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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第12章 終焉
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204:ロザリア

「…此処に…ロザリア様が…?」


 ようやく息が整い、落ち着きを取り戻したレティシアが、床に座り込んだまま周囲を見渡す。部屋の中は、これまでレティシアが見た事もない、異質な空間だった。部屋は全て金属めいた物質で覆われ、この世界で建築材料として用いられる木や石、漆喰等が一切見当たらない。部屋は多少の凹凸は見られるものの、ほぼ完全な円を描いており、円筒形の壁が垂直に天空へと伸びている。上を見上げると、天井が繰り抜かれたかのように存在せず、広い空間が広がっており、円筒の壁が潰えた先に、ようやくレティシアの見慣れたこの世界の建築様式の屋根が顔を覗かせていた。


 レティシアは一行の中で最も地位の高い女性だったが、その彼女でさえも、大聖堂の中にこの様な部屋が存在している等、聞いた事がなかった。辺境伯という爵位を持つ父フリッツでさえも、知らないであろう。恐らくはロザリア教の中枢、教皇や枢機卿と言った限られた者しか入る事を許されない、大聖堂における最も神聖な場所。レティシアは、そう見当を付ける。


 だが、部屋の中には何もなかった。確かに別世界とも思える全く異質の空間ではあったが、ただ丸みを帯びた壁が周囲を覆うだけの、何もない空間。ロザリア様を匂わせる存在は、何処にも見当たらない。レティシアはロザリア様の姿を探して、きょろきょろと辺りを見渡す。


「シモン、セレーネ。ハヌマーンが扉を破って来ないか、警戒しておいてくれ」

「わかった」

「はい、わかりました」


 柊也の声にレティシアが顔を向けると、シモンとセレーネが銃を持って扉の方を向き、柊也が扉と反対側の壁に向かって歩いていた。やがて、柊也が壁際まで到達すると、シモンとセレーネも扉の方を向いたまま柊也の立ち位置まで後退する。2メルドを維持するためだろう。その事に思い至ったレティシアも立ち上がり、他の者達とともに柊也の許へと集う。


 やがて、皆が柊也を(かなめ)とした半径2メルドの扇形に立ち並び、レティシア達が注視する中、柊也が壁際から張り出した台の上に左掌を置く。その途端、何もなかった空間に劇的な変化が訪れた。


「…な…!?」

「…え!?何これ!?」

「な、何が起きてますの!?」

「ちょ、ちょっと何だい、これは!?」


 レティシア達四人が、慌ただしく周囲を見回し、上ずった声を上げる。部屋の全周を覆っていた、円筒形の垂直の壁。その至る所が次々と光り、赤青黄緑と様々な色に輝き始めていた。光は絶えず瞬きながら、壁に浮かぶ溝に沿って縦横無尽に動き回り、部屋のあちらこちらですれ違い、衝突する。


「…まるで、スパコンみたい…」


 恐らくは向こうの世界の何かを指した言葉だろう。傍らに立つ美香がうわ言の様に呟いたが、レティシアには問い質す余裕がない。ただ、辺りを見渡しながら右手を伸ばし、美香の左手を取って指を絡めた。美香もレティシアに応えるかのように指を絡め、二人はしっかりと手を繋いだまま、光り輝く壁に目を奪われる。オズワルドやゲルダでさえも呆けた顔で周囲を見回す中、この場に居る誰とも異なる、女性の声が降り注いだ。




『――― 遺伝子情報適合。有資格者を確認。初めまして、システム・ロザリアにようこそ。ユーザ登録を開始します』




「…ロ…ザリア様!?」

「…レティシア?」


 空中から降り注ぐ女性の言葉を理解した途端、レティシアは勢い良く前を向き、慌てて美香の手を振りほどいて床に跪いた。驚きの声を上げる美香にも構わず、胸元で両手を組み、俯いて瞑想する。オズワルドも急いで片膝をついて首を垂れ、ゲルダでさえもそれに倣う。


 ま、まさか、ロザリア様の御聖言を賜る事になろうとは!


 レティシアは、動揺する心を鎮めながら、ロザリア様の言葉を一言も聞き漏らすまいと必死に耳を傾ける。この世に存在せず、聖遺物を介してでしか人族と関わりを持つ事がないはずのロザリア様の御聖言を、いくらロザリア教の信者とは言え、大して徳を積んでもいない一介の貴族令嬢である自分が賜る事になるとは思いもよらず、瞑想するレティシアを嘲笑うかのように、心と視界が暗黒の中でいつまでも揺れ動く。心の動揺が収まらないレティシアの耳に、ロザリアの声が流れ込んだ。


『これより、ユーザ登録を開始します。あなたのお名前をお教え下さい』

「笠間木柊也」


 ロザリアの問いに、柊也の答えが重なる。シュウヤ殿は、一体何者なのだろう?ロザリア様はおろか、あのエミリア様やサーリア様にさえも認められた、異世界からの召喚者。「ゆーざ」とは何なのだろう?神に選ばれし者達に与えられた称号?エミリア様やサーリア様の「かんりしゃ」とは?わからない。何もかもわからない。レティシアは、その耳に流れ込む言葉の意味も分からぬまま、神との対話を邪魔しないよう、ただひたすら跪き、両手を組んで瞑想を続ける。


『シュウヤ様、お待たせいたしました。ただ今を持ちまして、ユーザ登録が完了いたしました。続けて、管理者就任手続きに入ります。シュウヤ様、恐れ入りますが、お部屋の中央までご移動下さい』

「わかった」


 ロザリアの誘導に柊也が応えた途端、レティシアの背後で何かの駆動音が鳴り始める。レティシアが思わず目を開けて後ろを向くと、円形の部屋の中央の床から、太い柱がせり上がっていた。呆然とするレティシアの視界の隅に、台座へと向かう柊也の姿が見え、レティシア達は慌てて立ち上がり、柊也の後を追う。


『シュウヤ様、お手を点灯部分に翳して下さい』


 柊也が部屋の中央に出現した太い柱の前に立ち、傾斜した柱の上部に左手を翳す。レティシアは音を立てないよう急いで柊也の後ろに回り込むと、柊也の後ろで再び跪き、両手を組んで瞑想を再開した。シモンとセレーネが引き続き後方の入口を警戒する中、オズワルドとゲルダもレティシアに倣って床に片膝をつき、首を垂れる。


『それでは、各種権限付与手続きに入ります』


 隻腕の男の後ろで三人の男女が跪く中、天空から神の声が降り注ぎ、光り輝く円筒の中での儀式が厳かに開始された。




 ***


『…メインシステムのモード変更権限付与…完了…各ユーザへの認可権限付与…完了…ナノシステムの全操作権限付与…完了…ナノシステム使用時の代償支払義務免除…完了…』

「…これが…システム・ロザリア…」


 部屋の中央で柱に手を翳したまま微動だにしない柊也と、その柊也の後ろで傅くかのように動きを止めるレティシア達。光り輝く部屋の中に突如現れた、まるで宗教画を思わせる光景を漫然と眺めながら、美香は小さく呟く。前方の壁一面を覆うパネルから発せられる光の点が集合離散を繰り返し、ロザリアの完了の発言とともに点滅を繰り返す。周囲の壁を、まるでトンネル内を走る列車の様に光の帯が縦横無尽に行き交う中、かつて日本に居た頃にSF映画で耳にした、馴染みのあるシステマチックな単語が前方の壁から次々と放たれる。


「…本当に、何かのシステムなんだ…」


 映画鑑賞同好会で上映された映画や、久美子に誘われて一緒に読んだ小説。そう言った中で見聞きしたファンタジーの世界。3年前自分が召喚された世界は、その様なファンタジーに満ち溢れた世界だと、美香は思っていた。


 だが、美香自身が魔法を覚えていくにつれ感じた違和感と、柊也から齎された新事実。これらから浮かび上がった姿は、やけに人工的な臭いの漂う、作られた世界だった。まるで箱庭の様な、シミュレーションめいた、ファンタジーよりもむしろ電脳的な世界。


 この世界は、一体何なのだろう。そもそもこの世界は、現実なの?


 足は地についている。先ほどまで握っていたレティシアの手の温もりも、間違いないものだ。…間違いないはずだ…だけど、もしこれが、映画で見た様な電脳世界だったら?…実在しない幻だったら?…嫌だ…これが現実じゃないだなんて、そんなのは嫌だ…。


『…お待たせしました、シュウヤ様。管理者就任手続きが、完了いたしました。シュウヤ様には、システム・ロザリアに対する全権限が付与されました』

「――― っ!」


 出口のない思考の迷宮を彷徨っていた美香の頭にロザリアの声が響き渡り、美香は思わず身を固くし、顔を上げる。気持ちの悪い汗が顔から一気に噴き出し、大きく揺れる美香の視界に、柊也が背を向けたまま左手を振っている姿が映り込んだ。


『なお、シュウヤ様の許に、ガイドコンソール・サラマンダーを付けます。今後、システム・ロザリアへのご用命の際は、このガイドコンソール・サラマンダーをご利用下さい』

「サラマンダー…呼びづらいな。『サラ』と略しても構わないか?」

『畏まりました。ショートカットを作成いたします』

「助かる」


 柊也の前に赤い光が灯り、蜥蜴の姿を形作ると、ペットの様に柊也の左腕にしがみ付く。


『以上をもちまして、全ての手続きが完了いたしました。他に何か、ご質問はございませんでしょうか?』

「ああ。ロザリア、君に幾つか尋ねたい。答えてくれるか?」

『何なりと、マイ・マスター』


 柊也の要請にロザリアが応じ、美香に背を向けたままの柊也が頷く。すると柊也は後ろを向き、気遣わしげな面持ちで美香の顔を見つめ、口を開いた。


「…古城、気をしっかり持て」

「…え?」


 突然の言葉に美香は理解が及ばず、間の抜けた返事を返す。柊也は美香の返事に応える事なく再び背を向けると、ロザリアに問い掛けた。




「ロザリア、教えてくれ。――― 此処は、『地球』か?」

『はい、”地球”です。マイ・マスター』

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