さくらの花
これから、高校3年生になるあなたへ。
今、まさに高校3年生のあなたへ。
そして、あの日、高校3年生だったあなたへ。
元気にしていますか?
あの日々は、今のあなたの支えになっていますか?
サクラサク、サクラチル、サクラサク、サクラチル。桜、咲け!
それは、悲鳴のような祈り。切なくて苦しくなるような願い。
春が寝過ごして、うっかり夏まで駆け抜けてしまったのだろうか。先日までの凍てつく寒さは何処へやら、まだ3月下旬だというのにちょっと動くだけでじっとり汗ばんでしまう。昨年よりも更に生き急ぐように咲き始めた桜は、早くもその身を風に踊らせて、誰が一番自らを遠くへ飛ばせるのか競い合っている。遠く、もっと遠くへ。高く、もっと高くへ。この一瞬に全てを込めて狂い咲き、刹那に散る。確かに、美しい。
「りっちゃん、大好き!付き合ってー!」
弾けるような笑顔で5人組の男子が、天下を取ったようにはしゃいでいる。そう狭くないはずの校舎1階エントランス前の大きなスペースも、賑やかな男子高校生以上大学生未満が5人ともなれば人が通るのを躊躇うほどになる。
「ほら、そこ、人が通れなくなるでしょ!」
少年特有のあどけなさを残しながらも、大人になりかけていて大人ではないが故の無敵さが、ズルくなった大人ならためらう言葉も平気で口にさせるのだろう。無邪気って怖いなぁと思いながら、お決まりのセリフで応える。
「大学入って3ヶ月して、おんなじことが言えたらもう一度話くらい聞いてあげよう。」
「え、ちょっと、何ソレー。せっかく頑張ったのに、ご褒美ないのー?」
心外だと言わんばかりの生意気な口調なのにどこかほっとしたような表情を見せる彼らは、それでも勢いに任せて言葉を紡いでいく。
「えぇえぇえ。ソレはないんじゃないっすか。コイツ、結構、真剣に好きだと思いますよ?」
「1回でいいから、デートしてあげてよー。俺たちも保護者としてちゃーんとついていくから。」
「え、付いてくんの?ついてきたら、デートじゃなくなっちゃうじゃん。。。」
「りっちゃん、書き終わったぁ。これでいい?」
軽い口調とは裏腹にお願いされたことにはきちんと応えてくれる彼らに、この素直さを失って欲しくないと思ってしまう。
「うん。これでオッケー、完璧です。そこ!はーぃはぃはい。今日は他にも来校者いっぱいいるんだから、騒がないの!メッセージは書き終わった?書き終わったら、教室は201号!すでに皆いるから、早く行ってね?」
サクラサク、サクラサク。桜咲くこの季節の、風物詩。この日の笑顔を夢見て待ち焦がれたのは、本人たちだけじゃない。桜を象った1ひら1ひらの花びらには、一人一人の名前と大学名と喜びのメッセージが本人の手で刻まれている。恋い焦がれた努力の結晶たち。つまり、大学受験に挑み、「桜が咲きました」と叶った証だ。毎年、同じように予備校の壁一面に彩りを添えるこの花弁だけれど、毎年、何1つ同じものはない。1枚1枚の花弁全てが、それぞれ全く異なる物語を持っている。
箸が転げても笑えるというのを体現したような賑やかさの塊が、合格祝賀会の開催されている教室へ吸い込まれていくのを見届け、ほっと胸をなでおろしたのも束の間、突然吹き込んできた暖かい風が、所狭しと咲き誇る桜の花びらたちを撫でて行った。
サクラX X、サクラX X。それは、確かに今は言葉にするのを躊躇う現実。風を前触れに、開いた校舎の扉から新たな数名が校舎への扉に手をかけ入ってくる。数名は死地へ赴くような悲壮な表情で、また他の数名は外界から全ての雑音を遮断するような虚無の表情を浮かべて、一人で、あるいはご家族とともに。
「こんにちは。」
努めて明るく声をかけても、こちらを見ようともしない頑なな態度。「そんなに思い詰めないでいいのに」と思えるのは、自分にとっては通り過ぎた過去だからだろうか。
ふと、先ほど目にした担当クラスの生徒名簿が、脳裏をちらつく。空白の欄が、つまり、大学の合否状況の連絡待ちとなった生徒が8人分。 連絡をくれた生徒は、確率にして91.75%。十分に高確率だといって差し支えない状況にある。けれど、膨らんでいく思いは「なぜ」「どうして」ばかり。97人、1年間かけて確かに向き合ったのだというどこかにあったはずの自負が、あるいは傲慢さが、粉々になっていく。向き合えたと思っていたのは、自分ばかりだったのだろうか。伝えたかったことが、8人もの人に届かなかった。「全員」に届けたいというのは、愚かな願いなのか。うっかり口にしてしまった疑問は、「りっちゃん、あの人数で連絡率が100%に到達したら、もはや宗教だからね」と、柔らかな声で横から一笑に付された。
明日から、また冬の寒さにちょっとだけ戻るらしい。お花見の日程がどうの、と誰かが騒いでいる。季節さえこんなに境界線が曖昧なんだから、人間だって物事を無理に白黒つけなくていいんじゃないかと思う。逃げずに現実に目を向けることは確かに大事だ。だけど、この一瞬のたった1つの結果だけで、自分のこれまでや、これからまでも、決めつけてしまわないで欲しいと思うのだ。どんな現実であっても、その1つだけで成り立つ人生なんてないはずだ。幾つもの現実の積み重ねだと、伝えたかったのに。
伝えたいことを伝えるのに、何かがまだ足りない。何が、どう足りない。違う、自分は、どう在りたいんだ。名簿の真っ白な空欄が、まるで答えを見つけられていないことを嗤う挑戦状のように頭から離れない。
壁一面に踊る、桜たち。わずかな期間だけ、そこにある桜たち。一体なんという残酷な美しさなんだろう。