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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第11章 劫火
202/299

200:劫火

 漆黒の暗闇が周囲を覆い尽くす中、白く細い糸が織りなす網の目が天から垂れ、まるでオーロラの様に緩やかな襞を描いている。襞の内側はランタンの発する淡い橙の光に照らされ、襞の向こうに透けて見える闇と合わさって、妖しい陰影を浮かび上がらせていた。


 橙と闇が妖しく踊り狂う空間の中を、男の指が静かに進む。やがて男の指は昏い穴に到達すると、穴の中から顔を覗かせ、水に塗れて(ぬめ)る赤い肉の芽を摘まみ、ゆっくりと力を入れる。


「…ぁ…あぁぁ…」


 昏い穴の中から暖かい風が吹き、艶めかしい音が漏れる。赤い芽は喜びに震え、その震えは瞬く間に女の全身へと広がる。銀色に彩られた形良い尖った耳が幾度も痙攣し、美しい曲線を描く女の背は、自らの限界に挑むかのように背徳的な反り返りを見せる。男の指が蠢くたびに大地を踏みしめる四肢は強張り、銀の尾は天を指し、細くくびれた腰は蛇の様に煽情的なうねりを繰り返す。


「…ぁ…ぁ…」


 やがて男の指が赤い芽から離れ、後を追う芽が名残惜しむかのように、男の指との間に長い糸を引く。赤い芽を振り払った男の指は、糸を纏わりつかせながら、隣で震える薄桃色の肉の芽を掴んだ。


「あ…」


 薄桃色の芽を覆う口腔から、透き通った声が鈴の様に鳴る。鈴は、男の指が動くたびに掻き鳴らされ、その度に鈴を納めたガラス人形が振動する。鈴は、指から齎される新しい刺激の前に次々と新しい音階を覚え、次第に高く澄んだ音を奏でていく。


 やがて、薄桃色の芽を掴む男の指に赤い芽が追い縋り、指と二つの芽が絡み合う。二つの芽は相手を掻き分けて男の指を奪い合い、踊り狂う橙と闇の下で妖しく蠢き続けていた。




 ***


「…先輩。これはどういう事か、きっちり説明していただけませんか?」

「ええと、これはだな…」


 蚊帳の中で胡坐をかき、しどろもどろの表情を浮かべる柊也を、美香は腕を組んで仁王立ちしたまま、冷たい目で見下ろしていた。二人の間では、シモンの背中が美しい曲線を描き、張りのある尻が美香の目の前で左右に揺れ動いている。そしてシモンの隣にいるセレーネも、同じく美香に背中を向け、美香の視線を気にする事なく、柊也の指を一生懸命(ついば)んでいた。


 美香の隣に並ぶレティシアは、ハンカチで口を覆いながら蔑んだ目を柊也に向けており、オズワルドの眉間にも深い皴が寄っている。ゲルダだけが柊也を褒め称えるような笑みを浮かべ、感心した様に何度も頷いていた。


 二人の女性から汚物を見るような目を向けられ、柊也は滝の様な汗を流す。


「こ、古城、レティシア様、誤解だ。これは別に、やましい事をしているわけじゃない。シモンの命を救ってから毎日のように続けている、神聖な儀式なんだ」

「何処が?」


 柊也の弁解を聞いた美香が、冷たく言い放つ。二人の間でシモンが仰け反って周囲に艶めかしい声が漂い、氷点下を下回った視線を浴びた柊也は、思わず身を震わせた。周囲の空気が凍り付く中、熱を帯びた女の声が割り込む。


「トウヤの言った事は、本当よ」

「…シモンさん?」


 美香が視線を下に向けると、シモンが柊也に擦り寄りながら美香に振り返り、蠱惑的な眼差しを向けていた。これまでのシモンとは違う、男を魅了する女らしい言葉遣いで、美香に答える。


「私は、彼によって救われたの。…いいえ、彼によって、私は新しく生まれ変わったの。だから、彼は私の全て。そして彼は、私のもの」


 そしてシモンは柊也の左腕にしがみ付くと、美香に対し猫を思わせる挑発的な笑みを浮かべ、言い放った。




「パパは、あげないンだから」




「パパ!?先輩!もしかして、シモンさんとの間に子供がいるんですか!?」

「いない!いない!」


 シモンの告白を聞いた美香が目を剥き、柊也はその剣幕に慌てて否定する。そんな二人に、シモンが無邪気な笑みを浮かべながら、油を注ぐ。


「違うわよ。パパは私のパパだもん。ねぇ、パパ?」

「…先輩、まさか、シモンさんにパパって呼ばせているの?」

「いや、俺が言わせたんじゃなくて…」

「まぁ、パパになるような事も、パパと毎晩しているけどぉ」

「…」

「…」


 シモンの赤裸々な告白の前に、柊也は返答に窮する。やがて重苦しい沈黙が辺りを漂う中、美香が吐き捨てるように呟いた。


「…先輩…、サイッテー」




 ***


「シュウヤ!アイツらの目なんて、気にするんじゃないよ!アタシはアンタの事、見直したよ!あそこまで女を従わせるだなんて、アタシら獣人からすれば拍手喝采ものなんだからね!」

「痛ててて!ゲ、ゲルダさん、頼むから火に油を注がないでくれ。また、あいつらが口を利かなくなっちまう」

「ゲルダの言う通りよ、パパ。はい、あーん」

「「…」」


 豪快に笑うゲルダに何度も背中を叩かれ、柊也は対面に座る美香とレティシアの視線から逃れるように、ゲルダの方を向いて懇願する。柊也のもう一方の隣にはシモンが座り、対面に見せつけるように柊也に枝垂れかかったまま、切り分けたお好み焼きを柊也の口へと運んでいった。あの日以来ゲルダに妙に気に入られ、当てつけとも言えるシモンのイチャイチャを受けるようになった柊也は、正面から吹き付ける吹雪を前に、委縮する他にない。あの日行われた儀式はその後行われず、鳴りを潜めていたが、一旦下された評価は容易には覆らなかった。


 ハーデンブルグを出立してから3日目。一行はいつもの通り人目を逃れて山野へと入り、ボクサーの上にビニールシートを張って、昼食を摂っていた。円陣を組んだ皆の前にはお好み焼きやたこ焼きが置かれ、その他にも帆立や海老、イカのバター焼き等、焼き物が所狭しと並んでいる。手に取った後で中にデビルフィッシュが入っていると聞き、オズワルドが楊枝に突き刺したたこ焼きを思い詰めた表情で眺めながら、口を開く。


「…しかし、この乗り物は、何という速さだ。このままでは、明日にはヴェルツブルグに到着してしまうのではないか?」

「そうですわね…もう、こんな所まで来てしまって…」


 オズワルドの言葉を引き継ぐかのように、レティシアが周囲の風景を眺めながら嘆息する。レティシアの記憶では、確かこの風景はヴェルツブルグを出立してから10日くらいで目にするものだ。逆算すると、すでに3分の2を走破した事になる。レティシアは視線を下ろし、柊也へと向ける。


「シュウヤ殿、ヴェルツブルグに到着した後、どの様な方法でロザリア様にお会いするつもりですの?」

「…実は、まだ決めてないんだ」


 レティシアに問われ、柊也がしかめ面をする。


「とりあえず、俺とシモンがハンタータグを持っているから、ヴェルツブルグには入れると思う。ただ、ヴェルツブルグには伝手がなくってね。正直、入ってからゆっくり考えようと思っていたんだ。レティシア様、ディークマイアー家の伝手で、何かありませんか?」

「…難しいですわね…」


 柊也に逆に質問され、レティシアは顎に手を当て、形の整った眉を顰める。


「以前ならともかく、今の当家はヴェルツブルグと敵対しているようなもの。当家の名前を出しても、逆効果ですしね。オズワルド、何か妙案とか…え!?オズワルド、あなた、2個目いっちゃうの!?」


 妙案が浮かばず、レティシアは助けを求めてオズワルドに目を向けるが、そのオズワルドが頷きながらたこ焼きに手を伸ばす姿を見て目を瞠る。オズワルドは今度は躊躇いもなくたこ焼きを放り込み、大きく顎を動かしながらレティシアに向かって首を横に振った。唆されたレティシアがたこ焼きに手を伸ばす姿を見ながら、柊也が結論を出した。


「まあ、いいか。今考えてもどうにもならんし。とりあえず中に入ってから考えよう」

「致し方ありませんわね…」


 レティシアがそう答え、小さく口を開けて、たこ焼きに噛り付く。美香は三人の会話を黙って聞いていたが、頷きを繰り返すレティシアを眺めた後、覚悟を決めて柊也に尋ねた。


「あの…先輩…」

「ん?何だ、古城?」




「…私、何処に行ったらいいんだろう…」




 沈黙したままの柊也の前で、美香の質問が続く。


「私、ハーデンブルグにもヴェルツブルグにも、居られなくなっちゃいました。私、まだこの2箇所しか知らなくて、この先どうしたら良いか、わからないんですよ。先輩、ハンター業って、大変ですか?私にも、できます?」

「…」


 美香の縋るような眼差しを受けた柊也は、暫くの間、黙り込む。美香のみならず、レティシアやオズワルドも注視する中、やがて柊也が頭を掻きながら答えた。


「…古城」

「はい、先輩」




「…お前も、大草原に来るか?」




「…大草原…ですか?」

「ああ」


 美香が柊也の言葉を口ずさみ、柊也が頷く。


「俺は、ロザリアとの対話を終えたら、大草原へと戻り、そこで余生を過ごすつもりだ。大草原に住むエルフ達は、元の世界で言えばモンゴルの遊牧民の様な生活をしているよ。彼らはとても気持ちの良い種族で、お前もきっと気に入ると思う。大草原では素質も魔法も働かないから、お前の力は全て使えなくなるが、その代わりごく普通の女性として、自由気ままに暮らせるぞ。…なぁ、セレーネ?」

「ええ、勿論ですよ。トウヤさんのお友達でしたら、私達ティグリのエルフは、歓迎いたします!ミカさん、一緒に大草原で暮らしませんか?」

「セレーネさん…」


 セレーネの妖精と見紛う透き通った笑顔に魅入った美香はうわ言の様に呟き、オズワルド、ゲルダ、レティシアへと目を向ける。美香の視線を受けた三人は次々と頷き、三者三様の言葉を返す。


「勿論、一緒について行くよ、ミカ。君の隣が、私の居場所だ」

「水くさい事聞くんじゃないよ、ミカ。当然じゃないかい」

「私は、言うまでもないわよ?」

「レティシア…、イカ焼きが気に入ったんだね…」


 レティシアの口の先で上下に揺れ動くゲソを眺めながら美香は呟き、柊也に感謝の笑みを浮かべる。


「ありがとう、先輩。私も、大草原に連れて行って下さい」

「ああ、任せておけ」


 目の前で吹き荒れていた吹雪が和らぎ、柊也は安堵の息をつきながら、穏やかな笑みを浮かべていた。




 ***


 日が傾き、周囲が次第に橙へと変色する中、ボクサーは街道をひた走っていた。すでに地平には自然の造形とは異なる直線的な構造物が建ち並び、夕焼けの輝きを背に受け、黒く浮かび上がっている。


 目的地まで、あと僅か。そろそろ距離的にも、ヴェルツブルグの住民からボクサーを隠さなければならない。だが、車内に居る面々は誰一人その事に言及せず、緊張の面持ちで上部ハッチへと目を向けている。柊也が、上部ハッチから身を乗り出すシモンとオズワルドに尋ねた。


「…二人とも、どうだ?」

「…また一本、崩れた。もう北部一帯は、制圧されている。王城からも火を吹いているし、落城寸前だ」


 双眼鏡を覗き込み、食い入るように見つめるオズワルドの視線の先で、王城を形作る尖塔の一つが崩れ、土埃を撒き上げる。ヴェルツブルグの北半分は、夕焼けとは異なる赤い光に覆い尽くされ、その中で直線的な構造物が、また一本、また一本と消え去っていく。梯子を下りて車内へと戻ったシモンが厳しい表情を浮かべ、一同を見渡した。


「…ロックドラゴンが、いる。トウヤ、おそらくラディナ湖西岸で見た、ハヌマーンだ。ヴェルツブルグは、陥落する」




 中原暦6626年ロザリアの第1月21日。エーデルシュタイン王国の首都ヴェルツブルグは、今まさに、劫火の中に滅びようとしていた。

第11章、完結です。此処までお読みいただき、ありがとうございました。

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