154:孤立する北
「〇×$$%□〇〇 ××▽#&&〇△□ □□〇×」
「□@@×〇 %%×+□ 〇△」
幾重にも重ねられた布の上に身を横たえる聖者の前で、数人のハヌマーンが平伏し、贖罪の言葉を並べていた。東の族長は、その巨躯を縮こまらせて自らの失態を詫び、西の代表は額を地面に擦り付けて謝罪の言葉を繰り返しながら、彼にこの様な損な役回りを押し付けてあっさりと戦死してしまった西の族長に、内心で恨み言を並べていた。
彼らと聖者の周囲には何人ものハヌマーンが立ち並び、彼らに厳しい目を向ける。幾人かは感情を抑えられず、時折、輪の周りから非難の声が上がった。
「〇×□□ ×&&$〇…」
しかし、周囲を圧する声は、聖者のか細い声が聞こえた途端、鳴りを潜める。ハヌマーン達は皆、聖者が発する言葉に一言も漏らさぬ勢いで耳を傾け、辺りにはたちまち静寂が広がる。
その静寂の中で、聖者はゆっくりと身を起こす。聖者は、ここ数日に渡って続いている発熱にうなされたまま、眼前で平伏する東と西の代表団に対し、労わりの言葉をかけた。
「〇〇×□%% ×□△▽$&& サーリア〇$ ##@〇□ ×□&&…」
聖者は、東と西の代表団と周囲に居並ぶ有力者達に、自らの考えを述べる。
東と西の行動は、決して誤ったものではない。あなた達は、栄えある南征において、一刻も早くサーリア様をお救いすべく行動したのであり、賞賛されるべきものである。むしろ責めるべきは、繰り返し体に変調をきたし、その都度南征軍を停止させ、あなた方の行動に間に合わなかった、虚弱な私にある。私こそ、あなた方にお詫びしたい。
そう聖者は言葉を結ぶと、地面に崩れ落ちる様にして、東と西の代表団へと頭を下げた。
「〇×&%%! &&&&&×□&&!」
「×□○○ $$+□○○ ×□!」
「&&&&□〇 ×▽△%%$〇!」
東と西の代表団はおろか、周囲を取り巻く有力者達も慌てて聖者へと駆け寄り、その矮小で病み衰えた体を抱え上げ、ゆっくりと布の上に横たわらせる。聖者は荒い息をつきながら、心配する周囲の者達へ言葉を続けた。
「×〇□□%%% 〇□&& 〇□##× ロザリア ×〇$%%□ ×□○○△ \\〇□%% ×@□ 〇\$$ サーリア〇$ +□+%〇…」
東と西の攻撃によって、ロザリアの恐ろしさが判明した。此度の南征において、我々ハヌマーンは過去に例のないほど一致団結しているが、サーリア様を確実にお救いするためには、まだまだ力が足らない。もっと兵力を集めなければならない。そして、時間がかかり犠牲も伴うが、ここは早々に例の策を用意せねばなるまい。
聖者の言葉に、周囲の者達は互いの顔を見て、神妙に頷く。聖者が発案した「例の策」。その策を聞いた時、彼らは聖者の聡明さに驚き感銘を受けたが、同時に非常に危険な策である事にも気づいていた。その策の発動を聖者が発した。この先、多くの同胞が、その策の過程で命を落とす事になるだろう。
だが彼らにとっては、同胞の命など、些細なものであった。サーリア様をお救いし、ガリエル様との仲睦まじい暖かい生活を取り戻す。その悲願のためであれば、我々はいくらでも身命を捧げる事ができる。
やがてハヌマーン達は、疲労のあまり眠りについた聖者を起こすまいと静かにその場を離れ、更なる兵力増強のために故郷へと使いを走らせ、例の策の準備に取り掛かった。
***
ロザリアの第3月。あの二度目のハヌマーンとの戦いから、2ヶ月が経過した。
この2ヶ月の間、ハーデンブルグは来たるべきハヌマーンとの戦いに向け、着々と準備を進めていた。予備役と新たな募兵により2,000の兵が加わり、3個の守備大隊を新設していく。第1は新兵の鍛錬に集中し、その間の偵察と防衛は第2から第4大隊に一任された。第2から第4の各大隊は、交代でヨナの川方面へと威力偵察を繰り返していたが、幸いな事にこの2ヶ月はハヌマーンの新たな動きが見られず、散発的に単体を見かける程度に留まっていた。
その間もフリッツの長子マティアスは籠城に向けた食料の備蓄に走り回り、一心同体とも言えるアンスバッハ伯爵家は勿論、エーデルシュタイン随一の穀倉地帯を有する南のミュンヒハウゼン伯爵家からも大量の食料を買い付け、ハーデンブルグへと運び込む。マティアスは同時に、両家の当主であるヴィルヘルム・フォン・アンスバッハ、テオドール・ヨアヒム・フォン・ミュンヒハウゼンとの会談に臨み、近年稀にみるハヌマーンの積極性とハーデンブルグに迫り来る脅威を訴え、有事の際の協力を要請した。それに対し、ヴィルヘルムは真摯に、テオドールはまるで起きあがりこぼしの様な滑稽でのらりくらりとした態度ではあったが、要請を受け入れ、有事の際の兵や物資の拠出を約束した。
一方美香は、20日目を経過した頃には覚束ないながらも手足が動く様になり、1ヶ月後には概ね日常生活を取り戻す事ができた。レティシアは美香が歩けるようになると、体力回復のために毎日の様に美香を外へと連れ出し、二人はハーデンブルグのあちらこちらを歩き回った。二人の後にはゲルダと数人の女性騎士が常に付き添い、手を繋いで歩き回る二人の姿を、温かい目で見守っていた。
「フリッツ様!何がありましたか!?」
オズワルド、イザーク、ゲルダの3人が、フリッツの執務室に駆け込んで来る。3人は、連絡を齎した使用人のただならぬ雰囲気から、不吉な予感を覚えていた。
オズワルド達の目に飛び込んで来たのは、窓辺に佇み外の景色を眺めたまま、身じろぎもしないフリッツの背中。そして、中央のテーブルを取り囲むように座り、テーブルに置かれた書簡を見つめたまま唇を噛む、アデーレ、マティアス、ニコラウスの姿だった。
「ニコラウス殿、何が起きた?」
オズワルド達は次々にソファに座り、ニコラウスへと問う。ニコラウスはそれには答えず、まるで不浄なものを取り扱うかのように、書簡をオズワルドへと押しやった。
「…」
3人は次々に書簡に目を通し、瞬く間に眉を逆立てる。書簡を読み終え顔を上げた3人に対し、ニコラウスが弔辞を読むように宣言する。
「西誅軍が敗退しました。――― 援軍は来ません」
「中央は、何を考えている!?」
堪らずイザークが怒鳴り声を上げる。ハーデンブルグは、中原と言う温室を守る、蓋である。この蓋が破られたら最後、ハヌマーン達は怒涛の様に中原へと押し寄せ、中原は崩壊への道を突き進む事になる。今まさにハヌマーンはこの蓋をこじ開けようと二度も押し寄せ、ハーデンブルグは実力ではなく美香が齎した奇跡によって、辛うじて撃退できたに過ぎない。そして、ハヌマーンはいつ再び押し寄せて来るかわからず、美香が再び奇跡を起こせる保証もない。
にも関わらず、ヴェルツブルグは西誅軍の敗退を理由に、ハーデンブルグの援軍要請を断ったのである。これは、ハーデンブルグにとって、緩慢な余命宣告にも等しかった。
「…西誅軍は、どれだけの損害を被ったんだい?」
ゲルダが渋面を作りながら、ニコラウスに問う。いくら受け入れられない理由とは言え、相手の言い分をまずは聞きたかった。ゲルダに促され、ニコラウスが重い口を開く。
「エーデルシュタインが派遣した40,000のうち、死者は20,000。しかも、リヒャルト殿下やギュンター・フォン・クルーグハルト殿ら司令部は全員エルフの地に抑留され、ハインリヒ・バルツァー殿とS級ハンターのヴェイヨ・パーシコスキが死亡したそうです」
「なっ…!?」
ニコラウスの口から飛び出した甚大な被害に、3人は怒りを忘れ、呆然とする。つい1年前に此処ハーデンブルグを出立し、ヴェルツブルグへと戻ったエーデルシュタイン北伐軍。あの威容を誇る大軍の半数が永遠に失われ、王太子が虜囚の身になったというのだ。壊滅と言って差し支えない。しかもニコラウスの説明には、続きがあった。
「そして残存の兵20,000は、未だセント=ヌーヴェルに残留し、本国へ帰還する様子を見せていません。…事実上、西誅軍40,000は、消失しました」
「…何てことだ…」
ニコラウスの説明を受け、イザークがうわ言の様に呟く。
「ヴェルツブルグからの回答は、この西誅軍の全滅により我が国の予備兵力が枯渇したため、ハーデンブルグの援軍要請に応える事ができないとしています。援軍を送りたくとも、送る『もの』がないと」
「かと言って、その回答は到底容認できぬ。ハーデンブルグは、他の地域とは立場が全く異なる」
オズワルドが、ヴェルツブルグの回答に反論する。
「此処ハーデンブルグは、単なる辺境の地ではない。ガリエルの侵略を一手に引き受ける、中原の防御の要だ。此処をガリエルに抜かれたら、中原は終わりだ。中南部の兵を引き抜き、その地の治安や生産力を低下させてでも、ハーデンブルグに援軍を送るべきだ」
「残念ながら、中央はそう考えなかったのでしょうね…」
自らの蟠りを整理するかのように、ニコラウスは深いため息をつき、フリッツへと向く。
「フリッツ様。いずれにせよ、当家には到底容認できない回答です。すぐさま中央に返信を送り、事の重大さと当家の窮状を訴え、何としてでも援軍を引き出すべきです」
「当然だ、ニコラウス。すぐに書状をしたためよう。マティアス、お前も準備が整い次第、ヴェルツブルグへと向かえ」
「畏まりました、父上」
フリッツは窓から視線を外し、一堂を見渡しながら、怒りにも似た唸り声を上げる。
「ハーデンブルグの守備は当家の管轄だが、この国の責務でもある」
「…王家よ、履き違えるなよ?守るべきは、国でも王でもない…民だからな」