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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第5章 西誅
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76:アラセナの戦い

「さて、次の難所はアラセナだ。どう攻略すべきだ?」


 その日、西誅軍の野営地に張られた天幕の中で、リヒャルトがギュンターとハインリヒの二人に献策を命じた。


 西誅軍がレセナを出立して2日が経過した。この日、西誅軍はレセナの北部にある街を早々に陥落させ、野営地は喜びと興奮に沸いている。この先、アラセナとの間にはもう一つ中規模の街があるが、レセナより防備が薄く、懸念すべき点は全くない。司令部は早々にアラセナへと意識を向けていた。リヒャルトの意を酌んで、ハインリヒが口を開く。


「アラセナは、レセナとは比較にならないほど堅固な街です。領主のロベルト・デ・ベルグラーノは聡明で、領民にも慕われています。守備兵やハンターの数も多く、セント=ヌーヴェル最強のハンターもいます。単純な力押しでは、いたずらに時間を費やす事になるでしょう」

「かと言って、放っておいて背後で蠢動されても困るからな」

「ええ。すみやかに攻略する必要があります」


 ハインリヒは、ここで一拍置き、再び口を開く。


「殿下、ギュンター殿。一つ私に考えがあります。お聞き願えますか?」

「勿論だとも。忌憚なく意見を述べてくれ」




 ***


 ホセとフローリアがアラセナを出立した翌朝。一行は、サンタ・デ・ロマハへと向かう長い道を西へと進んでいた。


 西へと向かうのは一行だけではなかった。西誅軍北上の声を聞き、アラセナからは万を超える住民がアラセナから脱出し、サンタ・デ・ロマハへと向かう道は、長い長い人の行列が続いていた。その多くは徒歩であり、些か余裕のある家が荷馬車を使う程度。フローリアの様に屋根付きの馬車に乗る者は、ほとんどいなかった。ちなみにフローリアの乗る馬車はしっかりとした造りではあったが、飾り気の全くない無骨なものであり、ベルグラーノ家の家紋も一切付いていなかった。


 アラセナからサンタ・デ・ロマハまでは、徒歩で10日程度。まだ出立したばかりであり、道中はまだ先が長いが、とりあえず無事に街を出立できた事は幸いである。長い行列を歩く多くの人々が、当座の危険から回避できた喜びと、将来の不安との板挟みにあいながらも、自らの歩みを止めず西へと向かって行く。


 しかし彼らの目論見は、この日早々に破綻する事になった。


「あれは…」


 騎乗して馬車に随伴するホセの視線が、西の端を見つめる。そのホセの顔が、みるみる険しくなっていった。ホセは馬車の護衛と御者に対し、命令を下す。


「全員、反転しろ。進行方向で問題が発生している。巻き込まれる前に離脱するぞ」


 サンタ・デ・ロマハの方向から、駆け戻ってくる大勢の避難民の姿を見て、一行は早々に計画変更を余儀なくされる事になった。




 西方への道から少し外れた木々の影に馬車を隠した一行は、2人の護衛が逃げ帰る避難民の許へと向かい、情報収集を行う。徒歩とは違い、馬車や馬はその場での反転が難しいため、人々の混乱に巻き込まれると立ち往生してしまう。そのためホセは、情報収集より反転退避を優先させていた。


 戻って来た2人の護衛のハンターが、ホセとフローリアに報告する。


「この先、サンタ・デ・ロマハ方向に、西誅軍の騎馬隊が出没し、避難民に襲い掛かったそうです。避難民の情報ですから不確実なものですが、その数は千以上。避難民を追い立てる様にして、アラセナへと向かっているとの事です」

「くそ…」

「ホセ様…」


 報告を聞いたホセは親指を噛み、フローリアは馬車に同乗していた老女中に支えられながら、不安そうにホセを見る。老女中はロベルトより最後の奉公として、サンタ・デ・ロマハへの随行を仰せつかっていた。彼女の息子がサンタ・デ・ロマハに居を構えており、彼女はそのまま息子の許に身を寄せる予定であった。


 ホセは逃げ惑う避難民の群れを見ながら、考えをまとめる。避難民たちは混乱の極みにあり、他人を押しのけ、我先にアラセナへと逃げていく。サンタ・デ・ロマハの方向を見ても、その終わりは見えず、西誅軍の追撃は未だ続いていると予想された。ホセは、そこに違和感を覚える。


 騎馬隊であれば、避難民達に早々に追い付いているはず。にも拘らず未だに姿に見えないところが意味するのは、何か。…アラセナに避難民を追い込む事が目的か?その真意は?士気の低下?兵糧の負担を強いるためか?いずれにせよ、アラセナに戻るのは西誅軍の思惑に乗ってしまう。ホセはそう結論付け、一行に対し口を開く。


「西誅軍の目論見は、アラセナに我々を追い込む事のようだ。このままアラセナに戻るのは、相手の思惑に乗る事になる。我々は一旦、アラセナ北部の山中に潜み、やり過ごす事にしよう」

「わかりました。ホセ様」




 その夜、アラセナの西門は、逃げ戻ってきた避難民達の流入によって混乱の極みにあった。人々は我先にと西門へと群がり、アラセナへと入ろうと押し合う。避難民達に他人を気遣う余裕はすでになく、不幸にも転び倒れ込んだ者は、そのまま人々に踏み潰され、息絶えてしまう。1万もの人々が西門に集中した結果、混乱は翌日の朝方まで続き、そしてそれが終わる頃、ついに西誅軍の本軍が街の南に姿を現わした。


 西誅軍はアラセナの四方を取り囲むと、一斉に攻撃を開始する。魔術師達が魔法を放ち、兵士達が無数の矢を放っていく。東西南北の街門には兵士達が群がり、破城槌の準備を始める。それに対し、アラセナ側は街壁の上から弓や魔法を放ち、必死に応戦していく。


 アラセナは四方を取り囲まれ、他を顧みる余裕のない、総力戦へと移っていった。




「さぁて、そろそろ仕事を開始しようかね!」


 いかつい両手を打ち鳴らして、ヴェイヨが発破をかけると、周りに並ぶハンター達が頷く。ハンターの一人が空中に向かって鏑矢を撃ち上げると、ハンター達は一斉に行動を開始する。鏑矢は空中高く飛び上がり、周囲に甲高い音を鳴り響かせた。


 ヴェイヨをはじめとする数百人のハンター達は、一斉に建物の物陰から飛び出すと、次々に西門へと駆け寄って行く。そして守備兵達に次々に襲い掛かると、瞬く間に打ち倒していく。一部のハンター達は街壁へと駆け上がり、街壁の上から西誅軍へ攻撃している守備兵達にも襲い掛かった。


 その間に西門を制圧したハンター達は、西門の閂を外し、内側から門を開く。西門が開いたのを見届けた西誅軍は、一斉に西門へと突入して行った。


 前日の騎馬隊による避難民への襲撃。それは、西門の混乱に紛れてハンター達を潜入させる事が目的であった。正規兵と違い、ハンター達は思い思いの服装をしており、防具を外せば市民と区別がつかない。またヴェイヨの様に、素質によっては素手や小型の武器を用いる者も多数存在した。ハインリヒはその様なハンター達を集め、混乱に乗じて避難民とともに街中に潜入させていたのである。


 西門が破られた事で、アラセナの運命は決まった。四方を取り囲まれたアラセナはほとんど全ての戦力が駆り出されており、予備戦力がほとんどいない。その中で無防備にも開いた門から次々に入り込む西誅軍の前に、アラセナの守備兵は地の利を失い、次々に打ち倒されていく。それは、まるで西門から侵入した毒が血管を通って全身に回るかのように、瞬く間に街中に広がり、やがてレセナの時と同じ惨劇がアラセナの各所で見られるようになった。


「まさか、こんなに早く陥ちるとはな…」


 燃え盛るアラセナの街を見ながら、ロベルトは自嘲の呟きを漏らす。ロベルトとしては、勝てないにしても1週間は立て籠もれると見ていたが、実際は1日ともたずに陥落しようとしている。その情景を見ながらロベルトは、自分の浅はかさに笑いたくなる思いだった。


 すでに屋敷の中でも怒号と悲鳴と剣戟の音が鳴り響き、それが刻一刻と近づいてきている。ロベルトは笑いを止めると、壁に掲げてある剣を抜き、扉へ向かいながら独り言ちる。


「ホセ、フローリアを頼むぞ」


 彼の領主としての最期の務めが、間近に迫っていた。




 ***


 燃えさかるアラセナの街を前に、リヒャルトの元に2つの報告が届いていた。


「何?セント=ヌーヴェルが?」

「はい。およそ18,000の軍が、こちらに向かっているとの事です。一両日中には接触します」

「馬鹿か、あいつらは」


 報告を聞いたリヒャルトは、セント=ヌーヴェルに悪態をつく。ギュンターとハインリヒにも、その理由がわかっていた。


 エーデルシュタインの軍は総勢40,000。それに対し、半数にも満たない18,000をそのままぶつけるなど、自殺行為に等しい。戦うのであれば策を講じ、地の利を確保して、自分の土俵に相手を引き摺り込んで戦うべきなのだ。


 また、もしぶつけるのであれば、エーデルシュタイン軍ではなく、カラディナ軍にぶつけるべきである。カラディナ軍は現在9,000と25,000に分派している。ぶつけるのであれば、合流前のカラディナ軍にぶつけて各個撃破を目論むべきである。9,000であれば18,000の半数であるし、25,000にしても工夫次第で互角に戦えるだけの数といえる。


 そして、もしカラディナ軍に勝つことができれば、セント=ヌーヴェルの中央と西部が勢力圏として残り、懐が深くなるというメリットがある。それに対し、仮にエーデルシュタイン軍を撃破できたとしても、中央にカラディナ軍がいる事で、勢力圏が分断されたままになってしまう。18,000が無策のまま40,000に突入するのであれば、パトリシオ3世は錯乱したとしか言いようがなかった。考えに耽るリヒャルトに、もう一つの報告が齎される。


「それと、ロベルト・デ・ベルグラーノの娘であるフローリアと、ホセが、アラセナを脱出し、北部山中に逃れたとの情報が寄せられております」

「『アラセナの宝石』が?」

「はい」

「数は?」

「10人にも満たないようです」

「そうか…」

「如何しますか?殿下」


 報告を受け、ギュンターがリヒャルトに方針を聞く。リヒャルトはしばらく沈黙した後、口を開いた。


「ギュンター、アラセナの掃討が終了した後、3,000を残してセント=ヌーヴェルを叩く。その準備をしろ」

「畏まりました」


 ギュンターに指示を下したリヒャルトは、続けてハインリヒに目を向ける。


「ハインリヒ。お前はハンター500を率いて、山狩りに向かえ。できれば『アラセナの宝石』を保護しろ」

「畏まりました」

「それと、ヴェイヨも連れて行け。相手はアラセナのホセだ。万一の事があるやもしれんからな」

「ヴェイヨ・パーシコスキですか?しかし…」

「何だ?何か問題があるのか?」


 リヒャルトは、歯切れの悪くなったハインリヒに理由を聞く。


「はい。ヴェイヨは確かに腕が立ちますが、独断専行が目に余ります。それと女に目がありません。ヴェイヨが先に『アラセナの宝石』を見つけた場合、彼女が無事でいられるとは思えません」

「ああ、そういう事か。それなら構わんよ」

「え?」


 ハインリヒの懸念を理解したリヒャルトは、あっさりと了承する。


「山狩りの目的は、ホセの打倒だ。『アラセナの宝石』の保護は、正直必須ではない。お前が先に見つけられたら、保護してくれ。ヴェイヨが先に見つけるようであれば、ホセの討伐報酬としてくれてやっても構わんよ」


「アラセナの宝石」の噂は、リヒャルトの耳にも届いていた。リヒャルトは、例え敵対する国であっても、高貴な身分の者は、それなりに配慮する余裕を持っていた。しかし、それは「何かの役に立つかも」という理由でとりあえず確保しておくレベルであり、当人を慮っての事ではない。そのため、ヴェイヨによって「アラセナの宝石」が壊されるのであれば、それはそれで仕方ないと思っていた。リヒャルトの意向を理解し、ハインリヒが了承する。


「了解いたしました。それでは、ヴェイヨ・パーシコスキを連れ、ホセの討伐に向かいます」

「頼んだぞ」


 こうしてエーデルシュタイン本軍は、3,000を残した36,500を引き連れ西へと向かい、ハインリヒ・バルツァーに率いられたハンター500が、アラセナ北部山中へと向かって行った。

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