表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/48

鏡よ、鏡、鏡さん。(3)

「お姉様を、お呼びいただけませんでしょうか。」

なんとか場が落ち着いて通常業務を開始した頃、よく通る声が教務室に響いた。

 小百合の出身校の制服に身を包んだ生徒が窓口に現れると、誰とは言わなくても自然と小百合が呼び出される。あの学校では、卒業生や先輩なら公衆の面前では敢えて「お姉様」と、後輩ならば「妹」と呼ぶよう習慣づけられているのが有名な話だからだ。何かと著名な家柄の生徒が多いが故に、姓を名乗らせてしまうことで余計な大人の事情に生徒同士を巻き込まなせない配慮から来た特殊な慣習だろう。

「ごきげんよう、お姉様」

「ごきげんよう。」

 懐かしい挨拶をしながら、小百合は首を傾げた。

制服のタイが常盤ときわ色ということは、外部進学も視野に入れた進学クラスだ。常盤色とは、平安時代からある深い緑色のこと。人数を決めずに成績だけで決まるこのクラスは、 インフルエンザにでも罹患しない限り上位校にも余裕で合格できるという相当優秀なレベルを維持し続けない限り在籍が認められない。

 その色に違う事なく、目の前の生徒は小百合が見てきた常盤組の生徒と同じ優秀さを超えた怜悧な雰囲気を持ち合わせている。それは時に、頑張りが効いて結果が出せている時はいいのだが、壁にぶつかると思い詰めそうな危うささえ孕んでいて、否応なく彼女たちの背負ったものを感じさせる。

 ちなみに、「エトワール」が「星」を意味することから、純正とかけて「純星」と呼ばれる幼稚園からの生粋の生徒は、王道の緋色。鮮やかな赤色で、こちらが世間一般のイメージに一番近い。ちなみに、小百合は梔子くちなし色をまとっていた。帰国子女生が中心の、日本語のクラスや日本文化、日本におけるマナー講義までが設定された風変わりなコースだ。

「進学先の選定について、お姉様にお話をお伺いしたいとお願いに参りました。」

「そっかー。何かな?そんなに固くならなくていいよー?って、その方が難しいかぁ。」

エトワール女学院生はそれ以外の話し方が出来ない、が正解だからだ。

思い返せば、自分も同じ。それを普通だと思っていたことを振り返ってみると、今に至るには荒れたあの期間は実は人間の成長という意味で重要だったんじゃないのか、と自画自賛したくなってくる。小百合は手招きして空いている相談スペースに彼女を通す。

「お姉様、5回生の葉山はやまと申します。こちらでは、高2SS数学のクラスに在籍しております。お姉様が学院にいらした時は、中等部におりました。」

 幼稚園1年目から小学校6年までを1年生から9年生と呼び、中学1年から高校3年までが、1回生から6回生の女子校だ。大学からは普通に共学で、1年生から4年生となる。慣れていなければ、ややこしいことこの上ない。そしてこの学年の呼び方が普通だと思っている学院生が「在籍学年」を世間で口にすると混乱しか招かない。

「ここでは『りっちゃん』って呼んでくれていいんだけど。。。」

「いえ、まさか、お姉様をそのようにお呼びするなんてとんでもないことです。」

 恐縮したままの生徒を、ちょっとした冗談でほぐすことも笑顔にすることも許されないようなこの空気。

 清廉さも度を超えると恐怖心を煽るもんなんだなと他人事のように感じた。これでは、他のチューターたちがエトワール女学院生に苦手意識を持ってしまって、どうやったって自分にお鉢が回ってくる理由がわからないでもない。ましてや過去の自分もこうだったのかと思うと、臨機応変と言う日本語の定義について過去の自分に説教の1つや2つ、したくなるところだ。

「まぁ、この際もう何でもいいいや。で、どうしたの?」

「お姉様が進学をご決断なさった時のことを、、、、どのようにご家族をご説得されたのか、伺いたいのです。」

 時期的に想像通りの内容に、そうだろうなぁと小百合は思った。

 女学院生は普通、外部の大学を受験したいなどと言い出せば一族郎党に大反対される。エトワールは大学からは共学校の普通の大学として幅広く窓口を広げており、受験先としても充分な人気校になっている。わざわざ女学院から外部受験を試みる方が少ない。

「保護者会には、ご家族はいらした?」

彼女に引っ張られて、つい、口調が戻りそうになる自分に驚きながら話を聞く。

「えぇ。そこで、父があの小百合お姉様がまさかチューターとしてお話ししていらっしゃっていて驚いた、、、と、申しておりまして。」

なるほど。さすが同窓生の親だけある。簡単にバレたか。

「父も母も、わたくしには学院生として大学へ上がって欲しいようですが、偶然にも私はお姉様のいらっしゃる大学を希望しております。近条くじょうのお家のお姉様がいらっしゃるのならば、父が一度お姉様に直接お話を頂戴してみてはどうか、と。」

あんまりその家の名前を出されるとなぁと、小百合は苦笑いしたくなった。どんなに頑張ってみても、当然その名前で生きてきた時間の方が長いのだから、仕方のないことではあるけれど。ここは意地でもチューターの「りっちゃん」として会話を成立させようと、小百合は踏ん張った。

「非常に申し訳ないことに、私は第一志望に落ちて今の大学にいるからね?期待されているようなご大層なお話は出来ないと思うよ。そもそも、私が特殊な色のタイをしていたことはご存知だっけ?」

「はい。梔子くちなし組の方々は、その、、、特別生が多い傾向にありますから。」

出来るだけ角が立たない言葉を選んで話をまとめる特技は、そう言えばあの学校で学んだことを思い出した。特別生と言えば聞こえはいいが、インターナショナルスクールとを行き来する生徒たちなので、邪道なのだ。

「毛色が変わったのは多いよね、梔子は。成績じゃ常盤組の端にも棒にも引っかからないけど。で、真面目に話を戻すと、当時、バカロレアで受験が可能なところは、まだ限られてたんだよねぇ。ここ1年、2年ほどで見違えるほど選択肢は増えたけど。少ない選択肢の中でどうしたかって、うーん、私は大学じゃなくてその先を見据えた話を家族としたっけなぁ。」

「先、ですか?」

不思議そうな彼女の顔に、当時の自分が重なった。

「そう。大学院の場でおさめたい学問の分野があってね。私にとって大事なのは、そっちだー!って盲信していたの。幸いにして現実的な目標設定だったようで、今もそこを目指して頑張れているのは単純にラッキーかな。当時、自分に精一杯の出来る範囲で将来計画を立てて、その大学院で学べば社会へ出た先で役に立つはずだと言い張って。そのために大学の4年間で学びたいことや必要なことを書き出して、最も適した大学はどこだからそちらへ行きたい、ってのを話してみたんだけど、ほぼ喧嘩腰だったかなー。今思い返せば拙すぎるプレゼン、穴がったら入りたいレベル。でもね、熱意だけは一品だった。」

「大学受験ですのに、なぜ、その先をお姉様はお考えになりましたの?」

思い出話をばっさり切り捨てて要約してくれてありがとうと言う皮肉をうっかり言わずにすんだのは、ここから話せばよかったのかと言う気づきがあったからだ。

チューターとして大事なことは、実は生徒とこうやって話している途中に気づかされることが多い。必要なテーマなどは、生徒に教わっているものばかりだと言っても過言じゃないと思う。チューターと生徒は、現在と過去の合わせ鏡のような仕組みだなと、小百合は感じる。

「イメージのお話をしてみようか。目標に届くようにボールを投げることを想像してみて? もし、目標へ向けて一直線に投げた場合、重力の影響によってボールは放物線を描いて自然と目標の手前で落ちてしまう。だから私は、放物線を意識して、その先に向けてボールを高く投げたの。」

思い出に引き摺られないように言葉遣いに注意して、小百合は続けた。

「学院も、おおよそのことなら学ぶのに申し分ない環境にあると言えると思うよ。実際、外部からの受験では人気校 。だから、大学を出て普通に就職をして、、、というような将来を描いているのなら、 内部進学してしまうのが一番安全な道だっていうお父様のご意見も、今の私には理解できる。」

「安全な、道。」

剣呑さを含んだ生徒の声に、小百合はやっぱりそう思うよなぁと肯きたくなる。中高生の時に保護者から示される道ほど、反発も反抗もしたくなる選択肢はないことぐらい小百合にも自身の経験からわかっている。同時に、保護者が示すその道すべてが単色でつまらないものだと言うわけでもないことは、何百人と生徒を見てきた中で気づいた後付理論だ。

その示された道が親の理想の押し付けや夢託しが多いことも事実だけれど、中には実際に社会人の経験をしている親だからこそ、意味がある選択肢を示している場合もないわけではないのだ。

「そう、安全で、確実なの。そのために、わざわざ幼稚園とか初等部とかから、あのバカ高い学費払って私たちを通わせてるんだし。複雑な響きだろうけれど、子供が学院生であることって世間では結構なステイタスみたいだからね。ご両親もいろいろと頑張ってずっと子供に学院生をさせてきたからこそ、他へ進学したいと良い始めた子供に対して寝耳に水状態。子供が本当に何をしたいのかなんて見えるわけないし、わからない。だから、リスクを取らせたくなくて親は外部進学に反対する。意地悪とかじゃなくて、至極まっとうな反応だと思うよ。実際、他の大学に行けば、いろんなリスクがあるから。」

なんとなく、サリーちゃん事件が頭をよぎる。特殊すぎる例ではあるが、あぁ行ったことは、管理の行き届いている学院でなら有り得ない。

「でも、何か他にどうしてもやりたいことがあるなら、腹を括ってそれをご家族に見せるしかない。 あ、そこで勘違いしちゃダメね、見せてみて意見が変わるのは全然悪いことじゃないから恐れる必要はないからね。」

小百合の時のように頭ごなしに否定するようなご家族じゃなさそうなんだから、せっかく高校2年生のうちにぶつかった壁なら今のうちに壁を壊す努力をしておいた方がいいよ、と思う。

「問題は、入学してみたら実際はこんなはずじゃなかったって思うかもしれない場合かなぁ。私、カッコ悪いことに入学初日に後悔して心の軌道修正に時間かかったクチだし。予想外の事態になっちゃった時に、自分が選んで進んだ道だからと後悔せずにそこで生き抜くことを、自分自身に誓える?そういう覚悟があるかどうかだと思う。」

「お姉様はお強いのですね。」

寂しそうに笑う後輩に、しまった、と焦った。考えてもらうことが目的であって、諦めさせることが目的ではない。

「強くなんてないよ。強くならざるを得ない環境の中で、歯を食いしばっただけ。そう言う場になったら誰でも結構どうにかなるもんだし、その『そう言う場』の経験の1つが受験なんだと思うの。自分の頭の中の整理も兼ねて、どういう将来像を描いているのか、そのためにどこを希望したのか書き出して、ご家族と話してみるといいと思うよ。」

「はい。。。」

あぁ、この話はクラスでも夏休み前にはしておいた方がいいな、と思いながら生徒の顔をじっと見つめる。最初の勢いは何処へやら、自信なさげに宙を見つめる目の前の生徒に、初回の相談ゆえのギフトを送ろうと小百合は決めた。

「ここから先は、あいにくの梔子くちなしが語ると言う異常事態を承知の上で、同窓生として聞いてね?居心地の良さを思えば、学院は間違いなくベストな先。外へ出れば、学院内では思いも寄らない面倒なことがいっぱいある。友達作りさえ苦労する。私がなぜ本来の近条くじょうではなく、父の真里谷の姓を名乗っているのか、とかね?だけど、その面倒さや苦労を活かそうと足掻きさえすれば、数百倍数千倍の貴重で面白い経験がいっぱいできる。つまり、大学4年間をどう生きたいのか選ぶ第一歩が、きっとこの進学先選定になるんじゃないのかな。」

やっと、彼女と視線が再び交差できた。

「まずは顔をあげよう。夢を語るのに、下を向いてどうすんの。せっかく未来について語るなら、上を見るだけで自信ありげに見えるし、一石二鳥。背中を押して欲しくなったら、いつでもおいで。ただ、甘えたいだけなら他をあたってね。」

「お姉様は、変りませんね。」

「えっと?」

「一度だけ、廊下でご一緒したことがあるんです。お姉様、だいぶ変わってしまったようにお見受けしていましたが、私の知っているお姉様のままで、よかった。お姉様の大学を目指して、第一歩目、まずは頑張ってみます。」

わかったような、わからないような、謎のメッセージを残して彼女が席を立った。小百合の記憶には、彼女が出てこない。10代ならばお互い印象くらい変わっているから仕方ないか、と諦め流しかない。

過去の姿を探し求めても、それは自身の亡霊を追っているようなものだ。過去は過去、今は今。どちらも自分自身。今の自分から発せられる言葉に、今の彼女の心に触れるものがあったなら、今この瞬間は良しとしていい気がする。今の小百合は、チューターの「りっちゃん」だ。あの頃の、鬱屈した何もできない苛立ちを抱えた小百合ではない。切り替えよう。

 深呼吸をすると、次すべきことがさっと浮かんできた。次の裏の時間では、ここのところ毎週、高遠翼たかとおつばさから質問責めにあっている。真面目に勉強ごとの内容でもあるし、実際、成績も伸びているようなので喜ばしいことではある。今日も恐らく、同じように捕まる気がする。

 書類系の仕事を裁くスピードは遅くないはずなのに、一向に毎度チューターの仕事が終わらないのは自分のせいだと認めたくないから、最大限の効率化を測れるとことで図るしかない。まだまだ向上の余地があるのはいいことなんだと強引にプラスに気持ちを切り替え、小百合は相談コーナーを後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ