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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第14章 想像できない未来に向けて
259/299

257:道中記(3)

「…ト、トウヤさん、来て下さい!辺り一面、凄い事になってるんですけどぉぉぉ!」

「何だ?どうした、セレーネ?」


 朝、トイレに行くためにボクサーに入ったセレーネが大声を上げ、柊也がテントから顔を出す。顔を出した途端、外気の冷たい空気が鼻を擽り、柊也は一つ大きなくしゃみをすると、ダウンを羽織ってボクサーの中へと入る。テントの前には石油ストーブが置かれ、間断なく押し寄せる寒気に対し、孤立無援の虚しい戦いを続けていた。


 ボクサーの中へと入った柊也は、上部ハッチからぶら下がるセレーネの下半身を見つけ、後を追う。そして隣のハッチから顔を出すと、周囲を見渡して感嘆の声を上げた。


「おぉー。見事に積もったなぁ」


 柊也達の居るボクサーとテントはストーンウォールに取り囲まれ、その外側にファイアストームが何本も立ち昇って石窯を逆にしたような形で内側を熱していたが、そのファイアストームの外側には昨晩降った雪が積もり、白一色の平原が地平の彼方まで広がっていた。柊也は周囲を見渡しながら、セレーネに尋ねる。


「セレーネは、雪を見たのは初めてか?」

「初めてですよ!大草原の遥か彼方の山脈の白いのが雪だっていうのは、知っていましたけど!」

「そうか」


 セレーネの興奮気味の答えに柊也は頷き、サラマンダーを呼び出す。


「サラ、此処はどの辺りだ?」

『はい、マスター。現在の緯度経度は、北緯60.7度、東経149.3度付近です』

「緯度経度を言われても、わっかんねぇな…21世紀だと、ロシアだよな?この辺りで有名な地名、何かないか?」


 当然の如くロシアに土地勘のない柊也は、カメレオンの様に左腕にしがみ付く赤く光る蜥蜴に尋ねる。蜥蜴は長い舌を出して欠伸をするように答えた。


『はい、マスター。当時の地名と照合すると、ヤクーツクから東南東に650km、オイミャコンから南東に300km付近となります』

「よりにもよって、オイミャコンかよ」

「トウヤさん、何ですか?そのオイミャコンって?」


 呆れた声を上げる柊也を、セレーネが見上げながら尋ねる。


「オイミャコンってのは、俺の生まれた時代、人間が住む最も寒い場所と言われていたんだ。確か、マイナス60℃…この世界の単位では、マイナス60ダルトって言うんだっけか」

「マイナス60ダルトぉ!?何ですか、その基地外じみた気温は!?」


 柊也の説明を聞いたセレーネは目を見開き、思わず身を守るように両二の腕を手で押さえる。身の危険を覚え、周囲を警戒する様な素振りを見せるセレーネを、柊也が宥めた。


「大丈夫だ、セレーネ。マイナス60ダルトは、ガリエルの第4月頃の話だ。ロザリアの第5月の今は、そんな気温にはならないから」

「いや、でも、コレ、絶対氷点下ですよねっ!?ロザリアの第5月ですよ!?」

「やっぱり、カエリアの影響がそれなりに出ているんだろうな…。此処を通るのが、夏で良かったよ」


 この地方は真夏でも最低気温が氷点下を下回る事があるが、それでも21世紀当時は8月に雪が降るという事は、皆無に近い。カエリアの管轄地に近づくにつれ、寒冷化の影響がひしひしと感じられるようになっていた。柊也は身を乗り出し、ボクサーの脇に佇むテントに向かって声を掛ける。


「シモン!こっちに来ないか?辺り一面、真っ白だぞ!」

「…いい、もう少し寝てる…」


 テントの中から億劫そうな声が聞こえ、それを聞いた柊也とセレーネはお互いの顔を見て、苦笑する。


「仕方がないですよ。シモンさん、朝弱いですし、寒がりだし」

「でも、俺の世界では、犬はこういう時喜ぶって言われていたんだがな…。俺達もテントに戻ろうか」

「はい!トウヤさん、私、暖かいスープが飲みたいです!」


 柊也の誘いにセレーネは満面の笑みを浮かべると、二人は梯子を下り、テントへと戻って行った。




 ***


「あー、こりゃ、また此処で乗り捨てないと、駄目だな…」


 上部ハッチから顔を出した柊也は、目の前に横たわる川を眺め、溜息をつく。ボクサーの渡渉水深は1.5m。そのため、それ以上の水深の川に当たった場合は、迂回を試みるか乗り捨てるしか方法がなかった。サラが齎した情報では、今回は乗り捨てた方が良さそうだ。


『マスターの要求する条件に見合った高台は、東北東へ7.5km先にございます』

「ありがとう、サラ」


 渡河後のボクサーの取り出し先を得た柊也はサラに礼を述べると、車内に残る二人に声を掛ける。


「少し早いが、今日は此処で一泊しよう。明日、ボートで渡河する」

「わかった」

「はい、わかりました」


 そう二人に伝えた柊也は再び上部ハッチから身を乗り出し、一面真っ白な雪に覆われた大地を見回す。積雪はまだ大した事はないが、そろそろ野外テントでの生活は厳しそうだ。そう思いながら辺りを眺めていた柊也が、ポツリと呟いた。


「…そうだ。一回くらいは、体験してみるか…」




「…トウヤ、君は一体、何をしているんだい?」


 ダウンジャケットを羽織り、白い息を吐きながら外に出たシモンは、右手から次々と白いブロックを生み出し、ボクサーの脇に積み上げている柊也を見て、首を傾げる。柊也は頭を上げ、二人を誘う。


「せっかくだから、かまくらを体験しようと思ってな。二人とも手伝ってくれ」

「カマクラって何だい?」


 そう柊也に尋ねながら白いブロックに手を伸ばしたシモンだったが、次の瞬間、ブロックの冷たさに驚き、慌てて手を引っ込めた。


「冷たっ!トウヤ、コレ、雪じゃないかっ!?」

「あ、スマン。手袋を渡すの忘れてた」

「トウヤさん、何でこんなに一杯雪出しているんですか?」


 柊也に騙されて迂闊に雪の塊に触れてしまったシモンが、ブツブツ言いながら厚手袋を嵌め、同じく厚手袋を受け取ったセレーネが尋ねる。セレーネの問いに柊也は一枚の写真を取り出し、二人に見せながら説明した。


「俺の生まれた国は此処以上に雪深くてね、豪雪地帯に住む人々には『かまくら』と言って、雪で家を建てる行事があったんだ。俺の住んでいた地域には、雪が少なくてな。せっかくだから試してみようかと思って」

「雪で家を建てるぅ!?本気で言っているのかい、君は!?」

「うわっ!何これ、凄いじゃないですか!」


 柊也の説明を聞いたシモンが目を剥き、かまくらの写真を見たセレーネが目を爛々と輝かせる。対照的な二人の反応を見て柊也は笑い、二人の目の前に餌をぶら下げた。


「何事も経験だよ、シモン。完成したら、君達がまだ食べた事のない新しい甘味を、用意してあげるからさ」

「まったく、もう。君は人使いが荒いんだから…。で、何処に置けばいいの?」


 剥れた表情を浮かべたシモンが、それでも雪のブロックに手を伸ばし、軽々と抱え上げる。その尻尾が勢い良く振られるのを見た柊也は、笑いながら指図を始めた。




「…で、これで天井を塞げば完成…っと…」


 中に入った柊也が天頂の1ピースを嵌め込み、外から眺めていたセレーネが思わず拍手をした。


「おぉー」

「ほ、本当にできた…」


 二人の目の前には、直径2mほどの大きさの、やや縦長な半楕円形のドームが出現していた。ドームは多数の雪のブロックが互い違いに積み上げられている。作業効率で言えばドーム型よりこのブロック型の方が本来手間なのだが、右手を用いた反則技のおかげでブロック作成を横着できていた。柊也が入口から顔を覗かせ、二人を手招きした。


「二人とも入っておいで」

「はーい」

「お、お邪魔します…」


 柊也の誘いにセレーネは嬉々として、シモンは恐る恐る中へと入って行く。中に入ったシモンは、地面に敷かれた耐寒マットに腰を下ろすと、天井を形作る雪塊の曲線を不安そうに見回す。すると突然、冷たい灰色だったドームの内側が橙色に照らされ、中が暖かくなった。正面を向くと、柊也が丸い大きな陶器の中に炭を置き、火を起こしている。シモンは陶器の上の金網に置かれた、初めて見る白い食材に惹かれ、柊也に尋ねた。


「トウヤ、これは何と言う食べ物なんだい?」

「お餅。お米を潰して固めた物だよ」


 柊也はシモンの問いに答えながら、菜箸を使って餅を小まめにひっくり返していく。その仕草を興味津々の体で眺めていたシモンだったが、やがて違和感を覚え、柊也に再び尋ねた。


「…なんか、さっきより大きくなってないかい?」

「うん」


 さも当然のように頷く柊也の箸の先で、白い立方体だったはずの餅が、次第に茶色を帯び、内側から膨れ上がったように丸みを帯びる。その変化に目が離せなくなったシモンの前で餅に亀裂が入り、突然中身が瘤の様に飛び出して、シモンは思わず仰け反った。


「おぉう」

「うわぁ、面白いっ!」


 柊也が右手で器を取り出し、餅を放り込むと、二人に手渡していく。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう。これが甘味かい?」


 そう質問したシモンは、器の中を覗き込む。器の中には豆の入った濃紫色のスープが湯気を立て、その隙間から先ほどの餅が顔を覗かせていた。鼻をひくつかせると、スープの甘い香りが漂い、シモンは思わず頬を綻ばせる。


「お汁粉って言うんだ。正月…こちらで言う感謝祭の時期に食される、代表的な甘味だ」


 箸が使えないシモンは、柊也の説明を聞き流しながらフォークで餅を突き刺して切り分けようとしたが、何処までの伸びる食材に驚き、慌ててフォークで巻き取る。


「ちょ、ちょっとコレ、切れないんだけど…」

「そういう食べ物なんだ。老人が喉に詰まらせて死ぬ事もある。しっかり噛めよ」

「ちょ、ちょっと!?」


 柊也の物騒な台詞を聞き、シモンが恐る恐る口に含むと、独特の粘度の食感とともにもち米と小豆の甘みが口の中に広がる。少しの間口をもごもご動かしながら目を白黒させていたシモンだったが、やがて頬を緩め、笑みを浮かべた。


「面白い…。甘くて、生肉とはまた違った噛み応えだ」

はなひく(生肉)くらへ(比べ)ないへ」


 シモンの感想に、餅を噛み切れないセレーネが顎を上げながら答え、柊也が笑いながら磯辺巻きを作り始める。


 雪のちらつく冷え切った世界の片隅で、ささやかで暖かな団欒が営まれていた。

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