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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第14章 想像できない未来に向けて
271/299

269:新たな息吹

 2箇所続けてオズワルドがヘソを曲げ、その都度美香が人目を避けて彼を宥める間も巡幸は続き、ロザリアの第1月の末、一行はハーデンブルグに到着した。




「聖母ミカ様、万歳!万歳!」

「御使い様、お帰りなさい!」

「ミカ様!即位、おめでとうございます!」


 これまでの都市とは桁違いの、ライツハウゼンを上回る大勢の市民達がハーデンブルグの外に繰り出し、沿道に連なって歓呼の声を上げている。美香を乗せた馬車は前後を騎士団に守られながらハーデンブルグへと向かい、美香は馬車の中から左右に手を振り、沿道の市民達に向かって笑顔を振り撒いていた。


 やがてハーデンブルグの南西門に到着すると、近衛隊は先頭から順に左右へと広がり、横列を組んでいく。ハーデンブルグの街壁の下にもすでにディークマイアー家の騎士達が横列を組んでおり、双方の騎士達が互いに向かい合った。


 その大勢の騎士達の間を、騎乗する女性騎士達に守られた1輌の馬車が進む。馬車は南西門の前に並ぶマティアスの前に横付けされると、女性騎士の手によって扉が開かれ、アデーレとレティシアが中から出て扉の脇に立ち並んだ後、最後に美香が姿を現した。


「陛下」


 美香が姿を現すと、マティアスを先頭に大隊長と文官達が一斉に片膝をつき、首を垂れる。


「陛下、今日という日を迎えられました事、このマティアス、心よりお慶び申し上げます。ちょうど1年前、先の王朝の命に抗いきれず、ハーデンブルグに住む者は女子供に至るまで皆臍を噛む思いでございましたが、陛下の崇高とも言えるご決断と、その陛下に対するロザリア様の寵愛が、危機に瀕していたこの国に最良の結果を齎しました。陛下、ハーデンブルグによくぞお戻り下さいました!当主フリッツ以下、このディークマイアー家は、末代に至るまで陛下の忠実な(しもべ)として付き従いますこと、此処に宣誓いたします」


 美香は目の前に並ぶ頭髪を見て、柔らかく微笑む。


「マティアス様、4年前、この世界に召喚され路頭に迷っていた私に救いの手を差し伸べ、第二の故郷と家族の愛を与えて下さった御家の御恩は、片時も忘れた事はございません。今もなおフリッツ様は遠いヴェルツブルグにおいて私の名代としてこの国の舵を取り、アデーレ様とレティシア…様は私の傍らから片時も離れず、無作法な私を支え続けております。マティアス様にも、この国の生命線とも言える北の要衝を守護いただき、御家の皆々様の献身とも言える働きに、最大の感謝を贈らせていただきます」

「陛下、何故私の時だけ言い淀まれるのですか?」


 背後から上がるレティシアの言葉を無視し、美香はマティアス達を立ち上がらせると、一同を見渡して、この場に居ない女性の名を挙げた。


「…デボラ様のお加減は、いかがですか?」


 美香の問いに、マティアスが表情を和らげる。


「お蔭をもちまして体を(わずら)う事もなく、順調です。臨月を迎えた事もあり、誠に畏れ多いことではございますが、本日はお(いとま)をいただいております」

「いえ、お気になさらず。御身体(からだ)に差し支えなければ、後ほどご挨拶に伺わせて下さい」

「ありがとうございます、妻も喜ぶことでしょう。陛下には、この時期に母と妹を連れて来ていただき、感謝の念に堪えません」


 マティアスの妻デボラは、美香がハーデンブルグを発った2ヶ月後に懐妊していた。マティアスの言葉を聞いたアデーレとレティシアが顔を綻ばせ、一行は談笑を交えながら再び馬車に乗り、騎士達に伴われて領主の館へと向かって行った。




 ***


「…何処へ行ったのかと思えば、こんな所に。ミカ様、あなたはご自身がこの国の王であるという自覚が、お()りですか?」

「…あ、ヘルムートさん」


 腕を組んでしかめ面を浮かべるヘルムートを前にして、美香は大口を開けたまま、肉巻きを運ぶ手を止める。レティシア、オズワルド、ゲルダと共に座るテーブルの上には山のように積み上げられた様々なお供え物が湯気を立て、背後の壁には店主直筆の「宮中御用達」と書かれた横断幕が貼られていた。


 ハーデンブルグに到着して5日が経過したが、その間、ぶっちゃけ美香はやる事が何もなかった。ハヌマーンと「1年」という約束をした美香であったが、身振り手振りだけで会話が成立していたわけではない。向こうの暦を知る由もなく、余裕をもって早めにハーデンブルグ入りしたわけであるが、現時点ではまだハヌマーンは動きを見せていなかった。それでも2日ほどは館の中で大人しくしていた美香だったが、5日経った今では、この有様である。


 テーブルの前で仁王立ちするヘルムートを見て、美香は暫く動きを止めていたが、やがてヘルムートの剣呑な視線の先で美香の手が動き、肉巻きが口の中に吸い込まれる。大きく膨らんだ頬が上下に動くさまをヘルムートは赤い顔で睨みつけていたが、惚れた弱み、何も言い出せない自分に大きな溜息をつくと、用件を口にする。


「…デボラ様が、破水されました」

「―――っ!あんっねんで、もっと、もぉぉぉっ!」


 ヘルムートの言葉に、美香は口の中に肉巻きを詰め込んだまま言語化できない悪態をつき、胸を叩きながら店を飛び出していく。ヘルムート、レティシア、オズワルド、ゲルダが後を追い、跡に残った女性騎士達は苦笑しながら、残されたお供え物の持ち帰りに取り掛かった。




 ***


「ミカ、無事、女の子が生まれたそうだ」

「…あー、なんかゴメン。ホント、ゴメン」


 部屋に戻って来たオズワルドの報告を聞き、美香は素っ裸でベッドの上に胡坐をかいたまま、寝ぼけ眼で頭を下げる。美香の傍らにはレティシアが一糸纏わぬ姿で横たわり、静かに寝息を立てていた。


 昨日デボラの陣痛が始まり、一同は隣室で出産の時を待っていたが、深夜になっても産声は上がらず、国王という立場もあってアデーレ達から引き留められた美香は大人しく部屋へと戻った。そして鎮まらない不安と興奮に流され、ついうっかり組んず解れつした挙句、寝過ごした次第である。


 慌ただしく身支度を整え部屋を訪れた美香達の前で、デボラは身を横たえ、疲労と幸福に彩られた笑顔を向ける。


「ミカ様、わざわざこの様な場所にお越しいただき、ありがとうございます」

「お姉さん、ご出産おめでとうございます。母子ともに健康との事で、良かったです」


 額に汗を浮かべたまま微笑むデボラを、美香は眩しそうに見つめる。産湯に浸けていたのだろう、隣室からアデーレが赤子を抱え、戻って来た。


「ミカさん、ほら、赤ちゃんよ。どう?可愛いでしょう」

「あぁぁ!ホントだ、すごいすごい!可愛いぃぃっ!」


 美香とレティシアは前のめりになり、布に包まれ、アデーレの腕の中で眠る赤子を覗き込む。生まれたばかりの赤子は、目の前ではしゃぐ二人にも意に介さず、静かに寝入っている。その体は小さく、美香の細い指でさえも掌で掴むのがやっとのように思えた。


「…ミカ様、たってのお願いがございます」

「あ、ごめんなさい、お姉さん」


 名を呼ばれ、赤子に夢中になっていた美香が慌てて振り返ると、デボラはベッドに身を横たえたまま、満ち足りた表情で口を開く。


「…この()の名付け親になっていただけませんか?」




「え?私が?」

「はい」


 驚きの表情を浮かべる美香にデボラは穏やかに頷き、想いを口にする。


「ミカ様は、私達人族全ての『母』です。その『母』から直に名を授かる、これ以上の祝福は、他にございません」

「…そうね、ミカさん、私からもお願いします」

「お姉さん、お母さん…」


 デボラとアデーレの二人に頭を下げられ、美香はアデーレの腕の中で眠る赤子の顔を見つめる。その美香の脳裏に突然かつての親友の顔が浮かび、彼女はつい口ずさんだ。


「…久美子…」

「「クミコ?」」

「え?…あ、いえ…」


 美香が呟いた名をアデーレとデボラが(なぞら)え、その声を聞いて美香が我に返る。彼女は思わず口から出てしまった名を撤回しようとしたが、思い留まり、言葉を引き継いだ。


「…そうね…『久美子』というのは如何でしょうか?私の生まれた国で、いつまでも美しく在りますように、そう願いを籠めて付ける名前なんです」

「…クミコ…素敵です!ミカ様、ありがとうございます!」

「良かったわねぇ、クミコちゃん!聖母様から素晴らしい名前をいただけたわよ!」


 デボラがベッドに身を横たえたまま満面の笑みを浮かべ、アデーレが腕の中の赤子に笑い掛ける。


 こうして西暦8264万4058年、突如地球上に「クミコ」という名が出現し、聖王国内で瞬く間に数を増やしていく。遥か8200万年以上も未来、日本という国が名実ともに消滅した世界で自分達の名前だけが復活するなど、21世紀に生きる「久美子」達は知る由もない。




 そして、クミコ・フォン・ディークマイアーの誕生から1週間が経過した、ロザリアの第2月10日。ハヌマーンがハーデンブルグに姿を現した。

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