第3話 この広い世界
「……ここはどこだ?」
アレスが目を覚ますと、見覚えのない場所にいた。彼は自分の記憶を必死に掘り返すが、とんでもない威力の魔法を繰り出して意識を失ったところで記憶は終わっている。
(……そうだよ。ここがどこか考えるのも大事だけど、あの魔法がなんなのかも大事だろ。自分にあんな魔法を使える能力がないのは、俺が一番よくわかってるよ)
アレスは防御魔法に関しては天性とも言える才能があるが、一方で攻撃魔法の才能は皆無だった。戦闘における防御が無意味とは言わないが、守ってばかりでは戦いに勝てない。そんな、敵を倒す力のない自分を高く評価し、大切な仲間として受け入れてくれたブレイブ達にアレスは本当に感謝しており、だからこそ彼らのために率先して敵の攻撃を引き受ける一方、少しでもみんなの力になるために攻撃魔法の修行も続けていた。
(……でも、いくら特訓しても攻撃魔法は上達しなかった。そんな俺が、急にあんな魔法をつかえると思うか? 何かきっかけは……まさか……)
「……あっ、目が覚めたんですか?」
その時、部屋の扉が開いて見慣れない少女が顔を出す。よく見ると少女の耳は人間と比べて尖っており、人ではない存在、エルフの民だとアレスは気づいた。
「……えっ? あ、ああ。……えっと、君がここまで俺を連れてきてくれたのか?」
「まぁ、はい。魔窟の方ですごい音がしたから見に行ってみたら、あなたが倒れていたんですよ」
「そ、そうだったのか。わざわざありがとう。俺はアレスっていうんだ」
「私はルカです。……ちなみに、私が現地に着いた時には魔窟が派手に壊されていたんですけど……あれ、あなたがやったんですか?」
「……え? まぁ、一応?」
(さっき言ってたすごい音って、絶対俺が魔窟ぶっ壊した音だよな? ここが魔窟からどれだけ離れているか知らないけど、かなり派手なことをしてしまったのか……あ、そうだ!)
ここで、アレスはようやく自分にとってのもう一つの問題である呪いの事を思い出す。幸い、目の前にいるエルフという種族は聖力という特有の力を持ち、魔族の呪いに強い耐性を持っている。アレスはエルフである彼女に、自分の呪いについてきいてみることにした。
「な、なあ。俺は今、かなり強力な呪いにかけられているはずなんだが……その、君に悪い影響はもたらしていないか?」
「……そうなんですか? あなたからは、呪いによって発せられる負のオーラが全く感じられないのですが……」
「……え?」
何を言っているんだとでも言いたげな顔の少女に、アレスは衝撃を受ける。しかし、確かにアレスは魔王の呪いを食らい、一度は瀕死になったはずである。かといって、目の前の少女がデタラメを言っているようには見えない。
(……体の重みもなくなってるし、もしかしたら俺は魔王の呪いを克服したのか? ということは、俺はあいつらのもとに……)
グルギュルギュ~~!
その時、アレスの腹が盛大に鳴った。しかしそれは仕方無いことだ、彼はもう何日もの間、何も口にしていないのだから。
「今の音……」
「……失礼、図々しいかもしれないが、なんでもいいから食べられるものが欲しいんだ」
「……は、はいっ!今持ってきます!」
エルフの少女が食料を持ってくると、アレスはそれを一瞬で平らげてみせる。その豪快な食いっぷりに少女は興味津々である。
(す、凄い……これが人間の食べっぷり……なるほど、勉強になるな……!)
「……ご馳走さま! ありがとう、とても美味しかったよ」
「本当ですか? お口に合ったみたいで良かったです。もしも人間の味覚に合わなかったらどうしようかと……」
「……確かに。でも、エルフの味覚が人間とは近いみたいで良かったよ」
エルフは、基本的に人里から離れた森の奥で暮らす種族である。非常に排他的な種族であり、自分から森の外に出ていくことは滅多にない。それなりに経験を積んだ冒険者であるアレスでも、これまで出会ったエルフはまだ数人しかいない。
「でも、俺を家に連れてきてよかったのかい? エルフの村に人間が入るのって、色々不味いんじゃ……」
「いくらエルフが排他的でも、倒れている人を見捨てたりはしませんよ。それに、私はここの首長の娘だから、色々融通は聞くんです」
「へぇ、首長のね。それは……」
その時、アレス達が入っている部屋のドアが開かれた。部屋に入ってきたのは壮年のエルフである。
「……目が覚めたか。人間殿」
「……お父さん」
「ルカ、分かっているな。……人間殿、すまないが、体に異常がなくなり次第この村を出てくれると助かる。私はまだいいが、貴殿のことを快く思わない者も多いからな」
ルカの父はそれだけを言って部屋から出た。父親を見送ったルカは、ばつが悪そうな顔でアレスに再び向かい合った。
「……ごめんなさい。もうちょっと村に留めおいてくれるよう、掛け合ってはみたんですけど……」
「いいや、人間のくせにエルフの村に入れてもらっただけでもありがたいよ。もう体も大丈夫だし、明日にでもここを発つよ」
「えっ!? もう行っちゃうんですか!?」
アレスの話を聞いたルカは露骨に悲しそうな顔をする。彼女はまず大声を出したことを謝ってから、アレスに対して思うことを言いはじめた。
「……私、あなたの話を聞きたいんです。外の世界の人間の話を」
「……俺の話を?」
「はい。私は、エルフはこのままじゃいけないと思っています。今の時代、こんな狭い世界にいつまでも閉じ籠っていないで、もっと広い世界を見なきゃ駄目だと思うんです。そうしなきゃ、エルフはどんどんこの森の奥で孤立して、人間や魔族から遅れていく。比較すべき他者との交流なくして、成長はできないから」
アレスの目をまっすぐ見てそう語るルカからは、強い意志が感じられた。この少女は自分の夢や理想の中に、エルフという種族全体の未来も詰め込んでいる。そう感じたアレスは微笑みを浮かべた後、ルカに対して人間の世界と、自分のこれまでの冒険の記憶を語った。エルフの未来を担うこの少女に、少しでも広い世界を教えるために。
その頃、アレス達と戦いを繰り広げた魔王、ジュノーのもとに信じがたい報告が舞い込んでいた。
「何だと!? 我が呪いを受けたあの男が生きているだと!?」
「はい。私も信じられず、ジュノー様に報告する前にこの目で真偽を確かめにいったのですが……」
「……我が作った魔窟は、報告通りに半壊させられていたと」
実はジュノーとアレス達の戦いは、魔窟内の多くの野次馬魔物に観戦されていた。もちろん、近くにいては巻き添えを食らうので、魔物でなければ観戦できないような遠くからだが、その時に野次馬達はアレスの顔を覚えていた。そして、アレスがジュノーの呪いを受けたことも。
戦いの後、野次馬は二つに別れた。片方は撤退するブレイブ達を襲いに向かい、片方は呪いに犯されるアレスの最期を見るためにその場に留まった。
ジュノーの呪いは近づけば魔物といえども伝染して死に至るほどの強力なもので、魔物達はじっと遠目から弱っていくアレスを見ていた。アレスが死んだ後すぐに、その肉を食らうために。
しかしアレスは死なず、それどころか魔窟を半壊させた。それを見た魔物達は一目散に逃げ出し、ジュノーの腹心、クロウにその件の報告をしたのだ。
「……どうなさいますか?」
「……忌々しいな。まあよい、そいつの居場所は分かるのか?」
「はい。力を使った後に倒れた男を襲おうとした魔物が、やって来たエルフに倒されたとも聞いております。恐らくはそのエルフの集落付近にいるのではないかと」
「分かった。ならば刺客を送らせよう。……私から逃げられると思うな、勇者一行よ。手始めに盾の男を血祭りにあげてやる」