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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第5章 西誅
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78:豹変

 ハインリヒが率いるハンターチームは、扇形に広がった山狩りの中央付近を、山腹へと登っていた。ハインリヒは麓から付近一帯を見上げた際、南北に連なる山脈に1箇所だけ、山が途切れて峠の様になっている場所がある事に気づいた。もしかすると、アラセナの住民にしか知らない抜け道があり、ホセはそこに向かっているのではないか?ハインリヒはその直感に従って、峠へと向かって行ったのである。


 麓から見た時には峠の位置は明確にわかったが、実際に登ってみるとそれは生い茂る木々に隠れてしまい、峠の正確な方向が分からなくなってしまった。それでも一行はおおよその方向を頼りに山を登っていたが、やがて一行の進む先は勾配が厳しくなり、それ以上登る事ができなくなる。ハインリヒは止むを得ず一行に小休止を命じ、その間に北と南、どちらに迂回するのが正しいか、判断するのに役立つ情報を探し始めた。


 木々の隙間から手掛かりが何か見えないか、上を見上げているハインリヒの耳に、微かに川のせせらぎの音が聞こえてくる。


 沢?沢があるのか?沢は峠から見て、どの位置にあった?


 ハインリヒは麓から見上げた光景を記憶の底から掘り出して、沢の位置を探す。ハインリヒの記憶では、アラセナ北部は山と森に囲まれており、少なくとも一目して沢とわかる場所はなかったはずだ。ハインリヒは目を閉じ、記憶の光景を分解して、手掛かりを探し始める。


 棒立ちしたまま動かなくなったハインリヒを余所にハンター達は休憩していたが、そのうちの一人が座り込んでいた岩から静かに離れると、身を屈めてハインリヒの元へと移動する。そして、瞑想したままのハインリヒに顔を寄せ、小さな声で呟いた。


「…ハインリヒ様、失礼」

「…どうした?」


 ハインリヒは半目を開けて、横目でハンターを見る。


「エルフが、います」

「…何?」


 予想外の報告にハインリヒは両目を開く。ハンターは報告を終えると体の向きを変え、元来た道を身を屈めて戻って行く。その後を、ハインリヒも身を屈めて追った。ハンターは先ほど座っていた岩の元に屈みこむと、黙って北西の方向を指差した。


 ハンターの指差した先には、3人の男女がたむろしていた。3人の種族はまちまちで、エルフの女と獣人の女と人族の男。3人は前方を見たまま、動きを止めている。どうやら麓の様子を窺っているように見える。


「どうします?捕えますか?」


 ハンターは小声で尋ね、ハインリヒを見上げるが、そこで眉を顰める。


「ハインリヒ様?」

「…まさか、生きて…」


 ハンターが見上げた先には、目を見開き、大きく顔を歪めたハインリヒが、口をわななかせていた。




 あの男が、生きていた。リーデンドルフで死んだはずのあの男が、生きていた。見間違いようのない、右腕のない男。その瞬間、ハインリヒの頭の中からは、西誅もホセもフローリアも、全てが吹き飛んだ。


 自分が謀られた。「五傑」と呼ばれ、エーデルシュタイン随一の魔術師と自負する自分が、謀られた。美香と自分の間を阻む最大の障害が、再び立ちはだかった。リーデンドルフで自分が仕掛けた罠の生き証人が、目の前に現れた。1年半前に全てが終わり、心の奥深くに沈殿したはずの腐臭を放つ汚泥が再び撒き上がり、ハインリヒの心をどす黒く染めていく。汚泥は瞬く間にハインリヒの胃の中から喉へと抜け、魔法となってハインリヒの口から飛び出す。


「汝に命ずる。風を纏いし茨の槍となり、我に従え。螺旋を描く線条となり、彼の者を割き、抉り、その身を貫け」

「ハインリヒ様?」


 訝るハンターを余所に、ハインリヒは「エアジャベリン」を詠唱し、柊也へと射出する。今度こそ、今度こそ殺す。しかし、―――


「あ…」


 獣人の女が気づいた。彼女はこちらを見ようともせず柊也へ駆け寄り、柊也とエルフを突き飛ばす。そんな彼女に、「エアジャベリン」が襲い掛かる。彼女は両腕を交差して身を守るが、「エアジャベリン」の直撃を受けて吹き飛ばされ、鮮血を撒き散らし、ハインリヒの視界から消えていった。




 ***


「シモォォォォォォォォォン!」


 柊也は斜面に駆け寄り、下に向かってあらん限りの声を張り上げる。斜面の下は草木が生い茂り、視界が遮られている。柊也は刹那の間だけ耳を澄ますが、シモンの手掛かりとなる音は何一つ拾えない。


「シモンさん!」


 柊也の傍らからセレーネが身を乗り出し、同じく声を張り上げる。そんなセレーネを柊也は無視し、振り返って自分達を見下ろす男達の集団を見つける。そして何の根拠もなしに加害者を特定し、地獄の咆哮をあげた。


「ハインリヒ・バルツァァァァァァァァァァ!」




「シュウヤ!貴様、何故生きている!?」

「…」


 二人は、互いを呪い殺さんとばかりに、相手を睨み付ける。ハインリヒは汚泥を全て吐き出さんとばかりに喚き散らし、一方柊也は、ハインリヒの名を叫んだ後は、まるで噴火直前の火山の様に黙り込む。


「シュウヤ!貴様、この私を謀ったな!『五傑』と呼ばれ、エーデルシュタイン随一の魔術師であるこの私を謀ったな!赦さん!赦さんぞ!」

「…」

「トウヤさん!」


 柊也はハインリヒの怒声を浴びながら、獣道から外れ、ゆっくりとハインリヒの元へと登って行く。二人の間は緩やかな斜面となっており、下草が広がるだけで視界を遮るものは何もなかった。柊也の目はハインリヒを睨み付けたまま、灼熱の炎をたたえ、大きく歪んだ口の端から食いしばった歯が剥き出しになっている。セレーネが慌てて柊也に声をかけるが、柊也は振り返る事もなく、ハインリヒに向かって歩み続ける。その柊也の様子を見たハンター達は、迎え撃とうと武器を構えた。


 ハンター達に囲まれたハインリヒは、柊也に罵声を浴びせ続ける。


「シュウヤ!貴様に、この世界で生きる価値はない!ミカ殿を惑わし、たかり、足を引っ張る貴様に、生きる価値などない!貴様は、今すぐ死ぬべきなのだ!殺す!今度こそ殺してやる!」

「…」


 柊也は、ハインリヒに罵倒されようとも一切の声をあげず、ハインリヒへ近寄って行く。その彼の一本しかない腕は何も持っておらず、ただ目まぐるしく手首を動かしている。


 ハインリヒは今度こそ柊也に止めを刺すべく、自身の最も得意な属性魔法を詠唱する。




「汝に命ずる。炎を纏いし紅蓮の槍となり、巴を             」




 突然、ハインリヒとハンター達は、無音の世界に突き落とされた。




 ***


 サ、「サイレンス」だとぉ!?


 ハインリヒは一切の音を奪われた事を知り、愕然とする。自分が「サイレンス」をかけられた事が、信じられなかった。いや、ハインリヒはおろか、ハンター全員が呆然となっていた。何故なら、


 いつだ、いつ詠唱した!?


 詠唱が聞こえなかったのだ。詠唱されていない「サイレンス」が、発動したのだ。


 この世界の魔法は、必ず詠唱が必要となる。無詠唱というものは、存在しなかった。無詠唱で発動するのは素質のみであり、現在知られている素質の中に、「サイレンス」に相当するものは存在していない。そして「サイレンス」は、レジストが非常に容易な魔法である事で知られている。詠唱が聞こえた時点で意識をしっかりと保てば、容易にレジストできるのだ。…詠唱が聞こえていれば。


 未知の素質か!?


 まさか柊也が未知の素質を有していたとは思っていなかったハインリヒは、動揺する。しかしハンター達はすぐさま立ち直り、柊也に襲い掛かった。「サイレンス」によってハインリヒは無力化されたが、ハンター達は素質も得物も健在である。五感の一つを潰されただけであり、戦闘は可能だった。


 そう判断したハンター達は一歩を踏み出したが、男がいつの間にか金属質の棒をこちらに向けているのに気づく。それが何か誰もわからないまま二歩目を踏み出したが、三歩目を地面につける事ができたハンターは、一人もいなかった。


 男が持つ金属質の棒が立て続けに火を噴き上げ、棒が暴れる。それを見たハンターは、直後に、ある者は目を潰され、ある者は腹に激痛が走る。そしてある者は、何が起きたのか気づく間もなく意識を掻き散らされ、そのまま絶命する。誰も彼もが体から血を噴き上げ、自らの意思と関係ない方向に体を引き千切られ、激痛に身を捩る。そしてそれは一度では終わらず、二度三度四度と体のあちこちで繰り返し行われる。ハンター達は、自らが望まぬ無音舞踏会で無様な踊りを披露し続け、次々に絶命していった。




 ハインリヒは尻餅をつき、激痛の走る脇腹を抑えながら、信じられない面持ちで柊也の姿を眺めていた。つい先ほどまで柊也との間に立ちはだかっていたハンター達は一人もおらず、全員が地面に倒れている。その誰もが、痙攣しているか、痙攣していないかの、どちらかになっていた。


 そのハンター達の間を、柊也がゆっくりとハインリヒの許へ向かって来る。途中、痙攣しているハンターに金属の棒を向けて火を吐き、痙攣していないハンターへと変えていく。無音の中で、機械的な作業を行いながら、柊也はゆっくりとハインリヒに近づいて来た。


 ハインリヒは、尻餅をついたまま、魔法を詠唱する。


「                                  」


 柊也は、ゆっくりとハインリヒに近づいて来る。ハインリヒは、尻餅をついたまま、後ずさりする。


「                     」


 柊也は、構わずハインリヒに近づいて来る。ハインリヒは、尻餅をついたまま両掌を前に出し、上下左右に激しく振る。


「                           」


 柊也は、構わずハインリヒに金属の棒を向ける。ハインリヒは大きく目を見開き、喚き声を上げる。


「                                  」


 柊也は、構わず右人差し指に力を入れる。ハインリヒは、




 ***


「セレーネ」


 地面に倒れている頭のない男を眺めながら、「サイレンス」を解除した柊也が、名を呼んだ。


「…はい、トウヤさん」


 柊也はセレーネに背中を向けたまま、独り言のように呟く。


「お前の耳だけが頼りだ。どんな些細な事でもいい。俺に教えてくれ」

「…はい、必ず」


 柊也は、そう答えたセレーネに振り返ると、右手で拳銃を取り出し、麓に向かって打ち上げた。弾は鈍い音とともに白い煙を引きながら、上空へと飛んでいく。その煙を眺めながら、柊也は静かに宣言した。


「シモン、もう少しだけ待ってくれ。必ず、必ず助ける」

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