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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第12章 終焉
216/299

214:潰える夢

「――― よぉ、猿共。初めまして。そして、さようなら」




 眼下に広がる、坂下の光景。その光景を見た柊也は坂の頂上で悠然と立ち、不遜な笑みを浮かべた。


 北に向かって一直線に伸びる緩い下り坂は、広場ほどではないにしろ、幅の広い大通りだった。両側には石造りの建物が並び、そして大通りの向こうには、小高い丘の上にそびえ立つ王城が最期の時を迎え、炎に包まれている。その大通りは、一面茶色の絨毯が敷き詰められ、万にも届く目が柊也の姿を捉え、凝視していた。


 だがハヌマーン達は、柊也達三人の姿を捉えた後も、微動だにしなかった。皆一様に目を見開き、怯えた表情を浮かべて、三人を見つめている。坂の頂上、柊也の足元にはハヌマーン達の死体が転がり、血肉が飛び散っており、生きたハヌマーンは一匹も居ない。柊也と生きたハヌマーン達の間には、ただ死体だけが転がる奇妙な空白域が50mほども続き、その向こう側に、生きたハヌマーン達がすし詰めになり、柊也達から距離を開けようと後ずさりし、その都度すし詰めの後背から圧し戻されていた。


 ハヌマーンを刺激しないよう、カービンを構えるシモン達を左手で制しながら、柊也は通りを眺める。幅は20m強というところか。未だ三人を眺めたまま硬直するハヌマーン達を見て、柊也は「槍」を唱えようと口を開くが、ある事に思い至って口を閉じ、笑みを浮かべる。柊也は左手で腰をまさぐり、ベルトに吊り下げられた3本のボイスレコーダーの1本を掴むと、録音のスイッチを入れる。


「汝に命ずる。大地より鉄を吸い上げ、灼熱を抱いて鋼の錘を成せ。錘は長さ4.5m、底の直径1.5mとし、その数は7。我の前方10m、高さ1.5m、幅20mの間に等間隔で横列を成し、各々が青炎を纏いて我に従え」


 柊也の詠唱とともに、地面から次々に黒い靄が撒き上がり、やがてそれは次第に渦を巻いて橙色に輝き始めた。柊也は目の前に立ち昇る靄にも、それを見て怯えるハヌマーン達も気にせず、ボイスレコーダーの録音スイッチを切り、続けて2本目の録音スイッチを入れる。


「汝に命ずる。大地より鉄を吸い上げ、灼熱を抱いて鋼の錘を成せ。錘は長さ4.5m、底の直径1.5mとし、その数は7。我の前方15m、高さ1.5m、幅20mの間に等間隔で横列を成し、各々が青炎を纏いて我に従え」


 黒い靄が次第に渦を巻き、巨大な槍を形作るその前方に、新たな黒い靄が撒き上がる。ハヌマーン達の怯えが恐怖へと変化し、先頭が後退しようとより一層密集するのも構わず、柊也は2本目の録音スイッチを切り、3本目の録音スイッチを入れる。


「汝に命ずる。大地より鉄を吸い上げ、灼熱を抱いて鋼の錘を成せ。錘は長さ4.5m、底の直径1.5mとし、その数は7。我の前方20m、高さ1.5m、幅20mの間に等間隔で横列を成し、各々が青炎を纏いて我に従え」


 後列の槍が橙と黒の斑模様に輝き、中列の靄が渦を巻き始めて槍を形作る中、前列に新たな黒い靄が撒き上がった。ハヌマーン達が恐慌をきたし、柊也達に背を向けて密集する同胞を掻き分けようとする姿を目にしながら、柊也は3本目の録音スイッチを切り、今度は右腰にぶら下がる3本のボイスレコーダーを次々に再生する。


「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」

「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」

「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」


 3列各7本、合計21本の黒槍が橙と黒の斑模様に輝き、青炎と白煙を噴き上げながら凶悪な尖端をハヌマーンへと向ける。柊也達の前に3枚のストーンウォールがそそり立ち、三人は各々ストーンウォールの陰に隠れた。柊也はストーンウォールの脇から顔を覗かせ、坂下で恐慌をきたすハヌマーン達を見ながら、魔法を完成させる。


「全弾俯角五度、前列より2秒おきに音速で斉射三連。彼の者を穿ち、食い破れ」


 直後、ストーンウォールの向こう側で轟音が三度鳴り響き、三人の脇を白い壁が通り抜けた。




 ***


「□〇××! %&&〇# \&□△▽% \+ ×□□○@$!」


 いかん!皆の者、散開して脇道に逃れよ!


 坂の上に撒き上がった黒い靄が晴れ、姿を現わした凶悪な槍を目にし、聖者は悲鳴にも似た指令を発した。聖者の輿を担ぐ男達と周囲に傅く有力者達は、聖者の指令に即座に反応し、右手に伸びる細い路地へと飛び込む。


 だが、多くの同胞達が、聖者の指令に従う事ができなかった。彼らは恐慌をきたして右往左往し、聖者の指令に反応できた者も、両脇に点在する狭い路地に一気に殺到した結果将棋倒しとなり、多くのハヌマーンが同胞に踏み潰され、絶命する。


 そして、路地へと逃れ、なおも距離を開けるべく駆け抜けていた聖者達の後方から轟音と悲鳴、地響きが鳴り響き、聖者達は足を取られ、思わず立ち竦んでしまう。そして、恐る恐る背後へと振り返った。


 聖者達が駆け抜けた路地の向こう側。今まで自分達が居た緩い上り坂を、禍々しい黒槍が回転しながら、右から左へと通り過ぎていた。路地の両脇に並ぶ建物と建物の隙間から見える、幅の狭いスクリーンには、絶えず巨大な黒槍が転がりながら右から左へと駆け抜ける姿が映し出され、その黒槍によって石畳の道が掘り起こされ、土砂が舞い上がる。そして、その喧騒の中で何人もの同胞達が宙を舞い、引き千切られ、空中で血を撒き散らしながら、スクリーンの向こう側へと消えていく。


 1本の黒槍が左の建物に突き刺さって建物が崩落し、映画は突然終わりを告げる。聖者達はスクリーンを切り裂き、目の前を塞いで煙を上げる黒槍と、その向こう側で続く喧騒を前にして、呆然と立ち竦んでいた。




 ***


「…げげ。こりゃ、角度を間違えたな…」


 騒動が一段落したと見た柊也がストーンウォールの陰から顔を覗かせ、目の前の惨状に唖然とする。


 直前まで目の前に広がっていた、南北に一直線に連なる石畳とその両脇に整然と並ぶ石造りの建物。そして、石畳の上に敷き詰められた茶色の絨毯。


 その光景が、一変していた。石畳は数十m向こうで潰え、その先では地面が剥き出しになり、掘り起こされた土砂の山と巨大な穴があちらこちらに出現していた。両脇に並ぶ建物も崩落し、何本もの黒槍が突き刺さって、火を噴き上げている。


 先ほどまで埋め尽くしていた茶色の絨毯は、土砂という別の茶色に置き換わり、千切れ飛んで赤く変色したまま、そこかしこに投げ捨てられていた。石造りの建物の屋根にも数多く張り付き、赤黒い染みを残している。動いているハヌマーンはおらず、広場に広がる死の光景が北に向かって再現されていた。


「…トウヤさぁん?」


 隣のストーンウォールから顔を覗かせたセレーネが、柊也にジト目を向ける。反対側からシモンが潤んだ目を向ける中、柊也はセレーネから視線を外し、頭を掻いて誤魔化した。


「仕方ないだろ。目視で計っているから難しいんだよ、角度とか」

「もぅ…何事も、ほどほどにして下さいね?」


 柊也の弁解を聞いたセレーネは可愛らしい溜息をつき、現実を受け入れる。別にセレーネも柊也を咎めるつもりはない。大軍を前にしながら自分の責務を放擲せず、ただ一人で自分達の命を守ろうとする柊也の覚悟に、セレーネは内心で喜びに沸き立ち、身を焦がしていたが、それとは別に何事もやり過ぎ感のある柊也とシモンを宥めるのが、自分の責務だと思っていた。セレーネは顔を上げ、面影の欠片もなくなった通りを眺め、口を開く。


「けど、コレ、どうします?この悪路じゃ、ハヌマーン達を追撃できませんよ?」

「まあ、此処は一旦、コレで良しとしよう。連中、相当数侵入してきているからな。他にも、別の道を通ってこっちに向かっているハヌマーンが居ると思う。一旦この広場を基点に、出る杭を打って北部へと押し返し、その後追撃しよう。一度、大聖堂方面へと戻るぞ。確か、後2本、北から来る大通りがあったはずだ」

「あ、はい。わかりました」


 柊也の言葉にセレーネが頷き、三人は東に足を向け、この場を後にした。




 ***


「〇×□□$ ▽×@@% \$$◇ 〇&&□△#?」


 聖者様、如何なされますか?


 建物の陰に潜み、息を殺す聖者達の中で、一人の有力者が小声で尋ねる。聖者はその問いに即座に答えず、供回りの背に隠れながら、黒槍の隙間から見える外の様子を窺った。


 外は異様な静けさを保ち、命ある者が居る気配は見られない。どうやら「三種族」は、こちらに向かって来るつもりがないようだ。我々は5万に近い大軍をもって、ロザリアの根拠地へと押し寄せている。恐らくは、別の方面の同胞達を始末しに向かったに違いない。


 失敗した。またも、失敗した。


 聖者は血が出るほど強く唇を噛み、慟哭混じりの声を上げる。


「〇×##% &&×〇\$ サーリア〇$ □+〇$$% \@〇□△$▽ ×□ 〇%$$…」


 サーリア様、申し訳ありませぬ。私どもは、またも、またも、あなた様をお救いする事ができませんでした。申し訳ありませぬ…サーリア様、申ぉし訳、ありませぬぅぅぅ…。


 供回りの男達が俯き、有力者達が嗚咽の声を流す中、聖者の血の吐くような懺悔の声が、薄暗い路地の中をいつまでも漂い続けていた。

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