第72話『昏き雷鳴』
「"夜雷"──解放」
その瞬間、終夜の身体から大量の黒雷が迸る。それらは縦横無尽に宙を駆け、周囲の草も木も全てあっという間に焦がし尽くした。緑豊かだった草原は更地へと変わり、残されたのはウィズと烏天狗、そして黒々とした"何か"を、使えなくなっていた左腕に纏った終夜だ。
「そ、それが貴方の真の力かしら?」
「あぁ……そうだな。久しぶりに使ってみたが、やっぱり慣れねぇな……。気抜いたら暴走しちまいそうだ……」
焦りを垣間見せるウィズの問いに、全身を震わせながら終夜は答えた。
そう、これが"夜雷"の真骨頂、『夜間に強化される』というものだ。昼間と比べ、夜間の"夜雷"の威力は何倍にも高まる。しかしそれ故に代償も大きく、夜間に使い続ければ、次第に身体が雷に侵食され、焼かれていってしまうのだ。
「……やりなさい!」
『キエーッ!』
僅かな躊躇いの後、ウィズは烏天狗に攻撃を指示する。直後、空を旋回していた烏天狗は手に持った団扇を大きく振るい、竜巻を起こした。それは大地を抉る程の威力で、終夜の元へ真っ直ぐに向かってくる。しかし、
「……悪いな」
『キ、エ……!』
「嘘……!?」
巻き込まれたら一溜りもないだろう竜巻を、なんと終夜は雷によって一瞬で霧散させ、加えて烏天狗の団扇を持つ右腕をも破裂させた。烏天狗は情けなく喘ぎながら、切断面から血をまき散らして堕ちていく。
余りの威力に、ウィズは開いた口が塞がらなかった。
「なんて威力……!?」
「おかげで制御はあんまり効かねぇぞ。怪我したくなけりゃ、大人しく尻尾巻いて帰りな」
「ま、まだ召喚はいくらでもできますわ。"絶氷を支配する悪魔に告ぐ。我が呼びかけに答え、現界せよ"」
ウィズは更なる召喚を試みた。悪魔クラスの召喚を何度も行えるなど、まさに魔女の所業ではある。が、
『グオ──』
「うるせぇよ!」
「そんな……!」
もはや瞬殺。悪魔の姿を確認する間もなかった。終夜の黒雷は今や、触れるもの全てを焦がし尽くす天変地異そのものなのだ。
「次はお前の番だぜ」
「ひっ……!」
「跡形も残らねぇよう消して──がはっ」
「な、何ですか……?」
突然の終夜の吐血に、ウィズは動揺を隠しきれない。
しかし見ると、先程まで左腕にしかなかった黒い何かが、終夜の顔半分にまで侵食していたのだ。終夜は荒い呼吸を繰り返し、見るからに疲労を露わにしている。
「それが、"暴走"なんですね……?」
「あぁ……。完全に侵食される前に……てめぇだけはぶっ倒しとかねぇと……」
途切れ途切れに言葉を紡ぐ終夜。それを聞いて何を思ったのか、ウィズは不敵な笑みを浮かべる。
「"遍く悪魔たちに告ぐ。我が呼びかけに答え、現界せよ"」
「!」
今回の詠唱は今までと訳が違った。終夜はそれに気づき、微かに眉をひそめる。魔法陣の数が余りに多いのだ。
さっきまでは1つだけだったが、今回の召喚では10を超えている。魔女の本気、と言ったところか。
「まるで……動物園だな。けどいくら数が増えようが……俺には関係ないぜ……?」
「いいえ、倒すのが目的ではありません。私はただ時間稼ぎをしたいだけです。──貴方が雷に呑まれるまでの」
「けっ、性格が悪い魔女だな……!」
ウィズの意図に気づき、終夜はすぐさま左腕を振るって黒雷を放つ。そのスピードはもはや光の如し。だから一瞬でウィズの元まで届く……はずだったが、それは魔法陣から出てきた動く岩に防がれてしまった。
「ゴーレム……それもお前の悪魔だったのか」
「おや、貴方たちだったんですか。私が放ったゴーレムが悉く倒されてしまったので驚いてたんですよ」
「それはご愁傷様なことで。……そろそろマジでやべぇから覚悟しろよ」
終夜はそう吐き捨て、左腕に力を込める。すると黒いモノが生きているかのように蠢き、黒雷を迸らせると共に終夜の顔の残り半分を侵食していった。しかし終夜はそれに構うことなく、光の如き速さで突撃する。
「おらァァァ!!」
「そんな……!?」
終夜の叫びに呼応するように黒雷は苛烈を極め、まるで嵐の様に悪魔らを蹂躙する。踊るように舞う電撃は、全ての悪魔を瞬く間に焼き払った。
灰だけが宙を漂う惨状に戦慄するウィズを、終夜は最後に視界に捉え、
「終ワリダ」
無情にも落とされた雷は、断末魔をあげる暇も与えずにウィズをも燃やし尽くした。
辺りが焼ける臭いと虚しい静寂に包まれる。そんな呆気ない終末に満足いかなかったのか、『闇』に呑まれた終夜は進行方向に向き直ると、そのまま森の中へ跳び去ったのだった。
*
場所は変わって、さらに森の奥。そこでは化物と小さな戦士との戦闘が繰り広げられていた。
「死ねェェ!!」
「死んで……たまるかっての!」
赤黒い尻尾を振り回し、緋翼へと振るうブラッド。その尻尾の正体は、なんと血液だった。
しかし、ただの血と侮るなかれ。血液だって液体であり、量にはそれなりの重さが伴う。故に多量の血によって造られた尻尾の一撃は、正面から刀で受けたとしても、衝撃は骨にまで届くだろう。
だから緋翼は正面から立ち向かうのではなく、刀を用いて受け流すように尻尾を躱していた。
「ふっ!」
「効かねぇよんなもん!」
「しぶといわね……!」
もちろん、避ける間も攻撃は欠かしていない。暇さえあれば尻尾を切断し、血液を飛び散らせている。ただ厄介なことに、尻尾は飛び散った血を吸収して何度も再生してしまうのだ。
「勝つには一撃で沈めるしかないか……」
予測だが、流血させればさせるほど彼は強くなる。だから緋翼は、一撃で息の根を止める必要があると考えた。
しかし緋翼はそこまでパワー型ではなく、どちらかといえばスピード型だ。よって今しがたの発言を実行しようにも、力が足りない。せめて終夜でもいれば話が別なのだが……
「ううん、私だけでもやらなきゃいけない。あいつだって1人なんだから」
果敢に奮闘する終夜を脳裏に浮かべながら、緋翼は刀を構え直す。神経を研ぎ澄ませ、次なる一撃に力を込めた。
「あぁ? 何だよそりゃ──」
「"居合い・焔の大太刀"!」
「おぉ!?」
先程よりも更に火力も勢いも増した一撃。膨大な熱量がブラッド目掛けて襲いかかる。焔は彼の身体を燃やし、尻尾を形成していた血液を一瞬で沸騰させ、そして気化させた。
「……がはっ。おま……やりやがったな……!」
一撃……とまではいかなかったが、血液を蒸発させ、かつ大火傷を負わせることができたのは大きなアドバンテージだ。怒りを露わにしながらもふらふらとするブラッドを見て、緋翼は乱れる呼吸を整えながらほくそ笑む。
「そら、もう一発行くわよ!」
「させ……るか!!」
焔の太刀がトドメを差さんと振り上げられた、その時だった。
ブラッドはなんと、自身の親指のつけ根の所を自ら噛みちぎったのだ。血がとくとくと流れたかと思いきや、途端にそれらは強固な血の盾へと変貌し、緋翼の一撃を防ぐ。
「……さすがにそう来るとは思わなかったわ」
「俺様だってできれば使いたくねぇ手だ……よ!」
血は瞬時に盾から矛へと変化し、その槍先が緋翼の心臓を貫かんと繰り出される。間一髪で、緋翼は身をよじることで急所は免れたものの、槍先は横腹を掠め鋭い痛みが走った。
「いった……汎用性高すぎでしょアレ」
「それだけじゃないぜ。今の傷から……へへ、ごちそうさま」
「っ……!?」
ブラッドが血の槍の先端を舐めたかと思うと、その瞬間、倦怠感が襲い緋翼の膝が刀と共に崩れ落ちた。頭がクラクラとし、視界がぼやけていく。間違いない、"貧血"だ。
思い起こせば、始めに負った怪我がいつの間にか止血していたが、あの大怪我が まして戦闘中に止血するはずもない。つまり、
「ようやく気づいたか。俺は血を操れるが、お前の血だって例外じゃねぇ。殴る度にちょこちょこ吸わせて貰ったぜ」
「くっ……!」
「俺は吸血鬼なんだ、血を吸って当たり前だろ? 刺激的な味だが、お前の血は悪かねぇ。だから──もっと寄越せ」
「……ひゃっ!?」
座り込む緋翼に尻尾が襲いかかる。為す術もない緋翼はそのまま尻尾に拘束され、ブラッドの元へと引き寄せられた。彼は身動きの取れない緋翼の首に手を回し、にたりと不気味な笑みを浮かべ、
「それじゃ、いただきまーす……」
ブラッドは緋翼の肩を目掛け、鋭い牙の生えた口を大きく開く。身体に力が入らない緋翼に抵抗の術はない。
──ここで終わりなのか。
血を吸われて干からび、凄惨な死を遂げることを緋翼は予期した。もうダメだと、そう諦めた瞬間──
「……ぐあァァッ!?」
「へ!?」
刹那、眩い光と轟音が目の前を走り、ブラッドが断末魔を上げた。その時に尻尾の拘束は外れ、困惑したまま緋翼は地面に座り込む。
「今のって……」
一瞬だけ視界に映ったのは『黒い雷』。それを放ったであろう張本人を緋翼は首を動かして探す。
──いた。全身が禍々しい闇に包まれた人型の何かが。
「黒木……?」
草原にポツンと立っていたのは、緋翼がいつも目にしていた人物の姿とはかけ離れた存在だった。言葉を続けるのを躊躇うほどに。
そんな緋翼の逡巡をよそに、『闇』は軽く地面を蹴ると姿を消した。
「え、どこに──」
「あァァァァ!!!」
背後から再び響いた叫び声。その苛烈さにさすがの緋翼も恐怖を感じ、背筋を凍らせた。
そしてピタリと静寂が訪れる。嫌な予感を感じながら恐る恐る振り向くと、そこには血も何もかもが焦げ果てたブラッドの姿があった。
「ひっ……!?」
その残酷な様子に、思わず悲鳴が零れる。炭だらけになったブラッドの身体は、もはや輪郭を留めていなかった。ピクリとも動かず、絶命しているのだとわかる。
「──っ」
怯える緋翼の眼前、『闇』へと変わり果てた終夜が佇んでいた。全身が黒に覆われ、目や口も判別できない。彼の身体から漏れ出す黒雷はパチパチと、緋翼の恐怖を煽っていく。
「どうして、また……」
しかし実は緋翼は、終夜のこの姿を過去に一度だけ見たことがある。それは彼が魔術を会得したばかりの頃まで遡り、練度が足りない故に制御し切れず、今と同じように暴走してしまったのだ。確か、その後は──
「ブ……」
「え、な、何……?」
不意に放たれた黒木の一言に、緋翼の回想が途絶える。その闇から湧き出るようなくぐもった声で何を言うのか、冷や汗が垂れた。
彼は一歩、また一歩と座り込んだままの緋翼に近づく。そして彼我の距離は、ついに手が届く距離まで至った。暴走している以上、仲間だからと油断できない。終夜はいつでも、その黒雷を緋翼に浴びせることができるのだ。
「ブ……デ……ッタ……」
何かを呟きながら、終夜の黒い手がついに緋翼の頬に触れる。不思議とその手から痛みを感じることはなく、むしろ仄かな温もりを感じた。それが彼に残されている、人間である証。『闇』に完全に呑み込まれてしまえば、それも直に無くなるだろう。
──だから、
「無事で……良かった」
「……バカ、全然無事じゃないわよ」
──彼がまだ"終夜"であったことが、とても嬉しかった。
終夜を覆っていた『闇』は瞬く間に霧散し、彼はしゃがみ込んで静かに緋翼を抱き締めた。緋翼も目を細めて、涙を零しながらそれに応じる。終夜はそんな彼女の頭を、そっと撫でた。
「……悪かったな。助けるのが遅れちまって」
「べ、別に頼んでないし!」
「意地張んなって。ビビりまくってたじゃねぇか」
「何こいつ、無性に腹立つ」
緋翼の言葉に終夜は堪え切れないように噴き出す。つられて緋翼も笑みを浮かべた。
そしてお互いに生きていることに安堵し、再び彼らは抱き合った。
……と、そんな時間も束の間、
「え、先輩たち……?」
「「……!!」」
その瞬間、2人は抱き合っていた身体を跳ね除けるように離し、声のした方を焦りながら振り向く。そこには2年生が4人、そしてその内1人に担がれた蓮の姿があった。
「お、おぉお前らか! 無事で何よりだぜ!」
「ホントホント! 暁もあんたらも凄いわ!」
「「……」」
誤魔化そうにも、2年生らの沈黙が心苦しい。というか気のせいだろうか、彼らの目が笑っているのは。気のせいだと信じたい。
「……ご馳走様です」
「「……っ、死ねぇぇぇ!!!!」」
終夜と緋翼の叫びが森中に木霊したのであった。
*
「もうすぐ祭壇じゃ。気を引き締めな!」
「はい!」
緋翼とも別れた晴登、カズマ、婆やの3人は、結月救出に向けて山を駆け上がっていた。ノンストップで走り続けているため足腰が悲鳴を上げているが、結月のためならそれも厭わない。
かくして3人は山の頂上、すなわち『竜の祭壇』に到着した。そこは今までの様に開けた場所であったが、違う点を挙げるとするならば、先にもう道がないことだろう。
紅い月が照り、夜でも視界は良好だ。そのため、囚われの結月はもちろん、その傍に立つ1人の男の姿まで良く見えた。
「……おっと、もう到着かい? 随分と早かったじゃないか」
「ハルト!」
カズマに近い年齢と思われる青年が、そう語りかけてきた。黒髪を撫でつけ、黒スーツに身を包む美青年だ。カズマや婆やの服装を見た後だと、何とも違和感がある。
一方、結月は両手を塞がれて状態で地面に横たわっていた。砂やらで汚れはしているが、怪我をしている様子はない。ひとまず、自分の名を一番に呼んでくれたことも含めて安心した。
「お前は何者だ?」
「さて、誰でしょうか。まぁ彼女は知ってるけどね」
「婆や?」
青年が指差したのは婆やだった。幾度も魔王軍と戦争を繰り広げた婆やなら、確かに知っていてもおかしくない。
しかしどうしたことだろう。婆やの表情がいつにも増して不機嫌だ。何か因縁でもあるのだろうか。
「……やっぱり来ていたのか」
「これが最後の戦争だからね。この場には僕がいなきゃならない」
「え? どういうこと……?」
晴登とカズマは話が見えずに、疑問符を頭に浮かべる。それを見かねた婆やは、極めつけの補足を足した。
「奴こそが魔王、そして儂の夫じゃ」




