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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第15章 巡り廻って
286/299

284:巡り廻って(1)

 その時、東滅本軍を率いるカラディナ軍総司令は、仏頂面で戦況を眺めながら、逸る心を必死に抑えていた。




 オストラでの戦いは、ここまで彼らカラディナ軍の思い描いた通りに物事が進んでいる。


 流石のコルネリウスも数百年ぶりの南部小国家群ルートからの侵攻を察知できず、二正面作戦を強いられた。最大の懸案であったコジョウ・ミカもこちらの思惑通り南部へと転進し、『槍』による殲滅も免れている。そして聖王国軍との間に立ちはだかっていた馬防柵は、セント=ヌーヴェル軍25,000の無謀ともいえる突撃によって取り除かれ、聖王国軍は近衛師団を引き抜かれ予備兵力が枯渇したまま、満身創痍のセント=ヌーヴェル軍との死闘を続けている。


 対して、こちらはカラディナ軍2個集団、合計10,000の軍勢が未だ無傷。


 此処でこの2個集団を投入すれば、当代随一の名将とも言われるコルネリウスを、自分の手で討ち取れるかも知れない。


 総司令は、いつの間にか爪が肌に食い込むほどに拳を固く握りしめていた事に気が付くと、深呼吸を繰り返しながらゆっくりと指を開く。彼は掌に浮かび上がる無数の爪の痕を見つめ苦笑すると、その手を高々と掲げ、前方に向かって勢い良く振り下ろした。


「カラディナ軍に告ぐ。全軍、突撃せよ!」




 それが、彼の最期の言葉となった。




 ***


 ――― そして、至る所で繰り広げられる凄惨な戦いを前にして、焦燥に駆られていたコルネリウスは、その光景を目にする。




 聖王国軍とセント=ヌーヴェル軍との死闘の向こうで、高みの見物を決め込むかのように動きを止めていた、カラディナ軍の2個集団。その後背を、1輌の奇怪な馬車が高速で横切った。


 馬車を牽く馬はおらず、4対8輪の重厚な車輪を持つその車体はまるでそれ自体が意思を持つ生き物であるかのように疾駆し、戦いの趨勢に無関心なまま通り過ぎて行ったが、その直後、カラディナ2個集団内で火柱が上がり、多数の兵士が四散して宙を舞う。噴煙を上げる二つの集団から兵士達が逃げ出すのを余所に、馬車の屋根から身を乗り出した一人の女が銀の髪をなびかせ、両肩に担いだ2本の筒を車外に放り投げる姿を、コルネリウスは辛うじて視界に捉えることができた。


「…」


 瞬く間に戦場を横切り、南東に昇る狼煙の方向へと消え去った馬車の姿をコルネリウスは唖然と眺めていたが、やがて彼の口の端が吊り上がり、ギラついた笑みを浮かべる。


「…畜生!アレがシュウヤか!美味しいトコロをかっさらって行きやがって!」


 笑いを堪えるような表情で南東の方角を睨みつけていたコルネリウスだったが、後ろを振り返ると、背後に並ぶ幕僚達に向かって腕を払う。


「この機を逃すな!旗を上げろっ!」

「「「はっ!」」」


 コルネリウスの指令に幕僚達は直ちに応じ、やがてコルネリウス軍の掲げる軍旗に紅い帯がはためく。


 その紅い帯が掲げられた直後、戦場の北側に広がる森の中から次々と騎兵が飛び出し、瞬く間に集団を形成すると、混乱の続くカラディナ軍に向けて疾走を開始した。




「今こそ陛下の御期待に応えよ!クルーグハルトの家名が伊達ではない事を、彼奴らに思い知らせてやろうぞ!」

「「「おおおっ!」」」


 ライオネルが麾下の兵をいち早く取り纏めると、離散するカラディナ軍に向かって突撃を敢行する。一拍遅れたアーダルベルトが背後を振り返り、若さを剥き出しにして騎士達を鼓舞した。


「クルーグハルト家だけに武功を占められては敵わん!キルヒナー家こそが陛下の宸襟を安んじるに相応しい家である事を、この戦いで証明するのだ!」

「「「おおおっ!」」」

「突撃ぃぃぃぃぃっ!」


 ライオネルとアーダルベルト率いる3,000の騎兵は反時計回りに孤を描くように戦場を迂回し、指揮官を失って統率の取れないカラディナ軍に後背から襲い掛かる。すかさずコルネリウスが腕を天に掲げ、勢い良く振り下ろした。


「今だ!ライオネル隊に呼応して反時計回りに急進!東滅軍に横撃を加えろ!」

「「「おおおっ!」」」


 コルネリウスの指令とともに、ユリウスが再編成した騎兵隊を急進させ、アーダルベルト隊との間隙を埋めるように横撃を加える。同時に左翼を率いていたホルストが兵を急速後退させて敵右翼を振り切ると、コルネリス率いる中央の背後を大きく迂回し、ユリウス隊の更に前方へと躍り出る。


 馬防柵の除去において大きな損害を受け、疲弊したセント=ヌーヴェル軍はコルネリウス軍の急激な変化について行けず、東滅軍は尋常ならざる横撃の前に損害を拡大させていった。




 ***


 …しくじった。


 アインは、振り下ろした剣の先で虎獣人が斃れる姿を眺めながら、顔を顰める。




 仕掛けは、完璧に機能した。


 別動隊と共に南部小国家群ルートから侵入したアイン達は、敵に悟られる事なくオストラの南へと侵攻する事ができた。


 大動脈経由で侵入した本隊も理想的な位置で戦闘を開始し、狼煙を上げる事で相手に二正面を強い、コジョウ・ミカを釣り出す事にも成功。


 更には挟撃のチャンスを捨て、別動隊の進軍を敢えて遅らせた事で、アイン達が潜んでいた森の正面にコジョウ・ミカをおびき寄せる事にも成功した。




 今、彼らが潜んでいる森の前には、二人の女が佇んでいる。


 一人は大柄な虎獣人の女。もう一人は、艶やかな黒い髪をなびかせた少女。虎獣人は片膝をつき、背後から腕を回して少女を抱き留めている。


 そして、少女の詠唱と共に「ロザリアの槍」が彼らの前に姿を現す。


 二人の女の前に無数の靄が立ち昇り、渦を巻きながら次第に巨大な槍の姿を形成していく。数十本にも及ぶ巨大な槍は橙と黒の斑模様を描きながら青炎と白煙を吹き上げ、その禍々しい姿にアイン達は皆一様に息を呑んだ。


 アレを撃たせてはならない。


「…行くぞ」

「…」


 声を低めたアインの言葉に、ハンター達は静かに頷く。


 そしてアインを先頭にハンター達が次々と森から飛び出し、二人の女に向かって駆け出して行った。




 先頭を切ったアインは後続を捨て置き、すぐさま「疾風」を発動させる。


 目標まで数百メルド。「疾風」を使えばものの数秒で到達する。背後に従う近衛師団も少女から数十メルド離れており、アインの特攻を妨げる事はできない。


 爆音を鳴り響かせ、風を切るアインの手に握られた剣が青白い輝きを放ち、稲光を纏い始める。アインの視線の先で二人は向かい合い、獣人が少女を諭すかのように話しかけていたが、その獣人とアインの目が合った。


 だが、もう遅い。


 アインは両手で剣を振りかぶり、二人に向けて勢い良く振り下ろす。二人との距離はまだ離れていて切っ先は届かないが、剣の先に広がる紫電の網が二人の許に降り注ぐ。


 ()った。


 その直後、獣人が少女の襟首を掴み、強引に投げ飛ばした。




「…え?」


 少女は自身が発するうわ言とともに、まるで投げ捨てられた人形のように宙を舞い、数メルド向こうへと吹き飛ばされる。獣人は左腕で少女を投げ飛ばしながら右手の爪を立て、アインを薙ぐように腕を振り払った。


 だが、獣人の腕はアインに届かず、その獣人に紫電の網が覆い被さる。


「…ガァ!…ァァ…ァ…!」


 青白い光を纏わりつかせながら、獣人が断末の雄叫びを上げる。周囲に焦げた臭いが漂い、アインより一回り大きい巨体が硬直し、やがて獣人は痙攣しながら崩れ落ちた。




 ***


「…おっと」


 刹那の間動きを止めていたアインだったが、最期の足掻きだろう、獣人が右腕を伸ばしてアインを捕まえようとしているのに気づくと、彼は一歩引いてその手を躱す。獣人はアインの前でうつ伏せに斃れ、動かなくなった。


「…ゲルダさん?」


 かすれた女の声が聞こえ、アインは視線を前に向ける。彼の視線の先には黒髪の少女が腹這いになったまま、呆然とした顔を獣人へと向けていた。その姿はか弱く、脆く儚く、とても死と退廃の化身と呼ばれる、おぞましい存在とは思えない。


 だが、エーデルシュタインの人々は、その無垢な外見に騙され、誑かされ、支配されているのだ。


「…コジョウ・ミカ!」


 アインは剣を構え、地面に這いつくばる少女に向かって走り出す。「雷」は「充電」が間に合わず、暫く使えない。だが、少女は目の前で地面に這いつくばったままだ。後方の騎士達も突然の事に呆然自失で、硬直している。そう睨んで少女に向かって駆け出したアインの前に、突如石壁が立ちはだかった。


「ちぃ!」


 アインが苛立ちを籠めて振り向くと、悲愴な表情を浮かべこちらに掌を突き出している金髪の女と、その女に黒髪の男が覆い被さり、男女の真上を鋭い氷の槍が横切っていくさまが映し出される。




 そして、その左から、視界を埋め尽くす勢いで押し寄せて来る、巨大な鉄の塊。




「うおおおおっ!?」


 慌ててアインは反転し、「疾風」を発動させて後退する。巨大な鉄の塊はアインを掠めるように横切り、今しがた現れた石壁に激突すると、一瞬で石壁を粉砕した。鉄の塊は4対8輪の車輪を有し、土台しか残っていない石壁に乗り上げたまま、まるで馬が繋がれていない馬車のような異様な姿を横たえている。


 だがアインは、その異様な馬車をまじまじと確認する暇がなかった。――― 衝突の直前、馬車から飛び出してきた女の拳を躱すのに精一杯で。




「…ぐっ!何だぁ!?」


 アインは突然の状況に混乱しながらも剣を振るい、女の猛攻を振り切ろうとする。しかし女はアインの懐に飛び込んだまま両の拳を繰り出し、アインの反撃を次々と封じた。女の拳は何かの素質で強化されているのであろう、アインの剣で斬り払えず、硬質な音とともに弾き返される。


 何より、「疾風」を発動させているのに、女を引き離せない。


「何者だ、貴様!?」


 堪らずアインが音を上げ、剣を横なぎに払いながら女に問うと、女は剣域から逃れるように後退し、アインと距離を取る。女はそのまま地面に斃れている獣人の許へと移動し、獣人を守護するように立ちはだかった。アインは剣を構えながら、その姿を見て驚愕する。


「…あ、あんた…まさか…!」




 女は、長く美しい髪をなびかせ、銀色に輝いていた。




 肩口で切り揃えられた飾り気のない白い上着と濃茶のレザーレギンスに身を包んだその肢体は、彫刻を思わせるほどの芸術的な曲線を描き、完璧とも言える美貌に惹き込まれる。白磁にも似た肌は左腕に走る2本の大きな裂傷を除き染み一つ見当たらず、側頭部を飾る形良い三角形の耳と、張りのある煽情的な腰の向こうで見え隠れする煌びやかな銀の尾が、彼女の種族的特徴を声高に主張していた。そして、その形良い切れ長の眼はまるで太陽を思わせる灼熱の輝きを放ち、獲物を見る猛獣のように、アインの姿を捉えたまま放そうとしなかった。


 アインは、その女を良く知っていた。直接言葉を交わした事はなかったが、彼が暮らす街では知らぬ者のいない、最も有名な女だった。その凛とした立ち振る舞いは男女問わず人々の憧れの的となり、多くの若者達を決して社会的地位の高くないハンターという職業へと駆り立てた。4年前、彼女がクエストの途中で命を落としたと知った時には街中が悲嘆に暮れ、大勢の若い女性が涙を流し、密かな憧れを抱いていたアインも大きなショックを受け、暫くの間塞ぎ込んだものだった。




 その、死んだはずの彼女が、生きてアインの前に立ちはだかった。アインはその事実に衝撃を受け、カラカラになった喉で息を呑み、唇を戦慄かせながら、銀の髪をなびかせる女の名を呟いた。




「――― シモン・ルクレール…」

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