195:悪意ある運命
中央軍の挑発を済ませ車内へと戻った柊也は、座席に腰を下ろし、一同を見渡して口を開いた。
「さて、一旦落ち着いたから、情報交換といこう。俺の名は、笠間木柊也。今はトウヤと名乗っている。古城…あなた方がロザリアの御使いと呼ぶこいつと一緒に、この世界に召喚された男だ。隣はシモン、車を操縦しているのはセレーネ。セレーネは、中央軍を撒いた後で紹介しよう」
柊也の自己紹介にオズワルドとゲルダが頷き、各々自己紹介する。レティシアもシモンに対して自己紹介した後、柊也が右腕の能力について説明する。
「今乗っている車は装甲車と言って、我々が生まれた世界に存在する軍事車両だ。俺はこの通り右腕を失っているが、それと引き替えに向こうの世界の物資を取り寄せる事ができる。色々と制約があって面倒なところも多いんだが、非常に役に立っているよ」
「そんな便利な能力を隠し持っていたんですか…」
柊也の説明を聞き、美香は再び内装を見渡しながら嘆息する。オズワルドが内装を拳で小突き、眉を顰めた。
「…おそろしく硬い。防御力に関しては、ロックドラゴン以上だ。我々では手も足も出ないな」
「しかも、足回りは馬より速いときている。アタシ達には、全く歯が立たないねぇ…」
「先輩、何故私に、この能力を教えてくれなかったんですか?」
ゲルダが腕を組んで渋面を浮かべる傍ら、美香が柊也に問う。
「この能力が判明したのが、俺の命の危険が迫り、ヴェルツブルグから脱出すると決めた後だからだ」
美香は勢い良く頭を上げ、座ったまま前のめりになって、対面に座る柊也に詰め寄った。
「そうだ!先輩の命を狙っていた相手って、一体誰だったんですか!?」
美香の食い入るような目を見て、柊也は一瞬口を噤むが、やがて意を決して口を開いた。
「…ハインリヒ・バルツァー」
「…え…?」
「ハインリヒ殿が!?」
柊也の口から飛び出した固有名詞に美香が呆然とし、レティシアが話に割り込む。予想外の言葉に美香は混乱し、目の前で柊也がレティシアに頷く姿さえも目に入らない。
「…な、何で、ハインリヒ様が…先輩を…?」
ハインリヒは美香に対し、とても誠実だった。一国の中枢に影響力を持つ重要人物でありながら、召喚されたばかりで右も左も分からない美香に、非常に親身に接してくれた。臆病なほど紳士的でほとんど手も触れた事もなかったが、美香に対する魔法講義は手取り足取りと言うべきわかりやすいものであり、美香が魔法に成功すると、我が事の様に喜んだ。北伐の地で美香が倒れた時の取り乱しようといったら、患者である美香の方がハインリヒをあやしていたくらいだった。
そのハインリヒが、同じ召喚者であるはずの柊也を敵視し、命を奪おうとしていたのだ。にわかには信じられない事実を知り、美香がうわ言のように呟く。柊也は黙ったまま首を横に振るが、その挙動を見て、美香はある事に思い至る。
「…私の…せい…?」
柊也はもう一度首を横に振り、口を開く。
「あの男の勝手な思い込みだ。古城、お前のせいではない」
「…私が…居たから…」
「ミカ!あなたのせいじゃない!そんなに思い詰めないで!」
柊也の言葉を聞いた美香は苦悩の表情を浮かべて俯き、レティシアが美香を気遣いながら背中を擦る。どう説明しても美香の心が早々に晴れる事はないだろうと柊也は見切りをつけ、説明を続けた。
「ハインリヒが仕掛けた罠を逃れた俺はカラディナでハンターとなり、身を隠した。その後、シモンやセレーネと知り合った俺は、遠いエルフの地でサーリアと出逢い、神話の三姉妹に関する真実に触れたんだ」
「え、エルフの地って…?」
「サーリア様って…、あの、サーリア様かい…?」
続けざまに放たれる衝撃に美香とレティシアが顔を上げ、ゲルダが腰を浮かす。柊也が三人の顔を見て頷く中、オズワルドが問う。
「西誅軍がエルフの住む大草原に攻め込み、撃退されたと聞いている。それには巻き込まれなかったのか?」
オズワルドの言葉に柊也は頷き、宣言した。
「西誅軍を撃退したのは、この俺だ」
「…なっ…!?」
驚愕の事実を耳にした四人は絶句し、目と口を見開いたまま動けなくなった。車内に出現した4体の彫像を前に、柊也が淡々と説明を続ける。
「奴らに焦土戦を仕掛け、兵糧攻めにした。おかげでこちらの被害を最小限に抑え、西誅軍を無条件降伏させる事ができたよ。リヒャルト殿下もそこで捕らえ、半年ほどの抑留生活の末、解放している」
「…」
4体の彫像は身を守る事もできず、次々に降り注ぐ言葉の矢に射抜かれ、その場に縫い付けられる。その中でも「リヒャルト」という極太の矢に心臓を射抜かれた美香は、喘ぐように口を動かし、何の根拠も無しに真実へと至る。
「…まさか、ハインリヒ様を殺したのも…」
「…ああ、それも、俺だ」
「…何…故…?」
美香はまるで呼吸困難に陥ったかのように青ざめ、ボクサーの内壁に頭を打ち付けて、うわ言の様に呟く。その途端、柊也が膝に肘をついて前屈みの体勢のまま、鋭い眼光を美香へと向け、底冷えする様な声を発した。
「…何故?」
「せ…んぱい…?」
突然の変貌と、下から突き出された視線の槍を前にして、美香は仰け反った様に顔を上ずらせ、ボクサーに縫い付けられる。磔となった美香に、柊也が言葉の槍を繰り出す。
「…俺の仲間を殺そうとしたからだ。ハインリヒは、俺とシモンを殺そうとした。リヒャルト達西誅軍は、エルフであるセレーネの故郷を蹂躙し、皆殺しにしようとした。だから、叩き潰しただけだ。その何が悪い?」
「…せ…」
「シュウヤ殿」
ほとんど虫の息となった美香を庇うかの様にレティシアが割り込むが、柊也の視線が雷光の如く二人を貫く。柊也の隣に座るシモンの瞳が灼熱の輝きを増し、柊也を守護するかのように車内を威圧する。4体の彫像は二人の気迫に呑まれ、雷光と灼熱から身を守る事もできず、その身を乱打される。
やがて、柊也が身を起こし、独り言のように呟いた。
「…立場の違いだ。大切な仲間を救うために敵を倒し、命を奪う。至極当然の事だ。あんた達も、古城のためにそう思っているからこそ、此処に居るんだろう?それと同じだ。ただ、俺はそれを、逆の立場で行っただけだ」
右腕がなく、腕を組めない柊也は、けじめをつけるかのように溜息をつく。シモンの灼熱の輝きが鎮まる中、柊也の独語が続いた。
「…俺は、自分が行った事について過ちだと思っていないし、後悔もしていない。だが、逆の立場であるあんた達の考えを否定するつもりもないし、非難するつもりもない。悪いが、自分で心の整理をつけてくれ」
かつて自分が愛し一生を委ねようとしていた相手が、自分の事を想い大なり小なり心を砕いてくれた人達を殺し、陥れた。そのあまりにも悪意に満ちた運命に、美香の息が詰まる。
…私が居たから?もしかして、私が居なければ、こんな事にはならなかったの?
「ミカ、しっかりして!あなたは、何も悪くない!お願いだから、自分を責めないでよ!」
「…え?…あ、うん…」
背中を行き交う暖かい労わりに満ちた掌を感じ、急速に焦点が定まった美香の視線の先に、涙目のレティシアの顔が浮かび上がる。曖昧に頷く美香を見て、柊也がバツの悪そうな表情で、頭を掻いた。
「古城。俺が言うのも何だが、西誅軍が押し寄せたのは、お前のせいじゃないだろう?レティシア様の言う通り、何もかも一人で抱え込むな」
「…う、うん…」
表情の晴れない美香を見て、柊也は溜息をつき、説得を諦める。そしてこの話は終わったとばかりに一つ自分の腿を叩き、話題を変えた。
「古城、それよりこれからの話だ。俺達が此処に来た理由。それは、お前を連れてロザリアに逢いに行くためだ。――― この世界が何なのか、ロザリアに逢えばわかる」