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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第4章 北伐
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48:北伐、ラモア

 ラモアに到着して2日。柊也は日がな一日、背嚢を背もたれにして、ぼんやりと座っていた。


 レセナのハンター一行がラモアに到着した後も、セント=ヌーヴェルの各所から兵やハンターが続々と集まって来ており、ラモア郊外に設営された野営地は、人で膨れ上がる一方だった。ただ、日本と違い時間に煩くないため、その集まりは緩やかで、また集まった者達も出立まで特にやる事がない。個人々々で腕が鈍らないよう、修練や周辺でハントをする場合もあるが、柊也はそのつもりがない。遠征軍の中で最弱とも言えるD級ハンターでただでさえ浮いているのに、専属ポーター契約で悪目立ちしているのだ。余計な行動をして、隙を見せたくなかった。


 柊也がいる人の群れの向こう側に大きな人の輪ができており、時折歓声が上がっている。一部のハンターが腕試しと他の街のハンターとの交流を兼ねて、試合をしているのだ。賭け事が自然発生しているのは、ご愛敬である。シモンもレセナ筆頭のハンターとして、参加しているはずだった。




 アラセナのA級ハンターであるホセは、短槍に見立てた試合用の棒を構え、距離を空けて立つ相手の様子を窺う。相手はウォーミングアップをするかのように、規則正しく軽く跳ねながら、こちらの様子を見ている。彼女の上下運動に連動して、長く豊かな銀髪と同色の尻尾がリズミカルに揺れ動く。すでにホセで5人目だと言うのに、その動きには些かの疲労の様子も見られなかった。ホセからは動けない。相手の機動力の高さは有名だ。試合のためお互い素質は封印しているが、獣人という種族特性がそれを補うほどの俊敏性を発揮する。ホセは相手の手に合わせたカウンターに、勝負を賭ける。


 と、突然、場面が静から動へと移る。ホセが瞬きをした瞬間を見計らい、彼女が突如動き出した。ホセが目を開いた瞬間には彼女はすでに視界の右端に消えかけており、ホセはハンター生活で培った豊富な経験に任せ、体が求めるままに彼女の動きに応じる。彼女の姿を視界に捉えた頃には、すでにホセの体は右回りに半回転していた。


 自分に向かって突入してくる相手の姿を見たホセは、相手に向かって棒を突き出す。相手との距離はまだ離れており棒の射程外だが、構わない。ホセは突き出した棒から手を離し、棒は単発の矢と化して彼女へと襲い掛かる。彼女は反射的に棒を躱すが、体が傾き体勢が崩れた。それを見たホセは、空いた手で腰に据えた木刀を掴み、左足を彼女に踏み出しながら横に一閃する。


 ホセの放った一閃を見て、観衆は横断される彼女の姿を予想したが、彼女の動きは人々の予想を上回った。彼女は冷静に木刀の軌道を読み、猫とも思える柔軟さで体を逸らすと、彼女の豊かな双丘の上を木刀が駆け抜ける。すると彼女は体を逸らしながら木刀を追いかけるように右手を払い、右の爪で木刀を引っかけ、獣人の膂力に任せてホセから木刀を引き剥がした。


 両者とも体勢が崩れたが、ホセと違って予定調和だった彼女は回転の力をそのまま利用し、右足を軸に左足を振り回す。そして、ホセの前のめりの胸元に左足を添えると力を押さえ、ホセの胸板を左足で支えて転ぶのを防いだ。


「一本」


 彼女の色艶やかな唇から、散文的な一言が放たれる。その瞬間、周囲の観衆から怒涛の様な歓声が沸き上がった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「すげぇ!5人抜きかよ!」

「しかも相手は、アラセナのホセだぞ!」

「ホセでさえ、かすりもしないのか!」


 周囲の喧騒の中、自分の区切りのために大きく息を吐いたホセが、相手に手を差し出す。


「参ったよ、シモン。完敗だ」

「試合だからな。アラセナのホセと言えば、短槍とともにバラ撒かれる石弾・火弾が有名だからな。素質有りだったら、こちらも無傷とはいかないだろう」


 握手を返しながらホセへの気配りを見せるシモンに対し、ホセが苦笑する。


「あんただって、素質を封印しているんだ。お互い様だ。良い教訓となった、礼を言う」

「こちらこそ。北伐で君と肩を並べて戦えるのは、心強い限りだ」

「それは、こちらの台詞だよ。シモン、あんたの武功を祈る」

「ありがとう」


 そう相手を称え合うと、二人は別々に人の輪へと戻る。観衆の中にはまだまだシモンと戦いたがっている男達が大勢いたが、シモンの凛とした姿に気後れし、誰も声をかけようとしない。男達は、人の輪から離れる彼女の後姿が織りなす美しい曲線と、左右にリズミカルに揺れる髪と尻尾を、羨望の眼差しで眺めていた。




 人の輪から外れたシモンは、真っすぐに柊也の許に戻ると、声をかけた。


「トウヤ、すまない。遅くなった」

「お帰り、シモン。試合はどうだった?」

「5戦して全勝だ。まあ、素質無しっていうハンデの影響もあるだろうが」

「それにしたって、全勝とはすごいじゃないか」

「そうでもないが、…君にそう言ってもらえるのは嬉しいな。ありがとう」


 シモンの凛とした顔に、薄っすらと赤みが射す。そしてシモンは柊也の左手を取ると柊也を立ち上がらせ、野営地の外へと連れて行く。その二人の後姿を、レセナのハンター達は生暖かい目で見送った。


 シモンが隻腕のポーターとの間に専属ポーター契約を結んだという噂は、瞬く間にレセナ中に広がった。シモンのポーターに対する執着心はすでにレセナ中の周知の事実だったが、それでも専属ポーター契約を結んでまで北伐に連れていこうとする行動は、街の口さがない者達の格好の餌食となった。ある者は北伐の地でも所構わず繰り返されるであろう彼女の痴態を想像して興奮し、また別の者は、専属ポーターは所有物だからアレは自慰行為だと評し、話を聞いた者達は新たな想像を膨らまして喜んだ。その醜聞は、シモンが専属ポーターとなった柊也の身を守ろうと周囲を灼熱の太陽の如く熱しても止まず、むしろその彼女の行動が齎す眩い光が醜聞の背徳さを際立たせ、鮮度を保ち続けた。


 ただし、レセナの者達は、決してシモンの耳にその噂を届かせる事はなかった。何だかんだ言っても、彼女はレセナに8年ぶりに来てくれたA級ハンターであり、アースドラゴンを駆逐してくれた恩人である。レセナの者達にとって、彼女は容姿も実力も最上級の、郷土の誇りであった。その彼女の唯一の欠点と言っていい醜聞は、むしろ彼女の人間らしさが垣間見え、微笑ましいものだった。彼女の絶世の美貌や容姿と相まって、その醜聞はどうしても聞く者の劣情を呼び起こしてしまっていたが、それを除けば、総じてレセナの者達は彼女の醜聞を温かく見守っていた。


 こうしてレセナのハンター達から見送られるシモンだったが、他の街のハンター達はそうではない。レセナだけではなく、近隣の街にまで広がった彼女の醜聞を耳にしたハンター達は、何としてもその現場を見ようと躍起になった。この日もシモンと柊也の動きに合わせる形で、数人のハンターがさり気なく立ち上がり、用を足す振りをして二人の後を追おうとする。


 しかし、シモンはそのハンター達の動きを想定済みだった。彼女は獣人の身体能力を活かして柊也をお姫様抱っこすると、そのまま「疾風」を発動してハンター達を引き離す。柊也はその間、お姫様抱っこされるがままである。




 やがて近隣の林に飛び込んだシモンは、一本の太い木の幹に柊也の背を預けさせると、柊也に覆いかぶさるようにして幹に両手をつき、目を閉じ、舌を広げる。切迫した時間の中、儀式を簡略化させ、柊也は最初から舌を掴んだ。


「…ぁ…、はぁ…」


 舌を掴まれたシモンは艶のある吐息をつき、体を震わせる。しかし、そのまま体の動きを止め、柊也の指に舌をされるがままに、身を任せた。


 二人の儀式は、始まってから4ヶ月余りの間一日も欠かさず行われていたが、いつしか儀式とは別の色が加わるようになっていた。しかし女はそれに気づかず、男は気づいていたが努めて意識しないようにして、頑なに儀式として続けていた。


 1分程舌を弄った柊也は舌から手を離し、シモンは幹から手を離して目を開く。そして、野営地へ戻ろうと、柊也に背を向けた。


「…ん、ん…」


 シモンが喉を鳴らす。何か引っかかったようだ。その声を聞いた柊也が、シモンに声をかける。


「シモン、口を開けろ」


 怪訝な顔をしながらもシモンは目を閉じ、口を開ける。柊也は右腕で取り出したものを、その口の中に放り込んだ。


「…甘い。アイスだ…」


 チョコレートでコーティングされた一口アイスだと知ったシモンは、頬を膨らましながら顔が緩む。自分の口にも一つ放り込みながら、柊也はシモンに声をかけた。


「さ、戻ろうか、シモン」

「うん」


 卵の殻から垣間見える彼女の無垢な笑顔を見て、柊也が微笑む。そして、行きと同じように柊也をお姫様抱っこしたシモンは「疾風」を発動させ、野営地へと戻った。途中、未だ往路を走り続ける出歯亀達とすれ違うが、二人にとってはどうでも好い事だった。


 こうしてラモアでの逗留の数日間、毎日夕方になると野営地には爆音が響き渡り、数名のマラソンランナーが見られるようになる。そして出発して10分も経たずに戻ってくる二人を見て、シモンの醜聞とともに、ポーターの「早さ」が野営地に広まるのであった。

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