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非日常なスクールライフ〜ようこそ魔術部へ〜  作者: 波羅月
第4章  夏色溢れる林間学校
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第89話『雨宿り』

 

「うわぁぁぁ!!!!」



 重力に従い、雨と共に晴登と優菜の身体はドンドンと地に向かって落ちていく。内蔵が浮く感覚を味わい、気持ち悪さを感じた。


 最悪だ。まさか崖から落ちる羽目になるなんて。見渡す限り森林で隠れていて正確には測れないが、地面まではかなりの距離がある。バンジージャンプで飛ぶのも願い下げな高さだ。このまま落ちれば、当然即死は免れない。



「させるかよ……!」



 晴登は右手で掴んでいた優菜の手を引き寄せ、左腕で抱き抱える。どうやら彼女は気絶してしまったらしく、何の反応も見せない。好都合だ。その方が動きやすい。


 常人ならば、この高さはどうしようもできまい。待ち受けている死を、間もなく来たる終わりを受け入れるくらいしか。

 だが、晴登は魔術師だ。2人とも助かる方法を、一応持ち合わせている。


 ──やるしか、ない。



「くそっ、まだ高い……!」



 晴登は右手を地面に向かってかざし、いつでも魔術を放てるよう準備する。この高さを飛び降りたことはないが、着地の要領はいつもと変わらないはず。ただ少し、勢いが強いだけだ。



「……ここだ!」



 森林が目前に迫った時、晴登は掌から怒涛の暴風を放った。着地するに当たって、この木々は邪魔でしかない。だからまず、ここに風穴を空ける。



「はぁぁぁ!!!!」



 手加減はしない。本気も本気だ。全力で"鎌鼬"を叩き込む。枝の1本、葉の1枚すら残さない。完全な生存ルートをここに創り出す。


 こんな理不尽な死に方、納得できるものか。運命を、この手で覆すのだ。



「あぁぁぁぁ!!!!」



 地面が見えた。本来は着地に当たって風量を微調節するところだが、高空からの人間2人の自由落下だ。その勢いは並大抵なものではない。器用に調節する余裕なんてなかった。



「頼む、止まってくれぇぇぇ!!!!」



 猛スピードで走る車が急ブレーキをかけたとて、すぐに止まる訳ではない。それと同じだ。晴登の風は地面に直撃して、反作用の力で勢いこそ弱まっているが、まだ落下が停止してはいない。このままいけば頭から地面に落ちて、やはり即死ルートだ。



「うおぉぉぉ!!!!」



 地面にぶつからない。それだけを考えて、ありったけの風を放つ。さっきから急激に魔力を消費したせいか、右腕から先がだんだんと痺れてきたが……構うものか。


 絶対に優菜を助け、そして自分も助かってやる。



 地面まで残り3m、2m、1m、そして──







「嘘……優菜ちゃん……」


「晴登……」


「そんな……」



 奈落を見下ろしながら、絶望に暮れる莉奈と大地と狐太郎。何せ、不幸にも友達がかなりの高さの崖から落ちてしまったのだ。最悪の事態が頭を過ぎってしまうのも無理はない。



「ハルト! ハルト!」


「落ち着け結月! お前まで取り乱してどうする!」


「でもハルトが!」


「あいつならきっと大丈夫だ。確かにお前ならこの崖も平気かもしれないが、ここで行ってもこいつらを混乱させちまう」


「う……」



 蓮は冷静に事態を把握し、崖を降りようと早まる結月を留まらせる。晴登は風の魔術師。なら、生きている可能性もまだ残されているというもの。



「ひとまず、先生たちに知らせる。けど、この大雨で全員が動くのはかえって危険だ。だから結月、そっちに行ってくれるか?」


「おい待てよ、結月ちゃんを1人で行かせる方が危ないだろ! 俺が……」


「大丈夫だよダイチ。ボクが行く」


「……っ」



 蓮の提案に大地が食ってかかるが、結月自身がそれを止めた。その真剣な表情を見て、大地は言葉に詰まる。



「いいか結月、"全力"で麓まで戻るんだ。それか旅館でもいい。とにかく大人を三浦たちの元へ向かわせるんだ」


「うん、わかった」


「……あと、くれぐれも人目には気をつけろ」


「もちろん」



 「全力」を強調して、蓮は結月に指示を出す。そしてその意図に気づいたのか、結月は力強く頷いた。蓮の思いつく限り、今はこれが最善手だ。



「それじゃ、行ってくる!」


「気をつけて、結月ちゃん!」


「うん!」



 莉奈に手を振り返しながら、結月は山道を駆け下りていく。




 そして、誰の視界にも映らなくなったであろう瞬間、結月の足元から冷気が溢れ出した。



「待ってて、ハルト」



 たちまち地面は氷結していき、結月はその氷の上を滑り始めた。山下りなら、こっちの方が走るよりも何倍も速い。これが蓮の意図だ。

 もちろん、氷はすぐ溶けるように配慮している。雨の中ならば目立つこともない。


 山道を滑り下り、時には森の中を突っ切って、結月は直線的に麓を目指す。雨に打たれようが、枝が頬を掠めようが構わない。晴登を助けるためなら、何だってやってやる。



「──絶対に助けるから」







「う、ん……?」


「あ、目覚めたんですか三浦君! 良かったぁ……」


「戸部さん……? ここは……?」


「近くにあった洞窟です。雨宿りするために入ったんです」



 目を覚ますと、晴登の顔を心配そうに覗き込む優菜の顔が見えた。そして彼女の私物なのか、身体にはタオルがかけられている。いつの間に寝てしまっていたのだろうか。まだスタンプラリーの途中だというのに。

 石の硬い感触を背中に感じながら、晴登は身体を──起こせなかった。



「あ、あれ? 力が入らない……?」


「無理をしちゃダメですよ。まだ寝ていて下さい」


「えっと、何でこうなったんだっけ……?」


「覚えてないんですか? また、私が助けられたんですよ」


「あっ……!」



 優菜の言葉を聞いて、晴登はようやく先程の顛末を思い出す。


 確かスタンプラリーの途中で大雨が降って、崖から足を踏み外した優菜を助けようと一緒に落ち、そして地面に当たる寸前で何とか風で落下の軌道を横にずらして、転がるように着地したのだった。

 その後のことはよく覚えていないのだが、恐らく魔力切れで気絶したのだろう。それで先に目覚めた優菜が洞窟を探し、晴登を運び込んだ、といったところか。



「最後ださいな俺……」


「そんなことありませんよ! 三浦君がいなかったら、そもそも私は助かってなかったでしょうし……。以前熊に襲われた時もですけど、やっぱり三浦君は私の命の恩人ですよ。感謝してもしきれません」


「そ、そんなこと……」



 ない、とまでは言い切れない。だって実際助けたのだから。でも、面と向かって命の恩人呼ばわりされるのは、かなり恥ずかしい。

 まして相手が学年屈指の美少女ともなれば、なおさら意識してしまう。というか、雨に濡れたせいで服とか直視できない状況なんだが……。



「どうしたんですか? 顔が赤いですけど……?」


「い、いや何でもないよ! 雨に濡れたし、熱でもあるのかな〜なんて!」


「それなら大変です! おでこ失礼しますね」


「あっ……」



 優菜の柔らかい手が晴登のおでこに当てられる。雨で冷えたとはいえ、結月と比べるとやはり温かい。なんだか新鮮な気持ちだ。



「確かに、少し熱いような気も……」


「たぶん休めば良くなるよ! 心配かけてごめんね!」


「いえ、ゆっくり休んで下さいね」



 そこで会話は一旦途切れる。優菜は晴登の体調に配慮しているのだろうが、ごめんなさい仮病なんです。だからすごく気まずい。



「皆も心配してるよね……」


「そうですね……。あの高さから落ちて生きてるなんて、正直今でも信じられません。早く戻って、安心させないとですね」


「ごめん、俺がこんな状態なばっかりに……」


「いえいえ! 三浦君が元気になってから動きましょう」



 何とか会話を続けようと晴登は話題を振るも、これはさすがに雑だった。優菜に気を遣わせてどうする。もっと別の話題をだな……



「あの……1つ訊いてもいいですか?」


「うん? いいけど……」



 そう考えていた時、優菜の方から声をかけてくる。訊きたいことか……何だろう。



「結月ちゃんとは、本当はどこで出会ったのですか? ホームステイって話は嘘ですよね?」


「え!? な、何を言ってるのかな……?」



 あまりに脈絡のない質問だが、晴登は困惑するより先に狼狽える。なぜそのことを知っているのだ。魔術部以外は知らないはずなのに。



「彼女、三浦君と一緒に魔術部に所属していると聞きました。でもいくら三浦君に懐いているとはいえ、あの部活に簡単に入部するとは思えないんです。何か、事情があるんじゃないんですか?」


「……っ」



 鋭い。まさかそこに目をつけるなんて。

 優菜には以前、魔術のことを話したと終夜から聞いた。だからこそ彼女は、もし結月が本当にホームステイしているだけの外国人だとすれば、謎だらけの魔術部に入るとは思えないし、そもそも晴登が伝えるとも思えなかったのだろう。



「大丈夫です。言いふらしたりしませんよ」


「もう見抜かれてるってことね……。わかった、戸部さんには話すよ。実は──」



 乗りかかった船だ。彼女には知る権利がある。晴登は結月と出会った経緯を一から話すことにした。


 異世界に行って、氷の魔法を操る彼女に出会ったこと。そこで危険な目にあったこと。誤って彼女を現実世界に連れて来てしまったこと。念のため鬼関係のことは伏せたが、それ以外のことはありのままに伝えた。



「そんなことがあったんですね……」


「話しといて何だけど、信じてくれるの?」


「にわかに信じ難い不思議な話ですけど、でもそんな私の知らない世界があるってことは、既にこの目で見ていますから。それに、三浦君が嘘をつく理由もありません」


「そりゃそうだ」



 晴登は軽く笑みを零した。何だか、肩の荷が降りた気がする。

 どんなに小さなことでも、人に話せない隠し事は持っているだけで息苦しさを生むものだ。だからこんな風に魔術のことを皆に話して、そして信じて貰えたら、もっと気を張らずに生活できるようになるんだろうか。



「なら、私の方が先だったのに……」


「え、何?」


「いえ、何でもありません。話してくれてありがとうございました。ずっと気になっていたので」


「あ、うん。どういたしまして」



 優菜が何かを呟いた気がしたが、声が小さくてよく聞こえなかった。何と言ったのだろう。……考えても無駄か。


 それよりも、そろそろここからどうやって帰るかを考えたい。話して時間を潰すのもいいが、帰る手段がないままなのはマズいだろう。

 とはいえ、今どこにいるのかわからないのだから、当然帰り道もわからない。そもそもスタンプラリーの範囲に入ってるかも疑わしい。せめて落ちてきた場所がわかればいいのだが、地図なんてものは持ち合わせておらず、持っているのは雨でずぶ濡れになったスタンプラリーの用紙のみ……



「あ、濡れてる!? どうしよう戸部さんこれ?!」


「そこまで濡れてしまってはどうしようもできませんね……。スタンプラリーは諦めるしかないようです」


「そっか……。確かに、崖から落ちてる時点で続行なんてできないしね」


「ごめんなさい、私のせいで……」


「あ、いや、責めてる訳じゃないよ! スタンプラリーなんかより、戸部さんの無事の方が大事だしさ」


「……ありがとうございます」



 スタンプラリーをリタイアすることになるのはちょっぴり残念だけど、背に腹は代えられないというもの。優勝賞品は気になるが、今回は諦めるしかない。



「……あの、唐突ですけど1つお願いしてもいいですか?」


「何?」


「その……晴登君って呼んでもいいですか?」


「ホントにいきなりだね!? 別にいいけど……」



 優菜はもじもじとしながら、それでいてハッキリと言った。いきなりの提案に、晴登は驚きながらも承諾する。にしても、どうしてこのタイミングに……?



「もっと、晴登君と仲良くなりたいんです」


「そ、そっか。うん、俺も戸部さんと仲良くしていきたいかな──」


「優菜」


「え?」


「私は晴登君って呼びますから、晴登君も私のことを優菜って呼んでください」


「えぇ!?」



 何てことだ。確かに仲良くなるに当たって名前呼びは効果的と言うが、相手が女子なら男子にとってそのハードルは高い。莉奈や結月は自然とそうなっていたが、こうして改まって言い直すのは照れくさいというもの。加えて晴登のことを名前で呼んでくれる人はあまりいないから、呼ばれるのも余計にくすぐったく感じてしまう。



「えっと……優菜、さん……」


「それなら、ちゃん付けの方が仲良さそうじゃないですか?」


「えぇ!? じゃあ……優菜、ちゃん……」


「はい、ありがとうございます、晴登君」



 恥ずかしい。今絶対耳まで赤くなってる。女子をちゃん付けで、しかも名前で呼ぶなんて何年ぶりだろう。昔はコミュ障で、女子と話すことすらロクにしてなかった訳だし、余計に緊張してしまう。



「そういえば、身体の調子はどうですか?」


「そ、そうだね。かなり回復してきたかな」



 唐突な話題変換に戸惑いつつも、晴登はもう身体を起こせることに気づいた。まだ倦怠感は残っているが、歩くこともできそうだ。



「ではそろそろ移動しましょうか。雨も止んできたようですし」


「ここで待ってたら助けが来ないかな?」


「恐らく皆が救助を呼んでくれているとは思いますが、辺りは森ですし、開けた場所に出た方が見つけて貰いやすいかもしれません」


「なるほど」



 優菜の意見に納得し、晴登はタオルを彼女に返して立ち上がる。崖の上から見た感じ、ここら一帯は森林だったはずだが、それでも行くしかない。



「準備はいい? 戸部さ──」


「……」


「優菜、ちゃん……」


「はい、大丈夫です」



 ……何だろう、凄くやりにくい。


 戸惑う晴登とは対照的に、優菜は満足そうに微笑んだ。



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