものでありますように。毎年、小百合は願わずにはいられない。




