6話 優しい彼と普通の私
気分が悪いと言って、優真はトイレへとダッシュして行った。
私は優真が戻ってくるのを、近くのベンチに座り待つ。空には、少しばかり雲が出てきたようだ。
……優真が、私を遊園地へ誘ってくれた時、本当に嬉しかった。
優真が今日、私にしようとしてくれているは、なんとなく想像がついている。……まったく、優真は反応がわかりやす過ぎなのだ。
──皆は、私を完璧少女と呼ぶ。容姿が良くて、勉強ができて、運動ができて、その他の芸事もパーフェクトだと。
……でも、私は皆が思っているほど、完璧な人間じゃない。
──私の両親は、教育に厳しい人だ。どんなことでも、常に一番を求めてくる。
物心ついた時からだったから、私にとっても、その両親の教育方針が当たり前だった思っていた。だから、大量の習い事をさせられても、幼稚園へ入学する前から小学校の勉強を教えられても、特に不思議だとは思わなかった。
幼稚園の入学式で両親に言われた、友達を作って遊ぶ時間があるくらいなら勉強しなさい、という言葉も、疑うことなく信じた。
私はそれを守り、幼稚園で誰とも遊ばず、ずっと一人で勉強をしていた。
……だからなのだろう。同級生の子たちは皆、私のことを変な子だという視線で見た。先生たちにも、きっと両親の圧力がかかっていたのだろう。先生も、そんな私に対して何も言わなかった。
次第に私は幼稚園で浮いた存在となり、いじめられるようになった。でも私は抵抗したりしなかった。両親に迷惑をかけたくないし何より、助けてくれる人がいないことも分かってたからだ。
私と優真が初めて出会ったのは、そんな幼稚園の頃。
優真は転校生だった。父親が事故で亡くなり、安い物件へ引っ越してきたのだという。その事を知ったのは小学校の頃だったけど。
優真は、いじめられている私を助けてくれた。
それは、私にとって初めて、私のことを普通の目で見てくれた人だった。
どうして助けてくれたの? 私はそう聞いた。
すると優真は笑顔で答えてくれた。いじめはサイテーだし、それに、君と友達になりたかったから!
その言葉を聞いた瞬間、私は心の中に温かい何かを感じた。
それからの幼稚園は、毎日が楽しかった。
けれど両親が知ったら、別の幼稚園に転校させられるかもしれない。そこまでする人たちだから。
だから家で遊んだりはできなかったし、遊ぶのを理由に勉強を愚かにすることも許されなかった。
でもよかった。優真という初めてできた友達と、毎日お話ししたりできれば。
優真は折り紙が得意だ。鶴はもちろん、恐竜、駒、動物、なんでも折ってくれた。私も教えてもらって色々なものを作った。でも、優真より上手に折れたことはない。
ある時、いじめっ子が私が着けていたピンクの蝶の髪飾りを壊した。お気に入りの物だったから、私は珍しく反抗しそうになった。けれどそれを、優真は制してくれて、折り紙で折られた小さなピンクの蝶を私に渡してくれた。
代わりになるかはわからないけど……。そう優しく言って。
小学校へ上がる時、両親は名門私立校を私に受けさせようとした。まあ当然のことだ。
私は、その時初めて、両親に直接反論した。
私をいじめいた人たちと同じ小学校へ行くのはもちろん嫌だった。けれど、優真と離ればなれになるのは、もっと嫌だった。
私が反論したことに驚いたのか、両親は私の願いを聞いてくれた。ただし、今まで以上に勉学に励むという条件付きだったが。
中学校も高校も、これと同じ理由で進学した。幼稚園とは違い、いじめられることはなく、友達もいっぱいできた。学校生活は、家にいる時よりも楽しい。
けれど一番は、優真と離れたくないという理由で──
よく聞かれる。どうしてそんなに勉強ができるの?
理由は簡単。毎日3時間以上勉強しているから。
どうしてそんなに運動神経がいいの?
勉強の合間を縫ってランニングしたり、トレーニングをしているから。幼少期から様々な競技の習い事をしていたから。
どうして料理も裁縫も得意なの?
昔から両親に教えられているから。
どうしてどんな楽器と演奏できるの?
ピアノもギターもバイオリンもお琴も、ずっと習ってきたから。
どうして絵が上手に描けるの?
絵画教室に通っていたから。
時々言われる。小桜は天才だね、と。きっと神様に気に入られているんだね、と。
そんなことない。心の中で、いつも私は反論する。私はただの凡人だと。
全部全部全部、両親に言われるがままに努力し続けた結果。少しでも努力を怠れば、すぐに下へ落ちていく。そうすれば、両親は私のことを自分たちの娘だとは思わなくなる。私の居場所がなくなる。
それを恐れて……怖いから、臆病者だから、私はそれをしているだけなんだ。
私は、完璧なんかじゃない。私は普通なんだよ……
優真はよく自分のことをヘタレなんだと言う。それを聞いて、私はいつも首を傾げる。
優真は気づいていない。優真はヘタレなんじゃない。優しい人なんだということに。
自分のことよりも、相手のことを思いやれる優しい優しい人。優真の姿を見るだけで、私はいつも安心できる。完璧少女でいなくちゃならないという恐怖から解放される。
でも優真も多分、私のことを完璧少女だと思ってるんだろうな~
けれど優真は私と話す時、私のことを完璧少女としてでなく、幼なじみの女の子として見てくれる。心でどう思っていようと、私はそれがとっても嬉しい。
……嫌だなぁ……帰りたくない。
ずっと優真とここにいたい。時間が止まればいいのに……
私は首に下げたロケットペンダントを握る。
その中に入っているのは、私の大事な大事な宝物。
「ふふ……好きだよ、優真」
誰にも聞こえない小さな声で、私はそう言葉をこぼした。
◆◆◆
「はぁ……」
いい加減覚悟を決めなければいけない。
トイレにこもって早5分以上が経過しようとしている。さすがにこれ以上は帆ノ美を待たせられない。
未だに心臓はバックバクだが、もうここは腹を決めようではないか。
そう決意し、僕は勢いよくトイレの扉を開けた。場所がトイレというのがかっこ悪いが……
石鹸を使って入念に手をを洗って、ベンチに座り待つ帆ノ美の元へ戻った。帆ノ美は空を見ていた。
「ご、ごめん……待たせて」
僕の声に気がついた帆ノ美が、整った顔立ちをこちらに向ける。
「ううん、大丈夫だよ。それよりも、そんなに体調悪かったの? 無理しないで、気分が悪くなったら言ってね」
「……ああ、ごめん」
「謝る必要はないよ。ささっ、早く行かないと、パレードの特等席が全部取られちゃう!」
「えっまだパレードまで30分以上あるぞ?」
「甘いなぁ。パレードの席は、あっという間に取られちゃうものなの。これぐらい前に行っても、一番いい席は取られちゃってるよ」
「へぇ~皆そんなにパレードを楽しみにしてるんだな。帆ノ美もか?」
「うん! とっても楽しみ♪」
「そっか──なら絶対いい席取らないとな!」
僕は力を込めて、そう言った。
《作者のちょこっと裏設定》
幼稚園時代に帆ノ美をいじめていたのは男の子3人だった。それが原因で、帆ノ美は今でも多少、男子恐怖症(優真を除く)になっている。
なので実は、優真と同じ学校に行くか、女子校へ行くか、小・中・高、結構悩んでたり。