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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第8章 引き裂かれた翼
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138:オストラの戦い(4)

 オストラの南東で行われた会戦は、どの陣営も制御できない四つ巴の様相を呈してきた。




 リヒャルト軍は三分され、互いに連絡の取れないまま、各々の采配で状況の打開を図ろうと藻掻いていた。リヒャルト軍は、各陣営の中で最も傑出した才能の持ち主達が名を連ねていたが、大草原での大敗に端を発した士気の低迷に打ち勝つ事ができず、少しずつ崩壊を始めていた。


 一方、クリストフ軍は一つに纏まっていたが、人材に事欠き、激変する戦況に柔軟に対処する事ができない。グレゴールは、正面衝突しているリヒャルト軍左翼並びにダニエル軍への対処に忙殺され、迂回するバルトルト隊とリヒャルト司令部への備えが遅れている。


 エーデルシュタイン西部軍も、一方的な加害者から、次第に被害者へと立場を変えていった。カラディナ軍旗を掲げたリヒャルト軍左翼に首尾よく切り込み、多大な損害を与えたものの、勢いを制御できず、そのまま頭を戦場に突っ込んで抜け出せなくなる。そこに、新たに後背に出現したカラディナ増援軍の突入を受け、次々に斃れていく。


 そして、カラディナ増援軍は増援軍で、理想的なタイミングで西部軍とダニエル軍へと突入し、「六柱」の指示通り次々と首級をあげていくが、やがて斬り飛ばした首に見知った顔を見つけ、同士討ちの事実が判明すると動揺し、秩序だった行動が取れないまま、なし崩し的に乱戦へと突入してしまう。西部軍と増援軍を率いるのは、遠方に居る指導者から方針を受けただけの凡庸な指揮官であり、この戦況の激変に即座に対処する事ができなかった。




 最初に崩壊したのは、ダニエル軍だった。彼らは士気が回復しないまま戦場へと駆り出され、そのまま戦いの熱気に引き摺られ決戦力として投入された。そして先鋒が頭を突っ込み陣形が細長く伸びた所に、三方から攻撃を受けたのである。左側には西部軍が押し寄せ、後背からはカラディナ増援軍が、味方にも関わらず剣を振りかざしてくる。そして右側からは、バルトルト隊の離脱によって手の空いたクリストフ軍左翼が押し寄せようとしていた。


「…う、うわああああああ!」

「逃げろ!早くこの場から逃げるんだ!」


 細長い陣形の尾部に当たる後半部の兵士達が、胴体を引き千切るようにして、次々に逃げ出して行く。そして、その動きを見たクリストフ軍左翼とカラディナ増援軍が意図せず連携して袋の口を閉じるように包囲し、ダニエル軍前半部は完全に包囲される事になった。やがてカラディナ増援軍は、包囲した相手が味方である事を知ったが、それは停戦には繋がらず、混乱による無秩序な流血へと繋がる。例え味方だとわかったとしても、お互いが剣を振り上げたままの状態では、相手を殺さなければ自分が殺されるかも知れないのだ。包囲されたダニエル軍前半部は、鮨詰めの満員電車で揉まれるように、あるいは四方からやすりで削られるように磨り潰され、次々と斃されていく。


「…私の生涯最後の戦いが、こんな無様なものになろうとは…」


 次第に大きくなる阿鼻叫喚の声を耳にしながら、ダニエルは(ほぞ)を噛む。すでにダニエルの周囲に並ぶ兵士達も、戦意より恐怖に駆られて剣を抜き、勝つためではなく生き残るために戦いを続けていた。その勇敢な、しかし戦局に無意味な努力は報われる事なく、兵士達は打ち倒され、辺り一面に血の臭いが充満していく。


「せめて、敵の手によって斃れないとな…。味方に斃されては、目も当てられぬわ」


 ダニエルは自嘲気味に呟くと、剣を抜き、声を張り上げる。


「我こそは、カラディナの剣!ダニエル・ラチエールであるぞ!我が首級を望む者がおれば、かかってくるが良い!我の代わりに(ぬし)の首を掲げ、その手に載せてやろうぞ!」

「「「おおおおお!」」」

「「「ダニエル将軍、万歳!」」」


 ダニエルの大音声を聞き未だ戦意を失っていない最後の兵士達とともに、ダニエルはクリストフ軍左翼へと突入して行く。


 中原暦6625年ガリエルの第3月12日。カラディナ西誅軍司令ダニエル・ラチエールは、こうしてオストラの地において、少なくとも敵国の刃によってその生涯を閉じた。




 バルトルト・フォン・キルヒナー率いる7,000の兵は、乱戦に突入したクリストフ軍から距離を取り、後背へと迂回するように南下していた。クリストフ軍も後背からの攻撃に備えているが、今のところ追撃の兵を出す様子は見受けられない。


 バルトルト隊には正規兵が1,000しかおらず、組織だった軍事行動には向いていないのにも関わらず、奇跡的に秩序だった行動が取れていた。これは荒くれ者であるハンター達の影響が大きい。彼らは自信過多で個人プレイに走りがちだが、その分逆境に強くしぶとい。最後の最後は自分一人でも生き残るという自負があり、いつ見限られるか分からないというリスクがあるが、今のところはバルトルトの下で一体となった方が良いと判断している模様で、離脱者は少ない。そして、本来弱兵であるはずの輜重兵達も、意思の弱さが幸いして軍集団から離れまいと、必死に追従していた。


「このままクリストフ軍と距離を取り、左翼との合流を果たす。殿下達は、きっと我々と同じく、後方を迂回しているはずだ!」


 バルトルトは麾下の離散を防ぐためにも、大声を張り上げ、断言する。バルトルトにとって、その断言は軍の崩壊を防ぐための危険な賭けだったが、やがてその苦労は報われる事になった。


「…殿下!ご無事で!」

「バルトルト、お主もよくぞ兵を取り纏め、私の動きに合わせてくれた。感謝するぞ」


 リヒャルトの姿を目にしたバルトルトは、こみ上げる涙を必死に抑え、差し出されたリヒャルトの手を両手で押し戴く。リヒャルトとギュンターが率いる兵7,000がクリストフ軍の一部に後背を食らいつかれながら姿を見せると、バルトルトは麾下の兵をもってクリストフ軍を撃退し、両者は待望の再会を果たす事ができた。再会の喜びを振り払うように、ギュンターが口を開く。


「殿下、奴らが中央で混乱している間に、此処を離脱しなければなりませぬ。ご決断を」

「わかった。我が軍はこれより撤退する」

「はっ」


 ギュンターの進言に、リヒャルトは苦渋の面持ちで決断する。中央の混乱、それはつまり、取り残された自軍10,000とダニエル軍16,000を見捨てる事に他ならない。彼らはすでに、四方を敵勢力に囲まれ、リヒャルト達の手元に残された14,000の兵力では、打開する事は叶わなかった。




 中央での戦いは、無秩序な四つ巴と同士討ちの混乱によって、無用な流血が続いていた。


 カラディナ増援軍は、西部軍に多大な損害を与え、同時に味方であるはずのダニエル軍を崩壊に導いていた。増援軍の指揮官は、同士討ちの事実に慌てふためき、責任から逃げるように軍の撤退を始める。


 一方クリストフ軍は、左翼の圧力を上げてダニエル軍の掃討を続けると同時に右翼を下げ、リヒャルト軍の残兵に投降を呼びかける。しかし、リヒャルト軍は未だ後背で西部軍との乱戦が続いており、投降に応じる者は少なかった。むしろ、右翼の包囲が緩んだ隙に戦場から離脱しようとする兵が続出し、リヒャルト軍は急速に解体していく。それに対し、クリストフは追撃を指示せず、離脱するに任せた。この会戦におけるエーデルシュタインの損失は、計り知れない。捕縛する余裕もなく、これ以上一兵も失うわけにはいかない以上、逃亡するに任せて、罪を有耶無耶にするしかなかった。


 包囲されていたダニエル軍前半部も、カラディナ増援軍の撤退により逃げ場を得て、オストラ方面へと雪崩を打って逃走していく。それを見たクリストフは、ダニエル軍の追撃を止め、自軍と西部軍の取りまとめに取り掛かった。


 リヒャルト軍から逃亡した兵士達の多くは、クリストフの意図に反し、奴隷落ちや係累への連座を恐れて故郷へ戻らず、やがて盗賊や山賊へと身をやつす。この会戦以後、エーデルシュタイン西部の治安が悪化して生産力が落ち、カラディナやセント=ヌーヴェルとの物流にも支障をきたす様になる。




 後世、「オストラの戦い」と呼ばれるこの会戦は、中原各国に深刻な影響を及ぼす事になる。この後に続く戦乱によって多くの記録が散逸し、この戦いの正確な数字は遺されていないが、一説では各軍の損害は以下の様に伝えられている。


 リヒャルト軍(エーデルシュタイン):24,000のうち、死者4,000、重傷者2,000。その他に4,000が逃亡し離散。


 リヒャルト軍(カラディナ):16,000のうち、死者6,000、重傷者2,000。残余8,000のうち、2,000がクリストフ軍の捕虜となり、6,000がカラディナへと逃亡。


 クリストフ軍:37,000のうち、死者3,000、重軽傷者9,000。


 エーデルシュタイン西部軍:10,000のうち、死者3,000、重傷者3,000。


 カラディナ増援軍:12,000のうち、死者200、重軽傷者1,000。


 リヒャルト軍及びエーデルシュタイン西部軍の死者数が重傷者を上回るのは、包囲殲滅を受けて逃げ場がなかったためである。


 とりわけ、クリストフ率いるエーデルシュタインへの影響は、計り知れない。国防に必要な最小限の兵力さえも割り込んだ上に、虎の子の魔術師は根こそぎ刈り取られ、ラディナ湖西部の防御線も崩壊した。


 一方、カラディナも決して楽観できる状態ではない。元々西誅軍によって予備兵力がない状態で、南部を手薄にしてまで兵力をかき集め、オストラの戦いに増援軍を投入したのだ。にも関わらず、戻って来たダニエル軍は、僅かに6,000。予備兵力は回復していないと言っても、過言ではない。


 しかも、これだけ破滅的な結果を生みながらも、問題は何一つ解決していなかった。リヒャルト軍14,000は未だ健在で、クリストフ軍の追撃の手を逃れている。




 そして、この混沌とした情勢の中で、またも「六柱」が暗躍する。

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