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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第5章 西誅
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72:崩壊への序章

 ロザリアの季節が終わりガリエルの季節へと入った、ガリエルの第1月18日。西誅軍はカラディナへと入国する。北伐の時にはセント=ヌーヴェル軍の入国を頑なに拒んだカラディナであったが、今回は素直に受け入れ、西誅軍に北部経由での横断を認める。西誅軍はカラディナ国内を北進し、ギヴン、ラ・セリエを経由して、西へと向かった。


 ギヴンは、あの惨劇から2ヶ月が経過し、すでに復旧が完了していた。石造りの堅牢な城壁を持つ街だけあって、少なくとも外観上は、何ら戦禍の跡が見られない。40,000もの大軍を抱えた西誅軍は、街中に入る事はなく、ギヴンの前を通り過ぎて行く。


 しかし、ラ・セリエを過ぎた辺りから、次第に惨劇の爪痕が目立ってくる。沿道の畑は荒らされ、小さな村落は崩落し、あちらこちらが焼け落ちている。そして、沿道の至る所に盛り土があり、そのいくつかには木や石造りの簡素な墓標が建てられていた。


 廃墟の中から薄汚れた人々が三々五々集まり、長い西誅軍の列に向けて自分の願いを投げかける。


「西誅軍の皆さん、お願いします!憎っくきセント=ヌーヴェルに天誅をお与え下さい!」

「私の可愛い娘が、セント=ヌーヴェルの奴らに殺されました!奴らを皆殺しにして下さい!」

「エルフどもにも、天罰をお与え下さい!」


 村民達はそれぞれの願いを西誅軍に託し、長い長い軍列をいつまでも見守っている。いつ終わるとも見えない40,000の大軍は、村民達に希望を与え、きっとセント=ヌーヴェルとエルフを業火の下に葬ってくれるであろうと期待させるに十分な迫力があった。




 ***


 西誅軍の到着に先立ち、ラモアとアスコーを占領するカラディナ軍には、カラディナの民兵やハンター達が国境を越え、続々と参集していた。彼らの思いはまちまちで、西誅の命に従う者、北部の惨状を憂い彼らに代わって復仇を目指す者、戦いで名をあげようとする者、勝ち馬に乗りセント=ヌーヴェルでの略奪を目的とする者と、実に様々であった。


「まったく、まぁた引っ張り出されるとは。ウチの代官の信仰心の篤さはいいが、付き合わされる身にもなってほしいもんだねぇ」


 弓を持った艶のある女性が、頭の後ろで腕を組み、空を見上げながらぼやきを入れる。体を反らした事で、男を魅了する張りのある胸が、より一層主張されている。


「そうぼやくな、コレット。ラ・セリエこそ大きな被害はなかったが、周辺の村落はセント=ヌーヴェルに根こそぎ持っていかれたんだ。あの一帯を治める代官としては、座視しているわけにはないんだろう」

「あのおっさんだから、どうせ形だけだろ?その辺が小者だよねぇ」


 コレットの歯に衣着せない言い方に、ジルは苦笑してしまう。ジルとコレットをはじめとするラ・セリエのハンター達は、ラ・セリエを治める代官の命によって、ラモアを占領するカラディナ軍に合流し、西誅に参加していた。


 ジルをはじめとする多くのハンターは、セント=ヌーヴェルの横暴に腹を立て、彼の国に対する懲罰行動に賛同し、西誅に参加している。一方コレットは、参加者の中で数少ない西誅に対する否定的な見解の持ち主だった。多くの者が復仇や名誉、あるいは大義の下での無法を求めて参加している中で、彼女は西誅に対し何ら求めていなかった。コレットにとってハンターとは、自分が自分らしく生きるための単なる手段であり、生涯の伴侶を見つける以外には、目的を持ってなかった。もちろん彼女なりに、ラ・セリエの周辺で行われた略奪に対し義憤めいた怒りは覚えているが、その怒りは加害者に直接向けるべきであり、わざわざセント=ヌーヴェルまで出向いて、国内に暮らす無関係の住民に向けるべきではないと考えていた。


「で、この後はどういう予定なんだい?ジル」

「おいおい。お前と一緒に来たばかりなんだから、俺にわかるわけがないだろうが。だがおそらくは、エーデルシュタインから来る西誅軍が到着するまでは、待機だろうな」

「ふーん…、そっか。なら、暫らくここで時間が取れそうだね…」


 そう言うと、コレットは首を回して、周囲の男達を眺める。この様な、正義の名の下で様々な私利私欲が渦巻く戦いに自ら参加しようとする男達に、コレットは何ら魅力を感じないが、それでも万が一という事もある。せっかくの機会を無駄にせず、コレットは一人ひとり値踏みを始めた。




 ***


 ガリエルの第2月30日。ついに西誅軍がラモアへと到着し、カラディナ討伐軍と合流する。その間、ラモアに駐留するカラディナ軍には8,000の民兵やハンターが新たに加わり、西誅軍は68,000もの大軍となった。また、アスコーに居座るカラディナ南方軍も12,000に増えている。南方軍については、アスコーに3,000を残し、9,000の兵をもってセント=ヌーヴェル南部の制圧に進発したとの情報が来ていた。


「リヒャルト殿下、ギュンター殿、遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます。私はカラディナ討伐軍を預かる、ダニエル・ラチエールと申します」

「ダニエル殿、武名は遠くヴェルツブルグまで届いておる。此度の戦いで肩を並べて共通の敵に立ち向かえる事、とても心強く思っているぞ」

「勿体ないお言葉。ロザリア様のご威光を穢した背信者達に鉄槌を下すべく、獅子奮迅の働きをする覚悟でございます」


 王太子リヒャルトと司令官ギュンターを天幕に迎え入れたダニエルは二人に歓迎の意を伝え、リヒャルトはダニエルの武名を讃える。一通りの挨拶が終わった後、ダニエルは近侍に地図を持って来させ、二人の前に広げた。


「殿下。これがセント=ヌーヴェルの地図となります。我々は現在、ここラモアに逗留。一方、我がカラディナ南方軍がこの辺りを進軍しております」


 ダニエルは、地図を指し示しながら、リヒャルトに説明する。セント=ヌーヴェルは、北西方向から南東方向に細長い楕円形をしており、北側に膨らんでいる。ダニエルは、セントヌーヴェルの東辺中央を指差し、次に南部を指でなぞった。ダニエルはそのまま北辺中央を指差し、説明を続ける。


「首都サンタ・デ・ロマハは、ここです。小職としましては、エーデルシュタインとカラディナで軍を二分し、東回りと南回りの二方向からサンタ・デ・ロマハを目指すのが、よろしいかと存じます」

「ふむ。戦力の劣るセント=ヌーヴェルに二正面を強いるわけだな?」

「左様でございます。南方軍と合流するため、我々カラディナが南回りとなります。また、南部を脅かす事でパトリシオ3世の逃げ場を塞ぎ、また面を制圧する事で後背に迂回されるのを避ける目的もあります」

「あい分かった。エルフは、サンタ・デ・ロマハ陥落後にそのまま進軍、というわけだな?」

「左様でございます。エルフどもの住む大草原は、サンタ・デ・ロマハの北方にありますゆえ」

「よかろう、ダニエル殿の策を採用しよう。ギュンター、仔細をダニエル殿と詰めてくれ」

「畏まりました、殿下」

「殿下、ありがとうございます」




 こうして、年の瀬も押し詰まった、ガリエルの第3月2日。ラモアに3,000の守備兵を残し、西誅軍はサンタ・デ・ロマハへの進軍を開始する。リヒャルト率いるエーデルシュタイン軍40,000は、東辺を北上して反時計回りにサンタ・デ・ロマハを目指す。一方ダニエル率いるカラディナ軍25,000は西進し、南部中央で南方軍と合流の予定だった。




 ***


 一方、サンタ・デ・ロマハに居るパトリシオ3世の取り乱し様は、ほとんど錯乱一歩手前であった。


「と、とにかく、国中の男達をかき集めろ!何が何でも西誅軍を首都に入れさせるな!」

「へ、陛下、とにかく落ち着いて下さい」

「これが落ち着いていられるかぁ!」


 何とか落ち着かせようとする近侍達を充血した目で睨み付け、パトリシオ3世は怒鳴り散らす。教会が彼を魔族認定した事が彼の耳に届いており、彼は死刑執行人が目の前に来るのを阻止しようと必死だった。


「エルフ達への救援要請はどうなった!?」

「そ、それが、婉曲ながら拒絶の回答が戻って来ております…」

「何だとぉ!あの耳長の裏切り者どもがぁ!」


 パトリシオ3世は喚き散らし、豪勢なティーカップが投げつけられる。エルフは、人族との諍いが種族間のジェノサイドに繋がる事を恐れ、セント=ヌーヴェルへの加担を拒絶していた。実際、ミゲルに率いられたエルフ軍はその原則に従い、一人の人族も害さずに帰還している。ミゲルからその報告を受けていた族長達はその姿勢を引き継ぎ、セント=ヌーヴェルに対し非情な回答をしたのである。ただ不幸な事に、事実が必ずしもそのまま人々の耳に伝わらず、得てして悪い方に歪められる場合がある事に、族長達は気づいていなかった。


 人族世界で最も影響力のあるロザリア教から魔族認定された事で、パトリシオ3世の求心力は急速に解体していったが、それとは別にセント=ヌーヴェルは西誅軍の侵入を阻止しようと、足掻き続けた。この時代の戦争の常とも言える、勝者が齎す敗者の運命は過酷なものであり、西誅軍の侵攻上の街は、自分達の家族がその様な運命を辿らないよう必死に抵抗した。




「てめえら、ここが最期の踏ん張りどころだ!てめえの恋人、妻、娘を守るために、一人でも多く道連れにしろ!」

「「「おおお!」」」


 あちこちから火の手が上がるレセナの街の一角で、ハンターギルドマスターのサントスが、ハンター達を奮い立たせる。西誅軍に包囲されたレセナの街は、すでに南門を破られ、街の各所に火が放たれている。住民達は街の北部へと逃げ惑い、押し寄せる西誅軍を食い止めようと、街の守備兵やハンター達が、絶望的な抵抗を続けていた。


 レセナのハンターは、北伐の失敗によって回復不可能なほどの損害を被っていた。筆頭のシモンはおろか、従軍したB級ハンターもほとんどが帰らず、無事生還したのはわずかに1割という惨状である。それからわずか3ヶ月後にレセナは包囲され、業火に包まれようとしていた。


 サントスは、引退して以後も執務室に保管していた愛剣を持ち出し、襲い掛かる敵を切り伏せる。すでに現役を引退して15年が経過し、体力と技術はかなり衰えていたが、死地での覚醒がそれを補い、しかも段々と勘を取り戻していた。彼の素質は「鎌切」と呼ばれ、自身の愛剣から短距離の「エアカッター」を射出する事ができる。鍔迫り合いの最中にも射出できるので、彼の戦いは、一合目で大体決着がついていた。


 サントス率いるハンターの一隊は、刻一刻と縮小する戦線の中で意固地なほどに抵抗線を維持し、海に突き出た岬の様に突出していた。そして、岬を突き崩そうと幾度も押し寄せる攻撃を巧みにあしらいながらゆっくりと後退し、攻め手側に出血を強いていた。


「そろそろ、ここも限界だ。1区画下がるぞ」

「「「はい」」」


 また一人、兵士を切り伏せたサントスは、ハンター達に後退を指示する。そして、事切れてサントスにもたれ掛かる相手を蹴り飛ばして確保した一瞬を利用し、後退を試みた。


 すると、突然上の方から爆発音が鳴り響き、サントス達は上を見上げる。そして、ほんの一瞬ではあったが、後ろに手を広げ上空を飛ぶ一人の男の軌跡を見て、呆気に取られた。




「何か、強そうなのがいるな」


 ヴェイヨは目前の膠着状態を見て、呟いた。


 1区画だけ頑強な抵抗線があるとの情報を得てやって来たヴェイヨは、情報が誤りでなかった事を確認すると、左右を見やって適当な家屋へと飛び込み2階へと駆け上がる。そして、バルコニーから身を乗り出すと、少し先で友軍を切り伏せるハンター達の集団が見えた。


「えーと、これくらいかな…」


 ヴェイヨはバルコニーから屋根へよじ登ると、慎重に後ろ手の角度を決め、「四聖の腕」を発動させる。轟音とともに風が吹き上げ、前方へと吹き飛ばされたヴェイヨは、そのままレセナのハンター集団を飛び越え、背後に墜落する。勢いを殺しきれず、地面を2回転したヴェイヨは、右肩を強かに建物に打ち付けてようやく止まった。


「痛ててててて…。あ、やべ、右手に力が入らん」


 肩を脱臼したのか、右腕に違和感を覚えたヴェイヨだったが、相手は待ってはくれなかった。一瞬の間を置いて、背後を取られた事を知ったハンター達は、退路を奪還しようと突撃してくる。


「あ、ちょっと待て。相手をするこっちの身にもなってくれ」


 身から出た錆を遠くの棚に放り投げ、ヴェイヨはハンター達と相対する。右腕を負傷しているとはいえ、S級のヴェイヨにとって、B級ハンターの攻撃を躱す事は、雑作もない。左腕とフットワークだけで上手く挟撃を避け、相手の攻撃の躱しざまに相手の顔に炎を浴びせ、喉を焼いていく。


 そうして、瞬く間に3人のハンターを倒したヴェイヨだったが、4人目は初めて1合で決着がつかなかった。


「うぉおおっと、危ねぇ!」


 それまでのハンターとは比較にならない鋭い剣筋をヴェイヨは辛うじて躱すと、左手をサントスに向け炎を放つ。しかしサントスも織り込み済みで、振り切った反動で左側へ跳び、ヴェイヨの火炎から身を躱した。


 サントスはヴェイヨが右腕を負傷している事に気づいていたため、相手の左側に回り込もうと移動する。しかし、次の瞬間、ヴェイヨはサントスが予想もしなかった行動に出る。サントスが剣を持っているのにも関わらず、無造作に右腕を伸ばして、サントスを捕まえようとしたのだ。


 サントスは思わず、振り下ろしていた剣を切り上げ、ヴェイヨの右腕を肘から斬り飛ばす。しかし、反射的に剣を切り上げたために、両腕が上がり、自分の腕の陰にヴェイヨが隠れてしまった。ヴェイヨはその一瞬を捕らえ、左手から「ロックジャベリン」を射出する。


「ぐあああああ!」


 サントスの右脇の下から飛び込んだ「ロックジャベリン」は、サントスの体を突き抜け、左鎖骨から先端が顔を覗かせる。ヴェイヨはそのままサントスに近寄ると、「ロックジャベリン」を思いっきり蹴りつけた。サントスの体の中でテコの原理が働き、右肩から上が引き裂かれる。サントスは炎上するレセナの中、獣に食い千切られた様な無残な姿で、倒れ伏した。


「無茶苦茶するのも、大概にして下さいよ。死んでも責任取りませんからね」


 ヴェイヨが瀕死のサントスに火炎を浴びせて止めを刺していると、サントスを失い浮足立ったハンター達を掃討した軍の中から、A級ハンターのスヴェンが近寄ってくる。北伐ですっかり仲良くなったスヴェンは呆れ顔でヴェイヨを見やり、その視線に気づいたヴェイヨは、口の端を吊り上げた。


「無茶じゃねぇよ。これこそ『肉を切らせて骨を断つ』ってヤツさ」

「肉どころか、骨までしっかり断たれているじゃないですか」

「だから、いちいち揚げ足を取るんじゃねぇよ…」


 夥しい血が広がっている中で、ヴェイヨとスヴェンは定番となった漫才を交わす。サントスを失った事でレセナの防衛線は崩壊し、陥落は確定した。切断された右腕の接合を終えたヴェイヨは、右腕を振り回しながら、辺りを見渡す。


「さぁて、戦いも終わったし、戦利品を吟味しに行こうかね」


 街のあちらこちらから聞こえる女の悲鳴を聞き、ヴェイヨは自分も参加するために、喜び勇んで燃えさかる街へと駆け出して行った。

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