51:担ぎ手たちの争い
「汝に命ずる。礫を束ねて四槍となり、青く輝く炎を纏いて我に従え。四槍は2対の牙となり、空を駆け、その咢を彼の者に突き立てよ。さすれば必ずやその牙は相手を穿ち、噛みちぎるであろう」
美香の詠唱に応じ、頭上に4本の石槍が浮かぶ。石槍は灼熱色に輝き、青い炎と白い煙を噴きながら案山子へと向かって飛翔する。そして、背後の石壁に立てかけられた石板を突き破って石板もろとも砕け散ると、そこかしこで炎を噴き上げ、中央に佇む案山子を明るく照らした。
「だぁぁぁぁぁぁぁ、やっぱり全部外した…」
「…」
地面に四つん這いになって嘆く美香にも気づかず、ハインリヒは目の前に広がるキャンプファイアを呆然と見る。すでに美香の専用修練場と化したこの場所は、数か月に渡って美香の類まれなノーコンの哀れな犠牲者となり、辺り一面が黒く染まり、至る所が炭化していた。周りに佇む人々も慣れたもので、すでに2名の魔術師が「クリエイトウォーター」を駆使して、大量の木桶に水を注ぎ始めている。
「何でこう、当たんないのかな…。ハインリヒ様、どう思います?」
「え、ええと。ちょっと、これは…」
「ですよねぇ。何かすみません、ノーコンで」
ハインリヒの言い淀んだ理由を取り違え、美香はハインリヒへと謝る。ハインリヒは美香の発言を訂正する事もなく、眼前で繰り広げられる消火活動を眺めていた。
久しぶりの講義に当たり、ハインリヒはまず美香に「ロザリアの槍」の発動を依頼したが、特定条件でしか発動できず、自分が行動不能に陥る事、周囲に甚大な被害を及ぼす事を理由に断った。代わりとして発動させたのが今の複合魔法だったが、それでさえもハインリヒを呆然とさせるのに十分なものだった。
なお「ロザリアの槍」については、ニコラウスとの綿密な打ち合わせの上、ロザリア様が美香の口を借りて直接詠唱している、という体にしている。これによりロザリア様が望まない限り「ロザリアの槍」は発動できない事になり、他者から求めに応じる必要がなくなる。一方美香は、ロザリア様の降臨を願った結果お越しいただけたという理由で、いつでも発動の機会を得る事ができた。そしてそれが、「ロザリアの御使い」ではない者達がこの魔法を詠唱できないという根拠にも繋がった。
「ハインリヒ様、ミカ様の場合は一般的な魔術師とは異なる考えを持たれた方が、よろしいかと思います。通常であれば複数の属性魔法を取り扱う場合は個別に使用すべきですが、ミカ様の場合はあえて複合魔法として使用し、属性ごとの相乗効果を狙った方が効果的です」
「…」
背後からかけられた声に、ハインリヒは顔を顰め、苦々しげに後ろへと振り返る。レティシアの講義を終えたニコラウスが、レティシアとともに二人に近づいていた。
ハインリヒは小さく舌打ちすると、ニコラウスに対し好戦的な態度を取る。
「賢しげに語らないで貰おうか、ニコラウス殿。ミカ殿が持つ『火を極めし者』は、まだまだ秘めた力を持っているのだ。たかが『火を知る者』程度の力しか持たない者が、他属性魔法を混ぜるという軽薄な考えをミカ殿に押し付けるなど、清水に不純物を加えるようなもの。彼女の伸びしろを潰し、市井の凡庸と変わらぬ結末を迎える事になるであろうよ。私は、ミカ殿にその様な惨めな思いをさせるつもりは、ない」
ハインリヒは、ニコラウスにそう言い切る。傍らで聞いていたレティシアが柳眉を逆立てるが、肩にさり気なく置かれたニコラウスの手に、気勢を削がれた。
ニコラウスは困ったように笑みを浮かべ、ハインリヒの顔を立てる。
「失礼しました。私はこの街から出た事がない田舎者でして、どうしても土着的な考えから抜け出せないようです。ヴェルツブルグでの最先端の魔法を知るハインリヒ様のご見識には、一片の真理があります。雲行きが怪しくなって参りましたし、この後はレティシア様も含め、ヴェルツブルグで研究されている最新の魔法理論について、座学をお願いできますでしょうか」
「殊勝な心がけだな、ニコラウス殿。よかろう、講義室へ案内してくれ」
そう言ってやや態度を軟化させるハインリヒに一礼しながら、ニコラウスは内心で溜息をつく。やれやれ。何が引っかかったのかわからないが、どうも自分の行動が彼の琴線に触れたようだ。余計な波風を立てないよう、しばらくは下手に出るとしようか。
***
「それでは、ミカ殿は、司令部に配属すると?」
「ああ、その通りだ、フリッツ」
フリッツの問いに、リヒャルトが首肯する。相対する二人の間に座ったコルネリウスが、フリッツに説明を加えた。
「ミカ殿は今や『ロザリア様の御使い』と呼ばれ、一部の者達から熱狂的な支持を受けておる。そのミカ殿を司令部に招き、北伐軍の象徴として殿下とともに全軍を照覧いただく事で、王国と教会の揺るぎない結束と意思を内外に知らしめ、軍の士気を否応なく最高のレベルに引き上げる事ができる。また、ミカ殿は『ロザリアの槍』によって、S級に対する絶対的な攻撃力を有している。S級の攻撃によって軍が危機に瀕した時、ミカ殿が司令部におればすぐさま派遣する事ができ、迅速な対処が可能になるのだ」
コルネリウスの説明に合理性を認め、フリッツは頷く。納得できる説明であり、反対する理由がない。つまりそれは、美香がディークマイアーの管轄下から切り離される事を、フリッツが認めざるを得ない事を意味した。
早々に外堀を埋められたフリッツは、内堀での抵抗を試みる。
「畏まりました、殿下。それであれば、ミカ殿も納得する事でしょう。ただ、当家もミカ殿にはこれまで多大なご恩を受けており、少しでも恩返しをしたいと考えております。ついてはミカ殿の介添えとして、当家の息女レティシアの同行をお許し下さい」
「何?レティシア嬢を?」
「はい。ご存じの通り、レティシアは危うくロックドラゴンに命を奪われそうになったところを、間一髪の差でミカ殿に救われました。レティシアはそれに感激し、残りの生涯をミカ殿に捧げると常々申しております。北伐は長く険しい戦いとなり、ミカ殿も不慣れな生活に不自由される事が予想されます。レティシアはそれに我慢がならず、自身の手を汚してでもミカ殿の身の回りを世話したいと申しておりますゆえ、レティシアをはじめ少数の侍女の同行をお許しいただきたいのです」
「なるほど…、それもそうだな」
フリッツの申し出に、リヒャルトは頷く。確かに現司令部は男だけであり、女性特有の問題を考慮する事ができない。その中にただ一人女性が放り込まれる事になれば、気を病むのも道理である。それにレティシアは、ヴェルツブルグの時より美香と深い友誼を交わしている。妙齢の女性が長く苦しい戦いを生き抜くためには、苦しみを分かち合える同性の友人が必要である事も、容易に想像できた。
「よかろう、ご息女の同行を認めよう」
「ありがとうございます」
フリッツは深く腰を折り、礼を述べる。フリッツが述べた事は、全て事実である。レティシアが美香に身を捧げると常々公言しているのも、周知の事実であった。ただ、レティシアが極めて世俗的な意味で身を捧げようとしている事は、レティシアの家族だけが知っていた。
ともあれ、まずは栞を挿し込む事に成功した。フリッツは、続けて楔の打ち込みを試みる。
「それと、もう一つお願いがございます。レティシアは私にとって、目に入れても痛くないほどの愛娘でございます。そのレティシアが戦場に行くのは、父親としては心配で心配で仕方ありません。親馬鹿とお思い下さって結構でございますので、レティシアの護衛隊を当家から派遣させて下さい」
「ふむ。規模は?」
「一個小隊にございます。実はレティシアの他にも、ミカ殿に命を救われ、恩義に報いたいと申す者がおりまして、当家としても宥めすかすのが精一杯なのです。その者達であれば、万が一ミカ殿に危険が迫ったとしても、自らの身を晒して防ぐ事でしょう。司令部の盾としてもお役に立つかと存じます」
「わかった。コルネリウス、レティシア嬢と一個小隊の受け入れを手配してくれ」
「畏まりました」
「殿下、ご配慮いただき、誠にありがとうございます」
こうしてフリッツは、内堀を巡る戦いに勝利した。
***
「此処に『ロザリアの御使い』様が来ていると聞いたんだが、何処だい?」
翌日、第1大隊の修練場でレティシアとともにオズワルドの修練を眺めていた美香は、自分を探す声を聞き、入口へと振り向いた。
ロックドラゴンとの一件の後、美香は定期的にオズワルドと言葉を交わす様になっていた。会話の内容は大したものではなく、美香の日常に関する話題や、第1大隊の帰陣に対する出迎え等に終始していた。
一度だけ、ロザリアの感謝祭の折、レティシアが街へ繰り出すにあたってオズワルドに護衛を頼んだ事がある。その時は3人で街へと出て、美香はこの世界に来て初めての感謝祭の賑わいを心行くまで味わった。その時、まだ高校生の頃に部活の先輩と二人で祭りに行った時の事を思い出し、当時と同じ様に終始左手が空いたままであった事に、もどかしさを感じていた。
修練場の入口には、一人の中年の男が立っていた。中背ながらがっしりとした体格で、明らかに武術に秀でている様に見えた。角刈りで彫りの深い角ばった顔つきには、頬から顎にかけて短い髭が生えており、野戦帰りの戦士というイメージがぴったりだった。
男は美香と目が合うと、ずかずかと修練場に入ってきて、美香の前に立つ。美香もそれに応えるために立ち上がり、男と相対した。
「あんたが、御使い様かい?」
「あ、はい。ミカ、古城美香と言います」
「ふーん…」
男は、美香の全身を上から下までジロジロと眺めながら、自己紹介を始める。
「俺の名は、ヴェイヨ・パーシコスキ。ヴェイヨと呼んでくれ」
そして、美香に右手を差し出しながら、爆弾を放り込んだ。
「俺は前回の召喚者で、この世界で唯一のS級ハンターだ。召喚された者同士、仲良くしようや」
「…え、前回の?」
面喰らいながら美香は反射的に手を差し出し、ヴェイヨは遠慮なく手を握る。そして上下に振りながら、またもや美香の全身を隈なく眺め、ぼそりと呟いた。
「…ま、仲良くするのは、もう少し育ってからだな」
「ちょっと、あなた!」
あまりにも不躾な感想にレティシアが声を張り上げ、後ろに来ていたオズワルドが修練用の棒を突き付ける。それを見たヴェイヨは手を離し、両手を前に広げて笑いながら弁解した。
「悪ぃ悪ぃ。手を出すつもりはないから、安心してくれ。俺は、熟れたのにしか興味がないんだ」
ヴェイヨは謝っているのか挑発しているのかわからない台詞を吐き、レティシアを苛立たせると後ろを向いて、片手を挙げながら修練場を後にする。
「ともあれ、仲良くしようというのは、本当だ。北伐でお互い、お手並み拝見と行こうぜ」
レティシアはヴェイヨの後姿を睨みつけ、やがてその姿が見えなくなるとハンカチを取り出し、美香の掌を拭き始める。美香はレティシアにされるがまま、オズワルドへと顔を向け、問いかけた。
「オズワルドさん、あの人が召喚者でS級ハンターっていうのは、本当ですか?」
美香の質問に、オズワルドが首肯する。
「ああ、本人に会った事はないが、前回の召喚者の名がヴェイヨ・パーシコスキで、現在S級ハンターである事は、本当だ」
「そうですか…」
美香はオズワルドの返答に頷くと、すでに姿の見えない修練場の入口を見つめる。その美香の右手を、ハンカチで拭き終わったレティシアがしっかりと握っていた。