鏡よ、鏡、鏡さん。(1)
「あ、そこ、崩れるから。今日配る資料の山に手持ちの端末を当てないで!」
「あ、先輩、すみません。」
「当てないで、じゃなく、私は当たったのだけど!!!生きてて良かったぁ。。!!!」
異常なほど弾ける、女王の笑顔。
「?!?!?」
業務中に珍しく私事で恵叶がはしゃいで支離滅裂状態になっている。この夏休み期間に行われる大好きなバンドが出るフェスのチケット抽選で、無事に当選したのだ。フェスとしての前評判が異様に高く、落選必至と言われる激戦が予想されたため、恵叶はチューターの仲間に協力を仰いで人海戦術で抽選に挑んでいた。そして、まさに今日と言う当落発表日を迎え、無事になんとか手にできることを知ったわけである。あれだけ申し込んだのに、恵叶自身と小百合のきっかり2名分だけ当たった、というのが如何に難関だったかを物語っている。
「恵叶さん、今日はご機嫌ですね。」
水曜シフトの誰もが微笑ましく恵叶を眺めていると、後輩から声があがった。
「恵叶さんの狂いっぷりは有名なんで皆知ってますけど。りっちゃんって、お目当てで行くバンドとかあるんですか?誰の音楽が好きとか、聞いたことない気がするんですけど。」
「あー。私が好きな人たちは、今、活動休止期間中なんだよねー。」
恵叶の幸せいっぱいの気分に水を差さないように、小さな声で小百合は答えた。
「停止期間中?え?じゃぁ、寂しくないですか?」
「んー。確かに今回のフェスはケイトの付き添い?お世話係?な要素が強いけど。それでも、かなり楽しみよ。」
「早く活動再開するといいですね、、、ってそうでもないんですか?」
顔を曇らせた小百合に、後輩は驚いたように問いかけた。
「正直、微妙かなぁ。メンバー全員が納得の上で再開してくれるならウェルカムだし、そりゃ、再開の一報が走ったらすっごい狂喜乱舞するとは思うんだけど。、、、彼らが活動休止期間中だから、今の自分がある気がしなくもないの。」
「はい?」
「だよねー。そういう反応になるよねー。」
笑って小百合は答えると、浮かれている恵叶に代わって号令をかけた。
「さてさて、お喋りはこのくらいにして、皆、時間が来たから早く教室に上がろ。ケイトはお願いだから、そろそろテンション抑え気味にね。」
「こんにちっはー。ちゃんと出席チェックしてってねー、え?あの3人って今日お休み?体育祭の準備?文化祭?わっかりました。来週は来るのね?他の曜日で出られそう?補講の手配ってなんか聞いてる?」
少しずつ緊張度を上げていくよう導いている土曜日の高校3年生のクラスと違って、水曜日の高校2年生のクラスは「元気いっぱい」の雰囲気を目指している。と言うのも、ここで思いっきり高校生活を楽しんで欲しいからだ。高校2年生の今のうちに、学校行事のほぼ全てを燃え尽きるほどやり尽くして体力と心を整えてもらえれば、高校3年生の時に学校と受験の両立のバランスが撮りやすくなり、受験生へと仕上がる過程で出てくる余計な迷いが消えたり、然るべき時に踏ん張れたりするのではと小百合は感じている。「あぁ、高校2年生のあの時これをあやっておけば良かったな」というのを、高校3年時に思わせないのが大事なのではないだろうか。
『とにかく楽しいクラス』だと生徒に感じてもらえるよう、チューターとしても「頼り甲斐があると感じてもらう」ことよりも、「身近に感じてもらえる」ことを小百合は目指している。例えば、生徒の輪の中に入れるように心がけているから、小百合の水曜日のヒールは5cmがマックス。これは、生徒の目線を上げすぎないための工夫だ。多分、誰も気付かないだろうけれど、そういった細部まで考えて役割を演出すると、より自分を「りっちゃん」へチューニングがしやすくなるような気がしている。
「あ、このあいだ教えて貰ったあのリップ、やっと買えたよ。あれどこで見つけたの?えーっ、その雑誌はさすがに私、読まないわぁ。私が読んでたら、痛くない?」、「ちょっと、待って。そこに部活道具置いちゃうと、誰も通れないよ。私、転んじゃう自信あるんだけど!」
笑い声を誘い、賑やかなまま授業に突入させるのも、高校2年生ならでは。
「ほらー。授業がそろそろ始まるよー。と言うか、時間ギリギリよー。席着いてー!」
チャイムと同時に教室を飛び出して、担当の先生に頭を下げる。
明るく賑やかな高校生の声と扉が閉まる音で廊下に呼びこまれた静寂との対比に、自然と先程の教務室での会話が思い出された。
大好きなバンドが活動休止中であることにどこか感謝と安堵を感じるだなんて口にしたら、言い訳する間も無く秒で炎上か袋叩きコース一直線だろう。
小百合の大好きなバンドは、数年前に、突如、活動休止になった。好きで好きで好きすぎて、好きを通り越して依存するほど心の拠り所にしていた分、あの時は事実を受け入れることができなくて、心が暴力的に暗闇に放り出されたようだった。
昔とは違って電子音源化のおかげで、いつでもどこでも手持ちのスマホから変わらずに響く音色。ネットを通していつでも変わらずに眺めることができてしまう彼らの姿。手元に収まる範囲でも充分なほど身近に感じてしまえる膨大な彼らの生きた姿と、そこにこれからの未来は生まれないことが、余計に事実と感情の乖離を生むねじれ。ぽっかりと空いた心の穴が、穴でないような微妙な浮遊感の中、「大学生になったらできること」、「20歳を超えたらできること」と夢見ていた少し先の未来が、一瞬で漆黒の闇色に塗り替えられてしまった。絶望的という言葉が軽くさえ感じる思いを強くすることに拍車をかけたのは、小百合自身に後悔があると自覚していたこともにもあったのだと思う。
まだ彼らが活動をしてくれていた当時、年齢による門限や祖父母との対立を理由に、行こうと思えば行けたライブへ参戦していなかった。もう少しの苦労や努力で手が届いたはずの未来と、自分への言い訳を重ねることで時間の経過と共に自然と手に入る安易な未来とを天秤にかけて、未来へ先送りした。その結果、夢見た未来と現在の情熱の両方が行く先を失ったのだ。御多分に洩れず、そのままズルズルと後悔やわだかまりを受け入れられずに人のせいにして、有り余る熱をぶつける先を探して、俗な言い方をすると小百合は荒れに荒れた。
自戒のために、小百合はあの日々を黒歴史と名付けて隠すことはしない。そんな毎日でも、学んだことや出会いがなかったわけではない。むしろ、そこでこれまでの毎日にないことを得たような気さえする。だから、外から見れば荒んでいたあの日々をまるごと否定してしまうのは、その環境でも周りにいてくれた人たちや、そこで学んだことまで否定してしまうようで、違う気がしたのだ。
泣こうが喚こうが後悔しようが人を呪おうが、今ここにある現実は一切変わらない。それどころか、非情にも、望んでもいない状態の明日は簡単に自分を迎えに来てしまう。消えないままの苛立ちを無理に押し込めることもできないまま引き摺られるようにして、恵叶がライフワークだと熱を上げるアーティストを彼女と一緒に見る度に、突きつけられる現実を前に何か探さなくてはと焦っていた頃。小百合が向き合ったことの1つが、大学生になって始めたチューター業務だった。これまでと全く違う人たちと知り合いになり、チューターを通して生徒に過去の自分を重ね、自身の体験を第三者の立場で客観的に見ざるを得なくなった。いわば、小百合にとって消化作業だったのかもしれない。
そして、チューターの役割の形が自分なりに見えてきた頃、なんとなく気づいてしまったのだ。
もし大好きな彼らが活動を中断することなく今も音楽活動を続けていたら、小百合は間違いなくチューターとしてこの場所にいない。大学生という人生のモラトリアムを謳歌しつつ、彼らのツアーやライブを追いかけることが第一で、きっとそれだけになってしまった気がする。小百合の生きる理由が、彼らになることで得られる何かもあるんだとは思う。けれど、それは同時に、足掻いて努力して積み重ねてやっと小百合自身で出来ることだと胸を張れるようになり始めた『りっちゃん』という存在が誕生することがなかったことを意味するかもしれない。「りっちゃん」を通じて得てきた強さ、ある意味自分の判断基準とも言える芯のようなものがないままの小百合自身なぞ、今や想像できないほどなのに。
「あのバンドを好きな小百合」が、やっと見つけられたあの当時の唯一の小百合自身だった。もし、縋るような気持ちで彼らを見つめていた当時のままの自分ならば。『辛い時も彼らがいれば大丈夫』というポジティブな思いは、時間の経過とともに『彼らさえいれば他はどうでもいい』という投げ遣りにも似た依存にすり替わってしまう可能性はなかっただろうか。大好きなはずの音楽を、本来必要なものを得る努力を怠っていい逃げの理由にしてしまうのは、大好きなバンドも彼らの音楽も、望んではいないのではないか。
無論、今すぐ、再び彼らに会えるものなら会いたい。聴けるものなら、生の彼らの音を聴きたい。その思いは変わらない。けれど、彼らがいない今だから、自分自身に向き合って自分自身を作る作業を必死で行なっている。そんな気もしてならない。
各教室から講師の声が漏れ聞こえる校舎の窓ガラスに映った自分の姿を見つけ、小百合は思う。生徒としてここにいた時と、全く異なる表情の、今の自分。今ここに映る小百合は、何を糧に、どうできてきたのか。奇妙で皮肉なジレンマの果てに得た姿は、決して悪いものじゃないように思えた。




