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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第14章 想像できない未来に向けて
265/299

263:最適解

「…も、もぉ無理。もぉ、これ以上できない」

「お姉ちゃん、ほら、ちゃんと服を着ないと湯冷めするよ」


 浴室から漂う二人の声を聞きながら、柊也はボクサーの上に立って体を伸ばす。小春めいた心地良い風が、湯に浸かって火照った体に清涼感を齎し、柊也は辺りに漂う緑の匂いを存分に味わった。




 ひとしきり春暖を満喫した柊也はボクサーの上にちゃぶ台を置き、ガスコンロと底の浅い鍋を載せる。鍋に脂をひき、ぶつ切りした長ネギを焼き始めたところで浴室テントが開き、シモンが中から姿を現した。


 シモンはTシャツとショートパンツのラフな格好でセレーネを横抱きにしたまま跳躍し、ボクサーのフロントを駆け上がると、壊れ物を扱うかのように丁寧にセレーネを座椅子に座らせる。その間セレーネはキャミソールとショーツだけを身に纏い、湯あたりしたような表情でシモンにされるがままとなっていたが、ちゃぶ台に並べられた食材を目にすると、剣呑な表情を柊也へと向けた。


「…トウヤさん、何ですか、これは?私に生卵を食べて、もっと精力をつけろと?」

「何ですき焼きを見て、そんな捻くれた感想に繋がるんだよ?」

「捻くれたくもなりますよ。何で私、戦場より浴室に居る時の方が疲れるんですかぁ!?」


 セレーネの感想に柊也は呆れるが、セレーネが剥れながら続けた文句に意地の悪い笑みを浮かべ、鍋で薄くスライスした牛肉を焼き、続けて割り下を投入する。シイタケ、焼豆腐、春菊、しらたきを並べると、シモンのつまみ食いで目減りした牛肉のスライスを追加し、ビールをグラスに注いでいく。


「結局10ヶ月もかかったが、無事にカエリアの地に到着し、管理者になれた。これも一緒に来てくれた二人のおかげだ。ありがとう。乾杯!」

「「乾杯!」」


 柊也の言葉に二人は唱和し、三人は久しぶりの野外での食事に興じていった。




 暫くの間三人は食事に没頭し、口数も少なく、次々に箸を伸ばしていく。北極圏を移動する間、ほとんど車内に閉じ込められた生活が続き、食事も窮屈に感じていた。この後また半年ほど窮屈な日が続く以上、今のうちに羽を伸ばしておきたい。三人は食欲の赴くままに料理を平らげ、やがてシモンは定番のチョコレートパフェに手を伸ばした。


 柊也はオレンジシャーベットを口に運びながら、ボクサーの上から地平を眺める。点在する樹木の向こうに濛々と立ち昇る黒い煙、そして周囲を赤く染める巨大な火柱が映し出されていた。ドームを覆い尽くすほどの巨大なキノコだけあって、その火勢は衰えを見せる様子がない。柊也はシャーベットを食べる間ずっと火柱を眺めていたが、やがて空になった器をちゃぶ台に置くと、デザートを口に運んでいる二人に声を掛けた。


「…さて、そろそろMAHOの調整に入るか」

「ん」


 柊也の言葉にシモンが頷き、スプーンを咥えたままちゃぶ台を持ち上げて脇に避ける。三人は空いた空間を取り囲むように座り、シモンとセレーネが引き続きデザートに興じる中、柊也が座椅子に胡坐をかいたまま声を掛けた。


「シルフ、ノーム、サラ、ウンディーネ、出て来てくれ」

『『『はい、マスター』』』


 柊也の呼び掛けに4人の女性の声が応じ、三人の前に赤、青、黄、緑の4つの光が浮かび上がる。光はやがて赤い蜥蜴、青い人魚、黄色の妖精、緑の小人へと変じ、柊也に向かって一斉に頭を下げる。四体のガイドコンソールの会釈に柊也が頷き、口を開いた。


「全員、各々のエマージェンシー・モードを解除し、ネットワークを回復させてくれ。サラ、その際、シルフとノームにワクチンの提供を忘れずにな」

『『『畏まりました、マイ・マスター』』』


 柊也の命令にガイドコンソール達は再び頭を下げ、三人の目の前で手を取り合って輪を作り始める。赤い蜥蜴は尾を緑の小人の腕に絡め、長い舌を伸ばして青い人魚の尾びれに巻き付ける。青い人魚は両手で、緑の小人はもう片方の手で黄色の妖精の手を取り、四体のガイドコンソールはその状態で輝きを増していく。


『エマージェンシー・モード解除。各システム間の通信環境に異常なし』

『システム・エミリア、システム・サーリアにワクチンを注入』

『システム・カエリアのデータスキャン終了。ウィルス検知0。システム・カエリアからのデータ受け入れを許可します』

『エマージェンシー・モード発動期間内の各システムのデータ共有を開始。完了までおよそ751秒。暫くお待ち下さい』


 赤、青、黄、緑の光が不規則に瞬きを繰り返し、システムメッセージが流れる。その電飾を思わせる煌めきにシモンとセレーネは目を奪われ、思わずデザートを運ぶ手が止まる。柊也はその中で一人、酔い覚ましに熱い緑茶を啜り、作業完了のメッセージを待ち続けていた。




『お待たせしました、マスター。エマージェンシー・モードの解除が完了し、全システムの接続を回復しました』

「わかった」


 赤い蜥蜴が口を開き、長い舌を伸ばしたまま報告する。ホログラムだから、発声に影響がないのだろう。柊也は頷き、続けて指令を出す。


「引き続き、地球のエネルギー収支のシミュレートに入ってくれ。まず、このカエリアで継続している、エネルギー移送命令。この命令の解除だけで収支が釣り合うかどうか、からだ」

『畏まりました、マスター。計算終了まで暫くお待ち下さい』




『お待たせいたしました、マスター。計算が終了いたしました』


 赤い瞬きを繰り返す蜥蜴に対し、柊也は幾分身を乗り出す。蜥蜴は口を開いたまま、無表情に答えた。




『――― システム・カエリアで継続している移送命令を停止した場合、地球全体のエネルギー収支はマイナス19.2ポイント。寒冷化は止まりません』




「…そうか」


 サラの答えを受け、柊也は自分を納得させるかのように息を吐くと、質問する。


「ウンディーネ。システム・カエリアの地に、人族、獣人、エルフは生息しているか?」

『いいえ、マスター。システム・カエリアの管轄地に人族、獣人、エルフの生息域は、ございません』


 ウンディーネの答えに柊也は頷き、続けて指令を出した。


「では、次のシミュレートだ。システム・カエリアをセーフ・モードにした場合のエネルギー収支を、計算してくれ」

『畏まりました』




『お待たせいたしました、マスター。計算が終了いたしました』

「どうだった?サラ」


 サラの発言に、柊也は前のめりになって尋ねる。その表情に大きな変化はなかったが、彼の左拳はきつく握られ、掌には汗が滲み出ていた。柊也に穴が開くほど見つめられたサラは、その視線を一切気にせず、極めて事務的に答えた。




『――― システム・カエリアをセーフ・モードにした場合、地球全体のエネルギー収支はマイナス1.6ポイント。寒冷化は止まりません』




「…そうか…足らないか…」

「ど、どうしたんですか?トウヤさん」


 座椅子の背もたれに身を預け、天を仰いで大きな溜息をつく柊也を見て、セレーネが恐る恐る尋ねる。柊也はセレーネの質問を受けても暫く上を向いたままだったが、やがて前を向き、覚悟を決めた表情で結論を述べた。


「…カエリアとエミリア。この2システムをセーフ・モードにしても、寒冷化は止まらない。大草原と中原、この2地域にメスを入れ、何かを失わなければ、状況は改善しないという事だ」




「…え?」

「な、何を失うんですか!?」


 柊也の決意を聞いた二人は驚き、身を乗り出して食い入るように柊也を見つめる。二人の視線に柊也は答えず、再びガイドコンソールに向かって声を掛けた。


「サラ、お前達に任せる。地球のエネルギー収支を改善させ、寒冷化を止める最適解を導き出してくれ」

『畏まりました、マスター。計算終了まで、推定3,017秒。今暫くお待ち下さい』




『…お待たせいたしました、マスター。計算が終了しました』

「…あ?…ああ、終わったか」


 座椅子に身を預け、舟を漕いでいた柊也の耳にサラの声が流れ込む。柊也が目を擦りながら顔を上げると、シモンが赤い顔でお猪口を傾けながら、不貞腐れた様な表情を浮かべていた。


「…君が寝てしまうもんだから、私は酒を飲むしか、する事がなくなってしまった」

「ああ、悪ぃ。久しぶりの酒で、酔いが回っちまった。何か食うか?」

「プリン・アラモード、頂戴」


 不測の事態に備え、酔っぱらいながらも一人見張りを続けてくれたシモンに柊也は礼を言うと、報酬としてプリン・アラモードを手渡す。柊也は、シモンの膝を枕にするセレーネの寝顔を眺めた後、目の前で輪になったままのガイドコンソールに声を掛けた。


「サラ、最適解を教えてくれ」

『はい、マスター』


 柊也の質問にサラが反応し、赤、青、黄、緑で彩られた輪が交互に瞬く。




『――― 4システム全ての地域においてナノシステムの生活支援機能をロックし、MAHOの機能を自動翻訳及び環境保護のみに特化する事で、地球全体のエネルギー収支がプラス0.4ポイントまで改善。温暖化へと転じる事ができます』

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