4:修練の日々
国王ヘンリック2世の謁見から、40日が経過した。
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「汝に命ずる。炎を纏いし紅蓮の槍となり、我に従え。空を割く線条となり、彼の者を貫け」
詠唱とともに腕が振り下ろされると、その腕を追うかのように一条の赤い槍が空を走る。槍は、案山子に括りつけられた鎧に突き立つとその形状を変え、一瞬胸元に赤い花が咲く。直後に鎧は、炎に包まれた。
「うわぁ…」
「いかがでしょうか、ミカ殿。これが『ファイアジャベリン』と呼ばれる、火の中級魔法です。『ファイアボール』と比べると火力、弾速及び直進性が増し、『ファイアアロー』と比べると火力と着弾時の延焼範囲が向上します。半面、魔力消費は『ファイアボール』の2倍、『ファイアアロー』と比べても5割ほど増えています」
口をあんぐりと開き驚く美香に対し、詠唱者は親しみを込めた笑みを向ける。
ハインリヒ・バルツァー。エーデルシュタイン王国を支える「五傑」の一人。火・風の魔法を操る、王国随一の魔術師である。「獄炎」の持ち主で特に火の扱いに優れており、火属性一辺倒である美香の教師役には適任と言える。
ここは、ヴェルツブルク城外郭にある修練場の一角。ハインリヒによる美香への付きっきりの講義は、そろそろ1ヶ月になろうとしていた。入口には、不測の事態に備え常に二人は騎士が控え、美香を見守っている。
「この詠唱におけるキーワードは、『槍』『空を割く』『貫く』となります。これらの言葉が、弾速や火力に影響すると言われております」
「確かに『空を割く』方が、『駆ける』『走る』より疾走感がありますね」
「ええ。その代わり『駆ける』方が、対象の重量に余裕があります。弾速や直進性が劣りますが、魔力消費が抑えられ、攻撃に重量を加算できるので、そちらを好む魔術師も多くいます」
この世界の魔法は、詠唱時の表現が全てと言われている。朗々と謳い、その内容が具体性に富み、かつ誇大であればあるほど、大きな効果をもたらすとされている。その代わり、効果が大きくなると詠唱にかかる時間が増え、魔力消費による詠唱者の負担が大きくなる。
詠唱時の表現はシビアで、ある一定の具体性が保たれていないと、魔法は発動しない。しかし、その一定ラインを越えてさえいれば、表現の自由度は高く、しかも一字一句の違いで効果が細かく変化した。そのため、過去の魔術師達が思い思いの方向に研鑽を積み進化した結果、無数の流派が生まれ、「方言」まで存在する。一子相伝で独自の進化を遂げた結果、ほとんど他家には理解できない呪文と化した家もあるくらいだ。とは言え発動条件としての一定の法則は存在しており、例えば冒頭の「汝に命ずる」は、流派によって語彙の違いはあれど、必ず存在する。
美香は先ほどの詠唱を、以前に受けたハインリヒの講義に照らし、文節まで分解してみる。
“汝に~”が呼び出し。“炎を~”が形状の指定。“我に~”が管制。“空を~”が射出の指定。“彼の~”が対象指定と発動か…。何か足らない気がする。
「そういえば、『ジャベリン』なのに刺さらないんですね。まるで、服にインクがくっついたみたい」
「ええ、火と風は、地や水に比べ、硬度に難があると言われています。地は言うまでもなく鉱石、水には氷がありますから」
「そうなんですか」
そう。足らない表現は、硬度あるいは貫通力。それと数。これらを加えれば強化できる。
そう思い至った美香は、思いつくままに詠唱を改竄し、口走る。
「汝に命ずる。炎を纏う四槍となり、我に従え。その炎は青く輝く二対の牙をなす。空を駆け、その咢を彼の者に突き立てよ。さすれば必ずやその牙は相手を穿ち、噛みちぎるであろう」
イメージしたのは、ガスバーナー。燃やすのではなく、焼き切るための炎。
直後、美香の頭上から4本の青白の線条が走り、弧を描いて鎧へ伸びていく。1本は的を外れ背後の石壁に刺さるも、残り3本が鎧に突き立つ。
ハインリヒの時と異なり花は咲かず、鎧は、半分溶けた蝋燭を胴体から生やすがごとき無様な姿となったが、
「なっ!」
やがて、蝋燭のような何かがずるりと崩れ落ちると、そこには橙色に光る大きな孔が空いていた。背後の石壁に至っては、突き立った孔からくすぶった煙を立てて、赤橙の液体が漏れ出ている。
「…ちょっと時間がかかりすぎましたね。『溶かす』じゃ駄目なのかな。うーん、何て表現すれば貫通するんだろう」
「ミ、ミカ殿!ちょっと待ってください!今のは一体…」
動揺しつつもハインリヒは、先ほどの美香の詠唱を擬え、自分も復唱してみる。
「汝に命ずる。炎を纏う四槍となり、我に従え。その炎は青く輝く二対の牙をなす。空を駆け、その咢を彼の者に突き立てよ。さすれば必ずやその牙は相手を穿ち、噛みちぎるであろう」
ハインリヒの頭上から4本の線条が走り、全てが鎧に突き立つ。しかし、
「あれ?」
「青くない…」
美香の詠唱とは異なり、炎柱は橙色に輝く。やがて炎が輝きを失い崩れ落ちるも、残った後の鎧は、黒く汚れているが孔はない。
「これが『火を極めし者』との違いか…」
ハインリヒが悔しさと納得の入り混じった、苦い表情を浮かべる。彼の持つ「獄炎」は火力と範囲にアドバンテージを持つが、火属性の全てを引き出せる「火を極めし者」と比べると、燃焼温度を高めるという事ができないようだ。
「ミカ殿、ご存じでしたら教えて下さい。何故青い炎で鎧に孔が空いたのでしょうか?」
「あー、実は炎の温度って、色で違いがあるんですよ。赤や橙色は温度が低く、青が高いと言われています。それで鎧を溶かすことができたんです」
専門外だからこれ以上の事は知らないですけど、と美香は謙遜するが、ハインリヒにとっては初めて耳にする衝撃の事実だった。彼は過去に製鉄の現場を見た経験があるが、そこで見た炎も橙であり、青い炎など想像したこともない。そもそも橙の炎でさえ生物にとっては致死レベルであり、とてもではないが温度が低いという発想に行きつかなかった。
「ミカ殿、これは素晴らしい!画期的です!早速、詠唱の文言を検証させます!改良を加えればきっと役に立つはずです!」
「うわっ、ハインリヒ様、ちょっと。ちょっと落ち着いて下さい」
「あ…、すみません、これは失礼しました。いささか興奮が過ぎてしまって」
興奮のあまり、美香の両肩を掴んで詰め寄るハインリヒに対し、美香は慌てた声を挙げる。普段は30代前半とは思えないほど思慮深い行動を取る落ち着いた青年なのだが、魔法オタクのきらいがあるようで、学術的な話になると食いつきが激しくなるのだ。まあ、講義は非常に丁寧でわかりやすく、この世界の常識を一切知らなかった美香に対し嫌な顔一つせず応えてくれる良き教師でもあるので、この程度の事は欠点にもならない。
「いえ。大丈夫ですから気にしないで下さい。…あ、ハインリヒ様すみません、今日はこの辺でよろしいでしょうか。この後、レティシア様から、お茶会へのお誘いをいただいているのです」
「ああ、ディークマイアー辺境伯令嬢ですね。最近よくお声がけいただいているようですね。確かミカ殿とお年も近かったと記憶していますし、だいぶ気に入られたようで」
「ええ。私にとっても、とてもありがたい事です」
そう締めくくった二人は、護衛の騎士とともに修練場を後にした。
***
荘重な拵えの分厚い書物をめくり、内容に目を通す。記されている文字は、ページを開いた瞬間は見た事もない形状をしているが、その後何故か日本語で読めるようになる。原理は全く見当もつかないが、この世界の書物を苦労なく読み解けるのは実際ありがたいので、柊也は召喚もののご都合設定と解釈して割り切っている。ちなみに注意深く観察すると、相手の唇と動きと紡ぎだされる日本語にも差異があり、どうやらこの世界では会話も自動翻訳されているようだ。翻訳コンニャク万歳。
室内にノックの音が響き、柊也は山積みされた本の隙間から返事をする。
「はい」
「失礼します。ミカ様、並びにハインリヒ・バルツァー様がお見えになられました」
「お通ししてくれ」
お付きの侍女に先導され、美香とハインリヒが入室する。
「先輩、只今戻りました」
「ああ、お帰り。ハインリヒ殿、いつも美香がお世話になっており、誠にありがとうございます」
「いや、私はミカ殿の教師であると同時に護衛でもあるからな。この程度の事は気にせんでも良い」
「その事を安心してお任せできるのも、ハインリヒ殿だからですよ。これからもよろしくお願いします」
「私にとっては当然のことだ、礼には及ばない」
柊也は、美香を毎日のように送り届けるハインリヒに礼を述べる。一方で、美香とは異なり、柊也に対するハインリヒの態度は固く、未だに社交辞令の域を出ていない。
「先輩。今日、魔法がまた一歩進化しましたよー。すごいんですよ。青い光がビューンっと飛んで鎧に刺さったと思ったら、鎧がデローンって溶けたんです。いやぁ、あの光景は、先輩にも是非見せたかった」
「すごいもすごくないも、おまえはまず、その表現力をもう少しどうにかしろ。一向にイメージが湧かない」
「それでは、私はこれで。ミカ殿、また明日朝お伺いします。この後の辺境伯令嬢とのお茶会、楽しんで来て下さい」
「あ、ハインリヒ様、今日もありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
ハインリヒは、柊也に一言声をかけ目礼した後、美香に別れの挨拶を述べ、この場を辞した。
「この後、ディークマイアー嬢とのお茶会か?」
「そうです。先輩も行きますか?」
「いや、いい。読みかけの本もあるしな。日本と違って、呼ばれていないのにお邪魔すると、失礼どころか問題にもなりかねない」
「難しいですよね。宮中儀礼というか何というか。それじゃ先輩、また後ほど」
そう挨拶すると、美香もお茶会の準備のため、自室へと向かう。美香を見送った後、侍女も柊也に一礼し、退室する。
「ふぅ」
柊也は執務椅子に座り直し、一息ついた。
この40日のうち、30日以上を、柊也は本の虫として過ごしてきた。この国をはじめとする周辺国についての、政治、地理、歴史、文化等、あらゆる分野の知識を得るために。
受験勉強以来の集中学習となった事もあり、読書好きの柊也にとってもそろそろ苦痛を感じているが、おかげでこの世界の事がだいぶ理解できるようになった。
エーデルシュタイン王国は、中原と呼ばれるこの地域で最も大きな王国である。建国は、ロザリア暦5647年、現在はロザリア暦6623年であり、建国してもうすぐ1000年である。
王国の北部には国内最大の湖、ラディナ湖が広がっており、首都ヴェルツブルクはラディナ湖の南辺に位置する。ラディナ湖は王国にとって漁業と交通の要であり、エーデルシュタインの揺り籠、とも言われている。なお、ラディナ湖の全てがエーデルシュタイン王国の勢力圏、というわけではなく、北西の一部はガリエルとの緩衝地帯となっている。そのため、王国では北西沿岸部に監視塔を並べるとともに巡視艇を航行させ、湖への外敵の侵入を事前に察知できるよう、常に警戒している。ちなみに塩水湖のため、農業用水には転用できない。
エーデルシュタイン王国の北西にはカラディナ共和国、さらにその北西にはセント=ヌーヴェル王国があり、この三国が中原の主要国である。この他にはエーデルシュタインの南東からカラディナの南部にかけて、帯状に小国が複数連なる。三国の面積比は、おおよそエーデルシュタイン10に対し、カラディナ8、セント=ヌーヴェル7程度であり、国力も面積比に近い。なお、10年ほど前にカラディナとセント=ヌーヴェルの国境付近に金鉱脈が発見されて以降、両国の関係は険悪となっている。
この他には、セント=ヌーヴェルの北にエルフの生存圏がある。国家規模の政治形態を有さず、複数の族長を中心とした緩い集合体を形成しているようだ。ちなみにエルフ族は、ロザリアではなくサーリアを信奉しており、サーリアの復活を一族の悲願としている。人族とは信奉の対象が異なるが、ガリエルがサーリアの仇という事もあり、ガリエルへの軍事行動に対しては共同歩調を取る。獣人については、辺境部にある部族毎の小集落で独自の生活を営むか、人族に混じって生活するかの二択のようだ。
文明については、地球で言えば14~15世紀のヨーロッパ、ルネサンスの頃に近い。ただし、魔法の影響により科学面の発見が遅れているようで、例えば火薬や火砲が存在していない。
最後に、この世界には「北伐」というものがある。北のガリエルを倒すために中原諸国が一体となって行う軍事行動だ。10年~数十年毎に繰り返されており、前回は15年前のロザリア暦6608年。当時の召喚者が降臨してから2年後に行われている。
そう、2~3年。2~3年後には自分達も北伐に駆り出される可能性が高い。それまでには生きる術を蓄え、立場を明確にしなければならない。
柊也はそう気を引き締めると、指の関節を鳴らし、分厚い書物との格闘を再開した。