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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第14章 想像できない未来に向けて
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258:道中記(4)

『マスター、あと1kmほどでシステム・カエリアの管轄地に入ります。今後、ナノシステム使用時の代償支払義務が生じますので、ご使用の際は十分にご注意下さい』

「了解した、ありがとう」


 胸元にしがみ付いた赤い蜥蜴が草を食むように顎を動かし、蜥蜴に礼を述べた柊也は操縦席に向かって声を上げた。


「シモン、車を停めてくれ!」

「わかった!」


 シモンの(いら)えとともにボクサーが減速する中、柊也の隣でベッドに寝そべって漫画本を読んでいたセレーネが顔を上げ、尋ねた。


「急にどうしたんですか?トウヤさん」




 ボクサーの内装は、大きく様変わりしていた。以前は両サイドに複数の座席が向かい合わせに並んでいたが、今はその全てが撤去され、代わりに簡易ベッドが3つ、二段ベッドの様に並んでいる。


 救急搬送モジュール。


 ボクサーは後部荷台部分を取り外し、用途に応じてモジュールを交換する事ができる。これまで柊也は長い間兵員輸送モジュールを使用していたが、寒冷化が進み野外泊が困難になったため、救急搬送モジュールを採用して車中泊を繰り返すようになっていた。


 セレーネの質問に、柊也が答える。


「いや、知っての通り、カエリアは何者かに乗っ取られているからな。管轄地に入る前に調査をして、悪影響がないか確認しておきたいんだ」

「ああ、それもそうですね」


 答えを聞いてセレーネが頷いたところでボクサーが停車し、シモンが操縦席から戻って来る。柊也はシモンに紅茶を出しながら、胸元の赤い蜥蜴に向かって命令した。


「サラ。システム・カエリアがハッキングされた事によって今後どの様な悪影響があるか、確認できるか?」

「畏まりました、マスター。管轄地内のナノマシンを採取して、調査します。調査結果が出るまで、3,600秒ほどお待ち下さい」




『…お待たせいたしました、マスター。ハッキングによるマスターへの影響は、実質ゼロです。マスターのナノシステム操作に対する妨害行為は認められず、システム・ロザリアに対するハッキング行為もございません。おそらく敵は、エネルギー搾取以外の意図を、有していないものと推測されます』

「ハッキングなんて高度な手段を取っても、目的は単なる『寄生』だからな。体力は削られるが今まで通り魔法が使え、自動翻訳にも影響がない、という事でいいか?」

『その認識で相違ございません』

「わかった、ありがとう。助かったよ、サラ」

『どういたしまして』


 長い舌を出し、大きな欠伸をする蜥蜴に対し、柊也が煎餅を咥えながら答える。柊也は、椅子に座って漫画本を読みふけるシモンに、声を掛けた。


「シモン、問題ないって。出発しよう」

「ちょっと待ってくれ、トウヤ。今、第2王子との絡みが、好いところなんだ」


 最近、悪役令嬢ものにご執心のシモンが、漫画本に釘付けになったまま、ぞんざいな返事をする。それを見たセレーネが苦笑し、ベッドの上で身を起こした。


「トウヤさん、私が運転を代わりましょうか?」

「いや、いいよ。悪い癖がつくと、マズいから。こういう時は、ちゃんと(しつ)けておかないとな」

「躾って言うな」


 シモンが形の整った眉を逆立て、漫画本越しに剣呑な目を向ける。その視線の先で柊也が意地の悪い笑みを浮かべると、シモンは剥れたように頬を膨らませ、本を置いて操縦席へと戻って行った。




 ***


「シモン!セレーネ!ちょっと来てくれ!凄いものが見えるぞ!」

「どうしたんですか、トウヤさん?」


 一日を終え、就寝前に周辺を窺うため上部ハッチから顔を出した柊也が、車内に向かって大声を上げる。セレーネはダウンジャケットを羽織り、シモンと共に柊也の後を追って上部ハッチから顔を出した途端、大声を上げた。


「うわっ!うわっ!何コレ、凄い綺麗!」


 セレーネの真上には、満天の星空が広がっていた。星は、漆黒の闇の中で宝石のように爛々と輝いている。そしてその漆黒の闇の中に、緑色に輝く光の帯が浮かび上がり、まるで天空に吊り下げられたカーテンのように、ゆっくりと靡いていた。上部ハッチから半身を乗り出したまま、食い入るように上を見るセレーネに、車中から声がかかる。


「セレーネ、何が起きているんだ?早く登ってくれ」

「あ、シモンさん、ごめんなさい。今登ります」


 救急搬送モジュールによって上部ハッチの数が減り、後がつかえている事を思い出したセレーネが、慌ててボクサーの上に登る。セレーネは、続けて身を乗り出したシモンが唖然として上空を見上げる姿も気にせず、天空を横切る光のカーテンに魅せられ、食い入るように見つめた。


「…なんて綺麗なんだろう…」

「…トウヤさん、コレ、一体、何なんですか?」


 上を向いたまま動きを止めるシモンの脇で、セレーネは視線を下ろし、ボクサーの上に石油ストーブを置いて火を起こしている柊也に尋ねる。


「オーロラって言う、世界の北と南の果てでしか見る事が出来ない現象だ。勿論、我々には何の悪い影響もない。俺も、実物を見るのは初めてだよ」

「これが、世界の果て…」


 柊也の説明を聞き、セレーネは思わず周囲を見渡す。辺りには、生物の痕跡が全く見当たらなかった。周囲は雪と氷に覆われた平板な大地が地平の彼方へと続き、突如雪に覆われた山がそびえ立って視界を遮る。大地と山々は月の光を浴びて白く淡い輝きを放ち、その背後で星が瞬き、緑の光のカーテンが天空を割る。夜は昼を侵食し、今日は3時間ほどしか太陽を目にしていない。頬に刺すような痛みが走り、白と黒に覆い尽くされ、幻想的な緑に輝く世界を前にセレーネは圧倒され、思わず呟いた。


「…まるで、生き物がことごとく死に絶えた、死の世界みたい…」

「いや、いるぞ?」

「え?」


 思いもよらぬ反論にセレーネが振り返ると、柊也が上を向いてオーロラを眺めながら、独り言のように呟く。


「今は分からんが、俺が生まれた時代には、海にはクジラやシャチなど、体長20メルドほどの海洋生物がいたし、陸上にも2メルド以上の大きな熊や、トナカイと呼ばれる角の生えた馬みたいな生き物が生息していた。かつては人間も、この環境の中で生活していたよ」

「ど、どうやってですか!?」

「君達と同じ、狩猟だ。海に住む生き物や、トナカイを捕まえて食料にしたんだ。この間作った、かまくらみたいな氷の家に住んでいた」

「「…」」


 柊也の説明を聞いたセレーネはシモンと顔を見合わせ、やがておずおずと尋ねる。


「…どうして、そんなに物知りなんですか?」

「…俺が物知りというより、それが俺の生まれた世界では、ごく自然に身につく知識だったんだ。今よりずっと文明が発達していて、いろんな自然現象が解明されていて。あの、空に瞬く星々だって、我々の住む世界と同じように球体で、もしかしたら我々と同じような生き物が住んでいるかも知れないという事まで、わかっているんだ」




「「…」」


 柊也の答えに、セレーネは再びシモンと顔を見合わせ、沈黙する。


 自分達は、この世界が球体の上に乗っている事も、中原がとても狭く、世界のごく一部でしかなかった事も知らなかった。世界の果てにこんな氷の世界が広がっている事も、夜がこんなに長い事も、緑のカーテンが夜空を彩っている事も、そこに生き物が住んでいる事も知らなかった。三姉妹の事も、ガリエルの本当の姿も、魔法の正体も、彼が居なければ永遠に知らなかった。


「…トウヤさん」

「どうした?」


 セレーネは、上を向いたままなおざりな返事をする柊也を見て、告白する。




「…私、トウヤさんと出逢えて、幸せです」




「…え?」


 驚いた表情でセレーネの顔を見た柊也に、セレーネは頬を染めながら、満面の笑みを浮かべる。


「私、200年以上生きていながら、知りませんでした。世界がこんなにも広かった事も、サーリア様の事も、この世界の生い立ちも、…そして、世界の果てがこんなに美しかったって事も。みんな、トウヤさんに教えられたんです…」


 セレーネは柊也の左手を取り、慎ましい自分の胸に押し当てて、高鳴る鼓動を相手へと伝える。


「これからもずっと、あなたの傍に居させて下さい。あなたの世界を巡る旅に、一緒に連れて行って下さい」

「セレーネ…」


 セレーネが紡ぎ出す言葉に魅入られたように柊也が動きを止め、セレーネが顔を上げて目を閉じる。


「愛しています、マイ・マスター…」


 セレーネの踵が上がり、二人の唇が重なり合う。


 満天の星の輝きと淡い緑のカーテンが彩る夜空の下で、セレーネは幻想的な想いを抱きながら、愛する男に身を委ねていった。

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