第7話 為すべきことを
買い物を終えたアレスとルカはヘーネンの街の宿で一夜を過ごす。ルカは宿泊費節約のために一緒の部屋に泊まろうとしたが、それは流石にアレスの方が断固拒否した。
そして翌朝、宿の窓から射し込んでくる朝日の眩しさで、ルカは目を覚ました。体を起こした彼女は伸びをした後でベッドから出ると、朝日を辿るかのように窓から顔を出す。手前を見れば彼女にとって何もかもが新しかった人間の街が、遠くを見れば草原や森といった勝手知ったる大自然が見える。その二つの光景を交互に見ている内に、ルカは自分の過去と未来の両方を見ているような気分になっていた。
「……片方だけじゃ駄目だよね。どっちの世界も見てみれば、きっと良いことも悪いことも見えてくる。……私、森の外に出てみて良かったよ」
故郷の森の両親に語りかけるかのように、ルカは遥か遠くへと目を向けた。
「…………ん? 何かあそこにいる?」
……そう。遠くの空に何かがいる。はじめは何かとしか言いようがない黒点のようなものだったが、それが近づいてくるにつれて姿が明らかになる。
「……竜だ。それも、ドス黒い何かが見える……!」
エルフには、聖力という特殊な力がある。それは魔族の呪いへの耐性のようなものであると同時に、魔族特有の負のオーラを視認することができる。そして負のオーラは魔族以外でも、呪いをかけられた他種族にも見えるものである。……そう、その竜は呪いを表す負のオーラを纏っていたのだ。
「……!!!」
ルカはとっさに部屋から弓を取り出すと、竜に向かって構えて弦を引きはじめた。
(……アレはヤバい。本能が言っている。絶対に近づけちゃいけないって)
竜との距離はまだまだある。まだ線の細い少女であるルカの弦を引く力では、一見とても届かない距離だが、彼女には非力さを補う“力”があった。
「集中………………『流星の一矢』!!!」
星の如く輝きながら、光の尾を引く一矢が放たれた。ルカは魔法を自分の矢に乗せることで、威力と飛距離を補う術を身につけていたのだ。
(私の魔法には聖力の力も込められている! 当たりさえすれば……)
光の矢は竜に向けて一直線に飛んでいく。しかし、このままいけば命中するといったところで、竜の背中から現れた謎の影が矢を打ち落とした。
「……そんな!?」
後少しというところで渾身の一矢を防がれたルカは、驚きと焦りを隠せないままに次の一撃を放つために再び弦を引く。……しかし焦りからか狙いが定まらない内に、竜は街の上空に到着して力を溜めはじめてしまう。その開かれた口から見える炎は少しずつ大きくなっていき、周囲には熱風が吹き荒れる。
「……駄目! そんなことをしたら、この街が!」
ルカが矢を放つよりも先に、竜の口から炎が発される。このままでは街が炎に包まれてしまう、そう思ったルカは助けを求める一心で悲鳴を上げた。
「……やめて!!!」
「『街の守り手』!!!」
竜の炎は、見えない壁のようなものに阻まれる。いや、それは見えない壁ではなく、街全体を覆う“盾”であることにルカは気がついた。
「……アレスさん!」
アレスが力を使って街を守った。すぐにそう気づいたルカはアレスの名を呼ぶが、彼がいたはずの隣室からは人の気配がまったくしない。
「……あれ? どこに……?」
話は少し前、ルカが竜の接近に気づいた頃、隣室のアレスも竜の存在に気づいていた。
「……何で、竜がこんな人里に現れるんだ?」
アレスはこれまでの冒険者人生で何度か竜を見てきたが、それらはみな、人も魔族も近づかないような場所で静かに生きていた。そう、竜はエルフと同様に、本来人とは全く交わらない存在なのである。
(それに、感じる。……あれは多分、俺と同じ……)
その時、隣室から光の矢が放たれた。
(……!? あれは、ルカが!?)
光の矢は竜に向かって一直線に飛んでいく。しかしその矢は、竜の背中から現れた謎の影によって打ち落とされたのだ。
(あれを打ち落とした!? ……あいつはただ者じゃない。放っといたら危険だ!)
竜の背中から飛び出した男は、そのまま地上へと落ちていった。それを見たアレスは宿から飛び出し、男の着地点と思われる場所へと向かう。しかし、その間にも空中の竜は力を溜め、街に向かって炎を吐き出そうとしていた。
(……クソッ! 街を守るのが優先だ! 一か八か、やってみるしかねぇ!)
アレスは目的地に向かって走りながらも、空に向かって手をかざす。自分の魔力のありったけを使って、ただ街を守ることだけを考える。
(今なら、できる! 何度もみんなを守ってきた、俺の防御を信じろ!)
「『街の守り手』!」
街全体に、魔力の防護壁が、見えない盾ができる。竜の炎は盾に阻まれ、街まで届くことはなかった。
(やった! ここまで大規模なものははじめてだったが、今の俺ならできるんだ!)
自分の盾は、街をも守ることができる。それを証明してみせたアレスの興奮冷めやらぬ内に、背後からの殺気が彼を襲ったのである。
「……クッ!」
アレスはとっさに盾を展開して攻撃を防ぎ、なおかつ拳での反撃を試みる。
「ウオォッ!」
しかし、全力で振るったその拳は空を切る。アレスが拳を当てるべき相手は、既に彼の背後に回っていたのだ。
「……魔王様と出会って生き残っただけはあるな。竜の攻撃から街全体を守るとは」
「……魔王も、随分しつこいな。そんなに俺を殺したいのかい?」
「みたいだぜ? それも、できるだけ派手にやれって言われてる」
魔族の男は再びアレスの背後に回り込んでから魔力の弾丸、魔弾を撃ち込んでくる。アレスは盾で攻撃を防ぎ続けるが、相手の素早さの前に中々攻撃を当てることができない。
「クソッ! ちょこまかと……!」
「ハハッ! 攻撃力と防御力があっても、速さが足りないみたいだなっ!」
アレスをおちょくるように攻撃と回避を繰り返し続ける男。彼はわざとアレスに近づいてはその攻撃を避けるといった真似を続けており、その目的はアレスを殺すことよりも、注意を引き付けることのようにも見えた。
「……そうかい! 本命はお前じゃなくて、竜か!」
「正解! 派手にやれって言われてるから竜を持ってきたんだ! 上の防護壁も果たしていつまでもつかな!?」
今この間にも、竜は街の防護壁を破ろうとしている。いくらアレスといえども、いつまでも街全体をカバーするほどの防護壁を保ち続けることはできない。
(クソッ! 早くこいつを片付けて、竜をなんとかしなきゃ……この街が!!!)
「…………私が、やらなきゃ。……私が」
その頃、ルカは竜から最も近い建物の上に登り、竜をじっと見据えていた。自分の何倍もの体躯を誇るこの巨大生物から街を守ることができるのは、今は自分しかいない。ルカはそう覚悟を決め、震えながらも竜と対峙する。
「……アレスさんがいない以上、私がやらなきゃいけないんだ」