第54話『合縁奇縁』
頭が痛い。身体が怠い。力が出ない。
だけど、思考だけは無駄に働く。
自分が意識を失ってから、どれだけの時間が経ったのだろうか。
思考ができるということは、死んではないみたいだ。
耳だって正常に働いていた。誰かの声が、絶えず耳元で聴こえてくる。
その声に誘われるように、ユヅキはゆっくりと目を開いた。
「あ、起きたか、ユヅキ?」
「ハルト……」
目を開けると、そこには晴登がいた。
同時に、薄暗い空も同時に見える。
自分は外で寝ていたのか。
「……で、何でボクはハルトに膝枕されてるの?」
「あ、いや、これは俺が進んでやった訳じゃなくて、ミライさんがそうしたらいいって言うから……」
「なら嫌々やってるの……?」
「え、ちがっ、そんな泣きそうな顔しないでくれ! 全然嫌じゃないから!」
晴登は焦るように弁明しているが、もちろん少しからかっただけである。
にしても、自分もだが晴登が無事で良かった。アランヒルデがしっかりと戦ってくれたからだろう。お礼を言わないと。
「ハルト、アランヒルデさんは?」
「アランヒルデさんなら、ヒョウを連れて城に戻ったよ」
「そっか……」
いないと言われても仕方のないことだ。何せ彼は王都騎士団団長。忙しいのは知っている。
きっと、ヒョウは逮捕という扱いだろう。もう会うことはないと思う。
「……全部、終わったの?」
「……うん。犠牲が多く出すぎたけど、ウォルエナは全て討伐されたよ。もう、終わったんだ」
それを聞いて、ユヅキは緊張の糸が切れた。大きく安堵の息をつく。
「ユヅキ! 起きたのか!」
「えっ!? ラグナさん、生きてたんですか!」
「バーカ、そう簡単に死んでたまるか。お前も無事そうだな。良かった良かった」
ホッとしたのも束の間、また驚かされてしまう。いつの間にかラグナが合流しているのだ。でもって、安心したのか、いつもの調子で笑っている。
「ラグナさんはいつ合流したんですか?」
「そりゃあカクカクシカジカでな……」
「……ん!? ウォルエナを1人で!? そんな強かったんですか、ラグナさん!?」
「俺は目の前で見たけど、開いた口が塞がらなかったよ」
ラグナの武勇伝とも言える話を聞き、またも驚く。そろそろ驚きすぎでどうにかなりそうだ。
「ユヅキ、調子はどうだい?」
「ミライさん! はい、大丈夫ですけど……ミライさんこそ大丈夫だったんですか? あの怪我……」
「見られていたのか、面目ない。治療は済んでいるから大丈夫だ」
「そうですか……!」
晴登もラグナもミライも、そして自分も無事。
その事実だけで、ユヅキは泣きそうなくらい嬉しかった。
──ふと、その顔に眩しい光が降り注ぐ。
違和感だったのは、ヒョウと戦っていた時の日の方角と、今の日の方角が正反対だということだ。
「あれ、もしかしてこれは朝日なのかな……?」
ユヅキは自分の仮説に冷や汗をかく。
もしこれが正解なら、自分は一晩中寝ていたことになる。
少なくとも、ヒョウと会った時刻頃には、日が真上に昇っていたから。
「そうだね。ユヅキはハルトの膝枕で一晩中寝てた訳だ」
「やっぱり!……って、え? 今何て言いました?」
「街の復興にも、兵士が取り掛かっている。ユヅキが起きたのなら、とっとと避難場所に行かねぇと」
「無視しないで下さい!……というか、何で先に行かないんですか!」
ミライもラグナも本調子。ユヅキを翻弄している。おかげで安堵の息の次に、嘆息してしまうユヅキ。
「んじゃ、行くぞ」
「それじゃハルト、ユヅキを運んできてね」
「えっ、俺ですか!? ラグナさんの方が適任でしょ……ってあぁ、行っちゃったよ……。仕方ない、行くよユヅキ。背負って行くから」
「え? ちょ……」
まだ身動きの取れない身体が、晴登によって強制的に動かされる。そして気づいた時には、晴登の背中に乗っていた。
そのまま晴登は、ゆっくりと歩き出す。
ユヅキは最初こそ驚いたが、次第にその背中に体重を預けたのだった。
*
「……ねぇ、ハルト」
「ん?」
歩き始めて数分、ユヅキから声がかかった。
背負っているため顔は見えないが、どことなく寂しさを醸し出している。
「ハルトとは……そろそろお別れなんだよね」
「……っ!」
そしてユヅキの言葉を聞き、重大なことを思い出す。
そういえば、この世界に居られるのは3日間。即ち、時間にして72時間だ。でもって、今日は4日目。1日目の昼ぐらいにこの世界に来たのだから、帰りもきっとその辺りの時間帯。
つまり、あと数時間で皆と別れなければならない。
「ハルトの話を聞いて、どうしようもできないのはわかってる。でも、ボクはハルトと一緒にいたい!」
その言葉で、胸が締め付けられる。
そして、半端な気持ちでこの世界に足を踏み入れたのを後悔した。
友達が引っ越す、だなんてレベルではない。ユヅキとは親友と呼べるくらいの仲になってしまったのだ。別れたくない気持ちは晴登にも存在する。
「……避難所に行ったら、俺は帰るよ」
それでも、悲しみを噛み殺しながらそう言うしかなかった。
*
「ハルト、調子はどうだ?」
「だいぶ動けるようにもなりましたし、心配しなくて大丈夫ですよ」
「そう言われても、ハルトは何度も死にかけてるし、心配だよ」
「ははっ、本当にミライさんには感謝してます。ありがとうございました」
避難所は学校の体育館の様な所だった。床が一面に広がり、各々が好きなように座ったり、寝てたりしている。
あと付け加えるなら、王都の直接の管轄だから、規模がとてつもなく大きい。
今晴登は、ラグナとミライと話している。
ユヅキもその場にいるのだが、一向に口を開こうとしない。仕方ないか……。
「そうだハルト、お前に渡したいもんがある」
「……? 何ですか?」
「ほらコレ」
そう言われ、ラグナから手渡されたのは1枚の封筒。何かが入っているようだが、検討もつかない。
「ラグナさん、これは……?」
「給料だよ。お前は昨日の時点で雇用期間を過ぎてるからな。ホントは昨日渡そうと思ってたんだが、面倒に巻き込まれちまったせいで遅くなっちまった。すまねぇ」
「いえ、ありがとうございます……」
職業体験のつもりだったから、給料なんて別に要らないのに。それに、この世界のお金を貰ったところで、元の世界に帰ったら使い道はないし。
ただ、返すのはそれはそれで気が引けたから、素直に受け取っておくことにする。
「……それじゃあ、これで帰ります」
「寂しくなっちまうな。でも、会いたくなったらいつでも来いよ」
「僕も、また君と会えるのを楽しみにしてるよ」
「はい、本当にお世話になりました」
思いの外、2人はすんなりと送り出してくれる。引き留められると困るから、逆に良かった。
立ち上がる瞬間にふとユヅキを一瞥すると、彼女は黙って俯いている。
「じゃあね、ユヅキ」
「……」
返事はない。
だが時間が迫っているため、待つことはできない。
どんな風に帰るのかはわからないが、急に消えたりしたら周りの人々が驚いてしまう。だから晴登は、タイムリミットまでに人目のつかない場所に行こうと考えたのだ。
「あと、1時間もないだろうな」
そう呟きながら、晴登は避難所を出て、歩いた。
とりあえず、王都を出よう。そしたら辺りは森だし、人目にはつかないはずだ。
……いや、最後にあそこに寄っていこう。
*
「着いた……」
晴登の目の前にあるのは1つの一軒家。
それは見慣れたものであり、今までユヅキと過ごした家でもある。
晴登は1人で異世界の余韻に浸りながら、現実世界への回帰を待ち望んだ。
しかしその時、土を踏む音が耳に入る。
「──ハルト!!」
「っ……!? 何で、ここに……?」
晴登を呼んだのは、紛れもないユヅキだった。走って追いかけてきたのだろう、息が上がっている。
そして彼女は膝に手をつきながら、呼吸が整うのを待つことなく晴登の問いに答えた。
「まだ……お別れを、言ってないから」
「そ、そっか……」
どうせなら、このままさっさと帰りたかった。ユヅキの顔を見てしまうと、帰ろうという気が削がれてしまうのだ。
本当はこれ以上、何も言って欲しくはない。別れの挨拶だって、さっきので済ませたつもりだった。だから笑って見送ってくれれば、それでいいのに。
「あのね……ボクと友達になってくれて、ありがとう」
「……っ!」
なぜこのタイミングでそんなことを。ダメだ、それ以上言うな。
「ボクと一緒にいてくれて、ありがとう」
そんなの卑怯だ。今、そんなこと言われたら……
「ボクを守ってくれて、ありがとう」
守ったことなんて、果たしてあっただろうか。間違いなく、晴登の方が守られてばっかだった。
「ボクと出逢ってくれて、ありがとう」
その時、晴登の頬を涙が伝った。
今まで、これほど正面から感謝の気持ちを伝えられたことはなかった。
胸が苦しい。何か、身体の奥から何かが昇ってくる感じがした。でも、言葉で言い表せない。
「だからね、ハルト」
「……?」
「ボクに構わず、行って。待ってる人たちが……いるんでしょ?」
ユヅキの声も震えていた。見ると、涙を流しながら、必死に笑顔を作ろうとしている。
そうだ。決めたじゃないか。別れる時は笑顔でいようって。今彼女は笑顔で見送ろうとしている。なら自分も、目一杯の笑顔を返さないと。
「……それじゃ改めて。じゃあね、ユヅキ」
「うん。さよなら……ハルト」
その瞬間、晴登の身体がだんだんと光に包まれていった。
なるほど。そういう帰り方なのか。
1人納得して、晴登は光に身を預けた。
「……っ!」
「……ユヅキ?!」
意識が飛んでいくかと思った刹那、ユヅキに抱擁される。
すると彼女は涙目のまま上目遣いに、
「……最後に、これだけは言わせて」
「え?……んっ!?」
その時、ユヅキの唇と晴登の唇が重なる。柔らかい感触が印象的だった。
互いの涙が交わり、互いに笑みで心が満たされる。
「大好きだよ、ハルト」
ユヅキの最後の言葉が、強く胸に刻まれる。
そしてそのまま、晴登の意識は遠い彼方に消えた。
*
「ん……」
目を擦りながら、晴登は身体を起こした。
その身体は懐かしの我がベッドの上にあり、視界に映るのも自室の風景である。
「帰って、きたのか……」
長い長い3日間が、ようやく幕を閉じた。
ベッドの上で朝日を浴びながら、晴登は大きくため息をつく。
「さすがに、キツすぎるだろ……」
身体の奥底に渦巻く倦怠感。未だかつて、ここまでのやるせなさを感じたことはない。例え夏休みだろうと、遊ばずにずっと寝ていたいぐらいだ。
「……起きるか」
しかしウダウダ言っていても、戻ってきたことに変わりはない。今日は平日だったと思うし、学校もあるはず。
さすがに体感時間で3日間も異世界で過ごしたから、人とのコミュニケーションに齟齬が生まれそうだが……
「……ん? 何かやけにベッドが狭いな」
ふと、ベッドで伸びをしてるとそう思った。
3日間違う寝具で寝ていたから、勝手が変わるのは当たり前だが──違う。
「一体、何が……?」
晴登は自分の隣の、やけに布団が膨れている所を見る。恐らく、狭いと感じた原因はこれだろう。
「……ごくり」
息を呑む晴登。異世界から帰ってきて早々、嫌な予感しかしない。しかし、事態は目の前で起こっているのだ。確かめずして……どうする。
「ええい、ままよ!」
晴登は恐る恐る且つ大胆に、布団を捲りあげる。そして、謎の物体の正体に目を疑った。
「ユヅキ……!?」
静かに吐息を立てて眠る、銀髪美少女ユヅキの姿がそこにはあった。




