鏡よ、鏡、鏡さん。(2)
カツン。カツン。
今日の靴は高くないヒールなのに、やけに硬質な音が廊下に響く。できるだけヒール音を立てないよう気を付けて歩いているのに、それでも自分の後ろから迫る音に急かされるようにして、小百合は教務室へ向かう。
着いたとホッとする間もなく、目の前では予想外のブリザードが吹き荒れていた。
雪女のような氷点下の微笑みをたたえながらデスクに佇んでいるのは、先ほどまでの常夏のトロピカルな甘さをすっかりどこかへ捨て去った恵叶である。
「何が起きたの?」
出来るだけ声を落として小百合が隣にいた1年生に尋ねると、 蚊の鳴くような声で答えが返ってきた。
「その、、、りっちゃんに頼めばどんなプラチナチケットだってスポンサー枠で簡単に手に入り放題になりそうなのに何でわざわざ抽選って、しつこく。。。」
「ほっほー。お馬鹿さんがいたのね。」
大体の流れと、誰が引き起こした事態なのかの目処が付いた。
ため息をつくと、さも何事もなかったように声を出す。
「いつの間にか、教務室は南国ビーチから一瞬で南極だか北極へ移築されたんですかねー?」
どう反応すべきか困惑だらけの表情が、小百合に集まる。
しょうがないので、阿呆なテンポを装ってそのまま進める。
「はいはい、女王さまに氷の魔法をうっかり使わせちゃった自覚がある人は正直に名乗り出ましょうね。今なら、りっちゃんの防御壁がもれなく付いてきますよ。笑い事だけど、事実、私の防御壁は長くは保ちません。だから、さぁ、覚悟して、秒で挙手!」
明らかに不貞腐れた顔で、2年の男子が名乗り出た。
国際経営学科2年、勝間静希。軽薄さと楽天さに頭でっかちが加わった「意識高い系」が服を着て歩いているような、典型的な日本の大学生だ。
「多分、僕です。ただ、真里谷さん家ってIT系の超有名会社じゃないですか。そういう会社ってスポンサー枠でいっぱいチケットあるとか関係者として顔パスって話を聞いているので。わざわざそんな高額で抽選までにしてチケット買わなくてもっていう事実を言っただけです。」
小百合はため息をつかずにはいられなかった。
どこで聞いた話なのかわからないけれど、ここで名乗るのに「多分」という言い訳を冒頭に忘れずに逃げ道を作るあたりや、根拠のない誰かから聞いた話で物事を判断してしまうところが、実に彼らしい。勝間は昔、小百合にサッカー日本代表のチケットをねだってきたことがある。その後も都度やんわりと無視してきたが、それでも懲りることなく日米対抗野球や海外の著名アーティストの公演など様々なチケットについてもスポンサー枠がないか聞き続けてきていた。
先日の1件『通称サリーちゃん事件』で間違った情報が流れてしまっている可能性もあるので、そろそろ誤解を解いて、言うべきことは言っておくべきなんだろう。
「ふむ。まずは名乗り出たことは評価するわよ?ありがとう。」
でもね、と強い口調で小百合は続けた。
「ここから先はちょっとお叱りね。まず、私も確かに珍しい同じ名字を持ってはいるから誤解を受けやすいけど。私自身は残念なことにそのIT系の会社とは関係ないの。」
近しいっちゃ近しい親族の会社だけれど、小百合の会社ではない。じゃぁどう近いのかというのを、わざわざ説明してやる義理もない。気になるなら、自力で調べて事実まで辿り着いてこい、と言ったところか。
「ということで、スポンサー枠なるものはございません。取るのが大変だったチケットを取るためのケイトの努力や、結果的にチケットを手にできて嬉しい気持ちを踏みにじったと言う点で、大幅減点。勝間くんは素直に謝りましょう。」
ぶすっとしたままの勝間に小百合は諭すように促す。
「誰かにとってどうってことないような言葉が、他の誰かにとってはすっごく大切なことだったりして、思いも寄らない形で想像以上に相手を傷つけたり怒らせたりって、きっと社会に出たらいっぱいあるんだろうね。良い勉強になったーと言うことで、はい、ちゃっちゃと謝る。ケイトは機嫌直す。ヨシ、これでこの教務室南極移築事件はもうおしまい、皆でやり残してる業務に戻りますよ?オッケーですか?」
多少強引ではあるが、尾を引かないためにもさっさと幕引きを図りたかった小百合と、この雰囲気をどうにかしたかった大多数の妥協によって、この状況はこのまま強制終了を迎えるはず。だが、勝間はなおもまだ納得していないことがあるような顔をしている。後々に同じ発言をさせないためにも、ここでもう少し話をすべきだろうか。
横目でチラっと恵叶と見ると、苛立ちながらも出来るだけ通常運転を目指している様子が見て取れた。普段は平和主義だけれど、自分の周りの大切な人が嫌がる話題が出たりすると、苛烈になるところは昔から変わらない。大丈夫だよと頷くように小百合がアイコンタクトを取ると、少しだけ恵叶の表情が和らいだ気がした。
業務に戻るべく、手元の端末で出欠状況を確認しようとした矢先、小百合はハッと気づく。この時期、どうしても学校行事で欠席する生徒が増える。主に、文化祭関係だ。いい機会だからと思い、小百合は自らもう一度口を開くことにした。
「前から疑問だったんだけど。なんで勝間は、昔からそんなにスポンサー枠とか関係者席とか、私に聞いてくるの?チケットとか公演内容ってより、興味、スポンサー枠かどうか、だよね?」
「え、だって、なんか映えませんか?」
「え?」
「なんかカッコ良いじゃないっすか。こう、自分だけちょっと訳ありで特別なルートって感じがあって。インスタでも、そう言うのって数が稼げますし。」
咄嗟に1年生が会話に入った。
「失礼を承知で言いますけど、それって、ただの優越感と承認欲求を満たすだけですよね?」
「皆、そんなもんでしょ。」
勝間は後輩の指摘に気を悪くした風でもなく、何を当然なことを聞くんだとばかりの飄々とした様子だ。小百合は、先日のサリーちゃん事件に似通ったものを感じて薄ら寒くなった。
「そんなもんなの?」
「いや、違います。」
小百合の問いかけに、何人かが「一緒にするな」と即答で否定した。
スポンサー枠。関係者席。色んな人がいる手前、ああ言いはしたが、実際にはないわけではない。親族に頼めばどんなチケットも大概手に入ってしまうだろう。ただ、小百合も恵叶も、思いっきり忌避している行為だから手を出さない。あり得ない行為だと実体験を通して思ったからだ。いわゆるスポンサー枠や関係者席を目にしたことがある大概の何かしらの種のファンは、その席に座る人たちの態度に怒りに震える事態を経験したことがあるように思う。ネットでも、関係者席のマナーを巡って炎上騒ぎになったニュースが流れるのは珍しくない。
改めて、小百合は次の質問を投げかける。
「あのさー。私には全然わかんないから聞いてみるんだけど、スポンサー枠とか関係者席って、最終的には招待者が何かしらの利益をゲストに期待した上でコストを被ってるとかいう事実を、勝間は意識したことはないの?」
「えー?ゲストになれたら自分はタダですから。特にないっすね。」
二の句が継げなくなる、というのはこういう状況なんだろうか。まるで悪気がなく言って見せる勝間に、小百合は違法ダウンロードがなくならない理由を垣間見たような気がした。今度は、恵叶が尋ねる。
「例えばなんだけど。もし、勝間くんのことを知ってるとかいう人が自分のクラスに突然来て、自分は勝間くんの関係者として来たので招待枠ですから授業料払いませんって主張したとするじゃない?予備校から、どうやらその人はあなたの関係者だそうですから代わりにあなたがそのコスト分の授業料払ってくださいって言われたら、どう思うの?」
「ありえないです。」
「しかも、その関係者とやらが、やたら知り合いとやらを引き連れてて、授業料が数人分だったら?」
「もっとあり得ないです。」
「で、もし、その来た人が一緒に写真撮ってインスタにアップしたら自慢になるような有名人だった場合は?」
「お金、払うかもしれません。」
「関係者席に行くって、そういうことじゃないの?」
「え?でも、関係者のチケットって、皆、タダですよね?」
全然、会話が噛み合わない。
「代金徴集の枠が、公演料か、授業料かの違いだと思いますけど?」
見かねた2年生が助け舟を出してくれた。
勝間には伝わらなかったけれど、どうやら他には無事に伝わったようだ。スポンサー枠も、関係者席も、どこかで発生している費用の負担がある。その負担をカバーして御釣りが来る何かがあるとそろばんが弾かれるから、席が特別に用意されるのだ。この資本主義の世の中に、タダのものなぞどんな産業でもありはしない。
「真里谷さんは、それ系チケットがあるって言われても、貰わないんですか? 」
勝間が信じ難いと言いたそうな表情で、逆に小百合に質問を返した。
「行くわけないでしょ。そのチケットを渡す側が、そもそも誰との繋がりがあって、どんな思惑を持って費用を負担しようとしているのか。ちょっとでも想像してみたら自分に期待されることが大体見えて、そんな危ないものには手なんて出せない。」
「うっわぁ、勿体無いー。じゃぁ、知り合い系のチケットでも行かないんですか?だって、タダっすよ。その上に楽屋とかまで行けちゃったりするらしいんですよ?」
「友人枠とか、同業者枠ってこと?基本的に行かないし、本当に友人で事情があって行くなら密やかに目立たないようにが鉄則。当然、きちんと代金払うなり、お花代出すなり、何かしらはするわ。」
小百合は、企業がコストを払っているスポンサー枠は協賛企業が費用を負担していることを理由にまだ大人の事情だと悟るとして、関係者と名乗る集団の席がなかなか理解できないでいる。
おおよその場合、ああいった席はカオスだ。真面目に同志としてその場に居る方々はまだ良い。問題は、その道の同志ではなく、「なんでこの人が関係者席にいるんだろう?」と言わざるを得ない人たち。座っている態度がファンを見下しているんじゃないかと言うほど傲慢で、自分の『関係者』ぶりを鷹揚にアピールをする方々である。場内撮影禁止のアナウンスは華麗にスルーし、開始前にはお決まりのステージとの記念写真撮影。あとは公演中、スマホをいじりたおし、時にはゲームに興じたりしている。この場に何しにきてるんだろう、と問うのは愚の骨頂だ。後日SNS上で、誰々さんのコンサートに行っちゃいました、御好意で楽屋お邪魔しちゃいました的なファンを刺激する行為がもれなく付いてくるから。恐らく、勝間はこの部類だろう。
この関係者アピール組が「関係者タグ」をつけて公演後に楽屋へ行く時の得意満面な顔を見ると、毎回殴ってやろうかと思う。誰だって、貴方を見て育ちました、ずっとファンだったんですけど貴方のお陰でここまでこれました、なんて言われたら、そりゃ嬉しいだろうし、可愛く思うだろう。そこまでたどり着く苦労を知るからこそ、私だって同じような立場でそんなことを後輩に言われたら、親心で招待してしまうような気がする。
けれど、よくよく考えてみると要は「どっかの知り合い」特権だ。もし同じファンだった経験があるなら、同じファン目線を本気で持っているなら、手に入りにくいそのチケットをどう言う思いで手にしたファンがそこに居て、手にできなかったファンがその場外にいるのか、知っているはずだ。本当に尊敬しているなら、本気でファンなら、死ぬ気で学ぶために見たいなら、自力でチケット取ってお金払ってフェアに見に来い、と思うのだ。特に同じ道を行く人間として芸事で稼ぐ大変さを知る人なら 、目の前のステージですべてを懸けた公演後の疲労度を知る人なら尚更のこと、その状態の人たちに楽屋で接待させるなよ、とも。
ただ、これは小百合の理屈であって、実際の『関係者』たちの理屈はまた他にあるんだろう。理解できない。だから、否定をしない代わりに手を出さない。それだけだ。
「さっき、勝間くんは、『特別なルート』だとか口にしてたけど。要はなんらかの立場を使った特権による、利益の享受だよね。公務員がやったら即刻で私欲による収賄とか職権乱用って名付けられる類の。自分がそういう特権を器用に使いこなせるならまだしも、気づいたら自身の存在を巧みに相手に使われてたなんてケースもないわけじゃないし。いろいろな意見があって良いとは思うけど、くれぐれも変な招待枠にひっかかったりしないよう気をつけた方がいいよ。人生丸ごと棒に振り兼ねない。」
小百合は再び仕事へ戻るため端末へと視線を戻しつつ、最後のダメ押しの一言を告げた。
「ということで、エトワール学院の文化祭ももちろん、今年もご招待出来ません。」
小百合の母校は伝統的に、受験希望を事前に出した受験生が保護者同伴の形式か、生徒あるいは卒業生から招待され学院に申請を得る形式でしか文化祭に入ることができない。もちろん、生徒を守るためだ。以前はもっと気軽なチケット制だったのだが、オークションサイトで法外な金額でやり取りされたり、チケットを偽造して不法侵入したり、さらには運よく入れた男性グループによる潜入レポートと称した悪質なネット動画が拡散されて問題化し、許可申請制度になってしまったのだ。
「えっ。。。。」
先手を打たれるとは想像していなかったのだろう。勝間の歪んだ表情には、悔しさと言うより動揺が広がっていた。
「勝間さんって、頭悪かったんですね。」
言葉に詰まった勝間に、思いも寄らないポツンと呟かれた後輩の一言で、皆が吹き出した。
勝間本人だけが笑われた理由がわかっていないようで、そんなことないです普通ですと釈然としない表情をするだけだ。小百合が勝間の表情に感じたなんとなくの違和感は、皆の笑い声や生徒対応で忙しくするうちに霧散して行った。その後、この時のことを深く考えることになろうとはこの時は思いもよらなかったのだが、現実とは往々にしてそういうものなんだろう。




