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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第13章 忘恩の徒
238/299

236:擁立(2)

「失礼します。お父さん、お母さん、遅くなって申し訳ありません」

「いや、構わんよ、ミカ。そこに座ってくれるか?」

「はい」


 美香がレティシアに連れられて部屋に入ると、先に腰を下ろしていたフリッツが、自分の向かい側を指し示す。美香はフリッツの指定した椅子に腰を下ろし、レティシア、オズワルド、ゲルダの三人は、ミカの後ろに並べられた椅子に腰掛けた。


 そこは、これまで美香が入った事のない、貴賓室と呼ばれる部屋だった。部屋は広く、調度品も他の部屋よりも高級な物が取り揃えられている。美香は目の前のテーブルの出来栄えに感嘆し、周囲を感心しながら眺める。部屋は広かったが、美香達が取り囲むテーブルを含め調度品は偏って配置されており、美香の後ろには家具の置かれていない、広い空間が広がっていた。


 一通り部屋の中を見渡した美香は姿勢を正し、正面のフリッツ、左右に座るコルネリウスとアデーレの顔を見渡した後、口を開く。


「それでお父さん、お母さん、お話とは何でしょうか?」

「ああ…」


 美香に問われたフリッツは、すぐには答えず、言い淀む。美香の左に座るコルネリウスが、ごく自然な形で後を続けた。


「ミカ、まずはこの場を借りて、改めてお礼を言わせていただきたい。2ヶ月前、ハヌマーンの攻撃によって我が国は亡国の危機に瀕した。王城は陥落し、王家は滅亡、この国の中枢を担っていた数多くの人材が命を落とした。ヴェルツブルグの中を50,000ものハヌマーンとロックドラゴンが我が物顔で歩き回り、それに対抗する軍は僅かに7,000。どう足掻いても、我が国が滅亡する事は避けられない運命だった」

「それを、ミカ、君が居てくれたおかげで、奇跡的に免れる事ができた。ハヌマーンとロックドラゴンを撃退し、王家という心の拠り所を失った我々に希望の光を齎し、困難に立ち向かう勇気を与えてくれた。今、この国がこうして存在していられるのも、全て君のおかげだ。国民を代表して、お礼を言わせていただく。ありがとう、ミカ」

「そんな!お父さん、お母さん、頭をお上げ下さい。これは、私一人で成し得た事ではありません。この国の皆さんが、困難を前にしても挫けず、希望を胸に努力を積み重ねた結果です。私は単なるきっかけに過ぎません」


 フリッツ、コルネリウス、アデーレの三人が頭を下げるのを見て、美香は慌てて否定する。アデーレが顔を上げて、付け加えた。


「その『きっかけ』を、私達は誰一人、自分達の手で見つけ出す事ができなかったの。王家という太陽が沈み、暗闇に覆われた私達は、為す術もなく立ち竦み、絶望する他になかった。その暗闇の中で唯一人光り輝いていたのが、あなただった。私達は、あなたの光に縋り、足元を照らしてくれた事で、初めて立ち向かう事ができたの」

「あなたは、暗闇に覆われたこの国で最初に瞬いた、原初の光。私達に勇気と希望の炎を齎した、種火。今もそう。あなたが今此処で輝いているからこそ、私達はそれを拠り所に、自らの務めを果たす事ができているの」

「それが君に対する、我々の願いだ、ミカ」


 アデーレが口を噤むと、後を引き継ぐようにフリッツが口を開く。


「王家が滅亡した事で、この国は舵取りを失い、闇に覆われたままだ。このままでは私利私欲の蔓延(はびこ)る戦国時代に突入し、やがてカラディナに吸収されるであろう」




「――― ミカ、我々からのお願いだ。王家に代わり、この国の頂点に君臨していただきたい。この国を幾度も救い、ハヌマーンをも従える『人族の母』たる君にしか、この国を託す事はできない。君が望んでいない事は、重々承知している。(わずら)い事は、全て我々が対処しよう。だから、頼む!この国の頂点で光り輝き、我々に希望と勇気を齎して欲しい。この通りだ!」


 フリッツがそう言い綴ると、この部屋に居る、美香を除く全ての者が席を立つ。フリッツ、コルネリウス、アデーレ、そして美香の背後に座るレティシア達。その全員が席を立ち、ただ一人椅子に座ったままの美香を囲むようにして、佇んでいる。




 そして、全員が直立不動の体勢を整えると、腰を折るように頭を深々と下げ、そのまま動かなくなった。




「…」


 美香は椅子に座ったまま、目の前で深々と下げる三人の頭を眺めていた。動揺するわけでもなく、制止の声を上げる事もなく、ただ静かに眺めていた。


 時間にして1分程。美香は椅子に座ったまま、静かに口を開く。


「…皆さん、頭をお上げ下さい」


 一同が頭を上げると、美香は正面に並ぶ三人の顔を見渡しながら、尋ねる。


「この世界に召喚された時の私は、未だ成人もしていない、世間知らずな学生でした。政治は勿論、国王の為すべき事など、一切分かりません。そんな私でも、よろしいのですか?」

「ああ、構わない。政治については、私が支えていこう」


 美香の質問に、フリッツが重々しく頷く。美香は膝に置いていた右腕を宙に掲げ、質問を繰り返す。


「私はこの通り力もなく、剣の振り方も知らない、戦いとは無縁の女です。繰り返し襲い掛かる国難に適切に対処し、国を守れるだけの能を持ち合わせておりません。そんな私でも、よろしいのですか?」

「ああ、構わない。この国に降りかかる災いは、全て私が盾となろう」


 美香の質問に、コルネリウスが穏やかに微笑む。美香は左腕を上げ、その袖を右手で整えながら、問いかけを続ける。


「私は一切仕事に就いた事もなく、この世界の作法にも不慣れです。国内の有力者や隣国との交渉、お付き合いの仕方にも、支障が出る事でしょう。そんな私でも、よろしいのですか?」

「ええ、構いません。夫と私、そしてヴィルヘルム様が全て根回しいたします」


 美香の質問に、アデーレが慈しみを湛え、微笑んだ。




「…わかりました」


 静寂の漂う広い部屋の中で、6対の視線を一身に受け続けた美香は、やがて小さく頭を下げると、席を立つ。そして、彼女は6人の男女に取り囲まれたまま、正面に立つ三人に向かって姿勢を正し、一人ひとりの顔を見渡した後、ゆっくりと口を開く。


「…非才の身ではありますが、謹んでお受けさせていただきます。皆さん、お力添えのほど、どうぞよろしくお願いします」


 そう答えた美香は、正面に立つ三人に対し、深々と頭を下げた。




 ***


 この1ヶ月、美香は考えていた。自分の行く末を考え続けていた。


 自分の些か短絡的な行動と偶然が積み重なった結果、いつの間にか自分の体には煌びやかな称号が幾つも纏わりついていた。称号に覆われた自分は不釣り合いなほど燦然と光り輝き、それを見た人々は自分を(たた)え、あらん限りの感謝と歓呼の声を上げる。せめて自分ができる事だけでもと「クリエイト・ウォーター」で水を配り、治癒魔法を使っただけなのに、人々は感涙にむせび、平身低頭を繰り返す。最早美香は、かつての願いであった「穏やかな生活」を諦めざるを得ないと、痛感していた。


 だが、そういった人々との交流が、彼女に別の歓びを齎すようになっていた。


 自分が行う些細な事に、人々が喜び、明るさを取り戻す。自分が声を掛けるだけで人々は希望を得て、再び困難へと立ち向かっていく。自分の他愛ない一挙一動が人々に夢を与え、その人の未来を明るく照らす。その人々の笑顔を見ると、自分の心が歓びと充実感に満たされる。


 美香は、1ヶ月に渡るヴェルツブルグでの生活を経て、福祉の歓びに目覚めていた。




 …アイドルって、こんな気持ちなのかな。


 歓呼の声を上げる人々に手を振りながら、美香は3年前、召喚された直後の柊也の言葉を思い出す。


 光と影。アイドルとマネージャー。


 その後、袂を分かった二人だったが、奇しくも3年経った今でも、その役割は変わっていなかった。美香は傾いたエーデルシュタインの最後の希望の光として燦然と輝き、柊也はその影に隠れたまま、地球全体を救おうとしている。


 そして、「王家」というこれまでの太陽が沈み、闇夜に覆われたこの国の空には、今や自分しか光り輝いていない。




 この国の頂点に立つ。


 数々の称号に彩られた自分は、最早市井の住民には戻れない。そして自分は福祉の歓びに目覚め、誰かに喜びと希望を与えたいと思うようになった。




 ――― 国王なんて、アイドルと同じ。ただ、ちょっと権限が大きいだけ。それに、お父さんとお母さんが、手伝ってくれる。




 脳筋よろしく、端数切り捨ての如き潔い短絡思考で、美香は自分の進むべき道を決める。


 そして、生まれ育った故国で培った知識を総動員して、自分が頂点となった国の構想を練り始めていた。




 ***


「…非才の身ではありますが、謹んでお受けさせていただきます。皆さん、お力添えのほど、どうぞよろしくお願いします」


 美香が深々と下げていた頭を上げると、フリッツ達は美香の顔を見たまま、驚いていた。その姿を見て美香が小首を傾げると、フリッツは我に返り、安堵の息をつきながら礼を述べる。


「…あ、いや、失礼した。ミカ、我々の願いを聞き入れてくれて、感謝する。ありがとう」


 正直、多少なりとも美香が躊躇すると考えていたフリッツ達は、彼女がすんなりと受け入れた事で、肩透かしを食らう。フリッツは取り繕うように頭を下げると、そのままテーブルを回り込むように、歩き始めた。アデーレが美香の下に歩み寄り、手を取りながら微笑む。


「ミカさん、このまま後ろを向いてくれるかしら?」

「お母さん?…あ、はい。わかりました」


 美香はアデーレにエスコートされ、後ろを向く。美香の後ろに並んでいたレティシア達の椅子は脇に追いやられ、美香の目の前には貴賓室の広い空間が広がっていた。その空間の真ん中には、レティシアを中心に、オズワルド、ゲルダの三人が一列に立ち並んでいる。


 やがてテーブルを回り込んで来たフリッツがレティシアの前に立ち、その右脇にはコルネリウスが立つ。美香のエスコートを終えたアデーレがフリッツの左側に立ち、美香の目の前に6人の男女が、三列に立ち並んだ。


 そして、―――




「このフリッツ・オイゲン・フォン・ディークマイアー、陛下に身命を捧げる。我が全身全霊をもって陛下の治世を支え、陛下の御世(みよ)に安らぎを齎さん事を、この剣に誓おう」

「コルネリウス・フォン・レンバッハ、我は自ら陛下の大剣となって徒為す者を討ち、陛下の宸襟(しんきん)を安んじ奉ることを、この剣に誓おう」

「私、アデーレ・フォン・ディークマイアー、夫フリッツと共に陛下の治世を支え、娘レティシアと共に陛下の安息に身を捧げる事を、此処に誓います」


 そう口上すると、美香の前に次々と膝をつき、一斉に首を垂れた。




「…皆さん、頭をお上げ下さい。これから2つ、皆さんにお伝えしたい事があります」


 貴賓室の中で唯一人立ち、6人の男女に一斉に傅かれた美香が口を開き、一同は頭を上げる。6人の視線の先で、美香は困った様な笑みを浮かべていた。


「一つ、公式の場を除き、『陛下』とは呼ばないで下さい。畏まった敬語も不要です。私生活の場では、これまでと同じ、『ミカ』とお呼び下さい」

「しかし、陛下…」

「はい!今もです、お父さん!この場では『陛下』禁止!今度言ったら『コルネリウス様』と呼びますよ!?」

「いや、それは!…わかったよ、ミカ」


 美香が小言を言いながら跪き、動揺するコルネリウスの手を引いて立ち上がらせる。美香はフリッツ達にも立ち上がるよう促しながら、言葉を重ねた。


「私は、お父さん達と他愛のない会話を交わし、穏やかな生活を送る事が、何よりも幸せなんです。『陛下』と畏まられたら、それさえも叶わなくなってしまう。ですから皆さん、今までと同じように、私と接して下さいね?」

「ありがとう、ミカさん。その方が、私も嬉しいわ」


 アデーレが嬉しそうに美香を抱き締め、頭を撫でる。美香はアデーレの温もりに頬を染めながら、皆に向かって口を開いた。


「二つ、こちらはより重要な、これからの国の在り方についてです」

「何か、考えがあるのか?ミカ」

「はい」


 フリッツの問いに美香は頷き、言葉を続けた。




「――― 私は、為政者としての実権を、放棄します」

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