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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第13章 忘恩の徒
237/299

235:擁立(1)

 ひとしきりフリッツ達と再会の喜びを分かち合った美香はレティシアに誘われ、ハーデンブルグから持ってきた荷物を館に仕舞いに、アデーレの馬車へと乗り込む。馬車にはカルラとゲルダが同乗し、後にはフリッツ、アデーレ、オズワルドの三人が残された。


 遠ざかる馬車を眺めるフリッツと、傍らで手を振っていたアデーレに、コルネリウスが声を掛けた。


「フリッツ殿、アデーレ殿。司令室にお越し願いたい。これまでの事、この先の事、色々と話さねばならぬ。お二方には、せいぜい、目を剥いてもらうぞ?」

「王城陥落、王家滅亡以上に驚く事があるのか?」


 コルネリウスの言葉に、フリッツが渋い顔をする。いくら北辺の守護を一手に引き受ける一国の重鎮とは言え、たかが辺境伯だ。王家滅亡の時点で、すでに一貴族の手に余る。心底嫌そうな表情を浮かべるフリッツに対し、コルネリウスは口の端を釣り上げた。


「未曽有の事態に、我々もてんてこ舞いなのだ。貴方だけのうのうと過ごされては、不公平極まりない。一緒に苦労を背負ってもらうぞ?」




 ***


 飾り気のない、広い板張りの部屋の中で、四人の男女がテーブルを囲んで座っていた。時間をかけて物語っていたオズワルドがようやく口を噤むと、部屋の中には静寂だけが漂う。コルネリウスが逞しい腕を組み、楽しそうに笑みを浮かべているのにも気づかず、フリッツはオズワルドの顔を見つめたまま、硬直していた。


 やがてフリッツが脱力し、椅子の背板にもたれ掛かると、上を向いて呆然と呟く。


「…ミカが…我々人族全ての…『母』…」


 そのまま動きを止め、喉仏を晒しているフリッツに対し、向かいに座るコルネリウスが楽しそうに口を開いた。


「フリッツ殿、どうだ、凄いだろう?これでもかってくらいの、てんこ盛りだ。これだけ並べ立てられて、彼女の前に膝をつかなかったら、男が(すた)るぞ、おい」

「盛り過ぎにも、ほどがあるだろうが…」


 コルネリウスの言葉にフリッツが前を向き、食傷気味の表情を浮かべる。ここ2ヶ月ほど見ていなかっただけなのに、国は救うわ、不倶戴天の敵は従えるわ、しまいには神話の登場人物にまで上り詰めてしまった。この後、館に戻った時に、どんな顔をして会えばいいのだ?国の将来よりも喫緊の課題に思い至ったフリッツが頭を悩ませる傍ら、コルネリウスがアデーレに尋ねた。


「アデーレ殿は、随分と落ち着いておられますな?」

「ええ」


 コルネリウスに尋ねられたアデーレは、きゅっと引き締めていた唇を開く。


「例えミカさんが何者であろうと、私にとっては只の愛娘です。『全人族の母』など、二の次ですわ」

「流石はアデーレ殿。『北辺の才女』の名は、伊達ではないですな」


 一刀両断とも言えるアデーレの言葉に、コルネリウスが感心する。そのコルネリウスの視線の先で、アデーレが真向かいに座るオズワルドに尋ねた。


「それで、シュウヤ殿はどちらに?」

「シュウヤ殿はハヌマーンを追撃して、そのままガリエル ――― カエリア様の下へと向かいました」


 アデーレの質問に、オズワルドが答える。柊也の存在は当初秘匿されていたが、フリッツの到着を待っていたこの1ヶ月の間に、レティシアがコルネリウスにだけ伝えていた。コルネリウスがテーブルに肘を乗せ、二人の会話に割り込む。


「シュウヤ殿の話は、この際置いておこう。我々の力では、どうにもならん。彼に全てを託す他にあるまい。こちらは目前の火消しだけで手一杯だ」

「左様でございますわね」


 コルネリウスの感想に、アデーレが同意する。実際、レティシアから柊也の話を聞いたコルネリウスが最初に放った言葉は、「勘弁してくれ!」の一言である。滅亡の危機に瀕した故国の対処に手一杯で、美香の神格化でさえも消化しきれないのに、その神話をひっくり返そうとする輩がいるのだ。とてもじゃないが、付き合っていられなかった。


 コルネリウスが表情を改め、テーブルの上に置いた肘に体重を預け、手を組む。


「…というわけでだ、我々が取るべき手は、一つしかない。神の化身とも言えるミカを奉戴し、王家に代わってこの国を照覧いただく。王家を凌ぐ威光と偉業をもってこの国を纏め、我々は『母』に安らかな日々をお過ごしいただけるよう、ご恩返しするのだ」

「「…」」


 コルネリウスの言葉に、フリッツとアデーレが神妙な面持ちで首肯する。コルネリウスが言葉を続けた。


「フリッツ殿。貴方は北辺の守護統括として、我が国唯一の辺境伯に任じられている。規模は小さいものの、その領土の中では他の領主と比較にならない権限を持ち、言うなれば一国にも匹敵する文武の経験をお持ちだ。その幅広い見識と経験を活かし、ミカの治世を支えていただきたい。ミカは(まつりごと)に疎く、そもそも頂点に立つ事を望んでいるわけではない。我々が可能な限り彼女を支え、負担を軽くしてやらねば、ならぬのだ」

「承った」


 フリッツが、その瞳に覚悟の光を浮かべ、重々しく頷く。


「アデーレ殿。貴方にはご息女と共に、ミカの精神的な支えをお願いするとともに、宮中に係わる全てをお任せする。ミカは、宮廷作法にも疎い。国が安定した後、国賓の来訪等、外交面で苦労するだろう。ご息女と二人で防波堤となり、彼女の心を(わずら)わせないでくれ」

「畏まりました、コルネリウス様。この一命に代えてでも」


 アデーレが目を閉じ、深々と一礼する。アデーレが再び頭を上げたのを見計らって、コルネリウスが言葉を続けた。


「私は軍を再編成し、カラディナの牽制、並びに西部の治安回復に取り掛かる。ヴィルヘルム殿が戻られたら、内政面においてフリッツ殿を補佐してもらおう。王家滅亡と言う衝撃をカラディナに掴まれ、彼奴(きゃつ)らが良からぬ事を画策する前に、国内を纏め上げるのだ」

「良かろう。全身全霊を賭けて、取り組ませていただこう」

「この非才の身を挙げて、務めさせていただきます」


 重い雰囲気の中で、3対の瞳が決意の光を湛える。沈黙が部屋を覆い、稲妻にも似た視線が交差する中、オズワルドは主君に対する忠義と愛を燃え上がらせ、己の身に代えてでも守り抜く事を改めて誓っていた。




 少しの間、張り詰めた空気が部屋の中を漂っていたが、コルネリウスが息を吐き肩の力を抜くと、空気が弛緩する。コルネリウスは背もたれに身を預け椅子に座り直しながら、再び口を開いた。


「…さて、それともう一つ、相談がある」

「まだあるのかよ…」


 コルネリウスの言葉を耳にして、フリッツがウンザリした顔をする。コルネリウスが笑いながら、言葉を続けた。


「ミカの推戴の時期だ。中南部に赴いたヴィルヘルム殿の説得工作が、順調に進んでいる。それ自体は喜ばしい事なのだが、実は上手く行きすぎてな。すでに何家か当主自ら上京してきて、ミカへの謁見を申し出ている。今は私の許で押し留めているところなのだが、そろそろ限界なのだ。これ以上引き延ばすと、ミカの下に直接押し掛ける者も出かねない」

「なるほど」


 コルネリウスの言葉に、フリッツが得心する。


 ハヌマーンによって王城が包囲され、陥落した。それによって政治の中枢を占めていたエーデルシュタイン有数の名だたる貴族が、根こそぎ刈り取られていた。


 爵位で言えば、存命する最高位がコルネリウスの侯爵。次いでフリッツの辺境伯。これ以外に存命する公爵、侯爵も居なくはないが、すでに没落しており力がない。それ以外には、伯爵以下の、政治中枢から閉め出され自領に追いやられていた家系が、死を免れていた。


 彼らは内乱によって疲弊し、恩賞も与えなかった王家に対して不信感を募らせていた。そこに王家滅亡という衝撃と美香の輝かしい武功、そしてヴィルヘルムの説得が加わった事で、一気に美香陣営への鞍替えとも言うべき雪崩現象が起きていた。


 彼らはコルネリウス達に比べて爵位で劣り、ヴェルツブルグ奪還と言う功績にも寄与していない。そのため、新国家樹立における主導権争いの危険性はなかったが、一刻も早く美香の「覚え」を得ようとコルネリウスの許を訪れ、陳情を繰り返していた。コルネリウスが再びテーブルに肘をつき、前のめりになる。


「明日、ミカにこの国の頂点に君臨いただけるよう、陳情する。フリッツ殿、アデーレ殿、是非お二方にも、同席いただきたいのだ」

「わかった」

「畏まりました」


 王家亡き後のエーデルシュタインの行く末を決める歴史的な日が、明日訪れようとしていた。




 ***


 この国の行く末を決める長い会議を終えたフリッツ達を乗せた馬車が、ディークマイアーの館へと到着した。馬車を降りたフリッツは、夕日によって赤みがかった我が家を見上げながら襟を正し、しかめ面をして軽く頬を叩く。




 ――― ハヌマーンをも従える、この世界に生きる全人族の「母」―――




 そんな御大層な相手とこれから対面する事になり、しかもそれを相手に気取られるわけには、いかない。


 何故、自宅の敷居がそんなに高くなっているのだ!?


 フリッツは内心で悪態をつきながら執事が開けた扉をくぐり、ホールへと入る。そして、迎えに出て来た美香に対して胸を張り、威丈高(いたけだか)に答えた。


「今戻ったぞ!」

「お帰りなさい、お父さん」


 フリッツらしからぬ肩肘の張った言い草に、背後に続くアデーレが笑いを堪えている。フリッツはアデーレの所業を無視し、父の威厳を纏ったまま美香に答えようとするが、フリッツが口を開く前に別の声が割り込んだ。


「ただいま、ミカ。これ、ウチの兵士達から君へと、言付かって来た。是非食べてくれ」

「あ、ありがとうございます、お父さん」

「え?」


 フリッツが驚きの表情を浮かべて横を見ると、コルネリウスが焼き立てのパンの入った袋を美香に手渡している。フリッツの目の前で美香は袋を受け取りながら、コルネリウスとの会話を続けた。


「お父さん達、もう食事は召し上がりましたか?」

「いや、まだだ。ミカ達は?」

「ちょうど、これからです。お父さんもご支度をなさって下さい」

「ああ、ありがとう」

「ミ、ミカ!?」

「はい、何でしょう?お父さん」


 美香がフリッツ達に背を向け、コルネリウスと並んで家の中へと入ろうとするのを見たフリッツは、身に纏っていた威厳を脱ぎ捨て、慌てて呼び止める。コルネリウスと並んだまま後ろを振り返った美香に向かって、フリッツが問い質した。


「な、何で、コルネリウス殿を『お父さん』と呼んでいるんだ!?」

「あ、えっと…まあ、色々ありまして…」


 言葉を濁す美香の隣で、コルネリウスが同じく後ろを振り返り、口の端を釣り上げる。


「…フリッツ殿、独り占めは良くないぞ。これから仲良くやって行こうではないか」

「…」


 コルネリウスの言い草に、フリッツの開いた口が塞がらなくなる。アデーレが美香に近づき、笑いながら優しく抱き締めた。


「ミカさん、お願いだから、これ以上『お母さん』は増やさないでね?」

「あ、はい、お母さん」




 新国家樹立を前にして、新王に対するささやかな寵愛争いが、勃発していた。

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