280:コジョウ・ミカ
――― 結局、コジョウ・ミカという人物は、何者だったのだろうか。
英雄ではある。歴史の表舞台に突如現れ、僅か4年で当時世界最大であった国を滅ぼし、女性でありながら22歳の若さで新王朝の頂点に立つほどの人物が英雄でないのであれば、何と言うべきであろうか。しかも、彼女の登場した中原暦6600年代という時代は、中原暦と言う長い歴史を語る上で決して外す事のできない、極めて特異な時代でもあった。
実際、この世界は、6600年代を境にして全く別のものに置き換わったと言っても、過言ではない。現在では全くの絵空事としか思えないが、それ以前の世界には魔法と呼ばれる不可思議な力が存在し、選ばれた一部の人々が魔法を駆使し、大きな影響力を誇っていたのである。この魔法がどのような原理で働いていたか現在では窺い知る事はできないが、当時魔法が実在していた事を示す記述が、数々の文献に遺されている。
また、当時はロザリア教の教義に従って中原各国は頻繁に北方へと出兵し、数千年にも渡ってハヌマーンとの間に激烈な戦闘を繰り広げていた。この恒常的な戦争が中原の発展を阻害し、長い長い経済の停滞を引き起こしたとされているが、これについては現在もなおハヌマーンとの間で意思疎通ができないという点を考慮すれば、当時の人々の無知を一方的に非難するというのは、些か酷というものである。
だが、コジョウ・ミカの登場と共に、この世界の常識が大きく塗り替わったのである。
彼女は当時でも抜きん出た力を持つ魔術師であり、内乱によって急速に国力を衰退させたエーデルシュタイン王国に代わってハヌマーンからの攻撃を単身で駆逐すると、民衆の支持を得てエーデルシュタイン北部を支配下に置く。そしてハヌマーンの奇襲によって首都ヴェルツブルグが陥落し、国王と王太子が命を落とすと、麾下の兵を率いてハーデンブルグから南下、ハヌマーンを撃退し、首都を奪還した。
彼女は首都を奪還すると「全人族の母」と称して、人心の掌握に努めた。そしてハヌマーンの前では「サーリアの生まれ変わり」と称して彼らをひれ伏させ、後に有名な「交髪の宴」を結んで、永遠に続くと思われた戦いに終止符を打ったのである。
更に彼女はロザリア様の聖言と称して「魔法の消失」を世界に宣言し、狼狽と悲嘆に暮れる人々に進むべき道を指し示し、現在に至る新たな世界へと導いた。これらの数々の偉業を見ても、彼女が居なければ今日は存在しなかったと言っても過言ではないという事が、良くわかろう。
しかし、それほどまでの偉業を達成したコジョウ・ミカにも拘らず、現在における彼女の評価はあまりにも低い。これは、彼女の為人が大きく影響していると、言わざるを得ない。
彼女の評価は二極化しており、地域によって二分されている。中原の東側、旧エーデルシュタイン王国地域における彼女の評価は非常に高く、救世主として崇められ、神格化されている。また、ヴェルツブルグに本部を置くロザリア教会は、現在も彼女を「全人族の母」と認定している。
一方、旧カラディナ共和国、旧セント=ヌーヴェル王国をはじめとする西方地域においては、コジョウ・ミカを世紀の罪悪人と見る向きが大きい。ロザリア教会の西方支部においても、表立って本部の認定に異論を立てていないが、否定的な見解を持つ司教が多数を占めている。
世界を席巻した英雄に悪評は付きものではあるが、コジョウ・ミカほどその落差の激しい人物は、稀であろう。それは、その当時の人々の住む地域に及ぼした彼女の影響が、正反対だったからである。
当時、旧エーデルシュタイン王国に住んでいた人々は、ガリエルの尖兵とされるハヌマーンの攻撃によって王国が滅亡し、絶望の縁に立たされていた。その彼らにとって、たった一人でハヌマーンを撃退し、なおかつハヌマーンを従えて平和を齎したコジョウ・ミカを神と崇めたのは、自然な流れと言えよう。また、中原の平和を願うロザリア教会が旧エーデルシュタインの窮状を憂い、彼女の要求を全面的に呑んで「全人族の母」と認定した事についても、その是非はともかく理解できる。事実、この認定によって旧エーデルシュタイン王国は無用な血を流す事なくコジョウ・ミカの下で一つに纏まり、新王朝の成立を見る事ができた。その点で言えば、彼女は確かに救世主である。
しかし、西方諸国から見れば、彼女は明らかに簒奪者であった。当時、カラディナ共和国にはリヒャルト王子が難を逃れて、逗留していた。彼は国王の長子であり、実弟であるクリストフ王太子との権力争いに敗れ、王位継承権を剥奪されていたが、そのクリストフと国王が斃れたとなっては後継者に最も相応しい人物と言えた。
だが、コジョウ・ミカはリヒャルト王子の受け入れを拒否し、彼が率いていた軍を自身の持つ強力な魔法で壊滅させると、彼を無傷で捕らえながら、その場で首を刎ねたのである。この、貴人に対する残虐な対処一つを取って見ても、彼女が如何に苛烈な人物であったか、窺い知る事ができよう。
当時からまことしやかに噂されていた、彼女がリヒャルト王子の首を目の前に置き、その首に見せびらかすように男とまぐわっていたという話は、創作である事がわかっている。だがその一方で、オストラの戦いのさなかにコジョウ・ミカが男と肌を重ねていたとの記録が、当時の侍女カルラ・シュタインフェルトによって遺されている事からも、後世の評価に対する責任の一端が、彼女自身にもあると言わざるを得ない。
実際、歴史に名を遺した女性の中で、コジョウ・ミカほど多くの浮名を流した人物は、他に例を見ない。現在、彼女の伴侶として明らかになっているのは、「王配」オズワルド・アイヒベルガーと「寵姫」レティシア・フォン・ディークマイアーの二人であるが、同性の伴侶が公的な地位を有している事自体、尋常ではない。しかも、その他にも「王虎」ゲルダ・へリング、「侍女」カルラ・シュタインフェルト、「近衛師団長」ヘルムート・フォン・ミュンヒハウゼン、「貴公子」エミール・フォン・アンスバッハ等、彼女との関係が噂される人物は、男女問わず枚挙にいとまがなかった。
当時、王宮の女官達の間で噂されていた「夜な夜な聞こえる女性の悲鳴」について、現在、声の主は「寵姫」レティシア・フォン・ディークマイアーか「侍女」カルラ・シュタインフェルトのいずれかであろうと言われているが、この様な事情を鑑みても、コジョウ・ミカはかなり好色で弑逆的な人物であったと言うのが、現代における多くの史家の共通した見解である。
だが、この様な苛烈な人物であったからこそ、中原暦6600年代の激動を乗り越え、世界に未来を齎す事ができたと言える。自国には多くの善政を施いて民衆の絶大な支持を得、教会をも抱き込んで自身を神格化させて、強固な体制を築き上げた。ロザリア様の聖言については、9000年近い長い中原の歴史において僅か四度しか認定されていないが、その全てがこの中原暦6626年と6627年の2年間に集中しており、この異常な集中度と他の時代に全く聖言が現れない事から見ても、四度の聖言がそもそも事実だったのか、疑問を呈する者も多い。だが、少なくともロザリア教会は現在に至るまでその見解を崩しておらず、この点からも如何にコジョウ・ミカの執った行動が当時の教会に支持されていたかがわかる。
そして、その強力な支持基盤を軸に旧勢力の排除に果敢に挑み、リヒャルト王子の首を刎ねて、エーデルシュタイン王国を名実ともに滅亡へと追いやった彼女が、その後における西方諸国との全面戦争においても自らを曲げず、民衆を率いて立ち向かったからこそ現在の繁栄があるのを、我々は忘れるべきではない。
今日の我々の生活が、彼女の決断の上に成り立っている事は、私も重々承知している。彼女の指し示した数々の施策と規範が、今の我々に繁栄を齎している事にも、私は感謝を惜しまないつもりだ。
だが、それらを踏まえたとしても、もし彼女を一言で表せと問われたら、私はこう答える他にないだろう。これは決して私個人の意見ではなく、この現代において西方諸国に住む多くの人々が持つ、共通の認識である。
――― コジョウ・ミカは、梟雄である。
【中原偉人列伝第17巻 コジョウ・ミカ】中原暦8911年刊行 より抜粋 ―――
歴史は残酷です。当人には決して、反論の機会が与えられないのです。




