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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第2章 ハンター
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29:西方への道

 コルカ山脈の最南端の支峰、レヴカ山。このレヴカ山を起点にして、西へ1000m近い山々が連なる。ラ・セリエの北を東西に横切るこの山並みは、比較的起伏が乏しく、なだらかな稜線が続いている。どうやらカルスト台地のようで、麓に比べると山頂付近は木々がまばらで草原が多く、見晴らしが良い。日本であれば有数のトレッキングコースになったであろうが、ヘルハウンドが蔓延るこの世界では、身を隠す場所に乏しい危険地帯だった。


 その稜線を西に向かって歩く、二人の男女がいた。男女ともこの辺りを歩くにしてはあまりにも軽装で、特に男は片腕がない。事情を知らない者が見れば、戦場から落ち延びようとする敗残兵と思うに違いなかった。


 柊也は洞窟を去るにあたり、荷物をなるべく軽量化した。その内訳はかなりアンバランスで、目下不要といえる金銭や衣類が多く、食料や飲料水は非常食をわずかに持っただけである。これは当然、右腕の能力をアテにした配分である。柊也自身は食料に配慮する必要はなく、シモンも万一柊也とはぐれた時の分だけに留めておいた。これから最低でも1週間は、人族の生活圏を避けて西進する。比較的穏やかな稜線とはいえ、道なき道を進む以上、なるべく身軽でいるべきだった。


 後ろを歩くシモンが左を向き、柊也に声をかける。


「トウヤ、見つかったぞ」


 シモンが向く方を見ると、ヘルハウンドの一群が、麓からこちらの様子を伺っている。その数5頭。距離は300mほどか。柊也は窪みに身を隠し、シモンはその様子を上から覗き込むように屈みこむ。


「襲ってくるかね」

「おそらく。こちらは二人だからね。本当に大丈夫なのかい?トウヤ。今の私では、囲まれたらきついぞ」

「まあ、何とかなるだろう。俺のいた世界には、こういう物があってね」


 そう言って柊也は、シモンが見た事もない黒い金属の塊を取り出す。それは強いて言えば金属の棒であったが、中央から大小2本の枝が分かれており、他にも不可解な突起物が組み合わされ、無骨極まる代物だった。全長は1mにも満たず、刃は何処にもなく、剣でも槍でもない。これは、どう振り回したら相手を倒せるのだろうか。そうシモンが疑問を持つ中、柊也は棒の先端から一段膨らんだ部分に左手をかけ、斜めに持ったままヘルハウンドの様子をみる。柊也の右腕は見えないが、姿勢から推測すると、どうやら後ろ側の小さい枝に手をかけているようだ。


「来るぞ」


 柊也の呟きにシモンが顔を上げると、ヘルハウンドが行動を開始していた。麓から一直線に駆けあがってくるのではなく、西に迂回して稜線まで駆け上がってから、襲い掛かるつもりのようだ。2発ほど火球が飛んでくるが、距離が遠い事もあって、躱す必要もない。


「それで、どう倒すんだい?トウヤ」


 シモンの質問に答えず、柊也は左手を伸ばして金属の先端をヘルハウンドに向け、棒の上に載せられた突起物に目を添える。棒の終端は右肩に引っ掛けたようだ。そのまま動きを止めた柊也を、シモンはややじれったそうに見守る。そして、ヘルハウンドが稜線に駆け上がり、こちらに方向転換を行おうとしたその時。


 突如、金属の棒が咆哮し、破裂音が間断なく鳴り響いた。


 突然の咆哮にシモンは思わず目を塞ぎ、首をすくめ、耳を伏せてしまう。恐る恐る柊也を見ると、棒が咆哮しながら首を振ろうと藻掻き、それを柊也が力ずくで押さえつけていた。金属の棒からは、破裂音とともに横方向に何本もの棒が飛び出し、地面に転がっていく。その姿を唖然とした顔でしばらく眺めていたシモンだったが、棒が咆哮する先にヘルハウンドがいる事を思い出し、慌てて顔を上げる。


 その視線の先では、ヘルハウンドのいる周囲に土埃が舞い上がり、ヘルハウンドが慌てふためいて踊っていた。いや、何頭かは自らの血を振り撒いて、踊らされていた。


 柊也は詠唱をしていない。しかも、魔法を射出している様子もない。にも拘わらず、棒が咆哮するとほぼ同時にヘルハウンドに何かが着弾して穴が開き、血を振り撒いていくのを、シモンは信じられない面持ちで眺めていた。


 M4カービン。


 アメリカ軍正式採用の自動小銃である。一分間当たり900発もの発射速度で瞬く間に弾を撃ち尽くした柊也は、弾倉を替えようともせず、そのまま銃を脇に放り投げる。そして直後にもう1丁M4カービンを取り出すと、再び銃を構え、ヘルハウンドに向け射撃を再開する。


 都合2丁の斉射が終わり、柊也が3丁目を構えた時には、すでに5頭のヘルハウンドは全て地面に倒れ伏していた。構えを解いた柊也は、銃を見つめたまま石像と化したシモンに気付き、説明する。


「これは銃と呼ばれるものだ。俺のいた世界では、戦闘は銃を使って行われる。すでに剣や体術は役に立たない。魔法は存在しないが、詠唱も魔力も必要とせず連射が利く分、銃の方がよっぽど脅威だろうな」

「…君は、向こうでは戦士だったのかい?」

「いや、単なる一市民さ。それでも銃の扱いさえ知っていれば、これだけの殺傷力を持てる。俺のいた国は平和だったが、ある意味、こちらよりはるかに物騒な世界だよ」


 シモンは、達観したように話す柊也から目を離し、ヘルハウンドを見つめる。蜂の巣と化したヘルハウンドを見て、あそこに自分がいても何も変わらないだろうという事実に、背筋が寒くなる。これを前にした時、私はどう戦えばいい?「防壁」?ケルベロスの爪さえ耐えられなかったのに?「疾風」?咆哮が聞こえた時にはすでに体を食い破られているのに?戦う事はおろか、逃げる事も叶わない。シモンは、血だまりに浮いたヘルハウンドの島々の中に、倒れ伏している自分を見つけ、再び襲い掛かってきた悪魔から逃れようと身を翻し…


「大丈夫だ」


 彼女がこの世で最も欲しい安らぎに、肩を抱かれる。


「大丈夫だ。これは、君の味方だ。これが君を襲う事は決してない。だから、安心してくれ」

「トウヤ…」


 シモンの凛々しい顔に罅が入り、黄身が顔を覗かせていた。柊也は左手でシモンを引き寄せ、自分の左肩に顔を埋めさせる。そのまま少しの間、二人は佇んでいた。


 やがて、柊也の胸に添えられていたシモンの腕が伸び、二人の距離が離れる。


「…すまなかった。私の方が年上なのに、甘えてばかりだな」

「気にするな。脛に傷を持つ者同士、お互い様だ」

「傷の舐め合いって事かい?頼むから、もう少し色気のある関係にしてくれ」


 シモンは寂しそうに笑うと、気を引き締め、柊也に問いかける。


「トウヤ、今の武器、私にも使えるかい?」

「ああ、使える。素質など一切必要ないからな。しかし、無理はするなよ?」

「大丈夫だ。今すぐには無理だが、心の整理がついたら教えてくれ」

「わかった。そろそろ移動しよう。血の匂いでまた集まってくるとまずいからな」




 ***


 戦闘から3時間が経過し、夕日が稜線に接吻を試みようとする頃、柊也は野営の準備を始めていた。


「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」


 稜線の中央、周囲の開けた草原の真ん中に、柊也が一つ一つ「ストーンウォール」を詠唱し、野営地を守る城壁を作る。予定の半分を立てたところで、右腕でキャンプ用のテントを取り出し、一人で設営を始めた。その間シモンは周囲の様子を窺いつつ、リハビリのための演武を続ける。


「シモン、中に入れ。蓋をするぞ」


 やがてテントを張り終え、石壁での囲い込みも済ませた柊也はシモンを呼び入れ、「ストーンウォール」で栓をする。柊也は凹の字状に石壁を張り、2つある先端の片方にテントを張った。もう一つの先端には、トイレを配置してある。2mの制限がある二人が、一人でトイレに行くために考案した配置だった。


 テントの中に足を踏み入れたシモンは、カラフルな色合いと初めて見る材質に興味津々で、あちらこちら触れ回っている。その様子を傍目で見ながら、柊也はファミレスのメニューを一瞥し、ちゃぶ台の上に夕食を並べていった。今晩はデミグラスソースのかかったハンバーグと、パンとサラダ。料理が出た途端、シモンの視線はハンバーグに釘付けとなり、そこから動かない。正座をして一点を見つめたまま微動だにせず、それでも食事に手をつけようとしないシモンの姿はまるでお預けを食らった犬の様で、その姿を見た柊也は、彼女に声をかけた。


「食べていいぞ、シモン」

「い、いいのかい?それじゃ遠慮なく…」


 実際にお預けを食らっていたようだ。尻尾が勢いよく振られるのを見て、柊也は笑みを浮かべ、自分も食事に取り掛かった。




 食事が終わると柊也はシモンに紅茶を出し、自分はコーヒーを淹れて飲んだ。シモンにも一度コーヒーを飲ませてみた事があるが、苦みが慣れないようで、以来彼女は紅茶一辺倒となっている。ホットを出したが、思ったより気温が高く、アイスでも良かったかなと柊也は感じていた。


 そこで、柊也はふと気づく。そういえば、この世界に来て8ヵ月ほど経過したが、まだ冬を迎えていなかった。地球より1年が長いのだろうか、そう思った柊也はシモンに問いかけた。


「シモン。この世界の1年は、何日あるんだ?」

「365日だ。1ヶ月30日が12回。それとは別にロザリアの感謝祭が5日で、計365日だ」

「元の世界と同じか。元の世界では1年に暑い時期と寒い時期があったんだが、こちらにもそういう寒暖はあるのかい?」

「あるよ。今がちょうど一番寒い時期だ。今はガリエルの季節で、ロザリアの力が弱まり、反対にガリエルが強くなるからね」


 そう言うと、シモンは説明を続ける。それによると、日本で言う4月から9月までの6ヵ月間がロザリアの季節といい、日本の4月がロザリアの第1月、日本の9月がロザリアの第6月に相当する。そして、日本の10月から3月までの6ヵ月間がガリエルの季節といい、日本の10月がガリエルの第1月、日本の3月がガリエルの第6月に当たるのだそうだ。


 これで寒いのか。柊也は意外に思った。寒いと言うシモンでさえ、半袖である。籠手を外し、すらりとした長く美しい腕を膝に回して、体育座りをしている。その左腕には大きな傷が斜めに2本、走っていた。


 あの過酷な試練の結果、シモンの左手足には大きな傷跡が残った。左腕に2本、左脚に3本、長い裂傷が走っていた。ケルベロスによる傷ではない。柊也のデブリードマンによってできた傷跡だった。傷は、手足の動作に何ら支障をきたさなかったが、シモンの白磁のような美しい手足に、痛々しい罅割れを起こしていた。しかし、シモンはその傷跡に何ら劣等感を抱いておらず、むしろ誇らしげに見せつけていた。彼女にとって、この傷はいわば、シモン・ルクレールという陶磁器に柊也が手ずから彫り込んだ銘であった。彼女は時折この傷を撫で、彼との絆を確認していた。


 シモンの季節の説明に対し、柊也が質問する。


「ロザリアの感謝祭ってのは、何だい?」

「1年の始まりを祝う祭りだ。1年で最もロザリアの力が弱まり、ガリエルが強くなるこの時期に1年の区切りをつける事で、ガリエルの季節を分断し、感謝祭でロザリアを励ます。こうして新しい1年もロザリアとともに戦う事を誓うんだ。だから、この祭りは何処でも盛大に行われる。今年も…」


 そう言いさしたシモンはそこで眉を顰め、しばらく考え込んでいたが、やがて悔しそうな顔をして膝に顔をうずめる。


「…先週、行われた。すまない。私がこんな事にならなければ、君も感謝祭を楽しめただろうに」

「気にするな。今まで知らなかった事だしな。来年、案内してくれ」


 柊也は気にした風もなく返事を返し、シモンがその言葉を聞いて目を瞠る。


「本当かい?来年、私と一緒に感謝祭に行ってくれるかい!?」

「ああ」

「嬉しいな。感謝祭の見どころを全部見せてあげるから、楽しみにしてくれ」


 膝に顔をうずめ、言った本人の方が楽しみな顔をしているのを見て、柊也の頬が綻ぶ。感謝祭ね。どちらかと言うと、正月よりクリスマスみたいなものだろうな…クリスマスか…。


 そう思い至った柊也は、右腕で取り出したものを、シモンの前に置いた。白い扇形の、赤い果物が乗った食べ物を見て、シモンが前傾姿勢になる。


「これは何だい?」

「ケーキと言って、クリスマス、こちらでいう感謝祭みたいなものや、誕生日などのお祝い事に出される菓子だ。食ってみろ。甘いぞ」


 柊也の説明を聞いた途端、シモンはケーキに飛びついた。フォークで一切れ掬い口に含んだ彼女は、目を見開く。


「…すごい甘い!美味しい!」


 そのまま一瞬でも長く味わえるように、正座して少しずつ大事そうに食べ進むシモンの様子を、柊也はコーヒーを飲みながら、楽しそうに眺めた。柊也が見慣れている元の世界の物に対し、これだけ素朴で純心な感情を抱く彼女の姿は、柊也にとってとても癒されるものだった。


 やがて、ついにケーキを食べ終わり、名残惜しそうに皿を見つめていたシモンが、柊也へと振り返って尋ねた。


「そういえば、君の誕生日はいつだい?」


 シモンの質問に、柊也はしばし考え込んでしまう。


「…わからないな。こっちと暦が違うのと、召喚された時に季節がずれたからな」


 柊也は元々3月生まれだった。9月に召喚されて8ヵ月経っているので、誕生日はすでに過ぎていると言えるが、その間、自分の誕生日を調べなおすような余裕が全くなかった。


 柊也の答えに、シモンは一瞬悲しそうな顔を見せるが、すぐに決心して柊也に提案をする。声に若干の緊張が伴った。


「じゃ、じゃあ、よかったら君の誕生日は、私と同じ日にしないかい?一緒に祝いたいんだ」


 声の明るさに反比例して不安そうな顔をするシモンを見て、柊也は内心に感謝しつつ、すぐに了承する。


「ああ、いいぞ。それで頼む」

「ありがとう!来月の最後の日なんだ、誕生日。私が奮発するから、一緒に美味しいものを食べよう。…だから、さっきのケーキも、もう少し大きいのを出してくれると嬉しいな」

「ああ、任せろ。さっきみたいなカットケーキでなく、ホールで出してやる。しかし、食べ過ぎるなよ。太るぞ」


 元の世界でいえば2月30日。日本人どころか人類で唯一の誕生日を得た柊也は、シモンに注意喚起する。それに対し、一瞬苦渋の顔を浮かべたシモンだったが、名案が浮かび、自信満々になる。


「大丈夫だ。こうすればいい」


 そう言っていそいそと外へ出ていくシモンの後ろ姿を、柊也は怪訝な面持ちで眺めている。数分後、テントに戻ったシモンは豊かな胸を張り、柊也に意気揚々と宣言した。


「ほら!こうやって食べた後に君から離れれば、ケーキは消化されずに消える。これなら、いくら食べても太らないぞ」


 シモンの会心の笑みを前に、柊也は冷静に指摘した。


「お前、今さっき食べた物、全部消しただろ」


 膝から崩れ落ちるシモンを見ると柊也は声を立てずに笑い、もう一度料理を取り出す。今度はおろしハンバーグとライスとコーンポタージュ。デザートはチーズケーキだ。


「ほら、もう一度食べな。まったく、お前と言う奴は…」

「うぅぅ…、ごめんなさぁぁい…」


 自己嫌悪のあまり、体から黄身がはみ出たまま食事を始めるシモンを見ながら、柊也は笑みを浮かべていた。




 そして、この夜の儀式は、いつもより念入りに行われた。

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