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第44話『最強と最恐』

 目の前でニカッと笑う男性を、晴登は唖然として眺めるしかない。

 風に赤髪をたなびかせながら、男性は口を開き言葉を続けた。



「おいおい、聞こえなかったとかいうのは無しだぜ? さすがに2回は名乗らねぇよ」



 軽快な調子を崩さない男性……もとい、アランヒルデ。彼は王都騎士団団長の肩書きを持っており、尚かつ『最強で最恐の騎士』の二つ名を持っている。


 ……そう聞いていたからこそ、この登場やら言動やらに驚きを隠せない。



「何か訊きたそうな顔してるが、どうやら悠長に話をしてる暇はないらしい。悪いが有名人とのご対面はここまでだ、ガキ。精々その嬢ちゃんを護れよ」


「え、ちょっと……」



 晴登は呼びかけるも、アランヒルデは既にこちらに背を向けており、返答をしなかった。

 彼の向く先、牙を噛み鳴らしながら威嚇を続けるウォルエナがいる。急に吹き飛ばされた上に、今まで無視されていたのだ。相当ご立腹の様子である。涎まで垂らしており、喰う気満々といったところか。


 対するアランヒルデの服装は、軍服なのか疑わしいぐらいに随分と軽装である。記憶している限りでは、彼は北方の大討伐に参加していたはずだが。

 そんなアランヒルデの唯一の武器は、腰に携えている剣だ。長さは至って普通で、どこにでもありそうな感じ。しかし、鞘に収められているそれからは、何か違う雰囲気を感じた。



「お前らみたいな奴に剣はもったいねぇ。素手で相手してやるよ」


「え!?」



 しかしその剣を見ることは叶わず、しかもてっきり剣で戦うのだとばかり思っていた晴登は、突然の肉弾戦宣言に驚きの声を上げる。

 騎士が素手だなんて……聞いたことがない。



「さっさと逃げろ、ガキ。だが、避難するなら王城だ。臨時の避難所を設けてある」


「え……? わ、わかりました」



 てっきり外に逃げるしか道がないと思っていたが、ここにきて新たな生存ルートが生まれる。

 確かに王城なら騎士もいるし、外よりも安全だろう。向かう価値はある。


 にしても正直、アランヒルデが来なかったら晴登と少女は怪我を免れなかったはずだ。そこはしっかりと感謝しておこう。



「ありがとうございました、アランヒルデさん!」


「達者でな、ガキ!」



 快活な声で見送ったアランヒルデ。

 その後、彼を襲うであろうウォルエナとの戦いは、曲がり角を曲がったことで見えなくなった。


 そして晴登は、少しでもその場から離れようと、少女を抱えたまま走り始める。

 所詮は小学生サイズの少女だ。いくら非力な晴登でも、抱えて走るくらいは余裕である。


 もっとも、そんな余裕が生まれたくれたため、ようやく晴登はあることに気づくのだが。



「……あ、ユヅキはどこ行った?」







「ハルト?! ハルト?!」



 ひとしきり叫んだが、応答はない。もしかしたら、この辺にはいないのかもしれない。

 荒い呼吸を繰り返しながら、ユヅキは駆ける足を止めた。



「どこに行ったの……?」



 所在や安否が気になるが、それよりも理由だ。

 先程、何かを見つけたのか、違う道に走り去った晴登。

 あの必死そうな表情を見て、追いかけるのを一瞬躊躇してしまった。それが、ユヅキが晴登を見失った原因だ。

 それにしても、晴登は何を見たのだろうか。ユヅキが横目に見たときは何もなかったはずなのに。



「うぅ、わかんない……」



 謎に包まれてよくわからない。こんな気分は、以前に晴登から身の上話を聞いたときに味わった。

 自分の知らない領域。それは難しく、理解し難いものだ。

 今まで2日を一緒に過ごしたが、晴登はこの世界の人間じゃないと思い知らされる時が何度かあった。そして、その瞬間から悟っていた。晴登が故郷へ帰れば、また自分は1人なのだと。

 いくら嫌だと願っても、それは叶わないとわかっている。だからせめて、いい想い出を作りたい。


 あと1日なのだ。それなのに……



「ハルト……」



 ユヅキは途方に暮れ、路地裏をさ迷い続けた。







「くそっ、ユヅキ……」



 ユヅキの探索を始めて10分は経った。

 なのに、目的を達することも、裏路地から出ることさえも叶わない。避難が遅れれば遅れるほど、それに比例して生存率も下がるというのに。これではラグナの意思も、アランヒルデの防護も無駄になってしまう。



「それだけは、勘弁だ……!」



 晴登は路地裏の出口を探して奔走する。少女はまだ目覚めない。好都合だ。



 ──魔術は節約。



 ユヅキから言われているが、先程のように襲われてしまえば使わざるを得ないし、やはりここからの脱出も不可能なのだ。



「……やるしかないか」



 晴登は頃合いの壁を見つけて立ち止まる。この高さならきっと届くだろう。

 軽く膝を曲げ、足の裏に力を集中させた。自分を押し出すようにと、イメージに合わせて魔力を練り上げ……



「よいっ、しょぉぉ!!」



 目一杯の力で地面を蹴り上げ、それに合わせて力を解き放つ。すると、身体はロケットのような勢いで空に跳んだ。


 ──乗る予定だった屋上を遥かに越え、王都を囲む壁までも見渡せるくらいの高さに。



「やべ、飛びすぎ!?」



 慌てて体勢を立て直そうとするも、空中で身動きなどとれない。まして少女を抱えたままではなおさらだ。

 しかしなんとか晴登は、魔力を使って風のクッションを展開し、屋上に着地する。



「あぁ、キツい……! ヒヤッとした……」



 体力もだが精神的にもキツい。さすがに、ホイホイといつでも使える代物ではないようだ。



「けど、これで見えるな」



 晴登は服を払って砂や埃を落とし、姿勢を正してから改めて前を見た。

 ここからなら、東側の大通りが見えるはずである。



「──えっ?」



 しかし見えた光景は、普段とは一転して、至るところが紅く染まっている街並み、そして、ウォルエナで溢れる大通りだった。







「嘘……」



 晴登がその光景を発見したのとほぼ同時刻。ユヅキもまた、一変した街並みを眺めていた。

 ……ここまで「一変した」という言葉が相応しい光景があろうか。



「って、やばっ!」



 突如、視界にウォルエナが入り、ユヅキはすぐさま身を隠す。

 というのも、ユヅキはようやく路地裏を脱出したところであり、実は現在大通りにいるのだ。



「そんな、まさかここまで……!」



 悲鳴と怒号と喧騒と、あらゆる音が飛び交う大通りの様子を見て、ユヅキは絶句せざるを得なかった。

眼前、数多のウォルエナが人を追いかけ、飛びつき、喰らっていた。

 そのあまりに衝撃的な光景に青ざめると同時に、急な吐き気を覚えるユヅキ。

 確か路地裏に入る前は人々で大通りが埋めつくされていて、外を目指していたはずだが、今はもうその流れは逆転し、その上 目に見える人数はその半分にも満たない。

 そんな残酷な現状を前にしたら、誰だって気持ち悪さを覚えるだろう。



「東門からもウォルエナが入ってきた……だったら辻褄が合うけど」



 前から後ろから。そんな挟み撃ちを喰らえば、あの人数がこうなるのも頷けるには頷ける。絶対に頷きたくはないが。

 となると、ウォルエナは西門からも入ってきていると考えられる。

 もしこの仮説が事実なら、王都内のウォルエナの数は膨大。そして外への逃げ道が絶たれたのと同義。



「どこに逃げればいいの……?」



 王城が避難所として解放されてるなどつゆ知らず、ユヅキは四面楚歌の状況にお手上げだった。

 隠れてその場を凌ぐのは、ジリ貧なので得策ではない。一刻も早く王都から脱出しないと、辿る道は死のみ。当然、晴登にだって同じことが言える。



「早く見つけないと……!」



 ユヅキは再び路地裏に戻ってウォルエナの目をかい潜りながら、晴登の探索を再開した。







「どうしたもんか……」



 屋上の上から景色を眺め、絶望に暮れる晴登。この状況を、1人でどう脱しろというのだ。

 ウォルエナの数は、ハッキリ言って無限。倒し切るとすれば、一体何日かかるだろうか。



「てか、ヤバすぎだろ……」



 先程から転じて、今の大通りは人ではなくウォルエナが席巻し、人々を続々と喰らっていた。悲痛の叫びが晴登の耳に深々と突き刺さる。

 もはや「ヤバい」としか形容できない。たまらず晴登は目を背ける。



「このウォルエナの多さだと、確かに王都の外は無理があるな。アランヒルデさんの言う通り、王城に向かおう」



 晴登はなるべく下を見ないように辺りを見回し、王城の位置を確認。中心にある上に大きいから、よく目立って助かる。

 距離は1kmはあるだろうか。だが躊躇っている時間はない。



「ここも魔術の出番だ!」



 思い立ったらすぐ行動。別に流儀でも何でもないが、時間が惜しいのだ。

 晴登は少女をなるたけ大事に抱え、追い風を使って文字通り風の如く、大通りに沿うように連なる建物の屋根や屋上を駆けた。高さがバラバラで、正直不安定なルートだが、晴登は遠慮なしに跳び回る。




 そして、走り始めて3分くらいだろうか。ようやく王城の近くまで辿り着く。幸運なことに、この辺りにはまだウォルエナは到達していないらしい。

 見回してみると、避難所と思われる巨大な体育館のような建物に、騎士が人々を誘導していた。


 晴登はそこに近づき、騎士の1人に声をかける。



「すいません、この娘をお願いします」


「あぁわかった。君も早く中に」


「いえ、俺はまだやることがあるので」


「え?」



 晴登の予想外の返答に、少女を手渡された騎士は疑問符を浮かべている。

 理由は言った通りだ。まだ晴登は避難できない。



「おにぃちゃん?」


「……っ」



 そのとき、騎士に抱えられていた少女がうっすらと目を覚ましてそう言った。……その声でそう呼ばれると、思わず智乃と錯覚しそうになる。

 晴登はその頭を優しく撫でて、微笑んだ。



「お兄ちゃんの心配はしなくていい。君は生きることだけを考えて」



 晴登はそれだけ言い残し、背中を向けて走り去る。騎士が呼び止める声が聴こえたが、構わずに走った。


 晴登にはまだ、ユヅキを探すという使命が残っている。そのために、再び絶望へと足を踏み入れた。







「大丈夫ですか?!」


「あぁ……すまないね」




「大丈夫ですか?!」


「……何とか」




「大丈夫ですか?!」


「ぜぇ……ぜぇ……」




「大丈夫で──」



 このやり取りを何度繰り返したことだろう。

 早く晴登を見つけたいが、困っている人々を放っておけないというジレンマ。といっても、できることは励ますことだけなのだが。

 逃げ惑う人々、隠れる人々、抗う人々。色々な人たちを見た。



「ハルト……」



 しかし、そんな少数の生存者を見つける中、多数の死体を見た。それらを見る度に、最悪の絵面が頭に浮かぶ。

 何度諦めて、何度それを振り払ったのかは数え切れない。



「……行かなきゃ」



 彼がいなくなったのは路地裏。まだそこを脱していない可能性もあるが、脱していたとなればそれこそ危険だ。

 ウォルエナは大通りに集っているし、いくら晴登でも数には太刀打ちできまい。


 ユヅキの目的は、晴登を見つけて一緒に王都を脱出すること。当然、ラグナも一緒にだ。

 だから言ってしまえば、入れ違いが最も避けたい事態。せめて王都にいるのか、外にいるのかがわかれば気が楽なのに。



「下手に動けないから、それは厳しそう……」



 ただでさえ広大な王都。その状態での人探し自体にも無理があるが、更に障害が立ち塞がるとなると手の施しようがない。

 何か、手がかりはないだろうか。



「……こうなったら」



 そう考えて、ユヅキはあることを思いつく。少し離れているが、あそこならもしかしたら……




 決意したユヅキの行動は早かった。ただ必死に、希望だけを目指して走る。



 走って、



 走って、



 走り続けて、



 そして、ラグナの店の前に立っていた。


 幸運なことに、道中はウォルエナに襲われずに済み、ノンストップでここまで駆けてこられた。

 乱れた息が整うのを待たずに、ユヅキは扉を開けて中に入る。



 ──もちろん、誰もいなかった。



 ユヅキは肩を落として、その場で立ち尽くす。


 晴登とラグナ。2人との関わりが最も深いこの場所。ここなら何か、ヒントがあると祈ってしまった。

 当然、そんなものがある訳がなく、自分は藁に縋っているのだと思い知る。


 一刻も早く晴登とラグナを見つけたい。

 全包囲という状況になった今、2人は簡単には逃げ出せないでいるはず。きっと王都のどこかにいるのだ。



「でも、もう手がない……」



 自分だけの脱出なら、まだ可能性はある。しかし、それを選択することはできない。

 かと言って、晴登やラグナは見つからないし、何より安否もわからないのだ。


 数多の時計がカチカチと、規則的に音を立てて絶望をカウントしているのを、ユヅキは耳に残しながら考え込む。

 静寂とも呼べない静寂が、場を席巻した。



 ──しかし、ある存在がそれを打ち壊す。



「すいません」


「!?」



 不意に後ろから聞こえた声に、ユヅキは反射的に振り返る。

 その視界に入った人物には、見覚えがあった。



「何で……?!」


「いやいや、忘れ物を取りにね」



 ユヅキが発した疑問に、その男性は笑顔で答える。

 寸分の醜さもない整った顔立ち……間違いなく、昨日に時計の修理を頼んだあの男性だ。

 知り合いということもあり、騒いだユヅキの心はすぐに落ち着く。



「忘れ物……って腕時計ですか?」


「うん。紛失する前に回収しておきたくてね。もしかして、直ってたりするかな?」


「はい……ラグナさんは直ったって言ってました」



 彼の問いに正直に答えていく。

 その一方で、どことなく彼に怪しさを感じた。



「それは好都合だ。それじゃそれを後で回収するとして……さて、少し君に訊きたいことがある」


「ボクに……? 何ですか……?」



 そう感じて間もなく、彼は語気を低くし、怪しさを掻き立てる物言いをする。

 なるほど、腕時計は建前で、それが本当の狙いか。

 ユヅキは解いた警戒心を再び呼び起こし、彼の次の言葉に備える。


 しかし、彼から聞いたのは突拍子もない発言だった。



「君が、この惨状の黒幕なのかい?」


「は……?」



 間抜けな声を上げて、ユヅキは奇怪な質問をした男性を見据えるのだった。


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