148:新たなうねり
「…あ…もう駄目…。胸が高鳴っちゃう…」
用を済ませて床に就いた美香が小さく呟き、傍らに座るレティシアが拳を握り、脇を締めた。
「…ちょっと、レティシア。今のガッツポーズは、何?」
「え?ううん、気にしないで、ミカ」
ジト目を向けた美香に対しレティシアは優しく微笑み、ベッドに身を乗り出して、頬杖をつく。
「でも今回、ずいぶん治りが遅いね。もう半月も経つわよ?まだ、感覚は戻らないの?」
「うーん、感覚は戻って来ているんだけどね。まだ全然、いう事を利かなくてさぁ」
そう答えた美香の左手をレティシアが引き寄せ、両手で持ってツボ押しのように刺激する。そんな二人を見下ろしながら、ゲルダが口を開く。
「まあ、はっきり言えば自業自得やね、ミカ。呼吸が止まるほど力を使い果たしたんだから、治りが悪くて当然だよ」
「う…、ごめんなさい」
布団の中で顔を赤くする美香を見て、ゲルダは人懐っこい笑みを浮かべ、舌なめずりをする。
「気にしなくていいよ、ミカ。アンタが治るまで、アタシとレティシア様がしっかりと面倒見てあげるからさ。…あと、もうちょっとだし」
「そうね、あと、もうちょっとね」
「ちょっと!?その『もうちょっと』って、何!?」
ゲルダとレティシアが揃って目を細め、曰くありげに薄く笑みを浮かべる。
魔法を詠唱してから15日、ハーデンブルグに帰着してから、すでに7日が経過していた。
館に戻った後も、美香の介護は付きっきりで行われた。レティシア、カルラ、マグダレーナの3人はこれまで通り3交代で張り付いていたが、それに加えて、1人ずつ3交代、一日当たり3人の女性騎士が美香の許を訪れ、レティシア達とともに介護に勤しむ。またそれとは別に、第4大隊の面倒から解放され、護衛小隊の管理をニコラウスに丸投げしたゲルダが始終張り付き、美香の部屋には日夜関わらず、大体2人~4人が常に居て、美香の世話をしていた。
時にはアデーレやデボラまで手伝い、至れり尽くせりの美香であったが、むしろそれが彼女にとって大きな問題だった。
美香は討伐隊を救うため、己と引き替えに魔法を詠唱して以降、手足が動かず寝たきりとなっている。その事実は、命を救われた女性騎士達にとって感涙と心酔に値する衝撃だったが、それに輪をかけたのが、美香の容姿だった。美香の可憐で美しい姿態が、全く本人の意思で動かす事ができず、相手の成すがままになってしまうという事実は、女性騎士達の目には、まるで精巧で等身大の愛玩人形を与えられた様に映り、彼女達の忠誠心と庇護欲と背徳感を大いに掻き立てる事になった。
彼女達は自分が当直の番になると、こぞって美香の許へと押し掛け、感情の赴くままに美香の手足を手に取ってリハビリを行い、身の回りの世話を甲斐甲斐しく行った。その想いは留まる事を知らず、食事の手伝いはおろか、湯浴みやトイレの介助まで嬉々として行おうとする有様だった。これにはさすがの美香も羞恥のあまり、顔を真っ赤にして彼女達に辞退を申し入れている。この、当直の騎士が交代するたびに行われる、羞恥に彩られた美少女の涙目の哀願は、女性騎士達の新たなご褒美となった。
「ほら、ミカ、もう少しよ。頑張れ、頑張れ!」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
疲労のあまり、自分の両手を引いて後ずさりするレティシアの顔を見る事もできず、美香は下を向いたまま息を切らせる。自分の足が棒の様に強張り、言う事を利かない。背後にはカルラと女性騎士が付き添い、いつ美香が崩れ落ちても支えられるように、腰に手を添えていた。
やがて、長い時間をかけて寝所にまで美香が辿り着くと、レティシアはベッドの端に座って両手を広げ、美香を迎い入れる。余裕のない美香はレティシアに身を預け、二人はそのまま折り重なるようにしてベッドへ倒れ込んだ。
「よく頑張ったね、ミカ。偉い偉い」
「はぁ…はぁ…はぁ…、き、きっつい…」
レティシアは、自分の上に圧し掛かった美香をどかして身を起こすと、仰向けに寝転がった美香の髪を優しく撫でる。
「さ、次は一人でベッドに入らないとね」
「うっ…くぅ…」
レティシアが立ち上がってベッドから離れ、美香は手足を震わせながらゆっくりとベッドの中に潜り込む。やっとの事で布団の中に潜り込み、仰向けになったまま荒い息を吐く美香の額に、レティシアが手を当てた。
「お疲れ様、ミカ。やっと一人で動けるようになったね」
「はぁ…はぁ…、うん…ありがとう、レティシア」
「どういたしまして」
熱にうなされた病人の様に息を乱し、布団にもぐったまま礼を言う美香に、レティシアは優しく微笑んだ。
20日目を迎えると、ようやく美香の手足は覚束ないながらも自身の意思に従って動くようになり、美香のリハビリが始まった。
美香の手足は、いう事を利かない時から絶えずレティシアをはじめ皆々に動かしてもらっていたが、やはり20日間の麻痺の影響は大きく、関節は固く錆びつき、筋力は衰えていた。それでも美香は気丈に振る舞ってリハビリに取り組み、皆が見守る中、一人で食事や着替え、入浴やトイレをゆっくりとこなしていった。本来、この世界とは無縁の彼女に降りかかる苦難ではなかったのにも関わらず、美香は一切の不満を口にせず、己のすべき事に黙々と打ち込んでいった。その美香のひたむきな姿は、彼女を見守る者全ての心を打ち、彼女が少しでも早く元に戻れるよう心を砕き、手を差し伸べた。
「ミカ様、本日もお疲れ様でした。今、御御足をほぐしますね」
「あ、すみません。ありがとうございます」
当直の女性騎士が歩み寄って美香の足を取り、太腿やふくらはぎのマッサージを始める。女性騎士は下を向き、美香の細くしなやかな脚を一生懸命擦り、揉みほぐしていく。美香は自分の素足をまじまじと見られ、羞恥を覚えながらも、女性騎士の献身を前に言い出す事もできず、女性騎士の手にされるがままの自分の足を眺めていた。
私がこの愛玩人形に触れるのは、今日で最後。この感触を、心に刻まなければ。
「…ちょ、ちょっと、何か手の動き、妖しくないですか?」
「気のせいですわ、ミカ様」
魔法を詠唱してから、1ヶ月後。美香は、女性騎士達の間で流行していた娯楽から解放され、ようやく元の生活を送れるようになった。
***
西の部族を率いる長は、部族の男達に向かって、出陣の鬨の声を上げる。
「%&&〇〇! □□+△×%%〇 △▽$$!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
部族の男達の威勢の良い唱和を耳にして、西の族長は満足そうに笑みを浮かべた。
東の部族が西を差し置いて出陣したとの報を聞いた時、西の族長は地団駄を踏んで悔しがった。実に200年ぶりの聖者が率いる、栄えある南征の輝かしい一番槍を、よりにもよって東の部族に掠め取られた事が、西の族長には我慢ならなかった。あの東の奴らが聖者様の一番槍を務めるなど、身の程を知らなさすぎる。西の族長は、今やライバルとなった、かつての敵に憤りを覚えた。
だが、やがて東の部族が人族の返り討ちに遭って惨敗を喫した事を知り、西の族長は留飲を下げる。ほれ、見た事か。自らの実力も知らない未熟者が背伸びをすると、こういう事になる。次に聖者様に拝謁した時にでも、東の奴らを過大評価しないよう、進言せねばならぬな。西の族長はそう心に決め、意識を切り替える。
いずれにせよ、東の奴らの軽挙により、輝かしい南征に一点の曇りが付いたのは事実だ。この曇りは我々西が拭って差し上げなければならぬ。
「%&&〇〇! △〇〇## ×〇$$ △▽$$! サーリア〇$ △×%%〇 △▽$$!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
族長の掛け声に男達は雄叫びを上げ、西の部族の一群は、一斉に南下を開始した。