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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第9章 孤立する北
151/299

149:第二波(1)

「まさか、そんな…。あれから、まだ3ヶ月も経っていないんだぞ!」


 ディークマイアー騎士団 第2大隊長のイザークは、対岸を眺めながら呻き声を上げる。その彼の声をかき消すように、対岸から多くの雄叫びが次々と聞こえてきた。


「〇×##$△! ××□△++& 〇□△%% $〇!」

「@\\□ #$$%□△ 〇× □@@ \\\×□!」

「〇□## ×□! ×〇□#$%%□!」

「%%〇 #$!」

「%%〇 #$!」


 ハヌマーン達は一斉に対岸に並び、第2大隊を威嚇するかの様に、武器を振りかざす。その言葉は一切理解できないが、明らかに第2大隊を挑発し、囃し立てていた。


「くそ…、皆の者、我慢しろ!決して挑発に乗るなよ!」


 イザークは麾下の騎士達に対し、相手を刺激する様な行動を慎むよう厳命する。今のところ、ハヌマーン達は対岸から囃し立てるだけで、渡河する様子は見せていない。ヨナの川は大河ではないが、川幅は広く、水深もそれなりに深い。架橋技術を持たないハヌマーンは、泳ぐか筏を組んで渡る他に方法はなく、その分犠牲が多い。渡河前に第2大隊に発見された事もあって、躊躇しているのであろう。イザークは、そう判断する。


 だが、第2大隊にとっても、決して楽観できる状況ではない。3ヶ月前、第1第4の2個大隊は、6,000もの大軍に襲われている。幸い、美香の活躍によりハヌマーンに大打撃を与える事ができたわけだが、ハヌマーンが活発になっている事を踏まえ、イザークは通常1個小隊で行っている偵察に1個大隊を連れて来た。しかし、対岸に並ぶハヌマーンの数は明らかに第2大隊よりも多く、2,000近く居る様に思える。下手に刺激して、一斉に渡河されては、第2大隊だけでは抑えられない恐れがある。


 イザークは副官を呼び、声を抑えて指示する。


「ハーデンブルグに急使を送れ。ヨナの川にハヌマーン2,000が襲来。第2はこれより、ハヌマーンの渡河阻止に入る。至急救援を求む」


 第2大隊はヨナの川岸に陣を張り、無用な挑発を控えつつ、通常より薄く広い陣容を敷いて軍旗を掲げ、無言の圧力を加える。開戦をなるべく引き延ばし、ハーデンブルグからの救援を待って撃退する事にした。




 ***


 北の都ハーデンブルグの中央に佇む、ディークマイアー辺境伯の館。日が落ちて刻一刻と闇に閉ざされていくその一室で、フリッツとアデーレ、マティアスの他、各大隊長の面々が、難しい顔を突き合わせていた。


「あれからまだ3ヶ月足らず。あれだけ叩いたのにも関わらず、2,000も押し寄せて来るとはな…」


 フリッツが腕を組み、渋面を作る。これまでにもハーデンブルグは度々ハヌマーンの襲撃を受けていたが、その規模はせいぜい年に1回から2回。それも年始の次は年末に来るという程度で、立て続けに来襲するケースはほとんどなかった。しかも前回は、6,000のうち4,500もの損害を与えている。あれだけの打撃を与えておきながら、こうも短期間で再び兵を整えて来るとは、想定していなかった。


 唸り声を上げるフリッツに対し、第3大隊長のウォルターが口を開く。


「しかし、不幸中の幸いな事に、何とか2,000で収まっています。ミカ殿に受けた4,500もの損害を短期間に回復する事は、流石にハヌマーンもできなかったようですな」

「そう割り切るしかない…か」


 心の踏ん切りをつけるかのように、鼻息を荒げるフリッツに対し、アデーレが問う。


「それで、あなた。今回は如何なさいます?…正直なところ、ミカさんにこれ以上、苦労をかけさせたくないのですが」

「…そうだな」


 アデーレの希望にフリッツは頷き、顔を上げて一同を見渡す。妻アデーレと長子マティアス。オズワルド、ウォルター、サムエルの各大隊長。護衛小隊のゲルダとニコラウス。この部屋に居る者の全てが、同じ表情を浮かべていた。




 この戦いは、ディークマイアー家の問題、ひいてはエーデルシュタイン王国の問題であり、決して美香が取り組むべき問題ではなかった。その事実を、この場に居る全員が理解していた。


 だが、現実はそれを無視するかのように揺れ動き、人々を翻弄する。美香が召喚されて以降、この世界はディークマイアー家の覚悟を嘲笑うかのように、美香だけに何度も過酷な運命を押し付けた。年端もいかない少女の身に余る決断を繰り返し求め、責任を押し付けた。そして少女の限界を超える結果を要求し、その都度、対価として手足の自由を奪った。


 それに対し、少女はこの世界からの理不尽な要求に一切反論もせず応じ、その身を犠牲にして成果を齎した。そして、その恩恵を存分に受けたのは、結果を出した本人ではなく、皮肉な事に本来自分達が取り組むべき問題であるのにも関わらず、蚊帳の外に留め置かれたディークマイアー家の面々だった。


 彼らにとって、これほどの無力感を味わったのは、生まれて初めての事だった。彼らは、エーデルシュタイン有数の軍事力を有し、中原の北面の防備を一手に担うだけの自負があった。にも拘らず、この2年間、彼らは全くと言って良いほど役に立たず、ただ一人の少女が彼らの目の前に立って、押し寄せる運命から皆を守り続けていた。




「…オズワルド、ウォルター、サムエル」

「「「はい」」」


 フリッツに名前を呼ばれた各大隊長が、口をそろえて答える。


「第4の1個中隊を除き、第1から第4の全軍をもって、第2の救援に向かえ」

「「「はっ」」」


 フリッツは、続けてゲルダへと目を向ける。


「第4の1個中隊は、一時ゲルダに指揮権を預ける。不測の事態に備えろ」

「了解だ、フリッツ様」


 勢いよく首肯するゲルダに対し、オズワルドが前のめりになり、声を(ひそ)めた。


「ゲルダ、この事はミカには黙っておいてくれ。アイツが知ったら、絶対について行くと言うからな」

「…参ったねぇ。アタシの相手が、一番の強敵じゃないかい」




 ***


「ねぇ、ミカ。明日、『はいきんぐ』に行かない?」

「え、ハイキング?」


 その夜、いつものパジャマパーティの途中、ベッドの上に一緒に転がったまま、レティシアが美香に提案した。


「ええ。あなた、日常生活はこれまで通りできるようになったけど、まだ体力が衰えたままじゃない。だから、運動も兼ねて、街の外に出歩くのも良いと思うのよね。そういうのを、あなたの世界では『はいきんぐ』って言うんでしょ?」

「うん、そう」


 レティシアの質問に、美香が頷く。以前、レティシアに日本の娯楽やレジャーについて話をした事があったが、それをレティシアが覚えていてくれた事が、美香には嬉しかった。そんな些細な喜びで胸が暖かくなった事に、内心で驚きを覚える美香の手をレティシアが取り、満面の笑みを浮かべる。


「街壁の外に広がる田園地帯の農作業も始まったし、綺麗な花も咲いてるから、一緒に見に行こうよ」

「そうだね。でも、フリッツ様に許可とか取らなくて大丈夫?」

「大丈夫!実は食事の後に、お父様には許可を取ってあるんだ」

「あ、そうなの?」


 アグレッシブなレティシアの行動を聞き、美香は意外に思う。まぁ、それだけ気を遣わせているし、実際運動不足なのは否めない。日本と違い、自然を満喫する機会が限られている以上、レティシアの厚意に甘えよう。美香はそう結論付けた。


「それなら、レティシア、明日一緒にハイキングに行こうか」

「うん!じゃあ、今日は早く寝ないとね」


 美香から了承を得ると、レティシアは嬉しそうに頷き、ベッドから下りる。そして、ベッドサイドに置かれたオルゴールの螺子を回すと、オルゴールの奏でる音楽に合わせて美香の手を引き、二人はそのまま頬を寄せ、恒例のチークダンスを踊った。




 翌日。雲一つない青天の中、美香とレティシアは手を繋ぎ、街壁の外に広がるのどかな田園風景の中を散策していた。空には小鳥が飛び交い、時折高らかな囀りが聞こえて来る。田園地帯の向こうに見える木々は風に吹かれて揺れ動き、葉擦れの音が流れてきた。


「暖かくて、風が気持ち良いね」

「うん。あ、ほら、あの花見て。凄く綺麗だよ」


 二人は手を繋いだまま、左右を見ながらゆっくりと歩いて行く。美香の体力は完全には回復しておらず、軽く開いた口で息をつき、額は薄っすらと汗ばんでいたが、彼女は心地良い疲労感を覚えながら、散策を楽しんだ。二人の後ろには、少し距離を開けてゲルダとカルラ、マグダレーナ、そして3人の女性騎士が歩調を合わせ、追従していた。


 ゲルダは、少し先を歩く二人の背中を眺めながら、物思いに耽る。ゲルダは、翌日の救援軍の出立をどうやって美香に悟らせないようにするか腐心し、思い悩んだ末に、レティシアに相談した。レティシアはゲルダから相談を受けると、即座に「はいきんぐ」を持ち出し、その夜のうちに段取りをつけて、美香をハーデンブルグの外へと連れ出したのである。レティシアは、その経緯はともかく、美香の衰えた体力をどうやって回復させ、気分転換をさせるか悩んでいた。そのため、ゲルダの相談は、レティシアにとっても渡りに船だったのである。


 先を歩く美香が後ろを向き、ゲルダに声をかけた。


「こんな天気が良いんだから、オズワルドさんも一緒に来れば良かったのにね。ゲルダさん、オズワルドさん、何か言ってました?」


 声をかけられたゲルダは、豆鉄砲を食らったように目を開き、慌てて言い繕う。


「え?…あ、いや、アイツは今日から、また偵察だからね。アイツに言ったら、一緒に行けなくて残念がってたよ」

「そうですか…。一昨日会った時には、そんな事、一言もなかったんだけどな…」


 顎に指を添え、立ち止まって考え始めた美香を見て、ゲルダが冷や汗を垂らす。それを見たレティシアが、助け舟を出した。


「ミカ、そろそろお昼にしようか。あそこ、花が満開だし、あの木の下にしない?」

「あ、うん、いいね。そうしようか」


 お花見みたいだ。


 美香の意識は満開に咲く花へと向き、ゲルダは安堵の息をついた。




 美香のいなくなったハーデンブルグでは、第1第3第4の騎士達が慌ただしく動き回り、出立の準備を進めていた。


「オズワルド、ヨナの戦いをお前に任せる。必ずしも勝ちにこだわる必要はない。全軍無事で戻り、ここハーデンブルグで仕切り直しするだけでも、十分だ。上手く治めてくれ」

「畏まりました、フリッツ様、必ずや」


 フリッツに全てを託されたオズワルドは騎乗し、全軍に通達する。


「全軍、これよりヨナの川へと出撃する。出立!」


 騎士1,600、輜重300、総勢1,900の軍が、美香とは反対の門からハーデンブルグを出発し、ヨナの川へと進軍していった。

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