私、成功しかしないので(1)
1、2、3、4、、、、、5、6、7、8、、、、頭の中でカウントを取り続けると、手足が音からわずかに遅れる。音に手足を意識しすぎると、カウントが何処かに行ってしまう。だから、無の境地でカウントを取りながら、手足を動かしてみる。と、今度はただの機械仕掛けのようで楽しくなくなってしまう。馬鹿の1つ覚えのように同じことを繰り返しているのに、何1つ同じ瞬間などない。
踊っている時間、小百合は何もかもから解放された気持ちになる。面倒な家のことも、明日までに仕上げなくちゃいけない大学の課題も、次の会議までにどうにかしなくちゃいけない資料も、全てがなんてことない瑣末なことに思えるのだ。インストラクターの動きに合わせ、鏡で自分の動きを確認しながら、爆音で刻まれるリズムに身を委ねる。ただただ、体に染み込ませるように動きを繰り返すこの瞬間、湧き上がるのは小百合はただの小百合でしかないという絶望に似た希望。自分の身1つしか無いという、心許ない快感。
初めて踊った日のことを、小百合は今でも鮮明に覚えている。あの日、特に目的もなく、なんでこういうクラスがあるんだろうなと冷やかし半分で、逃げ場を探しにこっそり見学をと気配を消して訪れたジムのレッスン。インストラクターに言われるがままに、同じように踊ってみたつもりだった。なんてことないように繰り広げられる流れるような動きに、「こんなこと」とさえ思って、体を動かした。
鏡に映ったのは、頭で描いていたようにインストラクターの動きを余裕で優雅にコピーした自分では無かった。控え目に言って、ゴキブリが断末魔の悲鳴をあげながら手をジタバタさせているような悲惨な姿だった。
恥ずかしいことに鏡のそれを自分だと認識するまでに、時間がかかった。足の位置や肩の動きを指摘された時に素直に指示を受けて修正するまでにも、やはり時間がかかった。そのかかった時間こそが、まさに「自分が何かができるようになっている」と知らずのうちにどこかで奢っていた結果なのではないかと気づき、愕然とした。
そこからだ。小百合が何かに取り憑かれたようにレッスンを開始して踊るようになったのは。空き時間を強引に作り出しては、家の誰にも悟らせないようせっせとジムに通う日々。念のために「さゆ」と愛称を名乗った。クラスに友達が徐々にでき、先生に動きを質問できるようになり。まだまだ拙いけれど、当初に比べたら少しはマシになってきた気はすると思い始めた途端に、終わりを告げた夢のようだった時間。
きっとあのまま色んな人とチームを組んでダンスの発表会みたいなものに出るようになったらもっと楽しかったのかもしれない。が、今の小百合に可能なのは、あくまでこのレッスンまで。それでも、踊ることをまず許され、建物の一部を改造して月曜から金曜まで絶えずたくさんのインストラクターの先生に師事を頂けることと引き換えだと思えば、絶望するようなほどのことでもない。何かを得れば、何かを失う。刹那すぎる考えかもしれないが、一方的に何かを失うのではなく、何かを得るための道を選べただけ状況は良いのだとも思うことにしている。
「今日もありがとうございました。」
レッスンの終わりに、次までの課題や修正すべきポイントなどをおさらいして、お礼を言う。この一気に現実に引き戻される時間が、なんとも切ない。けれど、このちょっとした自身への物足りなさが、踊ることを長続きさせてくれているのだとも小百合は思う。きっとある程度踊れるようになって、注がれる視線にお追従の「満足」が見えてしまったら、小百合自身の性格的にもう二度と踊ることはなくなってしまうのだろう。だから、レッスンでも一切の「変な気遣い」はしないで欲しいとお願いしたくらいだ。できていないことは、誰の目から見ても、できていない。事実はちゃんと認識していたい。
レッスン室を飛び出すと、そのまま併設しているシャワー室で冷たい水を浴びて、徐々に頭と体をクールダウンをさせていく。いつもの柔らかい香りのバスタオルに包まれて、昔、恵叶にうるさく注意を受けたスキンケアを丁寧にこなし、最後の名残惜しさを振り切る。さぁ、溜まった課題でもやるかと思って自室に戻った途端、スマホが震えた。
何気なく視線を向けると、ストーカーを連想させそうな数の着信履歴が画面を埋め尽くす様にぎょっとする。全て、同一の発信元。全く予想だにしなかった、バイト先からである。まだチューター業務の始業時間には程遠い。誰か風邪でも引いて、人手不足なんだろうか。多分、まだ夏観さんが出社してまだ15分くらいのはず。申し訳ないけれど、今日は正直、チューター業務にも事務バイトにも余程な状況じゃ無い限り入りたく無い曜日だから、勧誘でも断ろう。それにしては尋常じゃない着信回数だなぁと、小百合はのんびり通話ボタンを押す。
「もしもし、りっちゃん?夏観だけど。。。今、ちょっと時間良い?」
「はい、真里谷です。あ、はい、今は、大丈夫ですけど。」
「やっと、、、やっと繋がったよ、もう。このまま繋がらなかったらどうしようかと。」
「、、、?」
「かなり混み言ってるので、、、まずは完結に質問2つ。良い?」
「あ、はい、どうぞ。」
「1つ目、今、アキ様と連絡ついたりしない?2つ目、今日、これから月曜夜シフトの時間、来校できる?バイト代は、出せないんだけど。」
職員の中では比較的機嫌がフラットで、どんな感情も飲み込み柔和さを保っていると評判のいつもの夏観からかけ離れた、強張った声。
「あの、思いっきり意味不明なんですけど?」
それだけでは答えられない、と遠回しに伝える。普通なら、こう言った場合は、何の気なしに素直に質問に答えるのかもしれない。けれど、小百合だから答えてはいけない可能性があるのだ。
「意味不明だとは思うが、回答が欲しい。」
彼の声に今、得体の知れない緊張感が走っている。少しの間考えると、小百合は口を開いた。同僚のことを同僚として答えるのならば、問題ないだろう。
「暁史は月曜のこの時間は大学のラボのシフトなので、携帯が強制的にオフで電話応対はできないと思います。それでもいつも通り、ちゃんと今日のシフト時間には来ると思います。私は、理由によっては伺いますけど、、、月曜は正直に申し上げて積極的に顔を出したい曜日ではないので遠慮していいですかね。」
「そうか。。。ちなみにリーダーと恵叶には、来てもらう事になってる。」
「えっと?どういうことでしょうか、、、、、、、?」
夏観が、一拍の後に改まった。職員の夏観ではなく、小百合が聴き慣れた、訓練をある程度受けた者特有の声で。
「お手数をおかけしてしまい大変申し訳ありません。本日、お力添えを内々に賜りたく存じます。」
ついに何かが起きた。そう言えば、そのための夏観だったはず。それを今、小百合は思い出し、嫌々ながら理解した。




